もえもえ 発火点

Shyrock作


第9話「白い恋人達」

 そんな状況の中で現われたのが一平だった。
 もえもえにとっては、すぐ傍にある窓から新鮮な風が吹き込んできたような。
 もえもえには俊介という恋人がいるが遠距離のためなかなか会えない。
 そんなとき身近でサポートしてくれる男性がいたら、気持ちが傾いてしまうことがある。
 好きな男性が二人できてしまう……世間にはよくあるシチュエーションである。
 特に、今の彼氏と会えない時間が続くと、焦燥感を覚えるのが女性と言うもの。
 そんなときに傍らで支えてくれる男性がいたら、そちらの男性に心が惹かれていくのは仕方のないことかもしれない。
 もえもえの心は水面に浮かぶ小舟のようにわずかなゆらめきを見せながらも、頻繁に連絡をくれる俊介のやさしい声に支えられていた。
 他愛ない話であっさりと終わる日もあるが、ときには艶やかな話に転じ、下着を濡らすこともしばしばあった。
 そして就寝前はいつものように電話で三つ数えてキス。
 それが遠く離れて愛し合う二人にとって唯一の愛の慣わしであった。

 この頃のもえもえの心中を知ることができる貴重な記録が残っている。
 それはもえもえが運営しているウェブサイトの8月31日の日記である。

『8月31日

私は、お出かけする時とか、大事なお仕事が
ある時に絶対身につけるものがあるの。

それは彼に貰った星のブレスレット。
シルバーで沢山ほしがついてて、めちゃかわいい。

いつも彼の事を思い出せる様に、
元気を貰える様に。

だから、今日も着けて行くんだ♪ 』

 この文章を読む限り、もえもえは紛れもなく俊介一筋の健気な女性だと読みとることができる。
 彼からもらったブレスレットを肌身放さず大切にしている純粋な女性だと。

 だけどそれが本心かどうかは、当人のもえもえ以外誰も分からない。
 一平はもえもえが運営しているウェブサイトを知らない。
 俊介はもえもえのウェブサイトを当然閲覧している。
 うがった見方をするならば、一平に惹かれていく自分を俊介から隠すための一種の“煙幕”なのかもしれない。
 だがそれはあくまで一つの推測であって真実は分からない。

◇◇◇

9月1日(月)

♪今宵 涙こらえて奏でる愛のSerenade
今も忘れない恋の歌
雪よもう一度だけだけこのときめきをCelebrate
ひとり泣き濡れた夜にWhite Love♪

 夜のしじまを引き裂くように、もえもえの携帯が聞き慣れたメロディーを奏でた。
 それはもえもえが大好きなサザンオールスターズの『白い恋人達』であった。
 俊介と付合い始めたときから、いつしか俊介専用の着信メロディーになっていた。

 付き合い始めた頃はこのメロディーが流れるたびにもえもえの心は弾んだ。
 遠い街に暮らす俊介とのたった一つの掛け橋だったから。
 だけど最近はこのメロディーが流れても、以前ほどのときめきを感じなくなっている。
 それは心の中にいつしか一平の存在が大きく膨らみ始めていたからかもしれない。

(でも、俊介が嫌いになった訳じゃない……私の中にもう一人の男性が入り込んで来ただけなの……そう、それだけのこと……)

♪ただ逢いたくて もうせつなくて
恋しくて…涙♪

◇◇◇

9月2日(火)

 その後も一平からの電話とメールが頻繁にあった。
 以前は一平からの一方通行であったが、近頃ではもえもえからも発信するようになっていた。
 ちょうどこの頃、俊介の仕事が多忙を極め、連日残業がつづいていたこともあり、もえもえへの連絡がかなり少なくなっていた。

 ただいくら忙しくても、俊介としては就寝前のお休みコールだけは欠かすことがなく、もえもえの態度に然したる変化がなかったため、彼女の微妙な変化に気づくことはなかった。

◇◇◇

9月5日(木)

 初めはもえもえに対し深入りすることなく会話を交していた一平だったが、メールなどで親密度を増すに連れ、次第に大胆に誘いの言葉を口にするようになっていた。

「でも……」
「いいじゃないか、彼氏がいたって。遠くて滅多に会えないんだろう? ほかの男とちょっとデートするくらい、別に浮気という訳じゃないんだし。ね? いいだろう?」
「うん……」
「じゃあ、また明日電話するね。おやすみ~」
「おやすみ……」

 午後11時30分、一平からの電話を切ったもえもえの携帯に間髪入れず俊介から電話が入った。
 俊介はもえもえの携帯がずっと通話中だったこともあり、少し不機嫌な様子だ。
 もえもえは口実を探した。

「あ、俊介、ごめんね。話中だったでしょう? 今、友達と話していたの」
「そうだったの。何度かけても通話中だったもので、てっきり男かと思ったよ」
「バカね、そんな訳ないじゃん」
「いやいや、もえもえは男性からかなり持てるから心配だよ」
「そんなに持てないよ」
「あ、そうそう、今度の連休の初日、神戸のホテルをあちこち当たってみたんだけど、残念ながら空いてなかったよ」
「そうだったの。仕方ないね」
「ラブホになってしまうけどいいかな?」
「それもまた楽しいかも」
「あの……」
「なに?」
「一つだけ聞いていい?」
「うん」
「会社の男性社員とかに誘われたりしない?」
「そうね……」
「誘われてるの?」
「うん……でも断ったよ」
「じゃあ、聞くけどいい感じの人とかはいる?」
「うん……そうね……」
「え? いるの?」
「うん、気になる人ならね」
「気になる人? それって誰なの? もしかしてこの前花火に行った時男性社員が数名いるって言ってたけどそのうちの一人?」
「そう……」
「その人が誘って来てるの?」
「うん、でも断ったから……」
「あ、そうか。ごめんね、変なことを聞いて。いや、ちょっと気になったもので」
「……」

 この後気まずい雰囲気になったので、俊介は話題を切替えてみたが、もえもえの乗りが悪かったので俊介は早めに電話を切ることにした。
 もえもえとしては男性のことを詮索されたことが気に入らなかったのだろう。
 電話を切った後、どんよりとした灰色の雲が俊介の脳裏を覆っていた。




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