第1話「蔦のからまる屋敷」

 まだ昼過ぎだというのに、朝から降りしきる雨のせいで、夕暮れのように薄暗くなっていた。
 凛とたたずむ屋敷に小降りだが切れ目のない雨が降りそそぐ。
 やがて雨が降り止みわずかな静寂が訪れたとき、女性のすすり泣くような声が聞こえてきた。

◇◇◇

 二千平方メートルを超える広大な敷地にはブナやケヤキ等樹木が密生し、まるで深い森にでも迷い込んだような雰囲気を醸し出していた。
 敷地内には煉瓦造りの屋敷があり、外壁には縦横無尽に伸びた蔦が不規則に絡み合っている。
 その景観はエキゾチックで重厚なたたずまいといえたが、反面どこか陰鬱な気配を漂わせていた。

「お願いです、もう許してください……」
「許してくれだと? ふん、それならば正直に言いなさい」

 屋敷の東側にある書斎から男女の声が漏れてきた。
 女の声は蚊が鳴くように弱々しく、男の声は錆を帯びた野太い声であった。
 書斎には採光が十分に確保できるだけの大きな窓があるが、カーテンが閉じられ、鍵がきっちりと掛けられていたため、外界とは完全に遮断されている。

 書斎内にはひとりの美しいメイドが着衣で後手に縛られ、初老の男の前で辱めを受けていた。
 初老の男は坂巻泰三といい、今年六十三歳になる。
 坂巻家は約八百年の歴史を誇り、大昔は豪族として名を馳せた由緒ある家柄であった。
 今なお莫大な富を有し、代々多くの議員や実業家を輩出してきた。
 現在、泰三はこの坂巻家の当主であり、坂巻グループの会長を退いた今も『実業界のドン』として君臨している。
 泰三は桁外れの好色家であり、すでに他界した妻の元気な頃から女性関係が盛んで常に妻を悩ませていた。

 メイドは名前を『めぐみ』といい、現在十九歳になる。
 十六年前、めぐみがまだ幼い頃、貿易会社を経営していた父親姉小路健一が土地の売買で騙されるという憂き目に遭ってしまった。
 悲嘆に暮れた姉小路健一は自殺を図り、母親の志摩子までがノイローゼに陥り自ら命を絶ってしまった。
 当時、姉小路健一の会社の筆頭株主であった泰三は、一人残された娘のめぐみを不憫に思い、引き取って養うことにした。

 その後、泰三はめぐみを我が子同然に可愛がった。
 めぐみが高校生になる前日までは……

◇◇◇

 やがてめぐみが高校生に進学した頃から、泰三のめぐみを見る目が次第に変化していった。
 そこには年々美しく成長していき、魅力ある女性として変貌していくめぐみを『一人の女』として見つめ始めた男の姿があった。
 泰三の妻が他界したことで彼に歯止めをかける者がいなくなり、色事をさらにエスカレートさせていく要因となってしまった。
 めぐみが十五歳になった時、泰三は彼女の寝室に忍び込み、激しい拒絶をものともせず彼女の純潔を強引に奪ってしまった。
 めぐみは泣いた。
 泣き続けた。
 幼い日から父親代わりに育ててくれた泰三を信頼し、敬いもしていた。
 しかしその信頼は一夜にして、はかなくもガラスの城のように砕け散ってしまった。
 めぐみは泰三に裏切られたことが悲しく、恨めしくさえ思った。

 幻滅……
 悲嘆……
 絶望……

 めぐみが悲劇的な破瓜の儀式を終えてからというもの、泰三はめぐみの辛い心情を察してやることなどなかった。
 いや、それどころか、めぐみに対する凌辱は日を追って激しさを増していった。
 めぐみが激しく抵抗したときなどは、縄で縛りつけて強引に犯すこともあった。

 めぐみは高校を卒業した後も外には出してもらえず、坂巻家のメイドとして働くことになった。
 大学進学はかなわなくとも、就職は承諾してもらえるものと思っていた。
 だがそんなわずかな望みすら叶えられることはなかった。
 泰三は嫉妬深く、警戒心の強い男である。
 美貌のめぐみを外に出すことで、外部の男性との接点が生じるおそれがあることから、泰三は彼女を外に出すことを頑なに拒んだ。

(めぐみは美しい。もし進学や就職をさせて、外で悪い虫でもついたら大変だ……)

 泰三は思惑どおりめぐみを家内に引き留めたかに思われたが、意外にも綻びは内側から起きた。
 内側とは……それは泰三の長男俊介の存在であった。

 めぐみと俊介は血が繋がっていないとは言っても、二人は幼い日からまるで実の兄妹のように中睦まじく暮らしていた。
 まさか二人が恋仲になることはないだろう、という慢心が泰三の心の中にあったことは確かであった。

 だが、そんな思いなどいとも簡単に崩れ去ってしまった。
 めぐみが思春期を迎えた頃から俊介に想いを抱いていたことは確かであったし、俊介自身もめぐみに対して義妹への愛情とは違った別の感情が芽生えていた。
 しかしふたりは泰三への気兼ねもあって、決して一線を越えることはなかった。



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