プロローグ ―日常の崩れる音(4)―
そして、汗の臭い。人によって汗の臭いは違う。今ある臭いは二人分。
さらには女、いや牝の匂い。私も自慰くらいすることもある。その時に発する独特の牝の匂いもした。
「やあ、炎之花さん。ケータイならカウンターの上ですよ。」
「!……水橋さん…?」
その声は確かに水橋さんなのだが、いつもの優しい口調ではない。どこか冷たく、それでいてねっとりとした口調。
「あ、あの綾香さんは?」
「いますよ。目の前にね。それともう一人。あなたの姉、一美さんもね。」
「!?」
「目の見えない炎之花さんのために言葉で説明しますよ。綾香さんは俺の尻の下で、椅子代わりに俺を背中に乗せています。
一美さんは椅子に縛りつけ口枷をつけた状態で、生殖器に大人の玩具をくわえ込んでいます。」
「え…な…」
突然の言葉に私は戸惑う。
たぶん、彼の言葉は嘘じゃない。
汗と牝の匂いに、時々聞こえる二人のうめき声。縄の軋む音。細かいモーター音。
私は動けなかった。驚愕と恐怖、そして今目の前で起こっていることが信じられなかったから。
「大丈夫ですか?」
水橋さんは私にゆっくりと近付いて来る。
コツコツと足音が近付く度に私は後ずさった。
「んー! う~!」
姉のうめき声が聞こえる。私に逃げろと言ってくれているのか、水橋さんにやめろと言っているのか。
口枷で声を塞がれ、言葉はわからない。
ドン…
「あ…」
私は背を扉にぶつけた。このまま振り返り、扉を開ければ私は逃げれる。
しかし、私は逃げなかった。
水橋さんの変化を信じられなかったから、また優しい水橋さんに戻って欲しいと思ったから。
「…。逃げないんですか?」
「…信じられません。」
「…?」
「あの優しい水橋さんはがこんなことをするなんて!正気に戻ってください!」
「…」
水橋さんの言葉がなくなった。正気に戻ってくれたと思った。
しかし…
「く…くく…ははは…。正気か。正気ねぇ。まぁ今の俺は、正気に見えませんよね。」
「み、水橋さん?」
彼は笑った。楽しそうに笑う彼。なぜ笑っているのか私にはわからなかった。
「俺は正気ですよ。」
「そんな…いつもの貴方は演技だった…?」
「ん~。そう見られても仕方ないですね。…でもわかってほしい。昼間の俺も俺です。
言うなれば、昼間の俺は、理性80%野生20%の真人間?てな感じです。
炎之花さんのことも本気で心配しましたし、義理や哀れみで優しくしたわけじゃありません。
まぁ多少なりとも下心が無かったって言ったら嘘かもしれませんがね。」
「じゃあ何故!?」
「それは説明が難しいんですが…炎之花さんサディストって知ってます?」
「え?…ええ、まぁ…」
「俺はそのサディストってやつですよ。女性をいじめることに最高の喜びと性的興奮を覚える変人なわけです。
昔話をしましょうか…まぁ炎之花さんが嫌なら帰ってもいいですよ? ほら綾香、座るから。」
水橋さんは綾香さんの上に座ったらしい。
「うう…」
綾香さんは苦しげな声をあげるが、その中には色のようなものが含まれているように感じた。
「さぁ昔話を始めましょうか。」
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