前編(6)


瞬時にそう考えた俺は、走り出そうとした。だがその脚に、何かが絡まり俺を転ばせた。

「ッ…何…!?」

足首に何かが巻き付いている。ロープのような硬さのそれはズルズルと俺を部屋に引きずり込む。

「ちょっ…ぅわっ!?」

部屋の中にまで引っ張られて、俺はようやくそのロープの正体に気付く。窮鼠の尾だ。真っ黒な鼠の尾が脚に絡み付き、俺を部屋明かりの下にさらけ出した。

「…なんだお前は」

上着を羽織っただけの人間の姿をした窮鼠だが尾は体から生えており、まるで蔦のように絡んで剥がれる気配がない。

「…通りすがりの…高校生?」
「ほぉ…。だがお前…俺の姿が見えているようだなぁ」

苦笑いを浮かべる俺に、窮鼠が歩み寄る。

「やだなぁ…ちょっと覗いちゃっただけじゃないですか」
「…しらばっくれるな小僧」

窮鼠の指が俺の髪に絡み、きつく引かれる。無理に顔を上げさせられて眉を潜める俺の鼻先に、窮鼠の黒い笑みが近寄る。

「お前からは霊能力者の臭いがする。うまそうな魂の臭い…」

前に龍香達からも親父からも聞いたが、俺達みたいに潜在的に除霊浄霊の能力を持った人間は、魔物の恰好の餌になると言う話だ。
現に今これは、こいつのディナーになるピンチなわけで。

「俺はそんなに…美味くないぜっ!」
「うぉッ!?」

側に来ていた窮鼠の足元に鞄を投げ付け、尻尾の絡まりが緩まったのと当時に窮鼠を突き飛ばす。その隙に逃れようと、俺は部屋を飛び出した。

「げっ…」

そこは、さっきまでの暗い廊下ではない。奴の術中に嵌められたのだ。異空間。特に相手のものだと厄介なのだ。

「クソッ…」

けど捕まったら一巻の終わりと、俺はその景色とも言えない空間を走り抜けた。

まずい。戦う予定もなかったから、あいつらと連絡取る手段がない。
少なくとも携帯は鞄の中だが、どうせ通じないだろう。

どうすべきか。俺一人で何とか…いった試しがないから困ってるんだよなぁ…。

ごちゃごちゃと悩んでいる中、奴がどこから来るかと俺は周囲を見渡す。音はなく臭いもない。色もぼやけていて、まるで夢みたいだがそれは有り得ない。
寧ろ夢なら覚めてくれ。

「クククッ…小僧。空間に引き込まれるのは初めてか? 随分慌てているようだが…」
「悪いかよ。こっちは目下修業中の青二才なんでな。…何で人間の…女に手を出した」

焦っても仕方がない。ならいっそ話を聞いてみるのもありだ。気になってはいたし。

「決まっている。子供の肉は美味いからだ」
「彼女達を食らうつもりか!」
「クククッ…馬鹿な」

声だけが響く空間で、俺はいつ仕掛けられるかと緊迫する。

「あの女共に作らせているのさ。赤ん坊の肉を…そして甘い母乳の詰まった肉を…」
「…自分の子供を食うつもりってことか」

孕ませておいて、産まれてくる子供と母乳を生み出す乳房を喰らう。鼠のやりそうなことだなんて、聞いてから言っても遅いか。



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