第三話「卑劣な罠」

 ありさは生まれてこのかた茶会というものを一度も見たことがなかった。
 以前庄屋の屋敷でときおり開かれていたようだが、貧しい家庭に育ったありさにとっては縁もゆかりもなく遠い世界の話であった。

(茶会に使うお茶碗ってどんなものだろう?ふつうの湯呑みとどう違うのかな?)

 どのような器なのか、一度見てみたい。

(眺めるだけなら構わないだろう……)

 関心が高まったありさは、茶碗を茶室に運んだあと桐の箱をそっと開けてみた。
 すると箱の中にはさらに小さな桐の箱が五つ入っていて、箱と箱の間には綿や紙が詰められている。
 揺らせても傷まないように工夫しているのだろう。
 その中の一つを開けてみた。
 大切そうに布で包まれ、こちらも四隅に綿が施されている。
 ありさは包んである布を解いて茶碗を取り出した。

(うわぁ、すごい……これがお茶会用のお茶碗か……)

 ありさが手にした茶碗は、意外にも手になじみやすく温かい感じがした。
 手捏ねして焼いてあるのか、見た目は不安定な形をしているが、どっしりとした安定感が漂っている。
 ありさは初めて見る茶碗に目を輝かせた。

「へぇ……これがお茶会に使うお茶碗か。家で使っていた湯呑みとは全然違うなぁ。こんな上等なお茶碗でおとんやおかんにお茶を飲ませてやりたいなぁ……」

 茶碗を見つめながら故郷の両親に想いを馳せた。

「おとんやおかんは元気にしてるかなぁ……」

 しばらくぼんやりしていたありさだったが、ふと我に返った。

「あ、いけないわ。早くしまわないと……」

 急いで茶碗を元に戻した。
 茶碗を元どおり小箱に戻すと、ほかの小箱には触れないで、小箱の隙間に綿や紙を元どおり詰めようとしたその時、小箱の一つから「カチャッ」という音がした。
 嫌な予感がありさの脳裏をかすめる。
 四つの小箱を恐る恐る順番に開けていく。
 一つめ、二つめは大丈夫だ。
 三つめの小箱の茶碗の包みを解いてみて、ありさは愕然とした。
 あろうことか茶碗が真っ二つに割れているではないか。
 端正なその顔は見る見るうちに蒼ざめ、強張っていった。

(ど、どうしよう……お茶碗が割れている。運んでる最中に割ってしまったのかしら……。でも運んでいる途中どこにもぶつけていないし、落とさなかったし……。もしかしたら以前から割れていたのかも知れない。あぁ、困ったなぁ……だんさんにすごく叱られるだろうなぁ。あぁ、どうしよう……。仕方ないわ、ありのまま話して謝るしか……)

 茶碗がいかに高価なものかも知らないありさは、この時点では「とにかく謝ろう。弁償しろと言われたら一生懸命働いて返そう」と考えた。
 ありさは早速九左衛門にことの次第を報告することにした。

 九左衛門は眉間にしわを寄せ鬼のような形相で激怒した。

「あほんだらっ!何ちゅうことしてくれたんや!茶碗がどれだけ大切なものか知らんのか!昔やったら一国と引き換えでけるほどものすご~高いものなんや。ほんでなんやて?『私が割りました』と素直にいうたらええもんを、『もしかしたらすでに割れてたかも知れへん』てか?あほ抜かせ!責任逃れしょう思てそんな作り話をでっちあげるとはな~!このがしんたれが!」
「だんはん!本当に割ってません!箱を開いときすでに割れていたのです!本当です!信じてください!」
「この嘘つきが!わしは嘘つきは大嫌いや。正直に割ったと言わんかい!正直に言うたら堪忍したってもええんや。せやけど、あの茶碗はむちゃくちゃ高いんやで。わかってるんか?あれ一つで、なんぼする思てんねん?千円やで!千円!(現在の約二百万円)さあ、耳をそろえてすぐに払(はろ)てもらおか~!」
「そ、そんなお金持ってません……本当に、本当に割ってません。信じてください!」
「まだしらを切るんか?ほな、しゃあないな。白状させたるさかいにこっちに来い!たんとお灸を据えたるわ!」

 九左衛門は「信じて欲しい」と哀願するありさの手首を強引に掴んで引き摺っていった。
 ありさは何度もこけては立ち上がり涙ながらに訴えている。
 まるで奉行所の同心が犯人を引っ立てていくかのような光景に、何があったのかとほかの奉公人たちは目を丸くしている。

「だんさん、許してください!本当に割ってません!信じてください!お願いです!」

 ありさは肩を震わせ涙ながらに訴え続けてる。

「ふん、まだしらを切るつもりか!ほんま図々しいおなごやで!ごちゃごちゃぬかさんと早よこっちに来んかい!」

 茶碗が割れていたことは紛れもない事実である。
 ところがこれには種も仕掛けもあった。
 九左衛門はありさに茶碗の移動を指示する前に、予め自身で本物の茶碗を土蔵から運び出し、代わりに偽物の割れた茶碗とこっそりすり替えていたのだった。
 そうとも知らないありさはまんまと九左衛門が仕掛けた卑劣な罠に填まってしまった。

 九左衛門はまるで鬼のような形相で、涙ながらに詫びるありさの腕をつかみ、有無を言わさず土蔵へと引き連れて行った。

 ありさを土蔵に連れ込んだ後、内側からかんぬき錠を掛け土蔵の奥へと入っていった。
 暗い土蔵の中をまるで罪人のように連行されていく。
 いったい何をされるのだろうか……ありさは不安を隠しきれなかった。
 茶碗の入った長持が置かれていた辺りで立ち止まった九左衛門はありさに凄んでみせた。

「この辺でええやろ。さてと、ありさ、お前のその腐りきった性根をここで徹底的に治したるさかいに覚悟しいや」
「だんさん……どうか許してください……お願いです……」



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