第2話  拓也の見果てぬ夢



       3月 30日 日曜日 午後8時   河添 拓也


自分の人生は、己の腕一本で切り開くもの。
人は利用しても利用されるものではない。
ましてや、お互いの利益のために協働するなど……

俺はふっと顔を緩めると、窓ガラスのはるか眼下に拡がる無数の光の点を眺めていた。
個々の光はそれぞれ独立していても、それが縦につながり横につながり、知らず知らすのうちに壮大な夜景の一部へと取り込まれていく。

「そして、今夜から俺の協働も始まる……か」

視線をガラス窓から部屋の中央に配置されたベッドへと移す。
けばけばしいラブホテルのそれではない。
かなりゆったりとした作りのそのベッドは、変な例えだが大柄の男ふたりが一緒に寝ても、まだお釣りがくるほどの大きさだった。

「ふふっ、これなら色々と楽しめそうだ」

俺は、ベッドに上がると仰向けに寝転んだ。
そのまま、高ぶる気持ちを落ち着かせようと目をつぶる。

だが、無駄な行為のようだった。
まぶたの裏にまであの女の容姿、仕草その全てが、期待と想像を織り交ぜた映像として映し出されていく。

今夜の俺との行為のために、隣接する浴室で自分の肌を磨く女。
図らずも運命の悪戯に翻弄されながらも、健気に愛する者のために自ら恥辱に身を晒す女。

久しく感じることのなかった俺の性的本能が、ガウンからはだけた下腹部に大量の血液を流入させ始める。
男の分身の頭をもたげさせている。

一層のこと、シャワーを頭から浴びながら女を犯すか?

心の準備に時間など与えさせる必要はない。
愛しい夫の名前を連呼させながら、女に腰を打ち付けるのも、これもまた一興か?

勝手に妄想する本能の暴走に、俺の息子が益々硬く背伸びする。

「ふふ、俺もまだまだガキだな……」

ふっとおかしくなり、興奮にいきり立つ息子をなだめるように、計算高い提案をしてみる。

まあ、待て。これからも長い付き合いになる女だ。
今夜くらいは、ベッドの上で甘い夢に浸らせるのも、悪くはないだろう。

まもなくして腕の中で鳴くことになる女に過剰なまでの期待を寄せながら、俺は、これまで自分に降りかかった数奇な運命を思い返していた。


今から4年前……

俺はこの街にある国立大学を卒業後、同じくこの街に本社を置く全国有数の金融企業、時田金融グループに入社した。

当初配属されたのは、法人向けの貸出部門。
一応、この会社の出世コースに乗ったといって過言ではない。

そこで、主に出資申し込み法人の財務審査を2年間勤めあげ、同期入社組みよりも1歩も2歩も先んじる昇進を続けていく。
24で主任を、翌年には係長を……
そして、同僚から羨望の眼差しで見られ始めた矢先、大きな落とし穴が待っていた。

『同年4月1日をもって、建設部2課 課長に任ずる』

予想もしない辞令に、俺は愕然とした。
まるで、後頭部をハンマーで殴られたようなショックに、しばらくの間、茫然としていた。

建設部課長。役職の上でこそ昇進ではあるが、事実上の左遷。
俺は、一気に出世コースの階段から転げ落ちていった。
そう、要するにお払い箱ってやつだ。

でも、どうして……?
どう頭をひねっても、思い当たる節はない。

思い悩んだ俺は、同期で人事部に配属されている友人から、それとはなしに真相を聞き出すことに成功した。
だが、聞いて慄然する。

まさか、俺の人事に篠塚副社長が絡んでいたとは……?!

篠塚唯郎(しのづか ただお)、時田金融グループ副社長。
独裁的且つカリスマ経営者、時田謙一の足下にも及ばないが、肩書通り、社内ナンバー2の実権を持つ男。
それに、これはあくまで噂だが、時田謙一のワンマン経営を危惧する一部の反時田勢力の、事実上のリーダーとの話もある。

どうやら俺は、気付かないうちに、とんでもない者の尻尾を踏んでいたようだ。
だが、そうして考えてみると辻褄の合う部分もある。

これもまた噂であるが、長らく空席が続いていた社長秘書課の課長職のポストに、俺が就くという話がもっぱらだった。
もしそれが噂通りなら、出世コースを突き進む俺を排除することで、延いては時田社長の力をも削ごうという魂胆なのだろう。

まあ俺にとっては、とんだとばっちりでいい迷惑なのだが……

この事実を知った俺は、しばらくの間、酒に溺れていた。
定時終業と共に酒場に繰り出しては、浴びるように酒を飲む日々。
情けないことだが、俺は現実逃避していた。

そして、そんな自堕落な行状の末、偶然巡り合ったのが、今、俺のためにシャワーを浴びている女というわけだ。
まあそんな彼女も、俺並の……いや、俺以上の辛酸な人生を送っているようだが……


そろそろ女が出てくる頃だ。

俺は、ベッドの上から扉が開くのを待つことにした。
禁断の情事に、頬を羞恥色に染める女に期待して……



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