
病気で奥様を亡くしたある金持ちの父娘のところに、新しい奥様がやって参りました。
娘にとって新しい奥様は「継母」、そしてその二人の連れ子は「姉」となりました。
継母と、二人の姉は容姿こそ美しいけれど、心は醜く歪んでおりました。
父は継母と二人の姉たちに手懐けられ、憐れ娘は下働きのようにこき使われて、口惜しく、寂しい時を過ごすのです。
そう、彼女の綽名(あだな)は「シンデレラ」。
そんなある時、突然の好機(チャンス)が訪れます。
その国の王様が王子様の花嫁を決める大舞踏会を開くと言うのです。
国中はもとより、近隣諸国の娘たちは挙って着飾り、「我こそは」とキラキラした希望と、ドロドロした野心を燃やしました。
でも、シンデレラには儚い夢。
着て行くドレスも、馬車もないのです。
更に意地悪な継母と二人の姉が酷い仕打ちを致します。
可哀想なシンデレラ。
と、その時、亡きお母様の優しい魔法が彼女を救います。
高価なドレス、その場の誰よりも美しく優雅なその姿。
王子様は一目で彼女を好きになります。
でも、待って!彼女の魔法は0時まで。
この鐘が鳴り終われば、彼女は元の惨めな小間使い。
台所のかまどの隅で、灰にまみれて暮らすのです。
彼女の希望はガラスの靴。
王子様、どうぞ私を見つけてください。
彼女はぼんやりと白木の祭壇を見つめていた。
中央に微笑むのは彼女の母親。
黒いリボンの奥で優く微笑む寂しい顔。
「いつもあなたを見守っているからね。いつも一緒にいるからね」
母親は、そう言って死んで行ったっけ。
奥座敷では今も騒ぎが続いている。
「社長に愛人? 隠し子までいたなんて…」
聞きたくもないそんな話し声が、彼女の耳にも届いていた。
彼女は黙って庭に出た。
庭のずっと奥、ハシバミの樹の陰に隠れた離れが母の部屋だった。
元々病弱で、影の薄い、儚げな人。
子供心にも、そんな母の姿を憐れに思った。
まわりの大人達に見つからぬように、そっと彼女はその部屋に忍び込んだ。
鼻に付く消毒薬の匂い。
部屋の奥にこじんまりと佇む桐の衣装ダンス。
「いつかお前が大人になったら…」
そう言っていた包みを彼女はそっと取り出した。
父の愛人、今では戸籍上、彼女の母親となった若い女は、二人の子供を連れて、四十九日も待たずこの家にやって来た。
「よろしくね」
父に紹介され、媚びた笑いを浮かべた継母の後ろでは、彼女より若干年上と思われる少女が二人、ニヤニヤ笑いを浮かべながら突付きあっていた。
彼女は返事もせずに居間を出た。
もう既に、自分の占めるべき空間ないことは知っていた。
最初こそ彼女に気を使っていた継母が段々とこの家の女主人を気取り、その二人の娘が彼女の父を「パパ」と呼び、彼女の知らないところで一家団欒を囲んでいる事も知っていた。
「あなた、あの子も呼ばないと…」
「放っておきなさい。あれは変わり者なんだよ」
「そう仰っても…」
「あれの無愛想で可愛げのない所は死んだ母親そっくりだ」
「まあ、そんな事仰っちゃ…」
「それに比べて、お前の連れて来た娘たちの可愛いこと」
父親は継母の二人の娘に頬擦りする。
「うふふふふ」
「あはははは」
「ほほほほ」
そして夜、父親は「男」に、継母は「女」に変わった。
「あんたなんて、パパの子供じゃないわ」
「パパはあんたより私達の方がずっと、ずっと可愛いって」
「あんたなんていなくなっちゃえば良いのよ」
「そしたら私達、ずっとこの家で愉しく仲良く暮らせるわ」
「愚図で薄汚い陰気臭い子」
「学校に行っても、私達の側に来ないでよ。姉妹だなんて思われたくないわ」
少女達の無邪気で残酷なおしゃべり。
そんな彼女が15で家を飛び出したとしても、何の不思議があるまい?
卒業式も待たず、小さなバック一つで飛び出した少女を待っていたのは、穏やかで容赦のない現実と寂しい虚ろな欲望だった。
さ迷い出た街で彼女は初めて男に抱かれ、少女は娼婦になった。
そして彼女は成長し、自分が愚図でも、薄汚い女でもないことを悟った。
そんなある日、新聞の片隅の小さな黒枠が、彼女を過去へと誘った。
父が死んだ。
幼い頃の思い出など犬にもくれてやりたい気分だが、それでも、「死」は特別な意味を持つ。
彼女は母の形見の包みを紐解いた。
夕暮れが迫っていた。
あの日と同じように、静かに開け放たれた中庭から射し込んだオレンジ色の光が白い祭壇を炙っている。
辺りは不思議にしんと静まり返っていた。
まるで家中死に絶えたようだ。
彼女はフッと可笑しくなった。
遺影という二次元の檻の中で、彼女の父親だった男が笑っている。
嫌な笑い。
彼女は眼を背け、逆光を受けた人影を見た。
「あの、皆さんは?」
人影は若い男の声でおずおずと尋ねた。
「さあ…。私が来たときにはもう、誰もいませんでしたから」
「そうですか、じゃあ、きっと斎場のほうだ。貴女も僕も入れ違いになってしまったようですね」
人がいた事に安心したのか、男は彼女に近づいた。
「失礼ですが、貴女は…」
そう尋ねた彼の唇を、彼女の唇が塞いだ。
不意に、彼女はそうしたくなったのだ。
父の前でこうする事が、一番の餞のように思われた。
刹那と言う名の永遠が時を止める。
息苦しいほどに濃厚な媚薬が辺りを満たす。
男の右頬に添えた手が、滑る様に下に潜む。
彼女の頭が不意に沈んだ。
男の口から、声にならない吐息が漏れた。
翳む視線を射る、真っ白い襟端、細いうなじ。
黒絹の艶やかな光沢、衣擦れの音。
「貴女は…」
そう尋ねる唇をもう一度塞ぎ、彼女は消えた。
残照を集めた、小さな塊が微かに光った。
言わば、甘美で緩慢な悪夢のような日々を、それから男は過ごした。
下請会社の社長の死。
その葬儀に遅れた自分に降りかかった、奇妙で淫らな誘惑。
彼女の唇、吐息、頬に触れた冷たく細い指、滑らかな白い首筋。
何もかもが、彼の頭を埋め尽くし、混乱させる。
彼女にもう一度会いたい。
彼は、手の中の塊を玩んだ。
唯一の手がかり、彼女の残した、小さな水晶の数珠。
彼は、偶然を装ってその家に近づくことにした。そしてそんな彼を、今では未亡人となった継母と二人の娘達はいそいそと出迎えた。
何しろ姉妹にとってもその母親にとっても、彼は格好の獲物。
後ろ盾を失った今となっては、残された財産など大した価値はない。
彼女達に必要なのは、今は勿論、未来永劫の富と快楽。
妹娘が挑発的にその腕を絡めれば、姉娘は気だるく足を投げ出し、女盛りのその母親は彼の耳元で囁く。
「さあ、誰がお好み?」
そんな淫靡に縺れた糸の果て、妹娘が死んだ。
葬儀の席、彼は期待をかみ殺し、俯いて待った。
待ったが、何も起こらなかった。
彼は受話器を取った。
次に姉娘が死んだ。
葬儀の席、今度こそはと彼の胸は高鳴った。
高鳴ったが、何も起こらなかった。
彼の手の中で水晶の数珠が囁く。
早く彼女を探して。
でも、金に明かせ、彼が探り出せたのは彼女の過去ばかり。
「現在」も「未来」も見つからぬまま。
彼は最後の賭けに出る。
彼はまた受話器を取った。
新聞の片隅、小さな黒枠。
外は雪、真っ白な雪。
水墨画のような風景に溶けこんだハシバミの枝が揺れる。
襖を開ける白い細い指。
衣擦れの微かな音。
彼女の目論見通り、王子はガラスの靴を持って国中を捜し歩きました。
ガラスの靴は姉娘の足を拒み、その指先を切りました。
更に妹娘の足を拒み、その踵を殺ぎ落としました。
そして彼女の小さな足にすっぽりと収まったとき、王子が歓喜の声を上げました。
「貴女こそ、ボクの本当の花嫁だ!」
そして二人は、末永く、幸福に暮らしました、か?
完