第14話  佐緒梨を守れるのは……?



          12月 24日 日曜日 午後8時25分   野村 春樹


♪♪……♪♪……

突然、携帯が鳴き出した。
ロングスカートとブラジャーを身に着けた佐緒梨が、携帯を耳にあてながら何度もうなづいている。

「……うん……うん……わかった」

携帯をポケットにしまった佐緒梨の顔に険しさが増した。
その表情のまま、取り残された僕の服を手早くかき集めた。

「春樹君。早く服を着て! あの人が……あの男がこのアパートに向かってるって……!
今、お義母さんが……」

同時に、ギギーッって鳴いてドアがひらいた。
中に入って来たのは、さっきの女の人。
たぶん、この人が佐緒梨のお母さん? だと思う。

そして、もうひとり……
背の高い白い影が外の通路に立っている。

「坊や、すまないねぇ。まだ30分経っていないんだけど、ちよっとばかし予定が狂っちまってねぇ。
……で、時間がないから手短に話すよ。
佐緒梨はね、今夜から怖ーいおじさんの女になることになっているんだよ。
わかるかい? その意味が? そうさ、その男の性のお人形にされちまうのさ。
これからは、朝から晩までその男に、身体を玩具にされる。好きなときに好きなように、あの男に犯される……」

「お、お義母さん! もういい。そんな話、春樹君にはしないで!
わたしは……覚悟を決めてるから……」

「ふふふ、覚悟ねぇ……佐緒梨、勘違いするんじゃないよ。
あたしはねぇ、明日から新しい仕事を始めることにしたのさ。外にいる男と一緒にねぇ。
その時には、佐緒梨……あんたが足手まといになるんだよ」

「足手まとい……?」

「そうさ。だいいち、血も繋がっていない、籍も入れていないあんたの面倒を、これ以上みるなんて、あたしは真っ平ごめんだね。
だからと言って、未だに自分の立場もわかっていない住田に、あっさりとあんたを差し出すのも癪だしね。
……そこでだい。坊や。お前さんに訊くけど、佐緒梨の身体は気に入ってもらえたかい?」

取り敢えず下着だけを身に着けた僕に、その人は視線を向けた。
口調は刺々しくて険しいのに、目だけでそっと笑い掛けて……

「……はい!」

僕は、力を込めてはっきりと答えた。
ついでに、大きくうなづいてみせた。

「そうかい。……なら、決まりだね。はははは……」

その人は大声で笑った。
涙混じりの声で僕と佐緒梨の顔を交互に見比べながら、お腹の底から辛いモノを全部吐き出しているように、僕には思えた。

涙が溢れてくる。なんだろう?

あまりにも話が突拍子すぎて……
まるで見たこともない映画の世界に放り込まれたみたいで……
自分の一生を決めるターニングポイントが、前触れもなく突きつけられて……

でも、勇気も希望も溢れてくる。
なんでだろう?

優柔不断で頼りない僕だけど……
今まで、嫌なことや辛いことから頭を抱えて逃げ回っていた僕だけど……

僕と同じように涙ぐむ佐緒梨を見て、僕の身体の下で僕の全てを受け入れてくれた佐緒梨を、愛おしくて、命を賭けてでも守るべき人だと確信して……

そうしたら、下着姿のまま通路に飛び出していた。
部屋の中から佐緒梨の悲鳴に似た声が聞こえたけど、そんなの無視して、白いスーツの男の前にパンツとランニングシャツの姿で立っていた。

とっても怖いけど……
でも、とっても怖いおじさんから佐緒梨を守ろうとして……



やがて、キィーッって、荒っぽく車が停まる音がして、カタカタとだらしない靴音がアパートの外階段に響いて……
身体中が恐怖と緊張で凍りついて、奥歯がカチカチ鳴った。
冷たい北風に吹かれて、今頃になって自分の惨めな姿に後悔した。

パンチパーマの頭が揺れながら見えてきた。
浅黒い肌と細くて射すような両目が、空威張りする僕を見据えたその瞬間?!

誰かが僕を引っ張った。
白いスーツに身を固めた背中が、僕の前に立ち塞がっていた。

「よぉ、須藤のババァ。これは何の真似だぁ?!」

「あらぁ、住田さん。あいにくだったわねぇ。
あたしねぇ。今日からこの人と新しいビジネスを始めるの。
だからぁ、もう、あなたの言いなりにはならないわよぉ。ふふふっ、サリーもね……♪♪」

「なんだとぉ! このあまぁッ! 舐めやがって!」

男の声が殺気だっている。
メガネの奥にある視線が、佐緒梨のお母さんを睨んで、白スーツの男を見て、僕の全身をジロって眺めて、佐緒梨をいやらしい目で見つめた。

「どうしたのさ? ショックで動けないのかい。
この街を仕切ってた割には、案外だらしないんだねぇ」

「くッ、言わせておけば、いい気になりやがってぇッ! ぶっ殺してやるッ!!」

男が動いた!
叫ぶと同時に、2メートルくらいあった間合いが一気に縮まってくる。

「退けぇッ! 邪魔だぁッ!」

男は、立ち塞がる背の高い人を無視した。
一直線に、僕? 違う!
僕の腕を掴んだままの佐緒梨のお母さんに飛び掛かってきた。

「ひぃぃぃっっっ!!」

スーツが裂けそうなくらい勢いよく振りかざした拳に、僕は女の子みたいに悲鳴を上げた。
それは真っ直ぐにおばさんの顔めがけて打ち込まれていく。

バシッ! 

「なッ! なにッ?!」

鋭いパンチを、白スーツの男の左手が払いのけていた。
同時に、素早く身体をひねると、住田の鳩尾(みぞおち)深くに右手の拳をめり込ませた。

ドスッ!!

「うッ! うっグッぅぅっ!!」

まるで風。
一瞬のまばたきの間の出来事……

住田の身体が『く』の字に折れ曲がっている。
足元をふらつかせながら、胃液の混じった唾液を吐き出した。

強い! たった一発でこんな怖い人を倒してしまうなんて……

でも、それを見届けた途端、僕の腰から力が抜けていく。
目線がずるって下がって、「危ない」って言って佐緒梨が支えてくれた。
隣では、佐緒梨のお母さんが、やれやれって顔で溜息を吐いている。

「うっ、うう……だ、誰だぁ……てめぇ……」

「ふーん。私のことをご存じないとは……
では改めて。副島と申します。建刃会の住田様」

「そ、副島ッ?! 時田の……」

ハスキー声で話しかける男の氷のような冷たい表情。
凍りつかせそうな視線。

それを見上げた住田の顔から戦意が喪失していく。
見る間に青ざめていく。

「ええ、そうです。あなたの親分さんから、そっくりこの縄張りをいただいた時田グループの副島です。
以降、お見知り置きを……
……というより、覚えてもらう必要もありませんかぁ。
おそらく、あなたにはハッピーなクリスマスがやって来ないでしょうから。
ククククッ……神に見放されたあなたにはね……」

「た、頼むっ! 消さないでくれ……俺はまだ……」

「ククククッ……死にたくはないですかぁ? だったら、さっさとこの街を離れることです。
そして、2度とその顔を見せないことです。親分さんの顔に泥を塗ったその面をね……」

住田は、おぼつかない足取りで帰って行った。
もう、ここへは2度と来ない。
素人の僕にもそんな気がしていた。


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