第16話「泰三の遺言」

 次の日の早朝、二人はわずかな荷物だけをかかえて坂巻家を後にした。
 そして都内で手頃な賃貸マンションを見つけ暮し始めた。
 築30年の古い建物だが、二人にとってはかけがえのない愛の棲家といえるだろう。
 俊介はコピーライターの仕事に精を出し、めぐみは俊介の知人の紹介でジャズ界の名門『イエローノート』に勤務することになり、贅沢はできないまでも生活に困らない程度の収入は得ることができた。

◇◇◇

 それから二年の歳月が流れた。
 俊介の元に一通の電報が届いた。

『タイゾウキトク スグカエレ』

 それは俊介を勘当した父親泰三の危篤を知らせるものであった。
 勘当されたとは言っても親は親、俊介とめぐみはタクシーを飛ばし、泰三が入院している病院へと向かった。
 しかし時すでに遅く、泰三の臨終には間に合わなかった。
 死因は『心筋梗塞』であった。

 葬儀は泰三の邸宅で盛大に行なわれた。
 弔問客の数は予想以上に多く、生前の泰三の威光を忍ばせるには充分なものであった。
 俊介は勘当を受けていたため喪主を勤めることはなく、代わりに泰三の弟が葬儀を取り仕切った。

 葬儀が無事終了し、俊介とめぐみが帰宅の途に就こうとした時、四十代ぐらいの喪服姿の男性が彼等を呼びとめた。

「あっ、ちょっとお待ちください」

 俊介は訝しげに思いながら男性の方を振り返った。

「はい、何かご用ですか?」
「坂巻俊介さんと姉小路めぐみさんですかね?」
「はい、そうですが、何か?」
「申し遅れました。私は坂巻泰三様の顧問弁護士を勤めています森田と申します。突然呼び止めまして大変申し訳ございません」

 森田と名乗る弁護士は名刺を差し出し慇懃な挨拶を述べた。

「実は坂巻泰三様に遺言がございまして」
「遺言? 僕にですか?」
「はい、泰三様の遺書には、ご自分の死後、遺産は俊介様に四割、弟の秀勝様に三割、そして姉小路めぐみ様に三割を遺贈するように、と記されておりますので、遺言どおり執行させていただきたく存じます。つきましてはその手続きのことで近日遺産分割協議を行ないますので、姉小路めぐみ様にも必ず参加をお願いしたく……」
「な、なんだって!?」

 俊介は驚きのあまり一瞬言葉を失ってしまった。
 まもなく落ち着きを取り戻すとおもむろに語り始めた。

「それは何かの間違いではありませんか。僕は父に勘当された身です。つまり相続を受ける権利なんてないはずなんです。それにめぐみには法的に相続権がないはず」
「確かに俊介様は勘当されているため、本来ならば相続権はございません。それにおっしゃるとおりめぐみ様も血のつながりはなく相続人には当たりません。しかし、故人の遺書がある場合、それが最優先されるのです」
「なるほど、父がそのような遺言を残したということですか……。でもにわかには信じられないなあ……」
「もしよろしければ今から奥の部屋で遺書をご覧になられますか?」
「いいえ、それは後で構いません。弁護士のあなたがそうおっしゃるのだから間違いないでしょう。僕のことはさておき、めぐみに遺産の三割を譲るよう記していたことには驚きました。それほどめぐみのことを大切に思っていたとは……。めぐみ、親父の遺言どおり受け取ってやってくれないか?」
「まさか旦那様が私に遺産だなんて……それほど私のことを……うううっ……」

 めぐみに一言の優しい言葉もかけることのなかった泰三であったが、心の底ではめぐみのことを娘同様に思っていたのだった。
 泰三の深い愛を知っためぐみは泣き崩れてしまった。

 俊介とめぐみは泰三の霊前に戻り両手を合わせる姿があった。
 俊介が泰三の写真を見上げたとき、ふと泰三の熱い視線がめぐみに注がれているように思えた。

 いつのまにか蔦は長く伸び泰三が暮らしていた部屋の窓格子を覆っていた。
 めぐみは泰三が過ごしていた部屋を懐かしそうに見上げるのであった。




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