第5話:研究員ひとみ
その1
広く、静かな室内。
高級住宅の、リビングを思わせるようなその部屋は、英国風の調度で整えられている。
大きくどっしりとしたマホガニーの机。
壁に沿って並ぶ、書物の詰まった本棚。
少人数なら会議も出来そうなほどのテーブルと椅子・・・何れも美しく磨かれ、この部屋の主の、趣味の良さを伺わせる。
剥き出しの天井を、何本ものパイプが走っていることが、辛うじて普通の家ではなく、ここが船の中の一室であることを物語っている。
ここは黒船館の、拷問器具開発部長室だ・・。
開発部長・彦坂九兵衛は疲れていた。
もう、これで3日も睡眠を取っていない。
今、新しい器具を開発する最終段階なのだ。
先程まで工作部の工員達に、詳細な指示を与え続けていたところだ。
精密な精度を必要とするその器具の製作には、繊細な注意力と熟練した技能が要求される。
工員達はそのどちらも完璧に備えているが、やはり設計者の熱意が、完成に懸ける情熱が、仕事の完遂には不可欠なのだ。
九兵衛の額に、脂が浮いている。
筋骨逞しい身体と、絶倫の精力を誇る彼であっても、今回はさすがに疲労を隠せないようだ。
コツ、コツ・・
ドアに、ノックの音が響く。
九兵衛の返事を待たずに、部屋に飛び込んできたのは、黒船館で試験採用中の、開発部に配属された研究員、紫藤ひとみだった。
部長!!・・できあがりましたっ!!!
・・・こ、これです!!!
ひとみの顔が、喜びに輝いている。
彼女も配属早々、新しい器具の開発現場に廻され、九兵衛の指揮下でここ数日寝る暇もない程の努力を重ねていたのだ。
彼女も、蓄積した疲労の色が濃い。
しかし大学院(博士課程)を終えたばかりの若さと、好きな研究──大学院で専攻したのは「形而上苦痛学」だった──ができる部署に配属された幸運、さらに有能な上司に仕える喜び・・・なにより、手掛けていた器具の開発に成功した興奮が、その疲労を忘れさせている。
ひとみは、大切に抱えていたバッグから宝石箱のようなケースを取り出すと、中身を丁寧に開発部長の机に並べた。
大小さまざまな、金属のリング・・・
一番大きいものは、普通の指輪より一回り程大きいのであろうか、直径は3センチ位だ。
小さいものは、直径が5ミリもない。
厚みはどれも殆どなく、巾は様々だ。
・・・そう、巾の小さいものはどこから見ても、普通の指輪に見える。
ひとみは、その中で一番大きいリングを指して、説明を始めた。
部長に言われたように、形状記憶合金でこのリングを作るのは、それ程難しくなかったのです。
反応温度も、30℃以下ではまったく動きません。それで31~32℃のあたりで反応が始まり、元の形に戻ろうとします。
33℃を超えるとどんな状況でも、完全に最初に記憶させた形に戻ります。
その温度で反応する合金を作るのは・・・
九兵衛が、少し苛立つように説明を遮った。
そこまでは、前に聞いた。
その後のことを簡単に話してくれないかね。
ひとみは素直に頷いて、説明を続ける。
はい、申し訳ありません・・・・
難しかったのは、このリングの内側に、棘を植え込む作業だったのです。
この合金のように、ある温度以上で反応すると、棘を溶接しようとするとそこだけ温度が上がって・・・
そこだけが元の形になるので旨く行きませんでした。
金属用接着剤で固定しても、なんと言っても元の形が今の半分から3分の1の大きさに縮まるので、取れてしまったり、変な向きになったりしちゃって・・。
で、部長が言われたように、孔を開けておいたリングを拡げてから、根本を太くした棘を差し込んでみたのです。
そしたら旨く行きました・・
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