ありさ姫






第一話“裏切り”

 時は天正七年三月、絶望の中、白装束をまとい磔台に拘束されたありさ姫は遠い山並をぼんやりと見つめていた。
 山並の向こうにはありさ姫が生まれ育ったふるさと野々宮がある。
 だけど野々宮には父であり城主の野々宮新八郎も大好きな母ももういない。
 死を目前にしたありさ姫ではあったが涙は流さなかった。
 たとえ戦に破れても誉れ高き野々宮城主の子女として、潔く戦乱の世に散ろうとしていた。
 野々宮はわずか十万石の小国ではあったが、君主野々宮新八郎の長女として生まれたありさ姫は十八才になる今日まで、新八郎の手腕もあって国が戦火に見舞われることもなく日々平穏に暮らしていた。
 しかしそんなありさ姫の身に突然不幸が襲った。

 以前から野々宮氏は北に位置する黒岡氏と敵対していたが、野々宮氏の東隣国下川氏と同盟を結んでいたために黒岡氏を牽制していた。
 ところが下川氏の先代当主下川信英が病死し、その後継者として嫡子の下川信孝が城主となった頃から野々宮氏に暗雲が立ち込めた。
 というのもこの下川信孝という人物は実に腹黒い男で、城主になるや否やすぐさま黒岡氏と密約を結び、こっそりと野々宮氏を攻める手筈を整えていた。

 最初に動いたのは黒岡軍であった。
 国境附近に黒岡軍兵一千が攻め入ったため、野々宮軍はそれを迎撃するため新八郎は兵千五百を引きつれ出陣した。
 しかしどういう訳か黒岡軍は川向いに陣取ったまま動こうとはしない。
 両軍は対峙したまま一昼夜が経過した。
 黒岡軍の動向を訝しく思った新八郎は危険を感じ取り、急遽兵を引き返そうとしたが時はすでに遅かった。
 野々宮軍の背後から下川軍二千が猛攻を仕掛け、同時に川向いの黒岡軍が一気に押し寄せてきたため、野々宮軍は両方から挟み撃ちをされる形になってしまった。
 勇猛果敢で名を馳せた野々宮軍ではあったが、両方から攻撃をされては堪らない。
 またたく間に野々宮軍は壊滅し、君主野々宮新八郎は無念の最期を遂げた。
 まもなく新八郎討死との知らせが野々宮城に届いた。
 思いがけない君主討死の報に残された兵の多くは戦意を喪失し、城の明け渡しを余儀なくされた。

 母はまだ十五才の嫡男景勝と長女のありさ姫を呼び寄せ、「そち達は死んではなりませぬ。必ず生き延びるように」と涙ながらに告げた。
 ありさ姫と景勝は母とともに自刃して果てることを望んだが、母はそれを許さず、ありさ姫達はわずかの配下の者とともに泣く泣く山中に落ちていった。
 ありさ姫たちが無事に城を脱出するのを見届けた母は、側近の武将とともに自害して果てた。

 景勝たちが峠に差し掛かったとき、少しでも目立たないようにとの思惑から、景勝とありさ姫は峠で一旦別れそれぞれの道を進むことになった。景勝は東の道を、ありさは西の道を……
 しかしこれが姉と弟ふたりの今生の別れとなろうとは果たして誰が想像しただろうか。

 西の山道を歩くありさ姫とわずかな家臣たち、あと二里ほど進めば父と親交のある喜多氏の領内に逃げ込めるというところまで差し掛かったとき……
 ついに天運尽きたか、ありさ姫は敵方に発見され捕縛されてしまった。

 暗い牢獄に閉じ込められたありさ姫は「景勝の居所を吐け」と脅迫され、連日連夜、容赦のない拷問が加えられた。
 他人に指ひとつ触れられたことのない柔肌は哀れにも傷だらけになってしまった。
 それでもありさ姫は景勝の行方には一切口をつぐんだ。
 縛られてうな垂れるありさ姫のそばで、憎き親のかたき黒岡源内がつぶやいた。

「いくら拷問しても白状せぬようだな。このまま喋らなければ明日死ぬことになるが…よきや?今のうちに吐かば命のみは助けてやってもよいぞ」
「ううっ・・・知らざるものは知らず!さあ早く殺すべし!」
「ふむ、そうか。いかにすれども吐かじな。仕方がなし。では気の毒なるが明日処刑を執行することになるぞ。ありさ姫、余を恨むでないぞ。これも戦国の世の習いというものじゃ。がっはっはっはっは~!」
「くっ!この卑怯者め!下川と組みおって!地獄に落つべしな!」
「ふん、ほざけ。地獄に落ちるのはうぬの方じゃ。ありさ姫、さらばじゃ」



 翌朝、城の近くの小高い丘に穴が掘られ、磔台の柱がゆっくりと差し込まれた。
 基礎部分に土が埋められ磔台がしっかりと自立していく。
 磔台にはすでにありさ姫が白装束を着せられ緊縛されている。
 どこから聞きつけたのか、早くも多くの観衆が刑場へ詰めかけていた。

「あのあねさまが野々宮氏の姫様なのか。ほほう、さすが気品があってきれいだね。姫様なんておらぁ見たことがねぇからのそくさ拝ませてもらおう」
「お姫様だけあって堂々とした振る舞い、さすがだねぇ」
「あんなかわいいあねさまっ子が処刑されるのか?ふびんだね。南無阿弥陀仏……南無阿弥陀仏……」
「何でも下川が裏切っておれたちの殿様と組んだとか聞いたが?」
「これ、滅多なことを口にするんじゃないぞ」

 ありさ姫は静かに瞳を閉じて、幼い頃、弟景勝と遊んだ野々宮城内の紅葉林を思い浮かべていた。



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