第5話  近くて遠いイヴの夜




       12月 21日 金曜日 午前11時30分   野村 春樹


「……ということでだな。明日から冬休みだからといって、あまり羽目をはずすんじゃないぞ!
始業式の翌日から、実力テストが待っているからな。休みの間も、計画性を持って勉強するように!」

「起立! 礼!」

小うるさい担任教師が教室から出て行き、クラスの空気が一気に緩んでいく。
雑音のような歓声が教室のあちこちで沸き起こり、クラスのみんなが思い思いの行動を取り始める。

さっさとカバンに机の中の物を放り込み、帰り支度をしたり……
どうせ2週間経ったら嫌でも顔を突き合わせるのに、意味のない会話に時間を費やしたり……
午後からのクラブ活動に備えて、早速、弁当を頬張っていたり……

いつもの、それでいて終業式だけにある和やかなほのぼのとした雰囲気。

そんな中で僕は、頬杖を突いて外を眺める少女を見ていた。
まるで群れからはぐれた小鳥のように、窓際の席で寂しそうな表情を浮かべている。

「二宮さん……二宮佐緒梨(にのみや さおりさん……」

帰り支度を終えた友達が、「帰ろうぜ」と言うように僕の背中を叩いた。
それを片手を振って見送ると、定期的に彼女に視線を送りながら、ようやく僕も帰り支度を始めた。
じれったいほどゆっくりと、カバンに荷物を詰め込んでいく。
持って帰らなくてもいい物までカバンの隅に押し込みながら、彼女が席を立つのを待ち続けた。

やがて、教室の中から雑音が消えていき、机のほとんどが空席に変わった頃、佐緒梨さんの姿が消えていた。
僕がちょっと目を離した隙に? 違う!
ちょっとうつらうつらしている間に、窓際の席にいた彼女が風のように消え去っていた。

「そんな……嘘だろ……?!」

気が付けば、全力で走っていた。
手ぶらで、せっかく詰め込んだカバンも持たずに、下駄箱で慌しく上履きを脱ぎ捨てると校門へと駆けて行った。

走りながら何度も自分にバカと言って、ついでに朝から何度も練習した言葉をつぶやいてみて……
グランド横の道を走りながら、陸上の練習をする1年生で美少女と噂される、東条夏稀にちょっとだけ浮気しかかって、首をブンブン振って……

息が切れて、寒いのに玉のような汗が額から流れ落ちて、駅前の繁華街が近づいたころ、ようやく佐緒梨さんのキラキラと輝く長い黒髪が見えてきた。
聞き慣れた『ジングルベル』の音色が、止まり掛けた僕の身体を後押ししてくれる。

「二宮さぁーん!……待ってぇ……はあ、はあ、はあ……」

狭い歩道をごった返すように歩く人影の中で、彼女の足が止まった。
僕は呼びかける声にブレーキを掛けながら、彼女の前に回りこんだ。

突然、視界を遮った黒い影に、佐緒梨さんの表情が強張っている。

「はあ、はあ、はあ……やっとぉ……追いついたぁ……」

「の、野村君? どうしたの?」

「はあ、はあ……に、二宮さんに……さ、佐緒梨さんに話したいことがあって……」

「そ、そう……でも、そこ……他の人のジャマになるから……」

彼女は、僕の腕を引っ張ると、歩道の端に設置された自動販売機の横に引き寄せた。
いつのまにかテンポのいい『ジングルベル』の曲が、スローで大人っぽい『ホワイトクリスマス』に変わっている。

「それで野村君、話って……?」

「あ、う、うん……そのぉ……」

佐緒梨さんは、足早に通り過ぎる歩行者に盛んに視線を走らせながら、僕の言葉を待っている。

美人というよりチャーミングな顔立ちで、笑顔を見せれば、ほっぺたに可愛いえくぼまで浮かぶのに……
いつも寂しそうな表情で、いつも悲しそうな眼をして……

今だってそう……
僕が緊張して頭の中が空っぽだということもあるけど……
せっかくいいムードの曲が流れても、空き缶がたくさん詰まったゴミ箱の前ということもあるけど……

ほんの少しの笑顔を佐緒梨さんが見せてくれたら……
おでこから湯気を出している僕の顔を見て笑ってくれたら……

「ごめんなさい。わたし、ちょっと急いでいるの」

そう言い残して、また彼女は僕に背中を向けた。
周囲に甘い香りを残して……
いたずらな北風に、真っ白な太ももをちらりと露出させながら……

「佐緒梨さん。あの、僕と、クリスマスイブを一緒に……」

絶対に届かない声でつぶやいて、それに……
僕、佐緒梨さんと何をしようと考えていたのかな?

ケーキ? 食事? ショッピング? それとも映画?

僕は、お小遣いを叩いて買った2枚の紙切れを握り締めていた。
小さくなった佐緒梨さん影をいつまでも追い掛けていた。




       12月 21日 金曜日 午後0時30分   二宮 佐緒梨


わたしは、足早に移動する人の流れを縫うようにして歩いていた。

うつむき加減に斜め前を見つめて、向かってくる靴の群れを避けながら、それでも肩に掛けたカバンが人とぶつかって、そのたびに小さな声で「ごめんなさい」を繰り返している。

佐緒梨って、ずるい女。
こんな簡単に「ごめんなさい」を口にしながら、せっかく追い掛けてきた野村君にも同じトーンで「ごめんなさい」なんだから。

息を切らせて、寒いのに汗びっしよりになって、右手には何かのチケットを握り締めて……
『クリスマスイブは、僕と一緒に楽しく過ごそう』……ね。そう言いたかったんだよね。

知ってたんだから。
言葉にならなくても、野村君……ううん、春樹(はるき)君の想いは、全部佐緒梨に伝わっていたんだよ。

うれしかった。
ホントにうれしかった。

わたし歩道の真ん中で、あなたに抱きつこうと思ったくらいだから。

でも……でもね……
あなたは、わたしのことを知らない。
佐緒梨って女の子が、どういう生活をしてどういう人間なのか知らないの。
知らなくていいの。知って欲しくないの。

ふふっ。高校に入学してから今日まで本当にありがとう。
そして、春樹君……バイバイ♪♪
素敵な彼女を見つけてね。

わたしは、普段より重たい通学カバンを肩に掛け直すと、華やかなクリスマスソングから逃れるようにして歩き始めた。


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