第1章「新しい仕事」(1) 次の日、藍は朝からの仕事のため、学校を休まなければならなかった。 昨日の楽しかった放課後のことを考えると、後ろ髪を引かれる思いだった。 しかし、幼い頃から楽しいことを抑えてでも仕事をしなければいけない習性が身に付いていたためか、気持ちの切り替えも人一倍早いようだ。 藍自身、そんな性格が自慢でもあり、一方では悲しかった。 藍は先日、所属事務所を変えたばかりだ。 新しく所属することになった事務所の所長自らが、藍に目をつけ話を持ちかけてきたのだ。藍は悪い気がしなかった。 まず第一に、条件が良かった。やはり言葉は悪いが、目の前に餌をちらつかされると弱い。 しかしそれよりも、今までいた事務所に妹の「秋」が入ってきたことが本当の理由だった。 藍は姉でありながら、秋に対して対抗意識を燃やし続けてきた。 芸能界で脚光を浴び、秋とは違う世界で生きていることで、秋に対して優位に立っているつもりだった。 ところが、秋がスカウトされ自分と同じ世界に入ってきてしまった。しかもよりによって、同じ事務所に籍をおいた。 藍にとってかなりショックな出来事だった。 そして家と同じように、秋がちやほやされているのを見ていられなかった。どうしても妹の方をかわいがるのは、親も、仕事場も一緒だった。 そこにこの話がきたので、藍は迷うことなく飛びついた。 「あそこの仕事はハードだよ、悪いことは言わない。断りなさい。」 元の事務所の所長が藍を説得した。 しかし藍には、自分を利用して金儲けをしようとしている嫌な大人にしか見えなかった。 「今までのようにわがままの通用する仕事はこないよ。絶対に後悔するから・・」 その言葉に藍は反発するように「後悔するかどうかは私が決めることです!」と言い切り、前の事務所を後にした。 新しい事務所になってから、今日が初仕事だった。 「ハードな仕事」と聞かされていたため少し不安だったが、勝気な性格はその不安をかき消していた。 「・・わがままなんて言った覚えないよ。でもハードな仕事って、どんなんだろ・・」 そういえば前の事務所では、写真集でも水着になることなんてなかった。 「水着になんなきゃいけないのかなぁ・・」 藍は少し抵抗があったが、そのくらい割り切ろうと決心し事務所に向かっていた。 *--- 「・・おはようございます。」 藍は少し小さな声で挨拶し事務所のドアをくぐった。 「お、来たな! おはよう。」 豪快な感じの大男が立っていた。 その奥の大きな椅子には、藍に話を持ちかけてきた所長が横柄な態度で座っていた。 「俺が藍のマネージャーの岸田だ! よろしくな!」 大男はそう挨拶した。
第1章「新しい仕事」(2) 藍は「・・いきなり呼び捨て、感じ悪い・・」と思ったが「よろしくお願いします」と素直に返答した。 そうしているうちに所長が、仕事について話を切り出した。 「今日は早速CMの打ち合わせとテスト撮影をしてきてもらう。岸田、案内してくれ!」 「わかりました、じゃ、行こうか。」 岸田は藍の腕を掴み、藍は引っ張られるようにして連れて行かれた。出かけ際に所長が言った。 「今日のクライアントは大切なお客様だ。粗相のないように頼むぞ!」 少しおびえたような声で藍は「わかりました。」と返事をした。 藍に不安が再び訪れた。話を持ちかけてきたときの所長と、今の所長ではまるで別人のように思えたからだ。この岸田という男も恐い感じたった。 藍は岸田に、どこへ行くのかもわからぬまま車に乗せられていた。 少し走ったら車はあるビルの前で止まった。岸田が「さぁ、着いたぞ。」と藍に言った。 結構大きなビルだった。 「ここの会社のCMかなぁ?」 藍のイメージは、期待に膨らんでいった。が、それはすぐに打ち崩されることになる。 二人はビルの中に入り、受付に岸田がなにやら話すとすぐに別のフロアに通された。 そこには撮影の機材やセットが用意されていた。 「よく来てくれました。」 そのフロアで二人が待っていると、そういって白髪の男とすこし若めの長髪の男が現れた。 岸田が「どうもどうも、例のコ、連れて来ましたよ。」とへつらうように白髪の男に言った。 「思ったとおりだね。いい子だな。」と白髪の男が藍を舐めるように見ながら言った。 藍は悪い気はしなかったが、少しいやらしさを感じた。ただ「粗相のないように」と所長が言っていたのを思い出し笑顔を作った。 白髪の男が言った。 「藍ちゃんだったね。私がここの広報部長です。彼はカメラマンの吉田氏・・」 紹介をさえぎるように長髪の男が「カメラマンの吉田です。よろしく。」と藍に手を差し出した。 藍も「よろしくお願いします」と手を出すと、吉田は藍の手をぐいと引っ張って引き寄せようとした。 「きゃあ!」 藍は驚き、吉田の手を振り払ってしまった。 「こらこら、おふざけはまだ早いよ。ははは」と白髪の男が吉田をあしらった。 「ごめんね、藍ちゃん。この男はかわいい子を見ると、すぐにふざけてこうするんだ。吉田のせいで私の挨拶が遅れてしまったな。私は多田といいます。よろしく。」 藍は多田の言葉ですこし冷静を取り戻したが、まだ胸がどきどきしていた。 「よ、よろしくお願いします・・」藍は少し引きつった様子で返事をした。
第1章「新しい仕事」(3) 「今回はうちの水着などのCMを頼みました。しかし最終決定を出すのは上層部なので、そのためのテスト撮影を行いたいので今日は来てもらいました。まず藍ちゃんにはとなりで着替えてもらって、さっきのスタジオで吉田氏に撮影をしてもらいましょう。」 藍は少し気を落とした。 「やっぱり水着撮影か・・」 多田は続けた。 「では、スタイリストを呼びますので、藍ちゃんは着替えてください。我々は終わるまで外に出ていますかな。」 早速女性のスタイリストが現れ、藍を着替え室に呼んだ。 吉田はカメラの準備にかかり、多田と岸田は部屋から出て行った。 「まずはこれを着ましょうか。」 スタイリストは藍にピンクの水着を手渡すと、そういってカーテンを閉めた。 藍は少しためらったが覚悟を決めて着ている服を脱ぎ始めた。 「もういいですか?」 スタイリストは藍に声をかけたが、藍はまだ着替え終わっていなかったので慌てて「も、もう少し待ってください。」と言った。 「時間がありませんから早くしてくださいね。」と冷たい声でスタイリストは言った。 藍は慌てて着替えると 「あっ、いいです。終わりました。」 「じゃあ、あっちの部屋に行ってください。」 スタイリストはスタジオを指差した。 藍はピンクの水着一枚の姿で、吉田の待つスタジオに入っていった。 着替えのとき慌てていたので気づかなかったが、藍の着たピンクの水着には胸のパットがなかったため、乳首が浮き出てしまっていた。 「あっ!」 藍がその事に気づいた時はもう吉田の前にいた。 藍は吉田に「あのぉ、この水着・・・」と切り出しだが、吉田はお構いなしにカメラを構えた。 「ごめんなさい! この水着じゃちょっと・・」 藍は勇気を出してもう一度言ったが、吉田は冷たく 「時間ないからさぁ、さっさとやろうよ。」 と藍を遮り、撮影を開始した。 藍は胸を隠すようにしてカメラの前に立ったが、「ねぇ、やる気あるのぉ?」と吉田に言われたため仕方なく手を下ろした。 藍は恥ずかしさで一杯だったが、「きっとこんなの見慣れてるんだ、気にしちゃいけないんだ・・」と自分に言い聞かせ、吉田の言うポーズをとった。 吉田は藍の乳首のことなど気にしていない様子で、シャッターを切り続けた。 「じゃ、次の衣装ね。」 と吉田が言うとスタイリストが藍を手招きした。藍はスタイリストに 「この水着って、パットとか入ってないんですか?」 と尋ねると、呆れ顔で 「あぁ、競泳用なのよ、これ。そんな事も知らないでここに来たの?」 と見下すように藍に言った。藍はあきらめてそれ以上要求するのをやめた。
第1章「新しい仕事」(4) 何枚か同じような水着の写真を撮ったあとで、スタイリストは藍に薄手のTシャツとぴったりしたパンツを手渡し、「次はこれに着替えて」といった。 藍は水着が終わったので、ほっとして着替えを始めた。 着替え終わってカーテンを開けると同時に、スタイリストは藍に厳しい口調で言った。 「ちょっと、なんでブラしてるのよ! それにパンティも穿いてるでしょ? プロでしょ、あんた?!」 藍は驚いた様子で答えた。 「えっ、ノーブラ、ノーパン・・・ですか?」 「当たり前でしょ? ラインが出ちゃったら台無しじゃない!」 「ご、ごめんなさい、すぐに・・」 藍が答え終わる前にスタイリストはカーテンの奥に藍を押し込み、Tシャツに手をかけ脱がすとすばやくブラジャーをはずした。 藍の乳房があらわになり、手で胸を隠そうとしたが、スタイリストはすぐにパンツも下ろしにかかった。 しかし「こ、こっちは自分でします・・」と藍は手を払いのけた。 スタイリストはあきれた様子でカーテンを閉めた。 藍は女性とはいえ、自分の衣服を脱がされたことにショックを隠せなかった。 少しして着替え終わるとカーテンを開け、吉田の前に行った。 明るいライトが当たると藍はまた驚いた。 Tシャツから乳首が浮き出ているどころか透けてしまっていて、何も身に付けていないも同然だった。 しかもパンツは薄い黄色だったため、陰毛も透けてしまっている。 シャッターの連続した音に藍はまるで「犯されている」ような気分になり、その場にうずくまってしまった。 涙も出てきた。 吉田が藍を気遣い「どうした?」と声をかけた。その声に反応して、藍はとうとう声を上げて泣いてしまった。 多田と岸田が驚いた様子で部屋に入ってきた。 多田が「どうしたんだい? 藍ちゃん、何かあったのか?」と藍の肩を取り抱きしめた。 藍は泣きながら「な、なんでもありません・・」と答えるだけだった。 「今日はこの辺にしようか、なぁ吉田?」と多田は吉田にいたずらっぽく合図した。 「まぁ写真はちゃんと撮れましたから、お嬢ちゃん、がんばったね。」と吉田も藍をなぐさめた。 藍は少しだけほっとした。しかし涙は止まらない。 「どうした?」岸田が藍に聞いた。 藍は「こんな服、着たことなかったので、ちょっと・・」とべそをかきながら答えた。 多田は「まぁ、これはテスト撮影だから、本番はちゃんと見えないようにするんだよ、それに今日の写真はすぐに破棄してしまうんだ。安心しなさい。」と藍に言った。 藍はまだ泣きながら「はい・・すみませんでした・・」と答えた。 多田と吉田はそんな藍を見て、不穏な笑みを浮かべていた。が、藍は自分のことが精一杯な様子で気づかなかった。 岸田は藍に言った。 「そのうち涙なんか出したくても出なくなるんだから!」 藍はその言葉の意味を、そのときは理解できなかった。
第1章「新しい仕事」(5) 「もうそのままうちに帰っていいからな。」 岸田はそういうと、外に待たせてあったタクシーに藍を乗せた。 「で、でも・・」藍が何か言おうとすると、岸田はそれを遮り「所長には俺からうまく言っといてやるから、心配するな。」と藍の肩を叩いた。 ドアが閉まると、岸田を残し藍だけを乗せたタクシーが走り出した。 藍が後ろを振り返ると、岸田は見えなくなるまでそのまま立っていた。 タクシーの中で藍は、今日あった出来事を思い出し顔を赤らめた。 仕事とはいえあんな格好にならなきゃいけないなんて、でもあのくらいのことはあたりまえなのかな・・と思いを巡らせた。が、疲れていたためそのうち眠ってしまった。 藍が目を覚ますと、タクシーは既に家に到着していた。 藍は車を降り、玄関へ向かった。が、すぐに足を止め、今の自分の顔を想像した。 「きっと泣いたのがばれちゃう・・」 少し周りを歩いてから家に帰ろうと思い、足を反対に向けようとしたが遅かった。 玄関が開く音がした。 藍はびくっとして見ると、やはり秋だった。 秋には、秋にだけは見られたくなかった。 「おねえちゃん、どうしたの?」 秋は様子がおかしい藍に尋ねた。 「な、なんでもない。」 何食わぬ顔で秋を振り切り、藍は玄関へ向かった。 「なんでもないって、目のあたり、はれぼったいよ。」 秋は見逃さなかった。 藍はばつが悪そうに「なんでもないよ! ほっといてよ!」と秋に言い返した。 秋はすこしむっとした様子で、「どうせ仕事で叱られて泣いたんでしょ?」と意地悪そうに藍に言った。 藍は秋を無視して洗面所で顔を洗い、自分の顔を鏡で確認した。 「だいじょぶ・・だね。」自分を納得させるかのように藍はつぶやいた。 「あ、そうそう、お姉ちゃんにって学校の友達がこれ置いてったよ。」と秋は封筒を手渡した。 「え、なんだろ?」藍はそれを受け取ると自分の部屋へ入っていった。 封筒には本のように綴じたコピー用紙が入っていた。表紙に「愛の憂鬱」と書かれていた。 「あっ、脚本、もうできたんだぁ! 結構クサいタイトルだね。」と呟きながら、ページを開いた。 文章は雑だったが内容はしっかりしていて、すぐ引き込まれていった。 兵役から脱走してきた恋人を匿い、自らが捕らえられ絶望するが、それでも愛しつづける、そんな内容だった。 藍は今日の仕事場での出来事をすっかり忘れて読み読みふけっていた。が、半分ぐらい読んだ所で時計をみると、既に1時を過ぎていた。 「あっ、そろそろ寝なきゃ。明日が楽しみだな」 藍はすっかり気分を取り直し、疲れていたせいもありすぐに眠ってしまった。
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