小説『残照』

知佳



image




1 廃屋となったバンガローへの道

 元来男とは前途洋々一国一城の主を夢見てそれに突き進む。 その完成形を第一のお宝とするならば第二のお宝は玉であろうか。

 北里新三郎の場合その玉が沙織だった。
ところが沙織は己の居場所の不安定さから夫や家族に知られぬよう誰彼無しに助けを求めた。不幸にもその相手は未だ拝んだことのないほど気高い玉を求めていた。行難快癒と見せかけ沙織の奥底に、それと悟られぬよう教祖様直伝の玉を仕込んで放免したのである。

 研究所からの連絡は北里新三郎が期待した日に来なかった。
数日が空しく過ぎた。
---私は間違っていたんだろうか。もし結果が悪い方に出た場合沙織が去るようなことにでもなったら・・・。

 男として不具者であるかの如く - 思い違いであったとしても -  追い詰められ妻である沙織の不貞の調査を依頼していた。今日まで貞淑な妻と一方的に思い込み棲み暮らしてきたが、東大卒の研究者としてのプライドにかけて望んだこととはいえ我が意に反し不貞を働いたかもしれないことをこの期に及んで責め、手元から去らねばならない結果を作ってしまったのかと思うと後悔の念が先に立った。

 その反面、夢にまで妻に向かって誰と寝たのだと激しく追及する自分が、今現在でも己の心の底にいる。
誰にも渡したくないほど恋しい妻だからこそ、その不貞が許せない新三郎。 が、そうなると子供たち、殊に長女まで一緒に追い出すことになるような気がし怯えた。

 罵倒し、崖っぷちまで追い詰めておきながらである。
しかしながら顔かたちが似ないまでも北里新三郎の胤だったとの結果が出て欲しい旨願う自分がそこにいる。
無音のまま10日が過ぎ、苛立ちから新三郎は研究所に向かった。研究所に強引に問い合わせ、それほどおっしゃるなら、今お話できるところまででよろしいなら説明しますと、こう言われたからだった。
「どうぞお掛け下さい」

 「改めてもう一度お聞きしますが、最初に貴方がここで述べられた内容にそぐわないかもしれない結果であってもお聞きになりたいですか?」
「・・ええ、それは・・」
そこまで聞いただけで北里新三郎は目の前が暗くなった。聴き方によっては妻がしでかした過ちは言葉のあやかともとれるが 「内容にそぐわないかもしれない」 とは取りようによっては結果が尋常ではないことをも匂わせている。

 「北里さんも研究者ならご存知とは思いますが、現代の医学技術ではDNA鑑定は絶対です。そこで血液のABO式、RH式、MN式についても検査しました。ABO、RHとも問題はありませんでしたが、MNではあなたがMで奥様がMNですが、残念ながらお子さんは双方ともN型です。絶対にありえません」
「そうですか・・・」
顔が青ざめ血の気が引くのが自分でもわかった。

 もしも考えていたことが当たってるとしたら妻の沙織は貞淑さを装いながらも如何にも何事もなかったかのように夫婦生活を送り、その実抱かれたい男がほかにいて、夫婦間で充実した時を過ごした直後、2度ともその男の元へ走り胤を宿しそれを自分たち家族に養わせ知らん顔をして過ごしていることになる。
「連絡を差し上げなかったのは他でもありません。思い直して頂けたらと真摯に願ったからです。あなたが先に私共探偵に調べさせ納得なさった上で更に確証を得るため聴きに来られるようならと、  そう 何もなかった、 その上で平穏に済ませたい気持ちになられた。だから聞きに来られた。 私共としましてはそう望んだからです」

 暗に男女間の性の問題と言っても、そこは冷静に考えれば胤の受け渡しの問題。研究者なら結果については行為がどの程度成就できたのかさえ分かれば、それ以降のことについては想像ができたはずで、ここに来られるのは心のうちの相談だけではなかったのかと問われているように聞こえた。

 「父権は否定されたわけですから離婚調停を開かれても勝てると思いますが、そうなると婚姻中の不貞ですので相手方も つまりW不倫なら相手方の奥様に対し 同罪か奥様以上に賠償が必要になるわけですから血縁関係を遡って調べることにもなりますが・・・」
思いなおさないかと言ってくれているようだが一体何を説明されているのか北里新三郎には語尾が聞き取れなかった。
「お世話になりました。ありがとうございました」

 やっとこれだけ言うと研究所を後にした。
周囲の音をかき消すように左の耳からキ~ンと耳鳴りが聞こえ悪寒がした。
真っすぐに歩もうとするのだが身体が右に斜傾し目標に向かって進めないでいた。

 結婚以来妻を目にするたびに湧き起こる寝盗られ妄想が、ここに至って隣で安らかな寝息を立て安堵の表情を浮かべ寝入る妻を見る都度膨れ上がり治まらず苦悩に歪んだ日々を送り続けていたからだ。

 男として夜の営みで妻を満足させてやり、その疲れから彼女が安堵して寝入っているなら納得もできようが、早朝から深夜に至るまで仕事し疲れ果てて帰り、食事もそこそこにベッドに倒れ込むようにして寝入ってしまった夫の脇で、貴方様と同じように働きましたとでも言いたげに安堵の表情を浮かべられても納得しようがなかった。

 ましてや北里家において嫁姑の仲は沙織が一方的に付き従ってるからこそうまくいってはいるが、所詮養子である新三郎は穏やかな気持ちで日々過ごせるわけはなかった。 福の面の奥底に般若の顔を持つ母、そのことは養子にもらわれここで暮らさねばならなかった新三郎こそ良く分かっていた。

 -- 妻を心の内で支えてくれる男が外にいる --

 結果を聞き、それが妄想ではなく現実に妻は延々ほかの男に躰の芯まで慰められ安堵させられ帰され、家に帰れば何事もなかったかのように貞淑を装って自分とも肌を重ねていたと思うだけで腑が煮えくり返った。
事実男根ではなく財力と権力ではあるにせよ  
これまで閨は威厳に満ちた男という形態で抑えこんだように思えた、それが全否定されたような気がした。

 暗雲たる気持ちで家路についた北里新三郎を玄関で真っ先に出迎えてくれたのが妻の沙織だった。
「お帰りなさい。お疲れ様でした」
表情は常と変らず穏やかだったが新三郎は無言のまま居間や食卓ではなく書斎に向かった。

 沙織が後に従った。
「もう一度聞くが、あのふたりの子供はいったい誰の子・・・」
確かにそう口にしたと思うのだが、問う声が震え、語尾などはボワンボワンと耳腔内で響き上手く発音できないでいた。

 「あなた・・・」
だが、聞き入る沙織の顔が生気を失うのがわかった。
「うそをつけ!」 妻の言うのを待たずして怒鳴っていた。
相手が何を言ったのか確かめるゆとりすら失って、もはやそれはわめきに似た声だった。

 「結婚以来これまで、貞淑を装いながら ずっとほかの男と関係を持ち2度も孕んで子を産み、それをこの家で育てさせてきた。普通の神経ではとても考えの及ばん度胸の据わった裏切りだ。化けの皮を剥がされることがなければこの先も同じことを繰り返していたんだろう!えっ そうだな!」
我慢に我慢を重ねた言葉が堰を切ったように口を突いて出た。

 「何かの間違いでは・・・」 
女というものほど恐ろしいものはないと、かつて何かの本で読んだことがある。
現に沙織は懸命にその場を取り繕おうと努め同じ言葉で聞き返してくる。

 「この鞄に頂いてきた資料が入っている。それをよく読んでから言いたいことがあれば言え」
先ほど研究所から頂いた資料が入っているその鞄を沙織の前に投げて渡した。
こともあろうに床に落ちた資料を拾い上げると沙織は一心にそれを読むフリをしたのだ。

 「ねつ造文書だというんじゃあるまいな」
沙織は文書から顔を上げなかった。
「言ってません、そんなことは一言も・・・」

 「じゃあ聞くが、この文書にある男とはいったい誰のことなんだ?」
「何度も応えてきたじゃありませんか。もうこれ以上何も申し上げることはございません」
「この期に及んで、今度は黙秘権か?これほど証拠がそろっていながら裁判にでも持ち込もうというのか?」

 「裁判は行いません。貴方の言い方ではわたしが子供を連れてこの家から出ていけば済むことなんでしょう?」
沙織は顔を上げ新三郎を見つめた。
「北里家のお考えはよくわかりました。ご迷惑をおかけしました」

 この段になっても新三郎は己が知らずやったこととはいえ沙織をないがしろにしてきたことに気づかないでいた。
例えば沙織と付き合い始めた頃の新三郎はどうだったかというと、
許しを請うて太腿を割るのに、それはそれは難渋したものだ。

 紙切れ一枚の差とはいえ、夜になるとそれが当たり前のように開いてくれ味わえた。
時が経つにつれそれは恒例の行事のようになると新三郎にとって新鮮味が薄れ、閨に入ってくる妻を疎ましくさえ思うようになった。

 沙織はというと、その行為自体魅力はさほど感じなかったのであろうが、何と言ってもそのことで夫は益々出世し財を持って帰ってくるようになり、そのことが開いたことへの感謝・恩賞に思えるようになったのであろう。

 つまるところ夫は時が経てば妻を飯炊きと思うようになり、妻は夫を夢をかなえてくれる利器と思うようなるに至り、肝心な部分は外へ求めるようになった。 新三郎に言わせればこういうことになる。

 「勝手なことは許さん」
「ではどうしろと?」
「これは研究所からも進められたことだが探偵を雇う。彼らにすべて調べさせ、寝取って胤を仕込んだやつに慰謝料を請求してやる」



次頁




<筆者知佳さんのブログ>

元ヤン介護士 知佳さん。 友人久美さんが語る実話「高原ホテル」や創作小説「入谷村の淫習」など

『【知佳の美貌録】高原ホテル別版 艶本「知佳」』



女衒の家系に生まれ、それは売られていった女たちの呪いなのか、輪廻の炎は運命の高原ホテルへ彼女をいざなう……

『Japanese-wifeblog』










作品表紙

投稿官能小説(4)

トップページ
inserted by FC2 system