第1話「初めての混浴温泉」
忙しい日々の合間を縫って、惠たちはようやく休暇を取ることができた。
以前から行きたいと言っていた温泉だが、コロナの影響もあってのびのびになっていた。
準備は俊介が行なった。ちょっと趣向を凝らして混浴がある温泉に行くことになった。
行先は群馬県のとある温泉だ。
ふたりとも混浴は初めてで惠の心も大いにときめいた。
♨♨♨
旅館に到着するととりあえず男女別々の大浴場で汗を流し、その後豪華な料理に舌鼓を打った。
ふたりの酒の量も上がり少しほろ酔い加減になった頃、奥の部屋に敷かれた布団に倒れ込むとふたりはそのまま身体を重ね合った。
「水を飲む?」
「うん、喉が渇いたわ」
「汗をかいたし、せっかく混浴のある温泉に来たんだから今から入りに行こうか」
「遅くなったけどまだ入れるかしら」
「きっとだいじょうぶだよ」
ミネラルウォーターで喉を潤しながら惠は微笑んだ。
惠が入浴の準備をしていると、俊介はそそくさと出て行ってしまった。
「館内をあちこち見たいから先に行ってるね。混浴大浴場で待ってるからね」
「待ってよ。もう、せっかちなんだから」
いつもながら気早い俊介に惠はちょっぴり不満気だ。
少し後れて入浴の支度ができた惠はいそいそと混浴大浴場へと向かう。
長い廊下を歩きながら、以前女性誌で見かけた『彼と混浴温泉特集』の記事を思い出していた。
『脱ぐときは恥ずかしそうに』
『入るときはタオルでチラ見せ』
『髪の毛はサイドに分けて洗う』
『泡を手に溜めて彼に向ってフゥー』
つまり、恥ずかしがる姿、色っぽい姿、かわいくて無邪気な姿と色々な表情を彼に見せれば、彼の心をとりこにできるという。
惠が混浴におけるイロハを脳裏に浮かべていると、まもなく『混浴』と書かれた看板が目に止まった。
「ここだわ」
看板の横には何やら注意書きがある。
「なになに?」
混浴の注意書きなので、「スマホ持ち込み禁止」は当然ながら、「貴重品はフロント横の貴重品ロッカーに預けて」や「入れ墨・タトゥーの人は入湯お断り」等、通り一遍のことが記されているものとばかり思っていたが、意外や意外ひねりの利いた言葉が記されていたことに惠は目を丸くした。
『見てはいけない』
『見せてはいけない』
「なに、これ?」
主語も目的語もないシンプルなキャッチフレーズに、惠はつい「誰に……?」「何を……?」と突っ込みたくなる衝動に駆られた。
(つい見てしまいそうだけど、あえて見ないように目を背けるのがマナーというわけね。ふむふむ、なるほど)
これが混浴の心得なのかと感心しながら、ガラガラと扉を開けて脱衣場に入った。
夜も遅いせいか人影が見えない。
ほっと安堵のため息をつきながら、脱衣籠を見ると一つの籠にだけ浴衣が入っている。
「俊介のものだわ。先に入ってるのね」
混浴温泉に入るのは初めての経験だ。
初めのうちは「男性が大勢いたらどうしよう……」と少し心配をしていたが、まったくの杞憂であったようだ。
惠はおもむろに浴衣を脱ぎ捨てると、温泉に通ずるすりガラスの扉を開けて中に入った。
外気が心地よく肌に触れる。
温泉は露天になっていてかなりの広さがあるようだが、湯気で曇っていて遠くがぼやけてよく見えない。
湯船の深さは立つと尻ぐらいなので、なにげに泳いでみたくなる。
「全裸で泳いだことってあるかな? なかったよね?」
少女に戻ったように、ひとかき、ふたかきと泳いでみる惠。
全裸で泳ぐとエロティックな気分が味わえる。
ひんやりとした外気に触れながら、両手を岩場に乗せて両足ものびのびと伸ばしてみる。
そのとき、惠は気配を感じた。
湯気の向こうに人影が浮かんでいる。