もえもえ 発火点

Shyrock作



第8話「遠距離と近隣」

8月31日(土)
 
 その後もえもえの携帯に、一平から数回メールが届き、電話もかかってきた。
 その中には直接ではないにしても、明らかに“誘い”と取れるような言葉も含まれていた。
 一平がもえもえに心惹かれつつあることは言葉の端々からすぐに分かった。
 女性というものはよほど嫌いな相手でない限り、熱心に言い寄ってくる男性に悪い印象は持たないものである。
 いや、もえもえは一平に対して、むしろ好意を抱いていた。
 だけど『私には彼氏がいるから』という強い道義感がもえもえの気持ちに歯止めをかけていた。ある時点までは……

 突然余談になるが、もえもえは友達付合いや同僚との付合いがとても良好な女性であった。
 俊介と交際を始めてからも、例え男性からの誘いがあってもツーショットで飲みに行くことはなかったが、女性同士やグループでの飲み会には積極的に参加した。
 社内で上司や同僚から飲みに誘われて、たまに付き合うことは社会人として決して間違いではないことは、社会人の先輩である俊介は十分に理解していた。
 理解はしているのだが、滅多に誘いを断らないもえもえに対して多少の不安を抱いていた。

(それにしてもちょっと付合いが良過ぎるんじゃないかなあ。飲み会には男性も参加するだろうし、個別に誘われることもきっとあるだろう。いや、魅力的なもえもえなら誘われてもおかしくないだろう。誘われても断るよとは言っているが……。付合いは大切だけどほどほどにしてくれたらいいのになあ……。僕がしょっちゅう会えたら彼女に寂しい想いはさせないのに。遠距離が口惜しいよ……)

 もえもえはそんな俊介の気持ちを知ってはいたが、自身の行動を改めようとはしなかった。
 飲み会が終了した後、「今、終わったよ」という連絡をするだけは欠かさなかったが、飲み会の最中に俊介から電話があっても取ろうとはしなかった。
 また予めもえもえから飲み会があると聞かされている場合は、「盛り上がっている最中に水を差すの止そう」と俊介は配慮を怠らなかった。

 俊介としては遠距離恋愛ではなく近場恋愛ならそれほど不安はなかったのだろうが、距離の壁が彼の不安を増幅させていった。
 家が近ければもっと頻繁にデートをできただろう。
 逢瀬をたくさん重ねればもえもえが他のイベントに参加することも減るだろう。
 もえもえとすれば俊介と会えない寂しさを、飲み会等でて紛らわせている節もあった。
 だけど近場であればというのは理想論であり、現実には二人の間に500キロという距離が遮っていて、それが大きな障害となりつつあった。

 元来俊介は恋人を束縛するのを避ける性格であった。
 恋愛とは二人の信頼の上に成り立つものだから、相手の行動に口を挟むことを好まなかった。
 だけど残業以外でいつも帰りの遅いもえもえに対して、ときには注意の一言も必要だと考えていた。

「付合いも大事だけどそこそこにね。帰りが遅いのはとても心配だし……」

 もえもえを想っての心配であっても、もえもえにとっては自分を心配してくれることは嬉しい反面、いささかうるさく感じられた。

(束縛されるのは嫌だ……)
(もっと自分を信じて欲しい……)

 そんな想いがいつしかもえもえの心の中に芽生えはじめていた。
 その点、一平とは話していてとても楽だった。
 それはそうだろう。彼氏ではない一平がもえもえに対して注意や束縛をするはずもなく、一平と会話を交わす方が楽だと感じるのは当然であった。
 それに俊介に対してはどこか気を遣うところがあるが、一平にはそれがない。
 会社の日常の話題を持ち掛けても十分に分かってくれるし、色々と助言もしてくれる。
 もえもえにとっては共通の話題の少ない俊介よりも、一平との会話の方が何かとプラスになることが多かった。
 
 一方、俊介に対しては「もっと近くにいて欲しいのに……」と常々思っており、甘えたな一面のあるもえもえにとっては次第に切実なものとなっていった。
 恋人なのに二か月に一度ほどしかか会うことができない。
 会ったときはその寂しさを思い切り彼にぶつけることができるが、別れたあと、ふたたび忍耐の日々がつづく。

もえもえは過去わずかな男性と付き合ったことがあるが、本当に意味で性の歓びを教えてくれたのは俊介だった。

(私の身体に火を点けたくせに、たまにしか会ってくれない。俊介は罪な男だよ。どうしてくれるのよ……
こんなにもあなたに抱かれたいのに……でも仕方がないよね、遠いのだから……)

 性の歓びを知ってしまった若き肉体に、禁欲の日々は過酷なものである。
 燃えたぎる身体に時折押し寄せてくる『疼き』と言う名の官能の高波。
 それを消し去る方法はただ一つ、華奢なおのれの指しかなかった。
 寂しい夜、ひとりでシーツを何度濡らしたことか。

(俊介と過ごす蜜のような夜は確かに全身が痺れてしまうほど素晴らしい。今まで私を抱いた男の中ではたぶん一番だろう。特に丁寧過ぎるほどの愛撫は涙が出るほど素敵……だからよけいに会いたいのに……)




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