(第48話)



ありさと衣葡




第48話「デルタゾーンにあわび酒(1)」

 すき焼きが煮えている。
 じりじりと肉の焼ける音とともに、砂糖醤油の甘じょっぱい匂いが立ちのぼる。
 ふだんのありさなら食欲が高まっていただろうが、今は一向に空腹を感じなかった。
 凌辱加害者の殿井たちと同じ鍋を囲むことに、当然ながら抵抗があった。

 別荘での調理や洗い物はすべてありさと衣葡に押し付けてきた殿井だが、どういうわけかすき焼きだけは、すすんで“鍋奉行”を買って出た。
 ただし肉や野菜等の下準備はすべてありさたちが行なった。
 食器の数が足らないので、他の器も適宜転用することにした。
 四人掛けの食卓に椅子を一脚加えると、殿井は強引にありさと衣葡を座らせ酒の酌を求めた。
 俊介と悠太は食卓を囲むことは許されず、直に床に座り食事をとることになった。
 二人とも片足をテーブルにロープで繋がれているため移動はできなかったが、猿轡を外されただけでもささやかな解放といえた。

「そろそろ煮えてきたようだぜ。おい、ありさ、味見をしてみろ」
「ごめんなさい。あまりおなかが空かないので……」
「おい、俺が煮たすき焼きを食えねえっていうのか?」

 殿井が凄みを利かせる。
 取り箸をとろうとしたありさに、殿井が一喝する。

「取り箸なんて他人行儀なものを使うんじゃねえ。おめえの箸を使え」

 夫婦や気心が知れた友人なら構わないが、殿井たちと同じ鍋でしかも直箸なんて……
 ありさとしてはもっとも忌避したいことであった。

 すごすごと小さな肉の欠片を取り皿に入れるありさ。
 味見をしてみる。

「ちょうどよいです」
「そうか。じゃあ食おうか~。おい、酒をつげ」

 ありさと衣葡が三人の男たちのコップに日本酒をそそぐ。
 衣葡が、俊介と悠太にもすき焼きを持って行きたいと伝えると、殿井はすんなり首を縦に振った。
 衣葡は小鉢にすき焼きの具材を適当に盛り付けると二人のところに運んで行った。

「早乙女さん、ごめんね、大変なことに巻き込んでしまって。まさかこんなことになるとは……」
「彼らが去らないなら、一刻も早くここから脱出しなければなりません……」

 殿井たちの耳には届かないよう小声で答える衣葡。
 しかし、殿井たちに会話をしていることが悟られ、

「おい、衣葡、早く戻ってこい。酒が空になったぞ」
「はい」

 急いで戻ると、殿井が訊ねた。

「何を話していたんだ? つまらねえことをしゃべると、痛い目に遭うぞ」
「た、大した話はしていません。身体は大丈夫かと尋ねただけです」
「うん、分かった。酒をつげ」

 殿井が差し出したコップに日本酒をそそぐ衣葡。ありさとともに着衣が許されたので、衣葡は上が淡いピンクのキャミソール、下はクリーム色のワイドパンツを着用している。
 ありさと衣葡はまるでホステス扱いだったので、一秒でも早く食卓から離脱したかったし、すき焼きを味わう余裕等皆無であった。
 それでも少しは食べておかないと身体がもたないと思い、ありさたちはすき焼きに箸をつけることにした。
 味などしない……と思っていたが、溶き卵に牛肉を絡めて口に入れると、肉の脂の旨味と甘辛い味が絡んで、口の中で広がった。

(こんな地獄のような状況になっても、美味しいものはやっぱり美味しいんだ……)

 先程の衣葡につづき、今度はありさがすき焼きを小鉢に盛って俊介たちのところに運んだ。
 
「響生さん、ごめんなさい。私たちのせいでこんな目に遭わせてしまって……」

 ありさは俊介と目を合わしたが言葉を交わすことなく、まずは悠太に謝罪の言葉を述べた。

「いいえ、課長や奥さんのせいではありませんよ。でも何とか打開しなければ……」

 悠太は殿井たちの方に注意を向けながら、声を潜めて返答した。

「お酒を持ってきましょうか?」
「ありがとうございます。でもとても酒を飲む気分にはなれません」
「長話をすると因縁を吹っかけてくるので戻ります……」
「ありさ……がんばって……」
「俊介さん、あなたもね……」

 食卓に戻ると、殿井が手招きした。

「今、逃げる算段を話していたんだろう?」
「違います! そんなことを話していません。二人を励ましていただけです」
「正直に言え! 逃げる方法を打合せしてただろう?」
「してません」
「白状しなければ『わかめ酒』の罰に処する!」
「えっ……!?」

 崎野が横合いから訂正を求める。

「違うだろう? 陰毛がある女のデルタゾーンに酒をそそぐから『わかめ酒』だろう? 奥さんはパイパンだから、さしずめ『あわび酒』ってところかな?」
「がはははは~! 違いねえや!」
「逃げる話なんかしてません!」
「無理無理~、あれだけ長く話をしていたらそれ以外考えられねえだろう?」
「そんな酷い……」



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