もえもえ 発火点

Shyrock作



第40話「最後の電話」

 いつでも会うことのできる“近距離恋愛”が始まったことで、もえもえは恋愛を心おきなく楽しんだ。
 平日夜のデート以外も、土日は親をうまく言いくるめ外泊することもしばしばあった。
 ましてや10月はもえもえの誕生日もあるので、イベントも準備し二人は大いに盛り上がった。
 デートが度重なると洋服やアクセサリー等の替えが欲しくなるのが女心というものである。
 ベッドではできる限りセクシーさを演出して一平を喜ばせたいからランジェリーも枚数が欲しい。
 だけど入社してまだ日も浅く、薄給のもえもえとしてはそれほど金回りがよいわけではない。
 休日の朝、もえもえは今日のデートに備えてランジェリーボックスを開いて下着を眺めていた。

「薄いピンクはこの前穿いたばかりだし、水色のコットンもその前のデートに穿いて行ったし、う~ん、どうしよう。弱ったなあ……。やっぱり昨日、帰りに下着屋さんに寄って買っておけばよかった。でも今月はちょっとピンチだし……でも今日のデートはやっぱりセクシーに決めたいし……どうしよう……」

 もえもえは独り言をつぶやきながら、ランジェリーボックスの奥を覗いた。

「あ……これは俊介に買ってもらった下着だ……」

 もえもえは黄色でエレガンスな小模様を施したブラジャーとショーツを手にとった。

「俊介はよくランジェリーを買ってくれたなあ。私が着るのをすごく楽しみにしてくれていた……。でも一平はランジェリーショップの前を通っても素知らぬ顔……同じ男でも違うものだなあ……」

 俊介は別れ際もえもえに対し、「僕が買った下着は彼の前では着けないで欲しい。それだけはぜひ約束して欲しい」と言っていた。
 しかし俊介と別れてから1カ月が経過して、もえもえの脳裏から俊介の言葉は早くも薄れかけていた。
 否、正確にいうと忘れてしまっていたわけではないが、もえもえとしては元彼が買った下着を現在の恋人とのデート時に着用することへの罪意識など無いに等しかった。

「よし、今日はこれを着けていこう。俊介に買ってもらったってことなんて一平は知らないんだから別に構わないじゃないの。ね?」

 もえもえは自分にそう語りかけた。

「あっ、そういえば一平はカメラが壊れたから私のカメラを持ってきて欲しいと言ってたなあ」

 もえもえは就職祝として俊介に買ってもらったデジカメを引出しから取り出した。
 動画も写せる最強のアイテムだ。
 俊介と別れて1カ月が過ぎ、彼女の心に残っていたかすかな罪意識も早くも薄れかけていた。

「うふふ、今日は帰りにホテルによって、エッチな写真を撮ってもらおうかなあ。うふ、楽しみだなあ」

 元彼からプレゼントされた下着を身に着け、デジカメをデートに持参した。
 そんなもえもえの内情など何も知らない一平は、そのデジカメでもえもえのあられもない姿のシャッターを切り、そして愛らしい黄色の下着を脱がせた。
 知らぬが仏ということわざがあるが、今の一平はまさにこのことわざにピッタリ当て嵌まる状況であった。

 その後、ルックスがよく人当たりのよいもえもえを、各部署の男性社員が放っておくわけがなくこぞって飲み会に誘った。
 誘われて断ることの少ないもえもえは快く飲み会に参加した。
 そんなもえもえの行動を快く思わなかった一平は当然不満を漏らした。

「明日、都合はどうかな? よい店を見つけたんだけど行ってみない?」

 今までどおり一平はもえもを誘った。

「あ、ごめんね、明日はダメなの。営業2課で打上げをやるらしいの。あそこの職場は女の子が明日香1人だけでしょう? だからいっしょに来て欲しいと頼まれてOKしちゃったの」
「また飲み会か……」
「行っちゃダメ?」
「いや、ダメとは言わないけどさ」
「じゃあ、いいのね?」
「うん……でも、ちょっと社内の飲み会が多過ぎない? 付合いも大事だけどさ、オレたちのことも考えてくれなきゃ」
「うん、分かったよ……できるだけ断るようにするから」

 飲み会に参加して盛り上がると二次会に流れ込むことも多々ある。
 帰宅が深夜ということもしばしばあった。
 人付き合いのよさが、俊介の時と同様に一平を不安にさせたのだった。
 何度も飲み会に参加すれば、当然個人的にアタックしてくる男性も多くなる。
 飲み会で「恋人がいる・いない」が話題になっても、一平が彼氏だということを言えないもえもえは、「彼氏はいない」と偽ることもあった。
 もえもえを密かに狙う男たちは、「今がチャンス」とばかり、彼女にモーションを掛けてくる。
 飲み会を重ね、やがて顔見知りになると、熱心に頼まれたらメールアドレスや電話番号を教えないわけにはいかないものだ。(本作品の時代にはLINEが存在しなかった)
 もえもえは数人の男たちにメールアドレス等を教えた。
 飲み会でメールアドレスや電話番号を聞いて来る男の魂胆はおおよそ決まっている。
 チャンスさえあればもえもえを個人的に誘いたいと思っているからだ。

 営業2課に山下義信という年齢26歳の男がいる。
 身長は170cmと小柄な方であったが、彫りの深い顔立ちの一平とは異なり、和風顔で少しひょうきんな一面があった。
 もえもえからの印象もすこぶるよかった。
 そんな彼からメールがもえもえの携帯に届いた。

『若葉さん、この前は飲み会おつかれさまです。帰りに出口でずっこけた山下です。ズバリお願いなのですが、もし良かったら僕とメールしませんか? 暇な時だけで構いませんので』

(ん? 山下?? ああ、あの人ね? うふふ。メール交換か……どうしようかな? まあメールだけならいいか。一平には黙っておけば分からないことだし)

 もえもえは山下と密かにメール交換を始めた。
 メール交換を始めて数日後、山下からデートの誘いがあった。

『若葉さん、僕とデートしてくれませんか。寝ても覚めても若葉さんのことばかり考えてしまって……。もし彼氏がいるのであれば1回だけでも構いませんので、僕の願いを聞いてもらえませんか?』

「うふふっ、寝ても覚めてもって……」

 見え見えのくさい台詞をささやかれたとしても、悪い気分はしないものである。
 むしろ自分のことをそれほどまで想ってくれているのかと思ってしまう。

(どうしようかな? 1回だけデートしてみようかな? いややめておこう。私には一平がいるから)

◇◇◇

 それから2年の歳月が流れた。
 もえもえは久しぶりに俊介が運営しているホームページを覗いてみたところ、自分の画像がまだ掲載されていることに気づいた。
 もえもえは画像を削除してくれるよう俊介に依頼のメールをした。
 画像は早々に削除され、俊介からお詫びのメールが届いた。

 それから数日後、俊介の携帯にもえもえからの電話があった。

「元気? 久しぶりに声を聞くね。昔とちっとも変ってないじゃないか」
「うん、元気だよ。俊介も元気?」
「うん、元気にやっているよ。その後変わりないか?」
「う~ん、かなり変わったよ」
「何が変わったの?」
「わたし結婚したの」
「えっ!本当か!?」
「うん、本当」
「彼とか……」
「うん、そう」
「そうだったんだ。よかったね。おめでとう!」
「ありがとう」
「もしかして子供も生まれたとか?」
「うん、一人いる」
「ええっ!!えええええええ~~~~~~~~!?」
「もう、そんな大きな声を出すと周囲の人がびっくりするよ~」
「いいや、今大きな道路を歩いているから大丈夫」
「仕事は順調?」
「うん、しっかりと儲けているよ」
「それはよかった」
「こうして会話をすることはおそらくもうないと思うけど、もえもえ、幸せになれよ」
「ありがとう。あの時は色々ごめんね」
「いいよ、それはもう忘れて。過去のことは忘れて未来を見つめてね」
「うん、でも俊介のことは忘れないよ。今の自分がいるのは俊介がいたからだよ……」
「もえもえ……」
「じゃあ、元気でね」
「うん、絶対に幸せになれよ」
「ありがとう……じゃあね」
「じゃあ」

 携帯を胸ポケットにしまうと俊介は谷町筋を南の方向に歩いて行った。
 そんな俊介の肩に色づいたイチョウの葉がひらりと舞い落ちた。







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