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<第33話 : 夢見た瞬間の訪れ> 差し入れを持って真樹の元へ行った史郎は、誰もいなくなった秘書課の部屋、真樹の隣に座って仕事を見ていた。 後ろ髪をアップに結んで耳には銀色に輝くリングのピアス、上下黒のパンススーツに10cmヒールの黒光りするエナメルパンプスを履いてデスクに向かう真樹は、黙々と作業をしていた。 そう言えばこの装いは1ヶ月前に時遊人コーポレーションを訪れた時と同じ。そう言えばクライアントとの会合があるって言ってたし、きっと大事な会合だったんだ。 メイクもいつもより強めだし、この作られた雰囲気は例の勝負モードってヤツだな。 そう思いながら作業を続ける真樹を見ていると、漸く終わったのか、彼女が顔を起こして史郎の方を見た。 「お待たせ。やっと終わった。ちょっと1部印刷するから待っててね。」 そう言って真樹が仕上がった資料をプリントアウトし、史郎へと手渡した。 渡された資料に目を落とした史郎だが、一瞬にして顔が曇った。 「あ、あの、、、三ツ瀬さん。。。」 「えっ、何?どうしたの?」 真樹の方も史郎の思わぬ変化に驚き、若干不安になりつつ聞き返した。 「これ、、、佐藤さんが追記したところ、そのまま訳しませんでした?」 「えっ!?そ、それは勿論、、、書いてある通りに訳したけど、何か問題が?」 真樹には史郎の言っている意味が分からなかった。訳は間違えていない筈。でも、元々日本語でさえ意味を掴みかねた表現の連続だったので、不安が無くは無かった。 「それじゃダメですよ。だって、、、ここは最近出された論文の用語だから、、、こっちは古代ギリシャ哲学の表現を援用した言葉だから、、、」 史郎が椅子に座ったままペンを取り出し、真樹から手渡された資料の1ページ1ページに次々と赤を入れていく。それを立ったまま見る真樹の顔がみるみる蒼ざめ、勝負メイクとして強く入れられた、紅く輝く唇がわなわなと震え始めた。 一通り赤を入れ終えた史郎が、目の前に立つ真樹を見上げた。 「三ツ瀬さん、資料は取り敢えず言葉を訳せば終わりじゃないですよ。そんなの、僕より三ツ瀬さんの方が良く知ってると思ったんだけどなぁ。」 「ご、ゴメンなさい。追記されていた言葉が、、、よ、よく分からなくて、、、取り敢えず言葉通りに訳せば大丈夫かと。。。」 強めに入れられた勝負メイクのまま蒼ざめた顔。鮮やかな白色をしたスクエアネックのカットソーをVゾーンに覗かせながら黒ジャケットでキメた上半身。縦に並んだボタンの前、下腹の辺りで両手を組んでいる。 下半身はジャケットと同色のタイトなパンツを両脚をピッタリとくっつけて直立している。そして足元を彩る黒光りした10cmヒールのエナメルパンプスも両足をくっつけ、尖った爪先を航に向けて揃えている。 凄い!来月から最年少役員就任が決まっている、僕の上司になるスーパーキャリアウーマン三ツ瀬真樹、バリバリの勝負モードをキメている彼女を、会社でダメ男と呼ばれるこの僕が仕事でダメ出しをして立たせている。 史郎にとってこれほどの快感は無かった。何せ、1ヶ月前のようにどさくさに紛れて身体を責めているのではない。 彼女が絶対的な自信を持つ分野で、彼女の力の無さを痛感させて説教をたれているのだから。相手が史郎なだけに、真樹本人も相当なショックを受けているに違いなかった。 「取り敢えず、赤入れましたから、この通りに資料を直してもらえます?最年少役員に選ばれたウチの会社きってのエリートなんだから、見た目だけ勝負モードにするんじゃなくて、中もしっかりして下さいね。」 「は、はい。すみません。。。す、直ぐに直します。。。」 真樹のショックは半端なかった。何せ、ダメ男と蔑んできた史郎に、よりにもよって自分が最も得意とする分野で徹底的にダメ出しされたのだから。 史郎ごときに「見た目だけ勝負モード」などと言われたのにはカチンときたが、そんな史郎にダメ出しされるほど仕事のデキが悪かったのは事実なのだから、何も言い返せなかった。 --*--*-- 時計の針が11時を回った頃、漸く資料の作成が終わった。 「申し訳ないんですけど、それ3部ずつ印刷してもらって良いですか?」 「え!?今から?」 「あ、はい。これから佐藤さん達のところに持っていかないといけないんで。遅くても良いから今日中にって言われてて。」 「あぁ。そうなんだ。大変だね。分かった。ちょっと待ってて。」 真樹はお疲れ様と言わんばかりに印刷を始めた。 しかし、何分も経たないうちにプリンターのエラー音が部屋に鳴り響いた。 「やだ。紙切れだわ。ちょっと待ってて。」 真樹が立ち上がってコピー用紙の束を取り出すと、そのまま複合プリンターの前にしゃがみ込んでトレーを開け、紙の補充を始めた。 後ろ髪をアップに結んでスッキリさせた頭部、その左右の耳に下がっている銀色のリングピアスが揺れ動いている。 上下黒のパンツスーツで屈む彼女は、足元に履く10cmヒールのエナメルパンプスがあるだけに、屈んで補充作業をしている時のバランスが悪そうだ。 史郎は今朝、光の妖精から夢のお告げを受けていた。 お告げの内容、それは「プリンターが紙切れを起こし、三ツ瀬真樹が史郎に背を向け、屈んで紙の補充をする瞬間が開始のゴング」というもの。 史郎が夢見た瞬間が訪れた。彼は静かに真樹の背後へと歩み寄った。 前頁/次頁 |