小説『残照』

知佳



image




2 暴かれた過去

 もう何を言っても無駄だと知った沙織は深夜、寝ていたふたりの子供を起こし事情も告げずひっそりと家を後にした。子供たちは子供たちで前回家を出たときの様子がただ事じゃなかったと子供心にも感じていたらしく素直にこれに従った。

 終の暇を告げたかったが逆上した夫は書斎にこもって計画を練っており、下手に声をかければ火に油を注ぐ結果にもなりかねない。そうなると子供にまで手をあげかねない。義父母には悪いことをしたと心で詫びたが遅かれ早かれこうなることは感ずいていたと思い、すでに休んでおられるのを無下に起こすのは止めた。したがって沙織たちが家を抜け出したことに老夫婦は気付かなかったのであろうと思われた。

 沙織はひたすら悲しかった。
本当の理由を告げれば、それはそれで傷がもっと深くなるかもしれないと思った。それならいっそのこと自分一人で罪をかぶれば済むことだと以前は考えていたが、まさか育ててきた子供にまで憎しみに歪んだ牙を向けられようとは思わなかった。
だからこそ前回家出した折にこうなることを予測して実家に子供を連れ帰り子供たちを里の親に預け、沙織だけある場所に出向こうと前もって極秘裏に下準備はしてきたつもりだった。

 沙織の頭にあったのは子供たちの安全確保だった。
自分の子として認めようとしない夫は、深夜に脱出した子供たちを見つけた場合、沙織と同等かそれ以上の仕打ちをするであろう。安全を考えてくれるほど甘くはないことはその眼を見、言葉を聞いていればおおよそ見当がついた。
何も知らない子供たちと無事に暮らしていけたらと、一縷の望みをこれから向かう場所で出逢うことになるであろう相手に託した。

 幸いなことに家を出た日も含め行程中は天候に恵まれ寒い中ではあるものの野宿しながら徒歩で向かうに命の危険が伴うほどでもなかったと、気づかぬうちに逆上してしまっていた沙織は今更ながら安堵したが後になってこれが命取りの行脚になってしまうのである。

 一行は追跡を避けるため裏道を抜け目的地に向かった。幸いなことに子供たちはこれを遠足とでも思ったのか途中歌を歌うなど和やかに進むことができた。
長男の健太は終始健気に自分で歩いてくれた。奈緒は疲れたころを見計らい何度も沙織が背負って歩いた。着の身着のまま逃避行しているとはいえ、そこは前回の轍を踏んで用意周到 防寒用の衣服もあれば食用も水もあるのだ。しかし今回は完全な家出なので荷物は相当量になった。その上に5歳の子供を背負って歩くのはさすがに女には苦痛を伴った。

 新三郎はすっかり妄想に取りつかれ、もはや人とは思えないほど冷徹になりきれていた。一晩のうちに妄想は胤の違うであろう子供にまで及ぶかもしれないほど凝り固まっていった。自身も不貞を暴こうとすれば別れる羽目になりえるであろうし苦悩するであろうことなどすっかり頭から消え失せ、ひたすら妻を寝取った男どもへ断罪を下す優越に酔いしれていたからだ。

 男どもにしてみれば高々新三郎ごとき養子にもらわれてきて艱難辛苦を味わい、やっとエリートコースに乗れたことなど大した問題ではなく、いまは男としての優劣が全てと見下されあしざまに見捨てられることになった。と、こう考えていたのだ。
貸し出した妻が他人棒に苦悶する姿を観て奮い立たせ、行為を終えた妻をその場で甚振るなどという寝取られ願望・凌辱の夢より法的に不貞を働いた断罪を衆目の元下すのがもっと快感につながるであろうなどと勝手に思い込んでいた。

 朝になり沙織と子供たちが消えたことを確認すると益々怒りが募った。あれほど我慢に我慢を重ね家に住まわせ気を使ってやったのに泥棒猫のごとく用が無くなればだまってさっさと立ち去る。それが余計に許せなかった。この怒りが新三郎をしてある計画を実行に移させた。

 家を出て行ったということは裁判に勝つ何かがあるからだと勘ぐった。このうえまだ自分が努力して築き上げた財産を横取りし胤をつけた男に貢ぎたいのかと怒りが募った。それならその前に確証を掴まなければと暁暗であるにもかかわらず先走った。

 両親が聞けば絶対反対したかもしれない探偵屋を使っての調査をと、独断でイの一番に連絡を取ったところからして異常だった。
名家であるならそれなりの弁護士にお願いし、問題の解決に当たるのが筋のところを不貞・不倫という屈辱的な部分だけで頭に血が上り思い知らせてやろうという歪んだ考えの揚句 餅は餅屋 不倫に似合いの探偵屋に決めたのだ。

 恐らくお金がモノを言ったのであろう。依頼を受けた翌日から探偵は動いてくれた。
事件の内容が不貞捜査であることからして探偵事務所はいつも行う不倫調査のつもりと軽く受け流しノウハウ通りしらみつぶしに男女が不倫の際良く使うホテルに目星をつけ嗅ぎまわった。
それと同時に、写真を元に似顔絵を作らせて聞き込みして回ったが、なぜか空振りに終わった。そこでこれまでに手掛けた失踪事件でよく行う、婦人の足取りを日常の行動範囲と思われる各所から洗う折に使う防犯カメラの映像で追ってみたものの、これも全く手がかりがなかった。

 どの聞き込みも判で押したように沙織は同じ店に立ち寄り、ひとりで買い物を済ませるとそのまま家路に向かっていて、北里家の周囲に取り付けてある防犯カメラにもその出入りの際の姿が正確無比に映っており疑う余地は皆無に思えたのである。

 このことから普通に言うところの欲情にまみれた不倫の男女関係の線は消えた。もしも男女が不倫の関係にあったとしたならば欲情から頻繁に連絡を取り合って出逢いを繰り返すであろうはずで、その姿は誰かが必ず目にしているものだが、今回の事件に関して言えばそれは一切なかった。
同窓生などにも聞きまわったが学生のころから沙織には浮いた噂のひとつもなかったのである。

 深窓の君というにふさわしいほどに結婚を機に外部との付き合いはプツリと途絶え皮肉なことに貞淑というにふさわしい生活をただただ淡々と繰り返していたことがこれで証明された。
その世間を知らないはずの女が幼子ふたりを連れて家を出たということは外部に必ず協力者がいるであろうと思って街道沿いでの割り出しに全力を挙げたがどこで聴いても誰に聞いても足取りはつかめなかったし協力者も見つからなかった。

 それよりなにより、深夜に忽然と消えた親子の行先(方向)がまず思い当らなかった。前回飛び出した時には実家にまっすぐ向かっている。そう思って幾日も実家の周囲を取り囲んで人の出入りを監視してはみたが、ついぞ見つかることはなかったし、実家の様子にしても平日と何ら変わらないように見えたのである。

 深夜に自宅を出たといっても実家に帰るならバスとかタクシーを使っているはずなのに、その手の会社を訪問しても答えは黒だった。ここで実家に向かうという線は消えた。
知り合いを呼び寄せるとしたら電話をかけたはずだから記録の残っていそうなものなのにそれもなかった。

 「所長、この件は本当に不貞調査で本人と子供は家出したんでしょうね?」
問われた所長の水島真一も応えに詰まった。
「それじゃ村上さんよ、お前さんまさか依頼主が殺して遺棄し、それをわざと探させて時間稼ぎしてるとでもいうんじゃあるまいな?」

 「これだけ探して何一つ見つからない不倫調査なんて見たことも聞いたこともない。そうでしょう?見張ってたら相手は我慢できなくなってひょっこり顔を出す。それを報告するんですからうまい仕事、それが間違って殺人事件にでも発展したら事務所はいったいどうなるんです?殺人・遺棄の教唆ですよ。そうでしょ?」
「そうですよ、事件が解決しなかったら報酬ももらえない。このままじゃ事務所は潰れてしまいます。何かアイデアはないんですか?」
終いに事務員までこんな発言をする始末だった。

 確かに今は証拠もない、しかしこのまま姿をくらまし続けられるとは思えない。生きていたら必ず顔を出すか、死んでいたとしたら・・・
「俺はとんでもない事件に首を突っ込んだかもしれない」
水島真一は身震いした。

 捜査は暗礁に乗り上げたように思えたが、逆に不貞のきっかけがご主人側にあるとしたらと、村上という事務員の思わぬ発言で捜査は逆に依頼者を疑うことに事務所内の気持ちが傾き始めていた。
捜査が始まってすぐに気づいたことに、老夫婦と新三郎とのあまりにも似ない面構えが関係者に疑問を投げかけた。そこで、物は試しと新三郎の過去をまず洗い始めた。
北里家の縁者を辿って老夫婦に子供は生まれたことがあるのか聞き歩いた。そこで聞きつけたのが老夫婦には子がなく新三郎はどうやらもらい子のようだという噂を耳にした。養子になる前の新三郎はどんな生活をしていたのか、その調査が始まった。

 そしてとうとう行き着いたのが新三郎が孤児だったという事実で、苦労はしたもののかつて拾われた病院名をも探し出すことができた。
当時そこに勤めていた医師や看護師から事情を聴こうと思って聞きまわったが、秘密保持の観点から聞き出せないでいた。
ところがひょんなことから聞き込みが進展した。しつこく病院に出入りし関係者に付きまとううちに警備がこれを嗅ぎつけ邪魔をするようになった。当初面倒なやつらだと嫌悪したが、考えてみれば彼らが一番病院内の変化に気を回す職業だということに気が付いた。

 病院職員は口が堅かったが警備員はあっさりと当時のことを話してくれた。
話は実にまとまりがよく、こちらが気をまわして質問せずとも相手から勝手に事細かに話をしてくれた。怪訝に思ってきくと過去に美しい女性から同じことを聞かれ今回と同じように応えたところ大層喜ばれたから、多分あなた方も同じだろうと、こういう。
それを捜査員は沙織と見た。沙織も事情があって戸籍を調べるうちに養子の件に疑問を持ち警備員に行き着いたのではなかろうかと思ったのだ。

 そう思った時、自然と回答が出た。
今回の事件の依頼者は確かに研究者として優秀な男だ。
しかし妻の沙織はその上を行く聡明な女だったのではなかろうかと思った。そして何かを嗅ぎつけ、それが不貞を行う原因ともなったのだと仮説を立ててみると、後は簡単に答えが出た。何らかの理由で新三郎には胤がない、この一言だった。取っ付きの捜査はこの一点に絞られた。

 警備員の話によると2歳になる男の子は助けられた当時極寒の中に長時間放置され、しかも重篤な栄養失調のため肺炎を起こしており高熱をだしICUに入れられ完治までに相当な期日を要し、完治後も度々容体が悪化したので病院で長期間に渡って預かりとなった。
逆に小さな布団にくるまれていた次男は容体が安定しており健やかに育って早々に養護施設に移されたという。

 寒風吹きすさぶ中、幼いとはいえ長兄は弟を温めようと身を盾にして守ったからであった。

 そこで妻の沙織が通っていたレディースクリニックでこの事件のことを含め院長に追及したところ、あっさりと新三郎には胤がないことを認め、それでも子供が欲しいと奥さんから相談されていたと語ってくれた。
真実を追求したとはいえいかにも口の軽い院長だった。

 こうなってくると真実はひとつだった。
子種が欲しく、しかも極秘裏に妊娠したく人工授精ではなく誰かと定期的にナマで情交を持ったとしか思えなかったのである。
その沙織が子種を欲しがっているという情報を男はどこで手に入れ沙織を誘ったのか、それが問題だった。

 こればかりは前回の発言をきっかけに院長を脅してみても回答が得られるはずもなかった。
こうして時間だけが過ぎて行った。

 沙織たちは深夜自宅を抜け出し、沙織の記憶に中にある場所に向かって歩き続けていた。
タクシーに乗ったりバスに乗ったりすれば必ず足がつく。その場所だけは探偵や夫に知られたくなかったからだ。
それ以上に、家出する際 子供たちが後々北里家から受ける遺産相続問題のことを考えて金品は何も持ち出さなかった。

 これから親子3人が生き延びていくために必要な持ち合わせのお金を少しでも残そうと思うと歩くしかなかった。
野宿をしながら行き着いた先に地獄が待っていた。

 そこは人里から随分離れた山中に作られたある教団の集落だった。
集落と言っても一山丸ごと教団の敷地であり個々の家は叫んでも聞こえないほど離れており、万一一般の人たちが紛れ込んでもすぐには教団敷地とわからないように偽装がなされていた。
その中の一軒に沙織は子供たちを誘った。

 一戸建てとは言ってもそこは持ち主たちにとって隠れ家として使う小さな小さなバンガローだ。
沙織はこのバンガローに誘い込まれ健太と奈緒の胤を計算しつくしたうえで仕込まれたのだ。
出生の秘密を知っているのは、だから関係を持ったその男しかいない。

 もしも逃げなければならない時が来たら、迷わずここに来るしかないと沙織は常々考えていた。
だから最初に子供を連れて家を出た際、このバンガローに当面の非常食を秘かに担ぎこんでおいた。
逃げ込んでから3日後になって持ち主がひょっこり現れた。

 「しばらくだな、この子たちか?あの時の子は」
「違います。この子たちはちゃんとした・・・」
「へえ~ そりゃそうだよな。間違ったことをやっちゃ お屋敷の奥様の面目丸つぶれだからな~」

 沙織はドキリとした。平身低頭し、苦労の末ようやく太股を割ってもらったくせに男にはあの時の約束を守る気持ちなどまるでないとわかった。
健太と奈緒の孕ませ行為のときのやさしかった態度とは一変し、軽蔑の念が見て取れ、その欲情に滾った眼が入ってきたときから沙織の胸や足に絡みつくように向けられる。
思わず後ずさりした沙織の手首に男の太い手が絡まり強引に引っ張っり隅のベッドに放り投げた。

 「やめてください」
沙織が抵抗すればするほど男は欲情した目をギラつかせ躍起になって押さえつけにかかった。
「今更きれいごとを言うんじゃねえよ。ほ~れ、あの時のようによがり声あげてのけぞってみな、ちゃんと可愛がってもらいたいんだろう?だからここに来たんじゃねえのか?」

 連日の夫の責めと休みなく歩き続け疲れ切った細身の身体で鍛え抜かれた体躯の男に抵抗できるはずもなかった。
まるで調理される鶏のごとく足首を持たれ逆さ釣りにされたような格好で下着を剥ぎ取られ下腹部を子供たちの前で剥き出しにされた。
パンティーを剥ぎ取っておいて両足首をもって高々と上に吊り上げ剥き出しの下腹部に顔を突っ込んできて花弁を舌で弄りまわし始めたのだ。

 抵抗すればするほど責めは熾烈を極め、経産婦ならではの男女の行為に反応し始めた下腹部の羞恥に顔が歪んだ。
せめて性器だけは子供たちの前で晒してほしくないと蚊の鳴くような声で懇願しつつ男の要望通り僅かに自由がきく右手を男の股間に伸ばし捻り上げるように擦った。かつて胤を貰い受けた時、こうしてあげたことで男はいきり立たせてくれたからだ。
それが沙織からすれば男根を欲しがる合図とみたのか男は沙織の足首から手を放しズボンを脱ぐとすっかり興奮し切った男を濡れ始めた沙織の膣に勝ち誇ったような顔つきで突き入れた。

 男と女の迎合など研究者の夫に仕えるため忘れていたはずなのに醜いほど身体は男を求め忘れていた膣の感覚が男根を狂喜して迎え入れている。怯える子供たちの前でひとつがいの牡と牝が織りなす獣のような交合が覗き見られつつ始まってしまっていた。
沙織も子供を産み相変わらず細身ではあるけれどその身体はすっかり熟成した大人の女になりきっていたことを今更に健常で屈強な男根を受け入れたことで思い知らされていたのである。
最初に健太を宿した時も、そのあと奈緒を宿した時もセーブしないまま女になりきればよいという安心感から男に組み敷かれ燃え尽きるまで快楽を楽しめた。それだけ沙織の躰は若く、男も猛り狂ってくれていて互いに性を貪り合えたのだ。

 女の躰とは不思議なもので、こうやって快楽にふけり神経が男根にのみ集中してしまうと外敵からの防御がまるで無くなる。沙織は貞淑な嫁でも女性でもなくなり一匹の牝になって膣を開発され尽くしてしまっていたのだ。

 それが今度は我が子の前で、あの時とまるで違う凌辱であり愛とは違うと思っても悲しいことに交合が始まれば依然と同様、いやそれ以上に遮二無二男根がめり込み膣内を掻き回し始めたことをヨガッたのだ。世間の噂通りやはり成熟した女として頭とは別に身体が、下半身が勝手に男根に反応してしまったのである。
沙織はそれが呪わしかった。
沙織は身動きできないほど弄ばれ不貞であるという後ろめたい気持ちと、それとは真逆の快楽に半狂乱になった挙句半ば気を失ってしまっていた。男は欲情をすべて吐き出すと親子が期待していた食べ物については無視し続け何も置かずにバンガローを立ち去った。

 沙織たち親子は、殊に沙織は犯されはしたが、最初に開かせようと苦悩してくれた時と同様に求める女のために何か持ってきてくれていると期待していただけにがっかりした。
それでも次に来るときには何か持ってきてくれるのではないかと、淡い期待も寄せた。
持ち込んだ食料がここに辿り着くころには尽きかけていたからだった。

 だが、男はその後も幾度か来ては沙織を子供たちの前で襲った。
男との行為が始まる予感がすると沙織は子供たちに外に出て遠く離れているようきつく言い放った。その目や口のききようはもはや母ではなく男根に飢えた一匹の牝となっていた。
男に抱かれている間に意図せずして発する淫欲な声や痴態を子供たちに見聞きさせたくなかった。ましてや男と欲情をむき出しにまぐわい、快楽を通り越し淫汁を滴らせる女性器が男性器に絡みつき濁流欲しさに媚態まで魅せつけ絞り上げる様子など見せたくはなかった。

 沙織は考えた。
男を、牝として欲情の限りを尽くして魅せ受け入れれば、乱れきり発情した女性器を他の男どもに渡す前に幾度も征服したくて何か運んできてくれるかもしれないと。
そして正にそのとおり、次に来たときにはなにがしかの食料を持ち込んでくれた。これに悲しいかな沙織は狂喜した。女としてひとりの男の心までも征服することができたと勘違いした。実際には飢えながらにして生きることの苦痛を、この裏切り女には与えたら面白かろうとわざと加減して食用を運んでいただけだったのだ。

 沙織はもうひとつ重大な計算ミスを犯した。
男が運び込んでくる食料は親子が食べるに十分でなかったにもかかわらず、組み伏せられた快楽の余韻から冷め切れず、困惑する子供の前で逆に男を虜にしたと有頂天になってしまって男には少ない食料を大盤振る舞いしてしまっていた。聡明な女であるにもかかわらず男根の前には直前に己や子供の死が迫っていることにすら気が付かなかった。
沙織は食べないようにして子どもたちに分け与えたが、それでも徐々に子供たちの体力は奪われ飢えが始まっていた。

 沙織は近隣の家々を回り食用を分けてくれるよう頼んで回ってみたが、そこは密教のような教団が居座る地である。どの家も門戸を閉ざし、まるで死人の村のようにみえ早々に諦めた。
飢えの症状は体力が一番弱い奈緒に真っ先に現れた。最初の数日起こったことは沙織が男に襲われたときのショックのうわごと・寝言かと思われたが、奈緒の呻き声が飢えの幻覚からきていることを知ってバンガローを後にし、一般集落目指して彷徨い出た。
このごろになると道端にある食べられると思えるものは何でも口にした。

 目的地に向かって子供たちに懸命に声をかけ歩ませようとするが、奈緒は時折道端でくるくる同じところを回るような行動をとりはじめていた。それだけ歩みはのろいものとなっていった。歩き続けていると河原からなんともよい香りがした。
ヤミで捕まえた稚アユを焼いて食べているところに出くわし、ついフラフラと歩み寄った。
近寄ってくる得体のしれない人物に男たちは最初物珍しげに見ていたが、それがまるで死人が歩いているように見え慌てて手荷物を抱え逃げ出した。

 残されていたのは火の中で串刺しにされた数匹の焼きかけの稚アユだった。
奪い合うように火の中に手を差し込んでそれを取りだしてやると、余程飢えていたのであろう、子供たちは貪り食った。気絶するほど燃え盛る炎の中に手を突っ込んだというのに、久しぶりに口にする食べ物に心を奪われ沙織は自身の手が焼けていることすら気づかなかったのである。
数日なにも口にしなかった胃の腑に一気に食べ物が供給された。

 それがふたりの死を早めた。
目の前の炎に吸い寄せられるようにふたりは倒れ込んだ。
勢いよく枯れたような躰に燃えていた炎につつまれふたりは息絶えた。

 それを見た沙織は狂乱した。
ふたりを救い出そうと自らも炎に飛び込み子供を掻き抱いたが思考はそこで尽きた。そのなかで肉の焼ける心地よい香りにあれほど我を苦しめた空腹も治まり香りの元となる我が子を愛おしそうに掻き抱いたまま息絶えた。




前頁/次頁




<筆者知佳さんのブログ>

元ヤン介護士 知佳さん。 友人久美さんが語る実話「高原ホテル」や創作小説「入谷村の淫習」など

『【知佳の美貌録】高原ホテル別版 艶本「知佳」』



女衒の家系に生まれ、それは売られていった女たちの呪いなのか、輪廻の炎は運命の高原ホテルへ彼女をいざなう……

『Japanese-wifeblog』










作品表紙

投稿官能小説(4)

トップページ
inserted by FC2 system