『モスコミュール(改)』
Shyrock作
|
「そういえば、もう随分恋をしてないな」
俺はそう言ってグラスの中の氷を軽く回して水割りに口をつけた。
「そうなの」
バーのカウンターに並んで座っているまりあは、同意とも疑問ともとれない、あいまいなアクセントでそう言い、グラスから軽くモスコミュールを口にふくんだ。
それは金曜日の夜だった。
外では初冬を告げる凛とした空気が漂っている。
「最後の恋はいつだったの」
「そう……、もう、2年になるかな」
本当は自分でもよくわからなかった。
ただ、少なくとも、最近漠然と恋をしていないと思うようになっている。
「誰が最後なの」
「いや君は知らないよ、その子を」
「そう」
いや、たぶん知っているはずだ。
少なくとも俺達と同じ会社の子だった。
いくら気兼ねのない同期のまりあと言っても、そこまで話したくなかった。
「でも、恋なんてしたいと思ってするもんじゃないわ」
「まるで十代の会話みたいだね」
「うふ、本当だね。とても、おじさん・おばさんの会話じゃないわ」
「俺はまだ子供だからな」
「それじゃ、私だけおばさんみたいじゃないのよ」
「その年で結婚してりゃ完璧におばさんだよ」
「もう、俊ったら~、相変わらず口が悪いわね」
「あぁ、すまん、すまん」
まりあから誘いの電話があったとき、休み前の金曜日だというのに何の予定もなかった。
別に珍しい事でもなかったが……。
まりあとは同い年。俺よりも数ヵ月年上だからおそらく三十になっていると思う。
今日はふたりだけだが他に数人同世代の仲間がいる。
三十?三十路?言い方はいろいろあるが、三十は三十だ。
適当な言葉はないにしても、それは、目の前に立つ大きな意識の壁には違いなかった。
最近の俺達の生活は、互いに三十になったらどうのこうのと言い合いながら、三十になるという精神的な苦痛を少しでもやわらげようと馬鹿騒ぎしている、そんな気がしている。
そんな中で、今日も無為に酒を飲んでいる。
今日はいつものように一軒目焼き鳥屋で会社の悪口を言いあい、まりあが広報という立場(?)で集めた社内の様々なエピソードを焼酎で笑い、そして、二軒目いつもならカラオケでも行くのだが、ふたりだったせいもあってバーに落ちついた。
「なんか、今日、少し暗くない?」
「そう?そうだな、最近、少しセンチメンタルになっているかも……」
「似合わないわ」
「そうか」
「うそうそ。みんな知ってるわ。俊がセンチメンタリストだってこと」
「この間、本社に行った時、たまたま、受付の山本さんの辞める日で、偶然泣いている彼女に会って……。なんていうかな、そう、久しぶりに女の子の涙を見て……。別に山本さんがどうのって事はなかったけど、目頭が熱くなって、その時かな、最近、泣いてねーなって。……………… や~めた。今日、俺飲み過ぎたみたいだ~」
「私も……。私も何となく最近そうなの」
「たぶん、その時の感情はいつまでも変わらない、メリハリのない人生になってる。そんな感じだ」
「私の場合は、結婚しちゃって、まだ時間経ってないけど、もう、何にも簡単に変われなくなったっていう気持ちが強くなる一方」
「それとは少し違うんだが……、なんて言えばいいのかわからない」
時間はもう十分遅くなっていた。
彼女が、また、今の自分に戻らなければならない時間になっていた。
「とにかく、俊、もう一度純粋に恋する事を考えてみた方が良いよ。きっと、それが良い」
「そうだな」
時計の針が十一時を回ろうとしていた。
「私、そろそろ行かないと」
「俺、もういっぱい飲んで行くよ」
「そう、じゃあまた」
「うん、またね」
彼女は店をでるとき彼女は振り向き軽く手を振った。
俺も軽く手を上げて答えた。
(純粋にか……)
今の俺は純粋さを取り戻すには歳を重ねすぎているように感じた。
いや、将来、ある年齢に達した時に、あるいは純粋さを取り戻せるかも知れないけれど、少なくとも三十歳という歳のこの感情は取り戻せないと感じていた。
もうすぐ、冬がやって来る。
昨年は行けなかったけど、今年こそは大好きなウィンタースポーツを復活させなきゃ……。
もしかしたら、いいことあるかも知れないし。
グラスを飲み干しテーブルの上に置いた。
先ほどまで窓の外で降りしきっていた初冬の冷たい雨がいつのまにか消えていた。
完
自作小説トップ
トップページ