第5話
ふと窓を眺めると、東の空には黎明の光が雲を破り始めていた。
きょうこは小さくため息をついた。
長いはずの一夜も過ぎてみれば実にあっけないものだ。
きょうこの脳裏には強烈な映画を見たあとのように、いくつかの場面の駆け巡る。
きょうこは熱いシャワーを浴びると、車野原とともにホテルを後にした。
まだ気持ちが高ぶっているせいか、意外と眠気を感じない。
車野原はきょうこをライトバンの助手席に乗せ隣町へと向かった。
きょうこが一度見てみたいというので、魚市場を案内することになったのだ。
ただし車野原の地元だと人目に立つので、隣町へ行くことになった。
魚市場を見学したきょうこは、仕事に向う車野原に別れを告げた。
「ありがとう。おかげで楽しい時間を過ごせました」
「いや、オレの方こそ……」
「じゃあ……」
「もう帰るのか?」
「うん、寂しいけど仕方ないね……」
「オレ……」
「……?」
「オレ、あんたが、いや、きょうこさんが好きになってしまった。だからずっとこの街にいてくれよ。オレが面倒見てやるから」
「気持ちは嬉しいけど、あなたには奥さんや子供がいるわ。私はあなたの家庭を壊したくないの。だって、あなたのこと好きだからあなたを不幸にはしたくないもの」
「それじゃせめて今夜だけ……もう一度だけ会ってくれないか」
「もう会わない方がいいと思う……」
「……」
「私ね、次の列車で帰るわ。短い時間だったけど、いっしょに過ごしてくれてありがとう。すごく楽しかったわ」
「う、うん……分かった。なあ、きょうこさん……」
「なあに?」
「幸せになれよ」
「うん、ありがとう。あなたもね」
電車を見送りたいと言う車野原をきょうこは頑なに断った。
見送られると、自分ばかりか車野原までも余計に辛くさせるから。
きょうこは旅行バッグを抱えてひとり駅に向った。
◇◇◇◇◇
それから数日が経ったある日。
「ねえ、あなた、秋から始まったこの連続ドラマを録画しておいたんだけど、いっしょに観ない?私ね、このドラマのヒロインを演じてる女優さんが大好きなの。あ、でも、あなたはスポーツ番組以外あんまり興味ないか」
妻の話しかける言葉に、新聞を広げていた車野原は何気にテレビ画面に目を向けた。
次の瞬間、車野原の顔色が変わってしまった。
「あっ!」
「どうしたの?あなた」
「いや、何でもない……」
「何か変だわ。ねえ、この女優さんと私、少し似てると思わない?」
「どこが?全然似てないよ」
「何よ、それ。ほんと愛想の欠片もないんだから」
妻はプンプン怒って居間から出て行った。
車野原の顔色が変わったのも当然で、彼が目にしたのは人気女優の本上きょうこであった。
あの夜、きょうこのことをどこかで見たことのある女性だと思っていたが、それが誰なのかが思い出せなかった。
しかし今テレビ画面を見て、あの夜の女性が本上きょうこであったと確信したのであった。
(でも、なぜだ?あれほどの有名女優がオレなんかに抱かれたんだ……?やっぱり別人か……?)
突然、この港町にやって来て、一夜をともにした美女。
それがまさか有名女優の本上きょうこだったなんて信じられる訳も無いのだが、あの一夜は夢ではなく紛れもなく現実であった。
(もしかして雑誌から抜け出して、間違ってオレのところに来たのだろうか?まさか……)
車野原はテレビ画面を食い入るように見つめながら、自身の頬をつねってみた。
完
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