官能舞妓物語






四条大橋(昭和初期)


第八章 一通の手紙

 6月下旬、いよいよ夏到来を思わせる暑い夜、ありさは男衆をひとり伴ってお茶屋に向った。
 俊介の屋形訪問の一件以降、女将は警戒を深め、ありさの行く先々に常に男衆をそばに付けることにしていた。
 万が一、またまた沮喪があれば、上得意の丸岩に申し訳が立たないと思ったのだ。

 しかし幸いなことに、同伴の男衆はありさが最も好感を持っている北山春彦と言う30代半ばぐらいの男であった。
 ありさは北山に気軽に話し掛けた。

「暑なりましたなぁ~」
「ほんまどすなぁ、そうゆ~たら、ぼちぼち祇園さんどすなぁ~」
「ほやね~、また忙しなりますなぁ~」
「ありさはん・・・」
「はぁ、何どす?」
「あんまり思い詰めんようにせなあきまへんで。身体に毒おすえ」
「あ、北山はん、おおきに~、うちのことそないに気にしてくれはって・・・」
「ありさはん、近頃、ちょっと痩せはったみたいやし・・・」
「うん、そやねぇ、ちょっと痩せたかもしれへんなぁ」
「もし、わてにできることあったら何でもゆ~てや。微力やけど力になれるかも知れへんし」
「おおきに~、そないにゆ~てくれはるだけでも元気が出て来るわ。嬉しおすぅ~」

 ありさの口元から久しぶりに白い歯がこぼれた。



 それから3日後、“織田錦”の廊下で、ありさは北山を呼び止めた。

「北山はん、ちょっとちょっと・・・」
「はあ、なんどすか?」

 ありさは真剣な眼差しで一通の封書を北山に差し出した。

「北山はん、あんさんを見込んで頼みがあるんどす。この手紙を例の本村はんに届けて欲しいんどす。本村はんは堀川通り蛸薬師に住んだはります」
「えっ!ありさはん、もしかして・・・あんさん・・・」
「しっ・・・大きな声出したらあきまへん。お願いできますやろか」

 北山はありさの本村への想いが並々ならぬものと知っていた。
 そして今、ありさが重大な決意をしたことも直感的に感じ取ったのであった。

「はぁ、よろしおます。本村はんのとこまで必ず届けて参じます」
「ほな、頼みますわな・・・」
「はぁ、ほんならすぐに」

 北山は織田錦を出て、早速駆けて行った。



『俊介はんへ
ご無沙汰しています。この前のお怪我は大丈夫どすか。
うちは相変わらずの毎日を過ごしております。
俊介はんとお会いしたいけど、ずっと見張りをされてて、
身動きが取れん状態なんどす。
せやけど、どうしても俊介はんにお会いしたいんどす。
もう一度だけお目にかかって、ほんで俊介はんのこと、
諦めよう・・・と思とります。
今夜はお店もおへん。夜の十時に平安神宮の鳥居のとこに
来てくれはりまへんか。
これがうちの最後のお願いどす。
せやけど、もしも俊介はんが来てくれはれへんかっても、
決して恨んだりはしまへんよってに。
うちは俊介はんを生涯お慕い申上げております。 ありさ』

 俊介は北山が去った後、直ぐに手紙を開いた。
 真っ白な便箋にかぼそい文字がしたためられている。
 一箇所だけ文字が滲んでいるのは、おそらくありさが流した涙のせいだろう。
 ついにありさは俊介との決別を覚悟したようだ。
 俊介は手紙を何度も読み返しているうちに、ありさの純粋で一途な想いに心打たれた。
 俊介はついに落涙してしまった。

(ありさ・・・君に会いに行くよ・・・。ありさ、君を失いたくない・・・絶対に・・・)



 ありさは玄関先に人気がないことを確かめて、着の身着のままの姿で織田錦を出て行った。
 急ぎ足で木屋町から三条を通り平安神宮へと向った。

(お母はん、堪忍どすぇ・・・、うち、もしかしたもう帰ってけえへんかも知れへん。あんだけお世話になっておきながら、お返しのひとつもせんと屋形を勝手に飛び出したうちを堪忍しておくれやす・・・。うちは俊介はんの元へ参じますぅ・・・)

 ありさの頬には幾筋もの涙が伝っていた。

 まもなく息を切らしたありさが平安神宮に到着した時、既にそこには俊介の姿があった。

「俊介はん!」
「ありさ!」

 駆け寄るありさ、受け止める俊介・・・ふたりは人目をはばかることな硬く抱合った。

「ありさ、会いたかった・・・」
「俊介はん、うちも会いとうて、会いとうてしょうがなかったわ・・・」
「ありさ、もう君を放さないよ」
「おおきにぃ、すごう嬉しい・・・。そやけどそれは無理なことやおへんか?」
「無理なんかじゃない。僕はどんなことがあっても君を放さないよ。でもこのままだと、彼らは必ず君を連れ戻しに来るもの。捕まると君がどんな目に遭うやら・・・。だから決めたんだ。君を連れてこの京都から出て行こうと」
「えっ!なんどすってぇ!?そんなことしたら、俊介はん、大学に行かれしまへんがな!」
「それは解ってる。解った上で言っているんだ。勉強なら別にK大へ行かなくてもできるし・・・。僕は君を選んだ。僕は君なしでは生きて行けないことに気がついたんだ」

 俊介の言葉を聞き、ありさは嬉しさに胸の震えが治まらず、袂(たもと)で目頭を押さえて泣きじゃくった。

「俊介はん、嬉しおすぅ~、うち、俊介はんとやったら、どこへでもお供しますぇ~」
「ありがとう、ありさ。でもこの先、決して安楽なものじゃないかも知れないけどいいんだね?」
「そんなん、かまへん。うち、俊介はんとやったら地獄の底でも、どこでも付いて行くぇ・・・」
「そうまで言ってくれるんだね。嬉しいよ」

 俊介は優しく微笑んでありさの頬に唇を寄せた。

「ありさ、それじゃ今からすぐに夜汽車に乗って遠くへ行こう」
「え~っ!ほんまどすか~?」
「うん、本当なら君も僕も一旦戻って荷物をまとめたいところだろうけど、そんなことをしていたらきっと捕まってしまうと思うんだ。ある程度のお金も用意したから当分はしのげると思うし。さあ、今から京都駅に向かおう。最終の汽車にまだ間に合うはずだから」

 ふたりは急ぎ足で、一路、京都駅に向かった。

 京都駅に着いた時には23時20分を少し廻っていた。

「ありさ、だいじょうぶかい?」

 俊介は汗の滲んだありさの額を手拭いを出して拭ってやった。
 時刻表を見た。
 富山行きの汽車に乗って途中の福井で降りるつもりだ。
 発車は23時30分。俊介は急いで切符を求め改札をくぐった。

『富山行きの汽車はまもなく発車します~。お乗りの方はお急ぎくださ~い~』

 ありさ達が汽車のデッキに脚を掛けようとした時、遠くからふたりを呼び止める声がした。





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