プロローグ ―日常の崩れる音(2)―

「綾香さん。アイスコーヒーお代わり。」

不意にお客さんが綾香さんに声をかけた。
聞いたことのある声。昼間の彼の声にそっくりだった。
そして、シュッという何かを擦る音と共に煙草の匂いが漂ってくる。

「あんた、煙草吸いすぎ。死ぬわよ?」
「喫煙者の綾香さんに言われたくないです。」
「二十歳になりたてが生意気よ。はい、アイスコーヒー。」
「ども。」

その声、煙草の匂い、昼間の彼に間違いなかった。

「あ、あのッ…」
私はとっさに彼に声をかけた。

「あら、炎之花ちゃん、ご注文?」
「あ、貴女は…」

「やっぱり昼間の方でしたかッ。」
「あら、あなた達知り合い?」
「うん、昼間にちょっとね。」

彼は綾香さんに昼間のことを話した。
会話の感じを聞く限り、彼は綾香さんとは前からの知り合いらしい。後に聞くと彼も喫茶店の常連らしい。

「私、暁 炎之花って言います。昼間はすみませんでした。」
「あーいや、ぶつかったのは俺が悪いんですし…」
「そうよ。この子、いっつもボーっとしてるんだから。」
「少しくらい俺のこと弁解してくださいよ。」
「なんで?」
「なんでって…」

彼と綾香さんは漫才のような会話。私もおかしくて笑ってしまう。

「ふふッ…」
「あ、俺、水橋 暎(みずはし あき)って言います。この近くのデザイン学校の生徒なんですよ。」

自己紹介程度の会話だろうが、私は水橋さんとの会話で今までにない感情が芽生えるのを感じた。

その後、私たちは他愛もない会話をして時間を潰した。
好きな音楽の話、学校での生活、私の仕事の話、私の目を気遣ってなのか、テレビや映画や本などの視覚を必要とする話題はしなかった。
そんな気遣いに、私はまた彼に惹かれた。

「あ、俺そろそろ行かないと。学校の課題が残ってて、今からまた学校です。」
「そうなんですか。頑張ってください。」
「はい。綾香さん、お勘定。」

水橋さんはいそいそと喫茶店を跡にして行ってしまった。
彼が行った後に色々と悩んでしまう。私の話はつまらなかったんじゃないか、年上は嫌なんじゃないか、また会えるだろうか、普段気にしない異性への悩み。

「あの子なら、また明日も来るわよ。」
「え…?」
「また会いたそうな顔してたからね。炎之花ちゃんたら顔赤くして、水橋くんに惚れた?」
「え、あ、やだッ…そんなこと…」
「図星ね。課題が夜遅くまであるから連日通うって言ってから明日も会えるわよ。」

綾香さんの言葉に、恥ずかしさと期待の感情が心を満たしていく。

カランッカランッ
その時、扉が開いた。

「あ、一美さん。」
「炎之花います?」

来たのは姉だった。
六条 一美(ろくじょう ひとみ)26歳。近くの病院に勤める看護婦だ。
私の失明と同時期に旦那さんを亡くしている。今では、私と共に暮らし家事全般をしてくれている。
仕事終りに喫茶店で待ち会うのが決まりになっていた。


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