第二話「五客の茶碗」

 当時、商家に住み込みで雇用され、接客や炊事などを行なう女性を女中と呼んだ。
 その中でも、特に接客や主人夫妻の身の回りの世話に関わる女性を上女中(あるいは奥女中)と呼び、炊事や掃除などを行い水回りを担当する下女中(あるいは下女)とは明確に区別された。
 上女中は下女中よりも上級の職であり、待遇が全く異なっていた。
 下女中は通常無給であり一年に一度帰省する際にはわずかな小遣いが与えられた。
 貧困に喘ぐ家庭からすれば、子供を一人奉公に出すだけでも、住み込みできて三食付きなので、食いぶちが減ると歓迎された。

 ありさはまだ十六歳で新米だったので、下女中の中でも一番下の端下に格付けされた。
 仕事は大変忙しく、朝早くから夜遅くまで休みなく、一日中まるでこまねずみのように働いた。
 仕事ができるうえに素直でよく気が利く娘であったことから、番頭や女中達からとても評判がよかった。

 そんなありさの一挙一動を、柱の影から舐めるようなじっとりとした視線を送る男がいた。
 店の主の九左衛門である。

「ふむふむ、仕事はよう気張っとるやないか。ちょっと子供っぽさは残ってるけど、かなりのべっぴんやし、肌はピチピチしとるし、あのおいど(尻のこと)の張り具合はたまらんで」

 その顔には淫蕩な笑みが浮かび、今にもよだれをこぼしそうなくらいだ。

「くくくく、こってり可愛がって女に生まれたことを後悔させてやるか。何か妙案はないやろかなあ……」

 いくら女好きで無節操な九左衛門と言っても、奉公人たちへの体面もあるので表立っては店の女性に手を出せない。
 粗相した女中に対するお仕置きという名分も考えられるが、失敗をしないありさを咎めるわけにはいかない。
 以前、九左衛門は女中に手を出したことがあったが、妻にばれて大騒動になってしまった苦い経験があって、さすがの九左衛門もそれ以来女中に手出しすることは控えていた。

 しかしその小うるさい妻は療養中であり家にいない。
 ありさが奉公に来てからというもの、九左衛門の心にはふつふつと滾るよこしまな感情が日に日に高まっていた。
 絶好の機会を逃がしてなるものかと、九左衛門は思いをめぐらせた。
 どうすればあのありさの柔肌に荒縄を食い込ませ、思う存分いたぶることができるだろうか。
 仕事は真面目だし失敗もしないし、それに性格も素直で他の奉公人たちからも好かれている。
 つまりありさはまだ新米だが申し分のない奉公人なのである。

 ある日、そんな九左衛門の脳裏にふと妙案が浮かび、思わず手を打った。
 悪知恵にかけては人一倍長けた男である。
 九左衛門は早速ありさを陥れるための、ある『罠』を仕掛けた。

 そんなこととは露知らず、日々仕事に精を出すありさは、その日も拭き掃除や洗濯に余念がなかった。
 ちょうどそこへ下女中のふみがやって来た。
 今年二十歳で容姿は十人並みだが、嫉妬心が異常に強い娘であった。

「ありさ、旦那はんが呼んだはるで。何でも大事な用事があって頼みたいて言うたはるけど」
「そうですか。ありがとうございます」

 奉公を始めてまだ日も浅いありさが、早くも店の主から大事な仕事を頼まれると聞きにわかに緊張が走った。

「は、はい、だんさん、お呼びでしょうか?」
「おお、ありさかいな。いつもよう気張ってくれとるなあ。ご苦労はん。ところで、今日はお前に一つつ頼み事があるんやけど頼まれてくれるか?」
「はい、どのようなご用でしょうか」
「今度、お得意はんに集まってもろてお茶会するんやけどな。その時に使う茶碗が裏の蔵に入ってるんやけど、それを茶室まで運んで欲しいんや」
「はい。分かりました。すぐに掛かります」
「そうか、すぐやってくれるか?大事なもんやさかいに気いつけて運んでや。落とさんようにな」
「はい、気をつけて運びます」

 ありさは早速作業に取り掛かるため、九左衛門の部屋から出て行った。
 ありさが去った後、九左衛門はにやにやと下品で淫靡な笑みを口角に浮かべた。

(よっしゃ、これで段取りはでけた。あとは筋書きどおり事が運ぶのを待つだけや。想像するだけで興奮して来たわ。くっくっくっ、こらおもろなってきたで~)

 ありさは土蔵の前に立ち、かんぬき状の錠前を開けると、もう一つ左右に引き開ける木製の内扉があって、入っていくと古い土蔵特有の匂いが鼻をついた。
 蔵には小さな明かり取りしかついていないため、内部は薄暗く、不気味であった。
 商い用に使用している土蔵であれば人の出入りも多いため、もう少し明るく掃除が行き届いているのだが、ありさが訪れたのは九左衛門個人の土蔵であったため、人の出入りがほとんどなく空気がよどみかなり湿気ていた。

 ありさは行灯も持たず、明り取りからの仄かな明かりだけを頼りにゆっくりと進み、土蔵の一番奥にようやくたどり着いた。
 九左衛門の話では、茶碗は黒い漆塗りの長持(衣類や道具を入れておく箱)の中にしまってあるという。
 朱塗りの長持二つに挟まれるように、中央に黒い長持があった。

(黒い漆塗りの長持……これのことかな?)

 どの長持も埃が積もっていて咳き込みそうになってくる。
 ありさは黒い長持の蓋を開き、中に収められている品物を探った。

(お茶碗があった!)

 まもなく目的の茶碗を見つけ出した。
 茶碗は桐の箱に収められていて五客入っている。
 茶筅などの茶道具もあり、少し嵩張るため二回に分けて運ぶことにした。
 一回で運ぶことができるかもしれないが、ありさは慎重を期して行動した。
 ありさの判断は賢明だった。
 ところがその賢明な判断も、後には無意味なものとなってしまうことを、今のありさが知る由もなかった。



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