前編(7)
「こんな大きな石、どうずらすってんだよ。無理だろ」
そう苦笑を返した。勿論不安がない訳ではない。何せあの朔羅なのだ。こんな強がり、気休めにしかならない。
その気持ちを察したように、朔羅は楽しそうに笑いながら岩を撫でる。
不気味な程綺麗な笑みは、月光のはかなさによく映えた。
「…誰に言ってんだィ? このオレ様を、誰だと思ってる?」
「さ…朔羅…?」
「月読の神子を舐めてもらっちゃァ…困る」
……………あぁ,くるんじゃなかった。
そう思うまでに、5分とかからなかった。岩が、ほんの少しづつだがずれだしたのだ。
「さく、ら…? やめっ…!」
言葉は間に合わなかった。
鈍い音と中から聞こえる地震のような響き。そして唸り声。
「…It’s…SHOW TIME….」
逃げようともしない朔羅の姿に、俺は無意識に駆け出して腕を掴み走っていた。
「どうすんだよ馬鹿!?」
「見てぇんだよォ…神にも殺せぬ牛鬼をさァ…」
興奮に瞳孔の開いた目と乱れた呼吸。さっき岩が動いたのは、多分霊気を送ったからだ。
酸欠みたいに少しラリってるのかもしれない。
地響きはやむこともなく、さらに悪化する。そして…
「光輝ィ…見な…。悪神だぜェ…?」
振り向きたくない。そこにいるのは倒せる訳無い化け物。だけど…。
「見たらやばいものって…見ちゃうんだよなっ…」
人の性というか、俺は曲がる時に見てしまった。
女郎蜘蛛みたいな体。丸々太った腹は家一軒飲み込んだんじゃと言わんばかりにでかく、顔は鬼っつーか般若の面だ。
巨大な蜘蛛。生臭い息。足音は砂も岩も巻き込んで騒がしく、ギラギラした目は俺と目があった途端ニヤァッと楽しそうに笑った。
「くそっ…!」
牛鬼に目をつけられた者は逃げ切れないというが、だったらあの話は誰が書いたんだと、お約束のツッコミを脳内でしながら俺は側の洞窟に朔羅と逃げ込んだ。
「っ…はぁっ…これから、どーすんだよっ!?」
肩で息をしながら、今度は少しきつめに問う。だが当の朔羅は楽しそうに牛鬼の足音(砂浜をガサガサ這ってるから足音っつーか引きずる音だけど)を聞いている。
こいつはいつもこうだ。先の事なんかどうでもいいのだ。
トラブル&アクシデント。死と隣合わせの恐怖で快感を得るマッド野郎。
今だって、どう見たってイッた後みたいなエロい顔してこの状況を楽しんでる。
「朔羅ッ!」
「…資料は読んだろォ? やり方はオメェが考えなァ」
「元はといえばお前が勝手に巻きこんだんだろ!? 俺は犠牲者だ!」
「ハッ。助かりたい奴が努力しろや。オレサマこのままでも楽しいしィ」
「一般人にまで迷惑かかんだぞ!?」
「関係ねぇもん」
…この我が儘大王が。
「…あのなぁ…」
「きたぜ」
気配でか声でか、俺達を察知した奴の足音が近づいてくる。
逃げ場は奥にしかないが、これで行き止まりだったら?
そう考えると足も止まる。
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