第10話 時を巡った少女?


「お待たせ、美桜」

その声を耳にした途端、心臓の管と弁が血流を増幅させた。
美桜は胸に宛がったままの腕を外すと、汗ばむ全身を石のように固めた。

「もしかして、眠っちまったのか?」

(翔くん……? 翔くんなんだよね?!)

聞き間違えるわけがない。
けれども俄かに信じられない思いで、美桜は彼女自身に問い掛けていた。

「ふむ」

少し不満そうに。
少し考え込むように。
身体を横向けにして眠ったフリの美桜に向けて、小さく鼻が鳴らされた。

そして、使いたての石鹸の香りが舞い上がる。
かすかに男臭い空気も混ぜ込みながら、ベッドに寝転ぶ美桜を逞しい影が覆って……

「もしもぉーし、俺達はまだセックスしていないんだぞぉ。美桜と俺とはまだ、記念のオマ○コをしていないんだからなぁ」

ヤンチャで、悪戯好きで、スケベ大好きで。
そんな子供染みたところのありながら、野太くて、男らしくて、頼もしいボイスが、美桜の鼓膜へと注ぎ込まれた。

「し、翔くんのバカ! エッチ! スケベ!」

美桜は跳ね起きていた。
滑らかなシーツと、スプリングが効かされたベッドに多少戸惑いながらも、腹筋をバネのように利用して上半身起こすなり叫んでいた。
ぶつかりそうになる短髪の頭をかろうじて交わしながら、大好きな彼氏の耳の穴へと、喉が掠れるくらいの大音量で。
その後でオマケするように「翔くんだよね。翔くん、生きてたんだよね」と、涙声でついささやいて。

「う、う~ん……俺はもう死んでいる」

その彼氏こと大山翔吾パタリと倒れ込んでいく。
届いたのだろうか。
どこかで聞いたことのあるセリフをいい加減にパクリながら、美桜の傍に添うように寝そべった。

(夢? まさか夢ってことないよね?)

疑おうと思えばいくらでも疑える。
心臓の鼓動を聞いて、過呼吸なくらい忙しい息遣いも感じて。

美桜は見つめた。
閉じたまぶたをピクピクさせている翔吾を眺めていた。
そして彼女自身の身体へも目を移す。
シャワーを浴びたばかりなのか、ほのかに赤く色づいた素肌に、白いバスタオルを巻きつけた煽情的な姿をじっと。

「翔くん、ここってホテルだよね?」

「ここが、俺のオンボロアパートとでも」

「わたし達ってさ……その、あのね……今からするんだよね?」

「そうでなかったら、財布の中を空にしてまで来ないだろう」

「ところでさ、翔くん。今日って何月、何日の何曜日だっけ?」

適当に相槌を打っていた翔吾が、がばっと起き上がった。



翔吾が『狐につままれた』そんな顔つきで、じっと観察している。
美桜は気にすることなく、サイドテーブルに置かれたスマホを眺めている。
縦長な液晶画面を穴が開くほど目を近づけて、何やらボソボソと小声でつぶやいたりしていた。

「おい、美桜……大丈夫か? 初体験に緊張しすぎて、おかしくなっちまったのか? あぁ、安心しろって。処女膜を失くす時って痛いって聞くけどさ、そん時は俺の身体をギュッと抓っても構わないぜ。ただし突っ込んでいる俺の息子だけは勘弁してくれよな。あぁ、はははっ」

そんな美桜を気遣ってか、翔吾が話しかけてきた。
男らしい勘違いをたっぷりと詰め込んで、締めには罰の悪そうな乾いた笑いを添えて。

「初体験よ!」

「へっ?!」

「あっちの世界からワープした時に誰かがささやいて……そうよ、美桜は翔くんと結ばれないと!」

「あっちの世界? ワープ? 俺とその結ばれるのは大歓迎だけど……」

「きっとサキコよ。サキコがわたしに教えてくれたんだわ」

「サキコ? さきこ? 咲子? 早紀子? いたっけかな? へへっ、俺を愛した女の中に……」

謎めいて見えた。
神懸かって見えなくもない。
間違いなく取り憑かれている。

上目遣いに天井を見上げ、誰に語るでもなく、まるで独り芝居の女優のように美桜はしゃべっていた。
それを間近で眺めた翔吾は、頭上に疑問符を浮かべた。
オカルティックなキーワードを意味もなく口ずさみ、最後には口の端をだらしなく緩めてみせた。

「翔くん、見て」

「えっと……どこをだ?」

美桜に呼び掛けられて、翔吾の目が泳いでいる。
黒目が落ち着きもなく宙を漂い、挙句には煌びやかに輝く夜景の海原へと。

「ちょっと翔くん、どこを見てるのよ。こっちよ、わたしよ」

若い男と若い女。
プチ贅沢なホテルの一室で夜を共にしようとすれば、お互いの素肌を曝け出し合いのはず。
なのに翔吾は、不意に訪れたミステリアスな展開に毒されていた。

「もう、じれったいわね。時間がないから脱ぐわね」

翔吾を惑わせているのは誰なのか?
そんな自覚もないままに、美桜は早口で捲し立てていた。
ベッドからポンと降りると、毛足の長い絨毯に足の裏を沈ませた。

「美桜……?」

漂わせていた翔吾の視線が、美桜の立ち姿に固定される。
その美桜が、脇の下に挿し込み留めていたタオルの端を、彼女自身の指で緩めた。

「おい、いきなりかよ」

「そうよ、いきなりよ。だって時間が……」

翔吾が不満気に口を尖らせた。
言い返す声を漏らしながらも、美桜は両手を休ませずに動かし……

カチッ……ファサ……

ブラジャーを外した。

シュル、シュル……スル、スル……

プルンと零れた乳房もそのままに、腰に手を当てるとパンティーも引き下ろしていく。

「あぁ、恥ずかしい……見ないで、翔くん……」

「見ないでって言われたって……美桜の方から……ゴク、ゴクン」

恥じらいを見せる美桜の足元には、つぶれた輪っかの姿でバスタオルが。
その上には、花柄の刺繍が施されたハーフカップのブラジャーが。
更にその上には、ほっこりと温かみを残したブラとお揃いな花柄刺繍のパンティーも。

そんな脱ぎたてのランジェリーを翔吾の目が覗いている。
一糸纏わぬ生まれたままの姿を晒した美桜の裸体へも、視姦するような眼差しを送り込んでくる。
唾液を飲み干す喉音が、妙に生々しく聞こえた。

(どうするの、美桜? このまま翔くんを誘って、そうしたらわたしはベッドに押し倒されて、それから翔くんの硬くなった処に、美桜のバージーンをプレゼントして……)

自分自身に訊いて、美桜は身勝手な妄想を掻き立てていた。
そして全裸のまま、真横にさせた左腕を並んだ乳房に押し当てる。
指先まで柔らかく揃えた右の手のひらを、そっと股間部分に宛がってみせる。
小首を傾げて、首筋まで肌を赤く染めたまま、一途に向けられる翔吾の眼差しを上目遣いにクロスさせた。

「ふはぁっ、はぁっ! 美桜、美桜ぉっ!」

果たして思惑通りに進むのか?
翔吾は鼻息も荒く立ち上がると、美桜の元へと両手を伸ばした。








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