第8話  典子の哀しい過去 その1



       3月 31日 月曜日 午前2時   岡本 典子


午前2時。人の気配がまったくない駅前の大通りを、ひとり私は歩いていた。
たまにすれ違う車のヘッドライトが私を照らし出しては、長い影を残して通り過ぎて行く。

「これで……良かったのよね……」

結局私は、あの後も河添との情事を続けた。
体位を変え、お互いのくちびるを吸い合い、お互いの性器に顔を寄せて、舌を這わせて……
河添が上になり、私がまた上になり……
呻いて、獣のように叫んで……
恋人のようにささやかれて、夫婦のようにじゃれ合って……

わたしは夢を観ていた。
河添も、途中から夢を観る目をしていた。

「きゃああっ!」

突然、季節に逆らうような冷たい北風が吹き付けてきた。
私は少女のように黄色い声を上げると、浮き上がるチェックのスカートを両手で押えた。
慌てて周囲に視線を走らせる。

「……ふふふっ、典子ってバカみたい。
こんな汚れた女の下半身なんて、誰も見たくないのに……ね、博幸もでしょ?」

やっぱり、タクシーに乗れば良かったかな?
別れ際に、河添がタクシーを呼ぼうとした。
でも、それを断ったのは私だった。

なんだか、ふたりでいるところを、他の人には見られたくなかった。
典子の精神は、そんなに図太くなかったから……

私は、なにかに背中を押されるように、硬い表情のまま足早に歩いていた。

暗闇に覆われた夜空に立ち並ぶ、ビルの行列。
まるで巨大なコンクリートの墓標みたい。
ついこの前まで確かに存在した、飾らない、普段着のままの人たちが営む、小さな小さなお店たちの……

私は『コスモセンター東』っていう、全然生活臭の感じない交差点を左に曲がった。
そして、ほっと一息つく。

巨大なビルに隠れるようにして、平屋建てや2階建てのありふれた街並。
車一台しか通れない狭い生活道路。
不便で、雑然としていて……

でも、そこは典子の大好きな街。
典子の大切な思い出がたくさん詰まった、かけがえのない街並。

私は寝静まった街を起こさないように、歩く速度を落とし気味にする。
それでいて軽い足取りで、少しだけ息を弾ませながら、低い軒先の下を潜るように歩いていく。

やがて、縦長の赤地に白抜きの看板が見えてきた。

古い民家を改築した2階建ての店舗兼住宅。
周囲に溶け込みやすいように、外壁はいじらずに、内装と間取りだけリフォームしようって決めて購入した我が家。
たった1年ちょっとだったけれど……
その平凡で平和な毎日が永遠に続くって、信じて見守ってくれた我が家。
ふたりだけの頃にも『ちょっと広すぎたね』って、笑ってた私たちの我が家。
今の私には、もっと広すぎて寂しくて、でもそれでいて、どんなことをしてでも絶対に守らないといけない我が家。

その入り口横に、ちょっとだけ自己主張するように、その看板は取り付けられている。

『ベーカリーショップ 岡本』と……


「ただいま、博幸」

私は、店の前に立つと空を見上げるように、建物全体を見回した。
たった半日しか経っていないのに、まるで長い旅行から帰ってきたような懐かしさに包まれている。

店の入り口兼玄関の透明なガラスに糊づけされた2枚の張り紙。
左端に遠慮気味に貼ってあるのは……

『おいしい焼き立てのあんぱんあります』

お世辞にも達筆とはいえない博幸の手書きの文字と、これもまた、お世辞にも上手とはいえない手描きのあんぱんの絵。
そして、もう1枚。入り口前に堂々と貼ってあるのは……

『しばらくの間、休業させていただきます』

博幸より達筆で、それでいて、全てを否定する私自身の手書きの文字。

私は鞄からカギを取り出すと、引き戸のカギ穴に差し込んだ。
カチッって音がして、ガラガラって戸がひらいて……?

「えっ? 開いてる? カギ……掛け忘れたのかしら?」

ゾクッて嫌なものを感じて、私は自分の家なのに足を忍ばせて中へと入り、照明のスイッチを入れる。

ひぃ、ひぃぃぃっ! ……って、ど、どうしてあなたがここにいるのよ?!
あなた、しばらくの間、旅に出るって言ってたじゃない?
確か……『全国美少女ウォッチャーの旅』とかなんとかって……?
それなのに、どうしてよ?!

その謎の人は、お店のレジの隣で福助人形のように座っていた。
……違う、招き猫かな?

まあ、どっちでもいいけど、そんなところにいたら誰だって驚くでしょ。
えっ、旅行に行こうとしたけど、お小遣いをもらっていなかったって……?
だから、私が帰って来るまで留守番して待ってたっていうの?

……ちょっとぉ、私、あなたの保護者じゃないわよ。
あなたが勝手に、私にまとわりついているだけじゃない。冗談じゃないわよ!

えっ、今日はお詫びに、有意義な情報を持って来たって……?
なになに……『時田金融グループ本社、極秘潜入マル秘レポート』って……

あなた……B級スパイ映画の影響受けすぎよ。
まあ、私もそのレポートには、ものすごく興味があるし……

もう、仕方ないわね。
さあ、ここではなんだし、上がってくれてOKよ。
ただし、あのベッドでは勝手に寝ないでよね!



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