官能小説『掘割の畔に棲む女』

知佳 作





 

第9話 ~夜泣き~

 いじめ問題でよく耳にする 『別に変わった様子はなかった』 というのはほとんどの場合やらかした方の言い逃れで実際は自分にとって不都合だから見なかったことにしたかったに尽きる。 今回もそのことが問題を更に一層複雑化させていました。

 貧困と差別の元心密かに泣き暮らす真の被害者は司が当初不憫に思って庇った母親の千里さんではなく元気溌溂としていた娘の美月ちゃんの方が深刻だったのです。

 まずひとつに司が口を挟まなかったら美月ちゃんは生涯に渡って生きていくことで精一杯の最低限の生活しか送れなかったからです。 栄養価の低いものを、それもお腹がすいているのに腹いっぱい食べれないものだから下腹だけがポコンと飛び出たような格好になる粗末なものをそれと知らず与えられ続けていたんです。 消化吸収が悪いから四六時中膨満感に悩まされトイレが近くて寝るに寝られないんです。

 しかし美月ちゃんにとって最も耐えがたかったのはこういった状態の中心細くてどうしようもない夜に母親が何処ともなしに家を空けることでした。 その理由が大方見当ついてるだけに体調が悪くても多少熱が出ても黙って寝たふりするしかなかったのです。

 しかもそんな体と心理状態で、ともすれば崩れ落ちそうになる母親を必死で励まし続けなければならなかったのです。 一方で親と同等かそれ以上の考え方をせねばならず、しかしもう一方で幼い子供が持ち合わせているであろう様々な欲望を、もう抑えきれないようになっていたんです。
 最初はほんの些細なことから始まりました。 千里さん 疲れから来るのでしょう、美月ちゃんの目の前で小さなミスを犯しました。 それを美月ちゃんがここぞとばかりに論ったのです。 すると千里さん 「ごめんなさいと言ってるでしょ」 つい、言ってはならない一言が口を突いて出てしまったのです。 「人が親切に言ってあげてるのに、なによ!お母さんなんか」 言い終わる前に目の前にあった何かが宙を飛びました。

 消魂しい音がしたかと思ったら大切に枕元に置いていた司が千里さんにと喫茶で買ってくれたコーヒー・カップが美月ちゃんが投げた川で拾ってきた小石が当たり砕け散っていました。 千里さんの泣き叫ぶ声に混じって美月ちゃんが意味不明の叫び声をあげ小屋の戸をバタンと開けると外に飛び出していったのです。

 「なんだい朝早くから、ったく躾がなってないね。 母親があんなんだからろくな子に育たないんだよ」 自分がそう仕向けているくせに女将はまるで汚いものを見るような目で斜向かいの小屋をねめつけたのです。

 (いったい何があったんだ。 美月ちゃん 今確か汚いとか言ってたような・・・) 急いで小屋に走り込み、まず目にしたのは割れたコーヒー・カップを前に錯乱状態に陥ってる千里さんでした。 その次に見たのが川遊びの折に思い出にと持って帰ったあの小石だったのです。 母である千里さんはコーヒー・カップにばかり目が行って小石の如何に大切であるかを理解しえなかったんです。 しかも肝心の美月ちゃんが部屋にはいないんです。

 司は旅館の仕事そっちのけで美月ちゃんが普段行きそうな場所を探し回りました。 もしも母親のことを汚いと言ったのならそれこそ重大事だからです。 もうそろそろ千里さんを引き留めなければ本当の意味において美月ちゃんまでダメになってしまう。 そう思ったからでした。

 真っ先に閃いたのが川でした。 自棄になって身を投げるには手っ取り早いからです。 河川敷を捜し歩きましたがしかしそれらしき姿は見当たりません。 街行く人々に声を掛け聞きまわったのですが一向に手掛かりがつかめないのです。

 こう言った折に学校や警察に届けを出すと騒ぎが大きくなるだけで得るものはひとつも無いことは良く知ってますので、とにかく足を棒にして捜し歩きました。

 千里さんの様子も心配だから一度は小屋に引き返そうとも思いましたが、考えてみれば悪態をつくけれど商売道具を簡単に女将が手放すとは思えず、それなら美月ちゃんの方が先と、遮二無二探し続けました。 そしてやっと見つけたその場所こそがあのハンザキのいた橋の下だったんです。

 親に見放された子や家出した子らが夜を明かす場所と言えば誰にも見つからない穴倉のようなところ。 美月ちゃんにとって思い浮かぶ穴倉と言えば堀川の橋の下だったようなのです。
 
 その夜から司は美月ちゃんの隣で寝ることにしました。 こうすればこの子の体調も見てあげられるし勉強だって教えてあげられる。 何はさておいて母親に代わって授業参観に出かけることだってできるのです。

 知り合ってすぐに司は気付いてはいたんです。 千里さんが世間の目を気にし学校へは行きたがらないということを。 PTAは殊更に千里さんのような職業に女を蔑視します。 それがそのまま我が子に及ぶことを避けたかったのでしょう。 でもきっと美月ちゃんのことが心配で仕方なかったんだと、今になって思えるのです。

 母娘ともどこかしら躰の具合が悪かったんでしょう。 優しく擦ってあげると見る見る間に寝てしまうんです。 その夜もそのように擦り擦りしながら寝かしつけることが出来ましたが、夜中に怖い夢でも見たんでしょう、一瞬唸り声を発したように思えたんです。 気が付くと腕の中の美月ちゃん、涙を流しながら寝ていました。 その顔を見るにつけ昼間の疲れも吹っ飛んでしまいました。

 (悲しむ子供たちを見るのはもうたくさんだ) 水路の中で見つけた時と言い腕の中の美月ちゃんといい彼女がこれほど愛おしいと思えたことはなかったのです。



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<筆者知佳さんのブログ>

元ヤン介護士 知佳さん。 友人久美さんが語る実話「高原ホテル」や創作小説「入谷村の淫習」など

『【知佳の美貌録】高原ホテル別版 艶本「知佳」』



女衒の家系に生まれ、それは売られていった女たちの呪いなのか、輪廻の炎は運命の高原ホテルへ彼女をいざなう……

『Japanese-wifeblog』










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