官能小説『掘割の畔に棲む女』

知佳 作





 

第8話 ~栄養失調との闘い~

 堀川通で最初に出会った時からしてどことなく弱々しかった千里さん母娘の容体がこの猛暑に次第に思わしくなくなっていきました。 エアコンが無いばかりかこの小屋は天井板もなければ小さな窓がひとつしかなく熱射の中自然風すら通らないんです。

 司もまた労務と栄養不足で躰が悲鳴を上げていました。 口内炎に悩まされ酷い下痢が続いていたんですが、千里さんの唇の荒れようからして母娘とも同じ症状に悩まされてると思われたのです。

 体調が思わしくないなどの理由で司が旅館を立ち去れば、それ以降どんなに頑張っても、投宿を申し込んでも恐らく二度と泊まらせてはもらえないことを知っていました。 かと言って廓の女郎同様千里さんを受け出そうにも女将との関係がぎくしゃくしている今、どんな金額を吹っ掛けてくるか見当もつかないのです。

 今できることと言えばひたすら母娘の健康と安全を願い、ふたりの労苦を陰で支えるしかなかったのです。 これまでコツコツ貯めてきたお金と両親から借り受けてお金。 それらが尽きた時救い出せていなかったら何もかもが水の泡となるのです。

 近くにいさえすれば何か手掛かりがつかめるはずと下働きに入りました。 こうして藤乃湯にとって珍妙な宿六が誕生したのです。
 「ふん、大方秋までには音を上げて親元に泣きついて帰るだろうよ」 額に汗して働く司を見て憎々し気に女将が毒づくと 「ついでのことだ、あいつら3人の仕事量を望み通り増やしてやったらどうだ」 名ばかりの亭主がこう言ってせせら笑ったのです。

 ギャンブルに外食三昧の彼らの取ってこういった悩みなどわかろうはずもなかったんです。 その日の夜には早速部屋替えをと言われ以前女中部屋として使っていて今は布団部屋になっているところに部屋数が足りなくてとの理由で追いやられたのです。

 何とかせねば、その思いが司を駆り立てました。 (暑さをしのげる工夫は無いものだろうか) そう考えるうちに以前千里さんが美月ちゃんを川遊びに連れ出して欲しいと囁いてくれたことを思い出しました。 (そうだ! 水だ! 水で冷やせばいい) 軽はずみな考えほど恐ろしいものはありません。 司は美月ちゃんを夕方近く、川遊びに連れ出すとともに千里さん母娘のために水枕を買ってきて与えました。

 なるほど水枕は寝がけは問題ないものの朝になると布団の枕元が水滴でびっしょり濡れてしまうのです。 ゴムボートのようなものの中に水を入れて冷やせばなどと考えていた、そのこと自体良くないことだと分かりました。 失敗談をあの竹細工屋のご主人に聞かせると 「なあ~んだ、そんなことか」 こう言うが早いか新聞広告を持ってきてくれたんです。 そこには冷感ひんやりマットという商品が掲載されていました。 その金額にたじろぎ広告を端に追いやろうとすると

 「そらあんさん多少のお金はかかる。 しかしなあ、あんたの大切なお人が苦労しよるんじゃ、これぐら安いもんじゃないのかねえ」 こう言って後押ししてくれたんです。 「アイデアはよろしいんですが、これを旅館に送り付けるっていうのは何とも・・・」 考えあぐねていると 「あんさんとこうやって何でも話せる間柄になれたんじゃ、そんなもんお金さえ出してくれたらウチで取り寄せたるがな」 なあお前と、奥さんの了解まで取り付けてくれたんです。

 数日後、届いたふたつの商品を携え旅館に泊まって初めて千里さん母娘の部屋を司は訪問しました。 わずか4畳半の部屋、それも半畳の靴脱ぎ場が備わっていますから実質3畳そこそこです。 なれどこの商品に母娘は感激し、早速使ってくれたんです。

 「あの~ 厚かましいお願いなんですが」 司は別にスーパーから買ってきた総菜を買い物袋ごと手渡したんです。 「ちょっとは栄養摂らんと美月ちゃんが病気になるんじゃないかと」 美月ちゃんのせいにして食べてもらえないかとお願いしてみたんです。

 「有り難く頂きます。 これ食べて宮内さんに迷惑かからんよう働きます」 頭を下げられるのに 「いやいや、迷惑だなんて。 僕こそ足手まといばかりやらかして」 引き下がろうとするのを 「でもこれ全部は食べきれません」 一緒に少しでの良いから摘まんでと千里さんが言ってくれたのです。 あの喫茶以来ひと月ぶりの食事会が始まりました。

 「うん、こうやってお父ちゃんと一緒に食べるご飯はうまいな」 美月ちゃんのこの言葉に千里さんうつむいてしまいました。

 娘がお父ちゃんと呼ぶほど身近になった司の手前、人目を忍んで夜ごと夜伽に向かうというのは我が身を八つ裂きにされるほど辛いことだったのです。

 しかし司はそのことについて千里さんを責めたりしませんでした。 一緒にひとつ屋根の下で家族同様食事ができたことで十分だと思えたのです。 このような幸せな日が幾日か続いたある日の夜、司は疲れからついうっかり千里さん母娘の住まいで寝入ってしまいました。 川で遊んだ疲れから美月ちゃんがまず寝入り、その子の腕枕をしていた司をも睡魔に襲われ爆睡してしまったのです。

 「夜中に凄い鼾だったよ」 美月ちゃんが冷やかせば 「そうよね~ 思わず鼻をつまんでやろうかと思たぐらいよ」 と、千里さんも追い打ちをかけ睨みますが、 (これが川の字で寝るってことか) どんなになじられてもひとつも記憶がないのですが司は改めて健康で暮らせることが如何に幸福かを噛み締めたのです。



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<筆者知佳さんのブログ>

元ヤン介護士 知佳さん。 友人久美さんが語る実話「高原ホテル」や創作小説「入谷村の淫習」など

『【知佳の美貌録】高原ホテル別版 艶本「知佳」』



女衒の家系に生まれ、それは売られていった女たちの呪いなのか、輪廻の炎は運命の高原ホテルへ彼女をいざなう……

『Japanese-wifeblog』










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