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<第1話:チェックイン> 2013年10月20日。日付も変わろうかという深夜。日本橋にあるシティホテルの1室では、結婚記念日のディナーを終えた二人が男女の営みを繰り広げていた。 「貴方。今日は2回目でしょ。」 「何だ、気付いてたのか。」 「当たり前よ。もう10年も夫婦してるんですから。突然連泊するとか、仕事用のスーツ持って来いとか言い出すんですもの。直ぐに分かりますよ。」 「流石。よく分かったね。全くその通りだよ。」 --*--*-- 先の会話から遡ること9時間前、日本橋にあるシティホテルの従業員用控室では、制服に身を包んだ一人の女性が鏡に向かって身だしなみのチェックをしていた。 黒髪をスプレーで固め、前髪は眉毛にかからない程度で斜めに下ろし、襟足にヘアピンを左右一本ずつ刺して解れがないよう整え、後ろ髪を団子状に結わいてネットで纏め、綺麗なシニヨンを作っている。 前髪の下では、やや細めに整えた眉が綺麗に揃い、派手にならない程度にラメの入ったダークグレーのアイシャドウが瞼に施され、黒のアイライナーやマスカラで目元が強調されている。口元は軽いグロスの効いた口紅で赤く彩られている。 制服として着る黒いジャケットはVゾーンが広めにとられ、胸の少し上で一線に横切るスクエアネックの真っ白いカットソーと、その上に現れるデコルテを綺麗に見せている。 ジャケットと合わせた黒いタイトスカートは膝の少し上に裾があり、ヌードベージュのストッキングで包み込んだ綺麗な脚が下に伸びる。そして黒光りするほどに磨かれた7cmヒールのパンプスが足元を引き締めている。 身だしなみに問題ないことを確認した女性は、背筋をピンと伸ばした気品ある歩みで控室を出ていった。 クラシカルパノラミックホテル日本橋。東京日本橋の一角にある高層ビルの35階~43階、そして45階に客室を持つ、都内でも指折りの高級ホテルである。 このホテルは上位客をターゲットとしたクラブフロアを42階、43階の2フロアに有しており、更に44階の高級レストランフロアを挟んだ45階、このビルの最上階であるが、そこには数種類のスイートルームが用意されている。 そしてこれら上位客は、一般の宿泊客とは別に、42階に用意されているクラブラウンジでチェックインから軽食やお酒、朝食、チェックアウトという一連のサービスを受けることが出来る。 15時を回った頃、クラブフロアのフロントデスクでもチェックインが始まっていた。 そこには先程の女性も座っている。黒いジャケットの左胸には黄金色のネームプレートがあり、「金沢」という文字が刻まれている。 彼女の名前は金沢美香。ホテルの専門学校を20歳で卒業し、パノラミックホテルに就職して早6年目。フロント業務に就いて4年目。今年からはクラブラウンジでの業務が主になった。 チェックイン開始から30分が経過したころ、30代と思しき男女がクラブラウンジを訪れた。 「こんにちは。ご宿泊でございますか?お名前を頂戴できますでしょうか?」 フロントデスクを立ち上がって進み出た美香が、起立して一礼をしつつ二人に話し掛けた。 「あ、はい。1泊で予約してます山田です。」 「山田様でございますね。ご宿泊ありがとうございます。こちらへどうぞ。」 美香がフロントデスクのソファーへと二人を案内し、そして自らもデスクを挟んだ向かいの席に座って手続きを始めた。 「山田太郎様。祐佳様。ご宿泊ありがとうございます。本日からご1泊、ロイヤルスイートルームでご予約を承っております。」 ロイヤルスイートとは、パノラミックホテルが有するスイートルームでも1つしかない最上級の部屋である。 手続きをしながら、山田夫妻について若いながらも落着きのある夫婦であると感じた美香。流石はロイヤルスイートに宿泊するだけのお客様だと思いながらホテル全般やクラブラウンジの特典について説明をしていった。 「山田様。それではお部屋へご案内させていただきます。本日はベルの研修を兼ねて、私がご案内させていただきます。」 一通りの手続きを終えた美香は、立ち上がってフロントデスクの脇に進み、挨拶をしながらベルに荷物を持つよう促した。 ベルの研修と言うのは方便。ベルは荷物運びに専念させ、フロント自らが部屋を案内する。 スイートに宿泊する客に対しては、サービスに抜かりが無いよう、より経験値のあるフロントが主体となり、二人体制で部屋まで案内するというだけの話である。 美香は夫婦の脇に歩み出で、微笑みながら部屋へ至るまでの説明や会話を交わしつつ案内をしていった。 会話の感じからして、山田夫妻はパノラミックホテル自体には何度か宿泊しているものの、ロイヤルスイートは初めてという印象である。 身長160cmと小柄で細身ながらも、気品と美しさを兼ね備えた歩き姿のまま柔らかな応対を続ける美香は、一緒に歩く二人に対して流石はパノラミックホテルという印象を与えていた。 「お部屋はこちらになります。」 美香が鍵を開けて扉を開き、照明のスイッチを入れつつ山田夫妻を中に招き入れる。 「わぁ、凄い!玄関ホールでこの広さ!?」 中に入るなり、祐佳が驚きの声を上げた。何せ、このロイヤルスイートは玄関ホールだけで、レギュラールーム1室分の広さがある。 それにダイニングを兼ねたリビングルームが1室、マスターベッドルームにバスルーム、更にサブベッドルームにバスルーム。都内でも有数の広さだから、初めて宿泊する人は皆、先ずその広さに驚く。 玄関ホールは床一面が真っ白な大理石で覆われている。扉の正面の壁には大きな姿見が設えられ、部屋に入った四人を映し出している。向かって左がリビングとマスターベッドルームに通じる扉。右がサブベッドルームに通じる扉。 美香は、広い玄関ホールでハイヒールの音を小気味よく響かせながら山田夫妻を先導しつつリビングの方へと進んでいく。 「こちらがリビングルームになります。カーテンを開けさせていただきますね。」 美香が部屋に案内しながら、一人窓の方へと向かって歩き、ブラインドを1つずつ順番に開けていく。途端、外光が一気に入り込み、室内でありながらまるで外にいるかのように部屋が明るくなった。 「わぁ、凄く大きな窓。まるで空中宮殿ね。」 またしても祐佳が感嘆の声を上げた。驚くのも無理はない。リビングで外に面している部分は、足元から天井ギリギリまで、大型の窓ガラスが一面に張られている。しかもよく磨かれているので、ともするとガラスが無いようにすら感じる。 そんな窓辺に立って外を見ると、周囲でここより高いビルが無いこともあり、まるで空中から街を見下ろしているような錯覚に陥る。 続いて美香は、リビングの隣にあるマスターベッドルームへと二人を案内する。こっちの部屋も大型の窓ガラスが何枚も張り巡らされ、ベッドに横たわったまま景色を眺められる。 「こちらにございますパネルで室内の照明など様々な操作が出来るようになっておりますので、簡単にご説明差し上げますね。」 美香がベッド脇に設えられている小型の液晶モニターの前に立ち、自ら操作をして見せながら説明を始めた。 次頁 |