第2話 お嬢さんのおっぱいを揉ませてください 雲の欠片も見当たらない透き通るような青空は、次第にオレンジ色へと変わる。 やがてオレンジからダークオレンジへと変化し、夜の帳が下りはじめる頃。 駅ビルの西出入り口階段を、サラリーマン風の男がひとり降りて来た。 割れた化粧タイルが放置された歩道の上に立ったその男は、瞬きを始めたばかりの星空を見上げた。 そして何やらブツブツと呪文のような独り言を漏らすと、最後に手のひらを組み合わせ拝みのポーズまでしてみせる。 男は自宅へ帰る気がないらしい。 出口階段から数メートル離れた電柱に身を預けると、誰かを待つように目線だけを走らせていた。 高架された私鉄の駅に電車が停まり、ぽつりぽつり降りて来る乗客を、一目二目と見つめては、すっと顔を逸らせる。 30分……1時間……時が流れるのも構わずに、ただずっと同じ動作を繰り返しで…… 「は~ぁっ、やっぱり中央の出口でないと、ここじゃ無理かな」 男がぼやくように呟いたのは、電柱と添い立ちを始めて、たっぷり2時間が経過した頃である。 普通に歩いておよそ2分。 歩数にして200歩余りで辿り着けるソコは、ずいぶんと賑わっていた。 張り替えられたばかりの化粧タイルが、磨かれたように輝く歩道。 その上を行き交う大勢の乗降客。 日中とはいささか大げさな表現だが、温かみのある照明の光が駅のコンコースから、客待ちをするタクシー乗り場へ。その先に拡がるバスターミナルにまで溢れ出ている。 「でもなぁ、もしもの時ってのがあるからな」 男はもう一度、独り言を吐き出した。 改めて自分が立つ周囲を見回してみる。 その辺りは駅の出口とは思えないほど寂れていた。 青白い光を放つ満月が夜空の頂上に差し掛かっても、戸を固く閉ざしたままの飲み屋が数軒と、早くも店じまいのつもりか、年老いた店主が暖簾を下ろした蕎麦屋が一軒。 もちろん行き交う歩行者も疎らである。 男性、男性、男性、たまに女性。 ぼやいてはみたものの、それでも男がその場を離れることはなかった。 古びたコンクリートの出入り口から人の姿が現れるたびに、彼の瞳は素早く反応する。 男と同じスーツを纏った同性は目線を流すだけでスルーさせ、出現割合3割弱の女性が姿を見せる時だけ、目の色を変えるのだ。 まるで監視カメラのように、瞬きを消した黒目が追い掛ける。 彼なりのポイントが有るのだろう。 それらを、猫の目のように駆けまわる眼差しがチェックする。 そしてチェックし終えて『うん』と頷いた時だけ、男は次なる行動を開始しようとする。 両手を斜め下で拡げて深呼吸を2回。 堅く強張った表情筋を緩めようと、妖しくニヤつくほど口角を引き上げる。 「えっへん」と喉を3回鳴らして声の調子を整え、いざ女性の元へ…… しかしである。 男の行動は毎回のようにカラ回りに終わる。 なぜならば、当の女性が通り過ぎた後に、男の足は動き始めるのだ。 儀式ばった準備運動をしているうちに、肝心のタイミングを逸しているのである。 今夜もその例外に漏れず…… 時刻は午後10時を過ぎていた。 自業自得の行為に己自身が焦りを募らせて、背中を電柱に寄りかからせたまま、ツマ先を持ち上げては下ろして…… コツ、コツ、コツ…… (おっ! あの靴音は……?) コンクリート壁に響く物音に、男の耳がピンと立った。 機会を逃し続けて10人目。 もう外したくないプレッシャーに押されて、男は電柱から身体を起こした。 今夜も9回欠かさずに行った準備運動だが、ついには焦れる心が放棄させて、そのまま両足にGOサインを掛ける。 「あの、ちょっとお願いがありまして……」 案の定、声は掠れていた。 顔は能面のように固まっていた。 それでも男の呼び掛けに、会社帰りらしいOLが足を止めた。 疑心70パーセント、好奇心30パーセントの目線を、その男に当てている。 「え、えぇっと……そのですね」 「……?」 推定年令35才。お局様OLのまぶたが、ピクピクと反応する。 そして彼女からの見た目。ちょびっと甘いマスクの、まあイケ面候補。 推定年令28才の男の、ツマ先から頭のてっぺんにまで目線を走らせて、勤務している会社での役付きに始まり、保有資産。妻子の有り無しを、超高速勘ピューターで妄想させる。 「あ、あぁぁ……おぉ……っぱいを……さわらせてもらえないかと……?」 「……??」 既製品確立100パーセントでも、光沢のある少しお高めなスーツを着込んだ男に、OLの好奇心が跳ね上がる。 占めていた疑心が低下し、それでも聞き取れない弱々しい男の声に、ピクピクとまぶたが2度3度と開閉を繰り返した。 メイクの剥げかかった顔面を、男に向けてやや突き出させて…… 「おっほん……あぁ、あぁぁ……お嬢様のおっぱいを触らせてもらえないかと?」 「……おっぱい?」 ゴォッと地鳴りを響かせて、高架の上を電車が通過した。 咳払いして声を整えて、ひ弱なボイスを渋目にチェンジしたのに、届いたのは肝心ではあるが単語ひとつのみ。 ちょいイケ面だが、訳の分からない男の訴えに、彼女は鼓膜が拾ったソレを何気なく唇に再生させて…… 「はぁ、はい。服の上からで結構です。もしご許可いただけるなら、生のぱいおつをモミモミと……」 右に左に泳いでいた男の目が、一点に固定された。 ここが勝負所と勝手に解釈すると、上ずった声を機関銃の速さで連射させる。 「服の上から……? 生のぱいおつをモミモミ……?」 男と女の横を、肩を組み合う酔っ払いコンビが通過した。 肩と肩を抱き寄せ合う恋人コンビも後に続く。 その中で、ルージュも剥げかけたOLの唇がまた動いた。 上下に何度も往復させた目線を、男の顔に集中させて、その男の黒目がやや斜め下に向いていることに気が付いた模様で…… 「ひぃっ! あ、アナタ……本気でそんなことを?!」 推定年令35才のお局様OLは、初心な少女の悲鳴をあげた。 高止まりしていた好奇心が急降下し、突き出していた首を慌てて引っ込める。 勘ピューターが作りあげた妄想を全てリセットすると、ハイヒールの靴底を滑らせて回れ右をした。 「本気なんです……おっぱいを……モミモミ……」 「ふざけるんじゃないわよ! そんなに触りたけりゃ、自分の乳首でも乳くってなさい! フンッ!」 ゴォッとまた地鳴りがして、すがりつく男の声がかき消されていた。 背中を向けてツカツカとした足取りで歩き始めたOLの、刺のある捨てセリフだけが闇夜に反響していた。 「うぃーっ、乳くりぃ……バンザ~イ、ひっくぅ」 通過したはずの酔っ払いコンビがわざわざ振り返り、男を茶化した。 肩を組んだままお互いの顔を見合って、「ムフフ」と鼻を鳴らして笑うと、千鳥足を再開させた。 そして人気のない高架下に、男だけが取り残される。 頂上だった満月が西の方へと傾き始めて、虚しすぎる行為の終わりを告げようとしていた。 前頁/次頁 |
作者とっきーさっきーさんのHP 羞恥.自己犠牲 美少女 みんな大好き♪♪ オリジナル小説 そして多彩な投稿小説 『羞恥の風』 |