後編


(おぃ、おぃ、ドンペリのロゼって……)
 ドンペリニヨンのロゼ、通称ピンドン、何度か飲んだことはあり、飲み口もよくうまい。だが、余程のことがない限り、自分で買ってまで飲む気はしない。なにしろ、お酒のディスカウントショップでも四万円代で販売されている高価なシャンパンだ。
 こういうお店では一体幾らの値段をつけているのか、こじんまりとした隠れ家のようなBARとジャック・ダニエルの黒ラベルをこよなく愛す俺には想像できない。
 正直、少しびびった。
 だが、それを表に出すほど無粋な俺ではない。遊びは心得ているつもりだ。
「あら、二十数年ぶりのわたしたちの再会にピンドンじゃぁ、不服かしら?」
「いや、そんなことないよ……」
 クールに装っていたつもりだが、久美に心の内側を見透かされた。気恥ずかしくてつぎの言葉が浮かばない。
「ねぇ、ちょっと席変わってくれる」
「あ、はい」
 隣に座っていた舞と正面にいた久美が入れ替わった。
 そして、直に久美は俺だけに聞こえるように耳元で「ふふっ、相変わらず顔にでるのね。安心して、取って食べたりしないから」と囁いた。
「ふっ、君も相変わらずだな……」
 
 ウェイターがドンペリを運んでき、久美が受け取り、馴れた手つきでシャンパングラスに注いでいく。
「じゃぁ、久々の再会に」
 久美がピンク色のドンペリに半分満たされたシャンパングラスを手にし、俺もそれにつづいた。
「あぁ、久しぶりの再会を祝して」
「えぇ、わたしは……なんでしょう?」
 舞はシャンパングラスを掲げたまま困惑した表情を浮かべた。
「ははっ、そうね。なにかしらね? 舞ちゃんははじめましてだけど……そんなことはどうでもいいわ。カンパイしましょう」
 三人はグラスを軽く重ねて乾杯をした。

「おぅぃ、ママっ」
「はぁぁぃ。あら、お呼びがかかったわ。ごめんね。ちょっと席を外すから、舞ちゃんお願いね」
「はぁ~い」
 ドンペリをたった一口飲んだだけで、久美は席を離れた。
 それから、舞のリクエストでおつまみを何点か頼み、舞と映画の話など他愛もない会話をつづけ、気づいたらボトルはすっかり空になっていた。
 腕時計を見ると、深夜十二時をまわっていた。
 時の経過を忘れるくらい俺は楽しんでいたようだ。
 明日はクリスマスとはいえ、仕事は休みじゃない。
 深夜まで酒を飲んで、翌日仕事と、若いときのようにはいかないので、そろそろ帰らなければ明日がきつい。
 舞の話に頷きながら、目で久美を探した。
 スーツを着た三人組みの中年男性たちと楽しそうに会話をしているのが目に入った。
(忙しそうだな……)
 二十一年ぶりの再会、久美と話したいことはたくさんあるが、中年の客が圧倒的に多いこのお店の人気ナンバーワンはママである彼女らしく、どの席からも声がかかっていたので仕方がない。
 こうなることも運命なのだろう。
 だが、ここに来てよかったと思った。
 夢の中で涙を浮かべていた久美とは違い、クリスマスイブの夜、満席の店内を忙しそうにかけまわる久美の顔が生き生きしていたからだ。
 
「舞ちゃん、ドンペリも空になったことだし、俺は帰るよ」
「えぇ、もぉ、帰るんですかぁ~」
「うん、ちょっと酔っ払ったようだし、これ以上ここにいると醜態を見せてしまいそうだからね」
「でもぉ、ママがどういうかしら……」
「んっ、なんで?」
「だって、ただの同級生じゃ、ないですよね? 元カレでしょ?」
 舞が耳元に唇をよせて囁いた。
「どうして?」
「だって、ママ、あんなに楽しそうだし、社長さんの視線も舞じゃなくて、何度もママにいっているし」
(なかなか鋭い娘だ)
「はは、それは舞ちゃんの思い過ごしだよ」
「そうかなぁ……わたし、感は鋭い方なんですけど」
 舞が首を傾け、上目遣いで俺を見つめた。
「ははは……」
 ポーカーフェイスが苦手な俺は笑って誤魔化した。

「う~ん、後でママに聞いてみよっと。あ、ちょっと待っててくださいね。今、ママを呼んできますから」
「あ、呼ばなくてもいいよ」
「ダメですよ。ママに声をかけないと、後で叱られますから」
 舞はにこりと微笑みスッと立ち上がり久美の席へ向かった。

 久美の耳元で舞が話している。
 久美が席を立ち、替わりに舞がその席に座った。
 久美が俺に視線を向けたままこっちに向かってくる。
 そして、隣に座った。
「なんだぁ、二十一年ぶりの再会なのに最後までいてくれないんだぁ」
 久美が拗ねたような声をだした。
「あぁ、久しぶりの再会、話したいことは山ほどあるけど、忙しそうだからね」
「……そうね。わたしもたくさん話したいことがあるけど、この状況じゃあ、ねっ。でも、また来てくれるんでしょ?」
「いや、たぶん、もぉ来ないと思う」
「どうして?」
「わからない……」
「そう……」
 久美は悲しそうな顔をし、ウェイターに向かって手で合図を送った。
 
 なぜ、わからないと応えてしまったのか?
 久しぶりに出会った久美に恋を感じ、彼女と楽しそうに会話する男達に嫉妬を覚えたからだ。
 俺の久美への独占欲がきっかけで、二人は別れた。
 俺自身、成長したつもりだったが、そうではなかった。
 もぉ、会わない方がいい。
 あの夢さえ見なければ、きっと二人は二度と出会うことはなかっただろう。
 強引に運命を捻じ曲げてしまった。
 正常に戻さなければならない。
 二十一年前の初夏、二人は終わったのだから。
 
 ウェイターが明細をもってきた。
 明細をみて、想像していた金額よりもはるかに安かったことに驚き、久美を見ると、彼女は何も言わずニコリと微笑んだ。
 その笑顔の意味が何であるのか、すぐにわかった。シャンパンは久美の奢りらしい。

 クレジットカードで支払いを済まし、席をたった。
 扉の前で久美が受付の女の子からコートを受取り、背中にかけてくれた。
 そして、俺と久美は『クラブ胡蝶』を出た。
 久美がエレベーターのボタンを押した。

「ねぇ、一つ聞いていい?」
「なんだい?」
「今日は偶然なの?」
「……いや」
「……」
 沈黙の中、エレベーターがきたので中に乗りこんだ。
「じゃぁ、メリークリスマス」
 扉が閉まろうとしたとき、久美がさっと中にはいってきた。
「メリークリスマス……」
 久美が甘い声で囁き、いきなり俺の首に両手をからめて唇を重ねてきた。
 もぉ、会わない方がいいとの決心が瞬く間に崩壊していく。その代わりに、二十一年も抑え込んでいた久美への愛情が雪崩のように激しく全身をつつみこんだ。
 俺は久美の背に両手を回し力強く抱きしめて、遥か過去に数えきれないほど交わしたキスの味を思い出すかのように久美の舌に舌を激しく絡ませた。
 センサーで開いたエレベーターのドアが閉まり、下へ降りていく。
 エレベーターが一階につき、扉が開いた。冬の冷たい風が頬を擽る、
 同じ雑居ビルにあるどこかのお店のホステスと目があった。俺は慌て接吻を解こうとしたが、久美がそれを許してくれない。
 ホステスは唖然と口を開いたまま、この狭い空間の中に足を踏み入れない。きっと、中年カップルが交わす激しい抱擁に戸惑っているのだろう。
 ブザーが鳴り扉が閉まった。
 久美が唇を離すことなく六階のボタンを押した。
 エレベーターが昇っていく。
 久美の舌が積極的に蠢いている。
 そして、六階に着いたとき、ようやく二人の唇が離れた。
「一階で待ってて」
「お店はいいのかい?」
「いいの、今夜は特別よ。だって、クリスマスの夜だもの」
 久美は二十一年前に見せた笑顔を浮かべ小走りで『クラブ胡蝶』へ入っていった。





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