第34話「淫華繚乱」
一平はもえもえとキスを交わしながら、思惑が望みどおりに運んだことに満足していた。
俊介とは会ったことはないが、彼への強い対抗心が、もえもえを手に入れた瞬間から優越感へと変化していた。
(彼に勝ったのだ)
一平には他人の彼女を奪い取ったことによる罪意識は欠片ほどもなく、ただ勝利の歓びに酔いしれていた。
(ふふふ、もえもえはもう二度と彼のところには返さないよ。遠距離恋愛をぶち壊すことって簡単だね。もえもえは身体が男を欲していたから、オレのデカマラでヒイヒイ言わせてやればイチコロさ。どうだ、あの喘ぎようは……。これで10対9ぐらいかな? 彼より1点リードはしたと思うけど、念のためダメ押し点を入れとかなきゃ。よし、この後もう一発決めておくぞ!)
心の中でそんな欲望をギラギラと滾らせながらも、表面はあくまで紳士を装おう一平であった。
「お腹が空いたろう? 何か作ろうか?」
「そうだね、ちょっと空いたかな? インスタントがあったらそんなのでいいよ」
「そうか? 冷凍庫にピザがあるんだけどそれでいいかな?」
「うん、ピザ好きだよ」
二人が食事を始めた頃、俊介から電話があった。
先程俊介専用の着信音が流れるという失敗があったことから、もえもえはマナーモードに切替えていた。
振動音が鞄の中で響いているが一平は気づかない。
食事の間、二人はテレビは点けずに音楽を流した。
一平がつい最近買ったばかりのCDだ。
二人は好みの音楽やアーチストについて語った。
8月にもえもえが行ったライヴのことも話題になった。
食事が終わった頃、時計を見ながら一平が言った。
時計の針は午後9時を指している。
「そろそろ帰らないといけないんじゃないの?」
「ん? うん、大丈夫だよ……」
「もえもえ?」
「なに?」
「オレ、おまえを抱いて、一段と好きになってしまったみたい」
「……」
もえもえは一平の言葉に笑顔でうなずいた。
だけどすぐに言葉にはしなかった。
しばらく間をおいてから甘えるような声でささやいた。
「一平……」
「ん?」
「もう一度抱いて……」
「え? いいの?」
「うん……」
もえもえは静かにうなずく。
くっきりとした大きな瞳が少し潤んでいるようにみえた。
それはもえもえが親しい男性にしか見せない訴えかけるような表情。
女性は一度抱かれると、その男性に対して今まで見せたことのない表情を見せることがある。
もちろんそれは作ったものではなくあくまで無意識のうちに。
俊介と最後に会って以降閉ざされていた悦楽の扉。
その扉は今夜俊介とは異なる男性に開かれてしまった。
悦楽の扉は一度開いてしまうと、すぐには閉じたくなくなってしまう。
もえもえが真の女の歓びを知っている女性であるがゆえに。
心と身体を満たしてくれる男性がそばにいるならば、それに縋りつくというのも一つの考え方だろう。
一平に恋はしているが、まだ愛してはいない。
しかし女性は一度抱かれてしまうと、その男性から愛していると錯覚してしまうことがある。
好きであればそれでいいではないか。
恋をしたなら抱かれてもいいじゃないか、例え彼氏がいたとしても。
愛なんて言うものはどうせ後から着いて来るものだから。
それがもえもえの培って来た彼女なりの倫理哲学であった。
二人はすでにかなりの汗をかいていたが、時間を惜しむようにシャワーも浴びないまま第2ラウンドへと突入した。
二人が愛し合っている最中にも、鞄の中の携帯が頻繁に振動し何件もの着信記録を残していた。
その振動音は「電話に出てくれ」と切に願う男性の魂の叫びのようにも聞こえたが、淫華咲き乱れるもえもえたちの耳には届くはずも無かった。
◇◇◇
ようやくもえもえの口から漏れた言葉は、俊介にとってはまるで悪夢のような出来事であった。
もえもえが真実を正直に語ってくれたことで、一応溜飲を下げることができたが、俊介の心が晴れることはなかった。
その翌日もそして翌々日も、俊介は不眠が続き食欲も全くなくなっていた。
だがもえもえはそんな相手の心情を気遣う様子もさらさらなく、一本の電話すら掛けようとしなかった。
さらに俊介から送られてきたメールに対して1通の返事すらしなかった。
『ごめん』
『好きになったんだから仕方がないでしょう』
もえもえが俊介に残した言葉は、たったこのふたつの言葉だけであった。
きっちりと自分の非を詫びない、そして誠意ある態度で釈明もしないもえもえに対して、9月12日、やるせない気持ちをぶつけたくて、俊介は1通のメールを送った。
それはもえもえが関西への旅行を間近に控えた頃、もえもえが俊介に宛てたメールを一部引用したものであった。