《1 陽子への癒し》

「だから、あたしが許すから、抱いてやってよ、陽子をさ」ミカが言った。
 ケンジは困惑した表情で言った。「おまえな、普通は自分の夫が他の女性を抱くことを嫌うもんだろ? 場合によっちゃ、離婚モノだ」
「だから、あたしは心が広いから大丈夫だってば」
「いや、心が広い、とか、そんなことは関係ないだろ、だいたい、」
「何? 今日はえらく突っかかるね。どうして?」
「どうしてもこうしてもあるかっ! それが世間の常識ってもんだ」
「ケンジの口から常識云々のコトバが出てくるとは思わなかったね。特にことセックスに関して」
「な、なんでだよ」
「実の妹を抱いてたじゃん」
「そ、それは……」ケンジは言葉を詰まらせた。

 ミカはふっとため息をついた。「ごめん、ケンジ」彼女は口調を和らげ、ケンジの手を取って優しく言った。「無神経な言い方だった」
「え?」
「あなたの言う通り。あたしはあなたの愛する妻だよね」
「そ、そうだよ」ケンジは少し赤面して言った。
「セックスは心と身体を癒す行為。そして夫婦の絆を確認する作業」
「そうだよ。わ、わかってるじゃないか、ミカ」
「それはそれでいい。あたしはケンジとのセックスに満足してるし、愛されているっていう実感もある」
「それで十分だろ」
「でも、そんな恵まれたあたしと違って、陽子はそうじゃない」
「…………」

「例えば、」ミカは少しケンジに身を乗り出して言った。「オトコだったら、風俗に行ったりできるでしょ?」
「ふ、風俗?」
「ケンジも何度かあるはずよ」
「……」
「そんなことで怒らないよ、あたし。それってオトコの生理だからね。だから、その時どうだったかとか、詳しいことを訊くつもりもない」
「でも、俺、とっても罪悪感があった、おまえに対してさ」
「お金払ってやったんでしょ? それに、そのコに愛情を感じてた?」
「愛情なんてないよ。単に身体を満足させただけだからな」
「でしょ? だったらあたしがあなたを責めることでもないじゃない」
「そりゃそうだけど……」
「でも、女はそういう機会がほとんどない。ホストクラブなんて妖しすぎて行く気もしない。第一、オトコ相手の風俗と比べて敷居が高すぎるよ」
「確かに……」
「かといって、安直に不倫なんてなかなかできるもんじゃないし。ローリスクでそうそうカラダの火照りを鎮めてくれるような人はいるもんじゃない。そうでしょ?」
「そうだよな」
「オトコはオンナと見るやすぐに抱きたくなるもんだけど、だからといって、見ず知らずの、行きずりのオトコなんかに陽子を抱かせたくないんだよ、あたし」
「ミカ……」
「あなたはオトコだから理解しづらいかもしれないけど、ずっと一人身の陽子みたいなオンナは、たとえ恋人の関係でなくても、心を許せる誰かに抱かれて癒されれば、きっと幸せな気分になれるはず。そんな人に陽子を抱かせてやりたいんだ」
「……」

「誰の助けも借りることなく一人ぼっちでしゃかりきになってがんばって、夫の忘れ形見の夏輝を大切に育て上げて、立派に社会に送り出したじゃない。自分がオンナであることを封印してまで……。あたし、そういう陽子が不憫なんだ」
「お、俺が、彼女を癒す?」
「陽子が心を許せる相手って言ったら、今のところあなたしかいないでしょ?」ミカは微笑んだ。「あたしが後ろにいるから大丈夫」
「で、でも万一陽子先輩がそれから俺に惚れ込んで、おまえから奪おうなんて考えたりしたら、」
「そうならないようにするのも、あなたの役目でしょ?」
「ええ? な、なんだよそれ」
「陽子なら大丈夫だと思うよ。それより、ケンジこそ陽子の身体が病みつきになる可能性もあるね」
「そうなったらどうする? ミカ」
「しょうがない。ケンジを陽子に譲って、あたしは時々ケネスに抱かれて癒されよう」
「冗談止めろよ」ケンジは苦笑いをした。
「愛のないセックスは不毛だけど、癒やしのセックスはあってもいいと思うけどね」
「癒し……か」
「常識的な大人なら、わきまえるはずだよ」
「そういうもんかな……」

 海棠ケンジ(44)は、現在の妻ミカ(46)とは大学の水泳サークルで知り合った。同じ水泳サークルに所属していた日向陽子(46)はミカの同級生で親友だったが、大学3年生の時、ある男性と恋に落ち、大学を退学して駆け落ちした。
 陽子はすぐに男性の子を身体に宿したが、その子が生まれた日に、陽子はその最愛の彼を交通事故で失ってしまう。それから彼女は女手一つでその子――夏輝と名づけられた娘――を育て上げたのだった。



「よ、陽子先輩……」ケンジはすでに赤くなっている。

 ここは街中のシティホテルだ。

 質素な白い壁に囲まれた部屋のダブルベッドの縁に腰掛けて、陽子が少しはにかみながら言った。「ケン坊、ありがとうね。それからミカにも」
「は、はい」
「始めに誓おう。あたしはケン坊とセックスしても、それ以降は引きずらない。ケン坊も誓って」陽子は目の前に立ったケンジの手を取り、立ち上がった。
「え?」
「どんなことがあっても、ミカを悲しませるようなことに発展させない」
「で、でもそれって、やってみないとわからないでしょ?」
「大丈夫だよ。あたしけっこう淡泊だから。ケン坊がまた抱きたいとは思わないよ、きっと」陽子は笑った。「それに、もしケン坊があたしの身体が忘れられなくなったりしたら、ミカの親友のあたしが許さない」
「いや、陽子先輩、あなたその本人だから」
「レクレーション。気晴らし。気分転換。その程度の軽さでいいんじゃない?」
「そ、そうですね」
「でも、遊びはイヤ」
「もちろんです。俺、陽子先輩を遊びで抱くつもりはないから」
「気晴らしこそ、やるときは真剣に」
「わかってます」ケンジは陽子のブラに手をかけた。そして指を滑らせ、背中のホックをそっと外した。陽子の乳房がぷるん、と解放された。

「陽子先輩の乳首、きれいなピンク色ですね」
「嬉しいこと言うじゃん、ケン坊」陽子はケンジの首に腕を回した。ケンジはそっと陽子の唇に自分の唇を合わせた。メントールの煙草の匂いが彼の口の中に流れ込んだ。
「んんっ……」陽子は甘い呻き声を上げた。

 口を離してケンジは微笑みながら陽子の目を見つめた。
「陽子先輩、今でも煙草、吸ってるんだ」
「あ、いやだった? ケン坊。ごめん。もっとしっかり歯磨きしとけばよかったね」
「平気ですよ」ケンジは微笑んだ。「歯磨きしてもミントの香りがしますからね。あんまり変わらないでしょ」

「ケ、ケン坊……」陽子は潤んだ目でケンジを見つめ返した。
「はい?」
 陽子は出し抜けにケンジに抱きつき、両手で頬を押さえて、自分の口を彼のそれに押し当てた。
「んぐ……」ケンジは思わず目を見開いた。
 陽子の舌がケンジの唇を割って侵入した。ケンジはそれに応え、柔らかく自分の舌先でその熱く火照ったものを慈しんだ。

 がくがくっ!
 陽子はその場にしゃがみ込んだ。そして大きく息をしながら胸と股間に手を当てた。

「よ、陽子先輩!」
 ケンジは慌てて彼女の身体を抱きかかえた。
「だ、大丈夫ですか? 気分でも悪いんですか?」
 陽子は顔を上げて、照れたように頬を赤く染め、ケンジを見つめた。
「ケン坊……。もうあたし溶けちゃいそうだよ……」
「え?」

 陽子はゆっくりと立ち上がった。
「ケン坊のキスは、身体に毒だ」
「ご、ごめんなさい、気持ち悪かったですか?」
 陽子はふふっと笑った。
「ううん。違うよ。逆だよ。最高に気持ちいいキスだ、って言いたかったんだよ」
「そ、そうですか?」ケンジも頬を染めた。
「あたし、もうすでに臨界点に達してる。どうしてくれるんだ」
 陽子は悪戯っぽく笑って、ケンジをベッドに押し倒した。

 陽子はベッドに仰向けになり、横になったケンジの手を取った。「責任とって、ケン坊」

 ケンジは身体を起こし、陽子の身体に覆い被さると、いつもミカとのセックスの時にそうするように、片手でひとつの乳房を優しくさすりながら、唇をうなじから鎖骨を経由させてもう一つの乳首に到達させ、すでに隆起している蕾を咥え込んだ。「あ、あああ……」

 ケンジは時間をかけてていねいに彼女の二つの乳房を舌と唇と指で刺激し続けた。「んんっ……」愛らしい呻き声を上げて陽子は喘いだ。「気持ちいい、ケン坊……」

 陽子の手がケンジの黒い下着に伸ばされた。ケンジは陽子の身体を抱えて自分が下になった。

 口を離した陽子が言った。「ケン坊って、口に出して果てるのが苦手なんだって?」
「絶っ対イヤですっ! 俺、陽子先輩の口に出すなんて、絶対しませんからねっ!」
「そんな力いっぱい拒絶しなくても……」
「ミカはそんなことまで言ったんですか?」
「うん。教えてくれた。でも大丈夫。そんなことさせないよ、ケン坊」陽子はそういいながら口をケンジの秘部に近づけ、ゆっくりと彼のビキニの下着を脱がせた。「んっ……」ケンジが小さく呻いた。
「思春期の少年じゃないんだし、ケン坊、あっという間に出したりしないでしょ?」陽子はふふっと笑った。

 手でケンジのペニスを優しく握った陽子は、舌をそっと這わせ始めた。「あ、ああ、よ、陽子先輩……」
「ふふ、何だか大学時代に戻ったみたい。先輩って呼ばれるの、今でも悪くないね」陽子はゆっくりとケンジのペニスを口に咥え込みゆっくりと味わい始めた。

「んあ、あああああ……」少しざらついた舌の感触に、いつもとは違う熱さを感じ、ケンジは思わず身体を仰け反らせた。そして陽子の口の中でケンジのペニスはぐんぐん大きさを増していった。


 ケンジは全裸になった陽子の秘部に顔を埋めた。そして唇と舌を使って谷間と小さな粒を刺激した。陽子は急に激しく身体を波打たせ始めた。「あ、ああっ! ケ、ケン坊、いい、いいっ!」

 ケンジはその行為を長いこと続けた。やがて陽子の全身に汗が光り始めた。「来て、ケン坊、あたしに入れて」
 陽子の秘部から口を離したケンジが言った。「あこがれの陽子先輩と繋がれるなんて、すごく光栄です」
「嘘でも嬉しい、ケン坊」陽子の秘部からはもう豊かに雫が溢れ始めていた。

 ケンジはペニスの先端を谷間にあてがい、ゆっくりと挿入し始めた。「あ、ああああ!」

「痛くないですか? 陽子先輩」
「少しだけ……。長いこと使ってなかったからね。でも処女の頃を思い出して、かえって燃える。大丈夫、ケン坊、遠慮しないで入れて、奥まで」
「我慢できなかったら、言ってくださいね」
「入れて欲しくて我慢できない。早く入れて!」

 ケンジはゆっくり、ゆっくり陽子の中に入っていった。そして二人の身体は深いところで繋がり合った。

「ああ、いいよ、ケン坊。もう大丈夫、痛くない、とっても気持ちいい、動いて、いっぱい動いて!」
「はい」ケンジは腰を大きく動かし始めた。「んっ、んっ、んっ!」

 陽子は胸に、首筋に、額に汗を光らせ、目を固くつぶって、その細く白い体躯を捻らせ喘いだ。

 ケンジは陽子の背中に腕を回して強く抱きしめながら左耳に熱い息を吹きかけた。

「ああああ……いい、カズ、いいよ、あたし、も、もうイくかも、あああああ……」
「陽子」ケンジは甘く囁いて、その耳たぶを柔らかく咬んだ。
「あああっ! カズ、カズっ!」

 陽子もケンジの背中をきつく抱きしめながら大きく身体を波打たせた。
「カズ、先にイかないで、いっしょに、一緒にイって! お願い」
「陽子! 陽子っ!」ケンジが叫んだ。
「カズ! カズっ! あああああ!」

「う、うううっ……」ケンジの腰の動きがさらに激しくなってきた。
「も、もうイってる! あたし、イってるから、あなたも早く来て! カズ、カズーっ!」

「ぐううっ!」ケンジの身体の奥深くから一気に噴き上がったものが陽子の中に解放された。

「ああああああーっ!」陽子が叫んだ。

「んああああああっ! よ、陽子っ!」

「カズ、カズーっ!」がくがくがくがく! つながり合った陽子とケンジの身体が同じように大きく痙攣した。


「ケン坊、どうもありがとう。とってもよかった……」陽子は少し涙ぐんで言った。
「陽子先輩を満足させられたかな」ケンジは今さらながら照れたように頭を掻いた。
「うん。満足したよ、あたし。ミカって幸せだね。こんな素敵な人をダンナにできて」

「カズって、旦那さんの名前ですか?」
「ごめんね、ケン坊。あなたに抱かれながら、他の人の名前呼ぶなんて、無礼千万だよね」
「とんでもない。かえって俺も安心です。その方が」
「なんで?」
「だって、イく時、俺の名前呼ばれると、ホントに恋人か愛人のように錯覚しちゃいますもん。陽子先輩が違う人を想像しながらイってくれれば、俺も背徳感をあまり感じずにすみますからね」ケンジは笑った。

「ダンナの名前は一樹。あたしはカズって呼んでた。ケン坊の愛し方、カズに本当によく似てる。あたしの耳が感じやすいって、ケン坊、知ってたの?」
「え? いいえ」
「カズは、もうすぐって時に必ずあたしの耳に息を吹きかけて耳たぶを咬んでた」
「そうなんですか?」
「ケン坊にもそういうところがあったんだね」

 ケンジは陽子と繋がったまま、静かに横になった。

「でも俺、そう言えば今までセックスの時、相手の耳を咬んだりしたこと、なかったな」
「そうなの?」
「はい。記憶にある限りでは」
「なんで今やってくれたの?」
「俺にもよくわかりません。何でかな……」
「それに、陽子って呼ぶ声もカズにすっごく似てた。ケン坊の今の声と違ってたよ。まるでカズが貴男に乗り移って、本当にあたしを愛してくれてるみたいだった。実際乗り移ってたのかもね」陽子はひどく嬉しそうに笑った。

「陽子先輩……。良かったですね」ケンジはしんみりと言った。「一樹さんに久しぶりに抱かれて、本当に、本当に良かったですね……」ケンジは涙ぐんだ。

「なんでケン坊が泣くんだよ」
「ご、ごめんなさい。変ですね、俺」

 陽子はケンジの涙をその細い指で拭った。拭いながら陽子の目にも揺らめくものが宿り始めた。
「あの頃の胸の高鳴りが鮮やかに蘇ったよ」陽子の目に溜まっていたものがほろりとこぼれた。「ほんとにありがとう、ケン坊。あたしにまた甘い夢をみさせてくれて……」

 今度はケンジが陽子の頬の涙を指でそっと拭った。「シャワー浴びます? 先輩」
「ううん。もうちょっと抱いててもらってもいい? ケン坊」
「もちろん、いいですよ」ケンジは微笑んだ。そして陽子の背中に腕を回した。
「あたしね、それでもカズとは、あんまりセックスしなかったんだよ」
「そうなんですか?」
「彼、あんまり積極的じゃなかったからね」
「そうなんだ」
「でも、あたしはあの頃セックスでしか二人は繋がり合えない、って思い込んでて、毎晩のようにカズを求めたんだよ」
「彼は応えてくれましたか?」
「うん。いつもってわけじゃなかったけど、彼なりにね。でも、すぐに妊娠しちゃって……。彼はとっても喜んでくれてたけど、内心どうだったのかな」
「え?」
「これであたしと離れることができなくなった、って残念な気持ちもあったかもしれないね」
「そ、そんなこと……」
「もっと遊びたかっただろうしさ」

「一樹さんは陽子先輩を愛してたんでしょ?」
「もちろん、あたしはそう思ってる。そう信じたいよ……」
「大丈夫ですって。だって、さっきから俺、なんか上の方から誰かに睨まれてるような気がずっとしてる」
「うそー」陽子は笑った。
「陽子先輩にはナーバスな雰囲気は似合いませんよ」
「それって、褒めてんの?」
「褒めてます。当然です」
「あたし、ずっと彼に負い目を感じてきた。亡くなった後もね。その罪滅ぼしに夏輝を育ててきたようなものかもしれない」
「夏輝ちゃん、立派に育ったじゃないですか。自慢の娘でしょ?」
「そうだね。素敵な彼もいるしね」
「修平君とは?」

「実はね、」陽子は嬉しそうにはにかみながら言った。「あの二人、間もなく結婚するような気がする」
「えっ?! そうなんですか?」
「よく続いたもんだよね。高校三年生からつき合い始めて、何度も危なくなったらしいけどさ。こないだ修平くん、あたしにこっそり会いに来てさ、『夏輝は金属アレルギーなんかありませんよね。』って聞くんだ」
「アレルギー?」
「指輪を考えてるってことでしょ?」
「なるほど、そりゃめでたい!」
「そのうちあの子たちが結婚を決めたら、正式にケン坊んちにあいさつに行かせるからさ、そん時はよろしくね」
「え? なんでうちに正式に……」
「聞いたよ、夏輝たち、あなたたちにエッチの仕方を習ったそうじゃない」
「そ、それは……。す、すみません、陽子先輩。軽々しくそんなこと教えちゃって……」
「まったく、子どもでもできてたらどうしてくれたんだ」
「ごっ、ごめんなさいっ!」
「でも、あたしは人のこと言える立場じゃないね。あ、抜いちゃだめ! 抜かないで、ケン坊」
 ケンジのペニスが陽子から抜けそうになり、陽子はとっさに腰を押し付けた。「お願い、もう一回……。だめ?」
「一樹さん、いいですか?」ケンジが天井に目を向けて言った。
「許すってさ」陽子が言った。
「ほんとですか?」
「今度は乗り移ったりしないから、俺の代わりにおまえが陽子を癒してくれ、って言ってるよ」陽子はケンジの両頬を両手で挟み込んで言った。「ただ、ちゃんとイかせなきゃ、ただじゃ置かないってさ」
「わかりました。俺、がんばります」
「今度はケンジって呼ぶね。イく時」
「えー、そんなことしたら俺、先輩にのめり込んじゃいますよ」ケンジは笑った。
「だから、そんなことミカの親友のあたしとカズが許さないってば」
「お手柔らかに」

 ケンジは再び陽子を仰向けにして覆い被さり、彼女の脚を開かせて、腰を動かし始めた。ケンジのペニスはまた次第にその大きさを増してきた。「んっ、んっ、んっ……」「ああああ、ケン坊……」





《2 夏輝の誕生日》

 8月。夏輝と修平は夜、ホテルでの食事の後、近くの川のほとりを腕を組んで歩いていた。街の灯が川面に映り、まるでたくさんの白い宝石をばらまいたようにきらめいていた。

「おまえ、警部補の昇任試験、受けたのか?」
「ううん。まだ。っつーかさ、あたし交番勤務が好きだから。どうしようか迷ってたりする」
「何で交番が好きなんだよ」
「道を教えてくれ、って訪ねてくるお年寄りやさ、迷子になった、って泣いてる子どもの相手するのが好きなんだよ」
「でもおまえ、すでに巡査部長だろ? 25なのに、それってすごい出世ペースじゃねえの?」
「たかだか主任だよ。偉そうに座って、数人の部下を動かす程度」
「いや、おまえ偉そうに座ってなんかいねえだろ」
「ま、そうだけどね」夏輝は笑った。「そういう修平はどう? 学校は」
「もー大変だよ。中学生のガキどもの相手してっと、一日でへとへとになっちまう」
「あんたでも?」
「おうさ。やつらのエネルギーはハンパねえからな」
「修平だから務まるのかもよ。あたし噂で聞いたよ、」
「何て」
「あんたの中学校は落ち着いてる。よその学校に比べても。ってさ」
「そんだけ苦労してっからな」
「天道先生が生徒の心をしっかり掴んでるから、荒れないんだろうね、ってこないだ交番にお茶のみに来たおばちゃんが言ってた」
「俺の名前が出たのか?」
「あんたが学校で活躍してる話を聞いて、あたし、めっちゃ嬉しくなった」夏輝は笑った。

 その時、彼らの行く手を二人の若い男が塞いだ。

「ん?」修平は立ち止まり、左手で夏輝の行く手を遮り、彼女の歩みを止めた。
「なんだなんだ、いい雰囲気じゃねーか」
 そう言いがかりをつけてきたのは二人のうち、少し小太りの背の低い男だった。まだ、中学生ぐらいか、と夏輝は思った。
「そうだよ。あたしたち、恋人同士だからね」
「いいねー、羨ましいぜ」もう一人のひょろりと背の高い痩せた男が言って、咥えていた煙草を足下に投げ捨て、つま先で火をもみ消した。
「どうせカネでも脅し取ろうって思ってんだろ? おまえら」夏輝が前に進み出た。
「よくわかってんじゃねーか。話が早い」
「カネよこせ!」背の低い男がすごんだ。
「せっかくのいい雰囲気を壊されっとな、無性に腹が立ってくる」修平が言った。「おまえら返り討ちの覚悟はできてんのか?」
「それに今日はあたしの誕生日なんだよね」
「それがどうした!」
「邪魔しないでくれる? 今から素敵な時間を過ごそうって思ってたところなんだからさ。二人っきりで」

「俺たちにゃ関係ねえよっ!」痩せた男は近くに落ちていた工事用の金属パイプを手に取った。

「やめた方がいいよ。そんなことして、あたしたちに怪我させたら刑法第204条『傷害罪』で10年以下の懲役か30万円以下の罰金。幸い怪我しなくても刑法第208条『暴行罪』で2年以下の懲役もしくは30万円以下の罰金だ。ま、あたしたちがそんなんで怪我したりはしないけどね」
「な、何わけのわかんねえこと言ってやんだ!」男が興奮して叫んだ。
「すでにあんたたちはあたしたちを脅してカネを取ろうと思っている以上、故意であることは明らか。過失よりも罪は重いんだよ? ちなみに恐喝は10年以下の懲役」
「て、てめえ!」
「見たところ、おまえたちまだ未成年なんだろ?」修平が言った。「おまえら今から人生棒に振ってどうすんだ。早めに考え直せ」

「うっせえ、うっせえ!」男は持っていたパイプを振りかざし、修平に殴りかかった。修平は素早く身をかわした。金属パイプの先端がコンクリートの道路に当たって耳障りな音を立てた。その瞬間、修平はそのパイプを蹴り上げた。「あっ!」男の手を離れ、宙に回転しながら舞い上がったそのパイプは落ちてきた時、修平の手に握られていた。武器を奪われた男は怯んだ。

「俺たちの行為は、正当防衛。そうだろ? 夏輝」
「刑法第36条、『急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない』」
 修平はその棒を剣道でいう下段の構えをしたまま動かなかった。男はそれを見て、なかなか修平に近づくことができないでいた。
「ざけんじゃねえ!」突然、痩せた男が修平ではなく夏輝に飛びかかった。「こうなったら、女をレイプしてやる! おい、押さえろ!」
 背の低い男がすぐにやってきた。そして夏輝を後ろから羽交い締めにした。痩せた男はいきなり夏輝の胸を触り始めた。
「ぎゃははは! く、くっ、くすぐったい、やめろっ!」夏輝は大笑いしながら肘で後ろの男のみぞおちを突くと、胸を触っていた男の腕を捻り上げた。「い、いて、いててててて!」

「そんな触り方じゃ、あたし感じないよ。くすぐったいだけ」
「こっ、このやろー!」腕を掴まれた痩せた男は顔中脂汗まみれになっていた。
「動かない方がいいよ。ヘタに動いたら関節外れるよ」そして夏輝は腕を掴んだ手に力を込めた。
「ああっ! 痛い! 痛い痛い!」
「あたしが気持ち良くなるおっぱいの触り方を知ってるのは、ここにいる修平だけなんだよ。坊ちゃん」
「諦めろ、ガキども」修平は夏輝の背後で腹を押さえてうずくまっている男と、腕を夏輝に掴まれて苦しんでいる男の頭を持っていたパイプで軽くコンコンと叩いてやった。そして修平はそのパイプを投げ捨てた。

 その時、一人の体格のいい男が駆け寄ってきた。「おまえら、何やってんだ!」

「あっ、先輩!」うずくまっていた小太りの男が身を起こしてよろよろとその男に駆け寄り、身を寄せた。「こっ、こいつらが、」
「『こいつらが』、どうしたって?」修平が言った。
「お、俺たちを、」
「『俺たちを』、どうしたって?」夏輝が痩せた男の腕を解放して言った。その少年も先輩と呼ばれた男のそばに身を寄せた。

「いいがかりをつけたのか? こいつらが」
「ま、そんなところだ」修平はそう言いながら目の前のその男をいぶかしげに見た。どこかで会ったことがある、と思った。見たところ、自分と同じぐらいの年格好だ。

「この子たち、まだ中学生なんだろ? こんな夜遅くにこんな所でカツアゲ行為してるなんて、穏やかじゃないね」夏輝が両手を腰に当てて言った。
「すまん」男は丁寧に頭を下げた。
「どうやらおまえの手下、ってわけじゃなさそうだな」
「おまえ、天道だろ?」
「え?」
「相変わらずだ。おまえの気迫」
「誰なの?」夏輝が言った。
「高校時代、剣道の総体で、おまえと団体戦で戦った相手だ」
「あ、あの時の、大将の……。田中、確か田中っつったな」
「あの時も負けたが、今でも俺は、おまえには勝てないだろうな。剣の腕は落ちてないようだ」

「おまえ、こいつらと……、」
「こいつら、俺を慕ってる。あんまり家にいたがらないやつらでね」
「家出少年をかくまってるのか?」夏輝が聞いた。
「結果そういうことになってる」
「なんで、また……」
「俺自身、高校出て、就職したが、会社がつぶれた」
「いきなり倒産したのかよ……」
「俺のせいじゃないのに、両親に咎められた。それから毎日のように親からイヤミを言われたり鬱陶しがられたりした。俺はいたたまれなくなって家出した」
「思春期でもねえのに、なんだよ、その突っ走った態度」修平は遠慮なく田中の行動を批判した。
「結局引っ込みがつかなくなっちまったんだよ」

「この二人の未成年のことも考えると、」夏輝がいつの間にか後ろで大人しくなってしまった二人の少年を見て言った。「やり直した方がいいんじゃない?」
「親に心配かけるもんじゃねえぞ、二人とも」修平が言った。
 小太りの少年が言った。「あんな分からず屋の親なんか、大っ嫌いだ! いなくなっちまえばいいのに」

 それを聞いた修平は、いきなり少年に歩み寄り、胸ぐらを掴んで前に引きずり出した。「何だと! もういっぺん言ってみろ!」

 そのあまりの剣幕に少年は怯えた顔で修平を見上げた。

「親に甘えたくても、甘えられないヤツが世の中にはいるんだぞ! てめえ、父ちゃんも母ちゃんも当たり前に生きてんのに、何ふざけたこと言ってやがるんだ!」修平は左手を振り上げた。少年は驚いてぎゅっと目をつぶった。
「やめなよ! 修平!」夏輝がその手を掴んだ。「怯えてるじゃないか、放してやりなよ」
「許せねえ! 親のことをいなくなれなんて言うヤツは許せねえ! 夏輝っ! おまえ、悔しくねえのかよっ!」
「わかった。わかったよ。いいから放して、ほら」夏輝が優しく言った。修平はようやく少年を掴んでいた手を離した。

 修平を背にして、夏輝が優しく言った。
「おまえら、家を出てどれくらい経つ?」

 二人は黙っていた。

「俺のアパートに時々やって来るんだ」田中が言った。
「時々、ってことは、住む家もあるし、養ってくれてる親もいるわけだろ? おまえら」
「…………」
「今のうちに頭使って、身体使って、自立するためにもがくんだ。大人になってからじゃ遅いぞ!」
「な、夏輝さん……」
「なんだよ、もうあたしの名前覚えたのか?」
「うん」小太りの少年は、出会った時とはまったく別人のように素直にうなづいた。
「かわいいとこ、あるじゃない。それに、おまえも、」夏輝は痩せた少年に目を向けた。「おまえの年齢ぐらいなら、女の乳に興味があることぐらい、わかってるよ。だけど、それも勉強しなきゃうまくいかないんだぞ」
「俺、勉強なんか嫌いだし」
「違う、その勉強じゃないよ。おっぱいの触り方だとか、女のコへの声のかけ方だとかの勉強だ」
「え?」
「ここにいる修平も、最初のエッチの時なんか、超へたくそだったんだぞ。あたし即刻別れちまおうか、と思ったぐらいだ」
「悪かったな」修平がぼそっと言った。

「あたしは二丁目の交番にいつもいるからさ、遊びに来いよ、時々」
「え? あんた、お巡りさんだったの?」
「都合よくね」夏輝がウィンクをした。
「相手が悪かったな」修平が言った。
「夜、自分の将来のことを考えながらとぼとぼ歩いているところを、二丁目の交番のお巡りさんに保護されました。親にはそう連絡する。いいだろ?」
「田中んちにも時々行ってもいいじゃねえか。前向きに相談に乗ってくれるんだろ?」修平が言った。
「俺自身が、まだいっぱいいっぱいだからな……」田中がうつむいて言った。「こいつらになつかれるのは悪い気がしない。でもな、俺を手本にされてもな……」
「少なくとも大人なんだし、こいつらより長く生きてる分、教えることもいっぱいあるだろ?」
「ま、まあな……」
「将来ある中学生の人生をまっとうにしてあげなよ。せっかく知り合ったんならさ」
「天道、おまえ、今は……」
「俺か? 俺は今中学校の体育の教師やってるよ」
「おまえらしいな。剣道も続けてるんだろ?」
「ああ。道場には通ってるぜ。おまえも来いよ」修平は笑って田中に手を伸ばした。「気晴らしに」田中は少しためらいながらもその手を握り返した。

「今ならまだ引き返せるから、安心しな」夏輝が中学生の二人の前にしゃがみこんで笑顔で言った。「むしゃくしゃしたら交番に来いよ。おっぱい触らせたりはしないけど、話はどんだけでも聞いてやるよ。あたし暇だからね」



「夏輝っ!」修平はシャワーを浴びていた夏輝の身体を後ろから抱きしめた。
「もう、修平ったら、我慢できないの?」夏輝は頭だけ振り向かせて言った。
「夏輝、夏輝っ!」修平は両手で濡れた夏輝の二つの乳房を包みこみ、乱暴に揉み始めた。「んんっ……」夏輝が小さく呻いた。彼女は修平に背中を向けたまま、右手を修平の股間に伸ばし、太く大きくなった彼のペニスをぎゅっと強く握りしめた。「うっ!」修平が呻いた。
「まだだめ」夏輝は小さく言った。「シャワーできれいにしてからじゃないと、あたし、あっ!」修平はその夏輝の手を無理矢理引き離すと、両手で彼女の腰を掴み、秘部にペニスを押し込んだ。「シャワーのあとでも、またしようぜ、夏輝。んっ、んっ、んっ!」修平は夏輝の背後に立ったまま、焦ったようにペニスを彼女の中に出し入れし始めた。

「あ、あああ……しゅ、修平!」夏輝はバスタブの縁に両手をかけ、前屈みになって修平の与える刺激を受け入れ始めた。
「ああ、夏輝、夏輝っ!」修平の腰の動きが激しさを増してきた。「お、おまえが好きだ! 愛してるっ!」
「あ、あたしも、修平、修平っ!」

「ぐうう……」修平の腰のあたりにしびれが走った。「で、出る、出るっ! 夏輝ーっ!」

「ああああ! あたしも、イくっ!」夏輝の身体がぶるぶると激しく震えた。


「相変わらず無骨で乱暴」大きなベッドに並んで横になった夏輝と修平は、全裸で抱き合い、お互いの目を見つめ合っていた。
「おまえ、好きだろ? そういうの」
「好きかどうかは別として、あたし修平のやり方に、もう慣れた」
「他のやり方でされたこと、あんのかよ」修平が訊いた。
「あるわけないでしょ。なにムキになってんの?」
「おまえ、俺以外の男に抱かれたこと、ないんだろうな」
「まったく、中学生みたいに嫉妬深いね、あんた。いつまでたっても」
「どうなんだよ!」
「ある、って言ったら?」
「そいつをギタギタにしてやる」

「例えば、その相手がケンちゃんだったら?」
「お、おまえケンタと寝たことあんのかよ!」修平が身を起こした。
「あるわけないでしょ」
「ホントか?」
「たまには、あたしの言うことも一発で信じなよ」夏輝は呆れて言った。「でもさ、ケンちゃんいいカラダしてるから、あたし、何度か抱かれたいな、って思ったこと、あるよ。高校ん時」
「高校ん時い?!」修平は必要以上にびっくりして言った。
「何? 何なの? その驚きよう……」
「じゃ、じゃあ、おまえがもしその時あいつに抱いて欲しいって言ってたら、俺とおまえは今こうして抱き合っていることはなかった、ってことか!」
「な、なんでそうなるんだよ」
「だって、ケンタ、おまえが好きだったんだぞ、あの頃」
「それってさ、本当なの? 春菜もあん時言ってたけど」
「本当さ。『俺、夏輝にコクってもいいか』って電話で言ってた」
「ホントに?」
「おまえが俺にコクった日の前の晩だった」
「へえ」夏輝は笑った。「何か運命的なものを感じるね」
「運命的だあ?」
「ちょっとしたきっかけで、人生どうなるかわからない」
「おまえ、俺とケンタ、どっちでも良かったのかよ」
「そういう意味じゃないよ。それにもし、あたしがケンちゃんとつき合い始めたとしても、すぐに別れたと思うよ」
「なんで?」
「あたし、ケンちゃんには合わない女だからね」
「わかんねえだろ。つき合ってるうちに、お互いが必要不可欠になっていってたかも知れねえじゃねえか」
「何よそれ、たった今、ケンちゃんにヤキモチやいてたくせに」夏輝はまた呆れて言った。そしてすぐ優しい口調で続けた。「でも、よかった。あんたで」
「どうしてだよ」
「ケンちゃんとつき合って別れたら、その後が気まずいじゃん。前みたいに仲良しの友だちではいられなくなるよ。それはつらい」
「確かに……」
「ケンちゃんを恋人としては見られない。それは昔も今も同じ」
「俺は?」
「修平は思いっきり恋人にしたい男。昔も今も、これからも」

「そうか……」修平は再び夏輝の側に横になり、優しく背中に右腕を回した。
「やっと安心した?」
「おまえが隣にいると、俺、すっごく落ち着く」
「落ち着いてたようには見えないけどね」
「落ち着いてんだよ」
「わかったわかった」夏輝は微笑んだ。
「これからもずっと隣にいてくれっか?」
「いるよ。もちろん」

「俺の戸籍の隣にも?」

「え?」夏輝ははっとして修平の目を見た。「そ、それって、どういう……」
 修平は後ろ手に隠していたジュエリーケースを夏輝の目の前に差し出した。
「……結婚、しようぜ」

 夏輝は目を潤ませた。「修平……」

「修平っ!」夏輝はもう一度そう叫ぶと、彼の逞しい身体を力任せに抱きしめた。





《3 満を持す》

「で。どうだった? ケンジ」数日後、ミカが訊いた。
「え? 俺に訊くか?」
「だって、あなた当事者じゃん」
「そ、そうだけどさ」
「陽子の身体で満足できた?」
「う、うん。満足した」うつむいて少し赤くなっていたケンジはすぐに目を上げた。「で、でも、オトコだからな。イけばいつでも満足するもんだよ」
「言い訳じみてる」ミカがいたずらっぽく微笑んだ。「陽子、とっても良かった、心から癒されたって言ってたよ」
「な、なんだ、先輩からもう聞いてたんじゃないか。からかうなよ、まったく……」ケンジはコーヒーカップを手に取った。

「そうそう、」ケンジはカップをテーブルに戻しながら言った。「陽子先輩のだんなって、一樹さんって言うらしいけど、あの時、どうも彼、俺に乗り移ってたらしいんだ」
「はあ?!」ミカは大声を出した。「何なの? それ」
「おまえに訊くのもなんだけどさ、俺ってセックスの時、おまえの耳を咬んだりしたことないよな」
「たぶん……。そう言えばされたことないね、ケンジからは。ケネスにはあっちこっち思いっきり噛みつかれるけど」
「あいつはセックスの時は野獣だから、対象外だ」
 ミカは笑った。「そうだね。でも何でそんなこと訊くの?」
「俺、陽子先輩の耳に息吹きかけて、耳たぶを咬んでイかせたらしいんだ」
「らしい、って何よ。他人事みたいに」
「いや、俺、その時そんな自覚がなかったし、とても自発的にやったとは思えないんだ」
「ふうん、何だか不思議な話だね」
「だろ? 一樹さんって、陽子先輩を抱く時は、いつもそういうことやってたらしいんだ」

「陽子、喜んでたでしょ」
「うん。涙ぐんでた」
「やっぱりね。あたしが言ったとおり、ケンジが抱いてやるべきだったんだよ、陽子をさ。一樹さんもそれを認めてくれたってことじゃない?」
「そうなのかな……」ケンジはカップを再び手に取った。
「あなたの陽子を思う純粋な気持ちが通じたんじゃないかな」ミカは穏やかに微笑んだ。
「俺もその時、一樹さんのことを話しながらはしゃぐ陽子先輩を見て、思わず涙ぐんでた」ケンジの目は少し潤んでいた。

 照れたように目元を指先で拭うケンジを見て、ミカは優しい目を、前に座ったその夫に向けて言った。「あたし、ホントにいい人と結婚した。心からそう思うよ」
「な、何だよ、急に」
「あたし、ケンジと結婚できて、本当に良かった。あたしにはもったいないぐらいだよ」
「や、やめてくれよ。何だよ、今さら……」
「ケンジは、あたしと結婚して良かった?」

 ケンジはその視線をミカの頭上に向けて穏やかに言った。「人生の中で、その選択に誤りは無かった、って自信を持って言える出来事があるとすれば、俺、ミカと結婚して龍を授かったことだと思う」
「そうか……」
「俺の大人の入り口に立ってたのはマユだけど、あいつが招き入れてくれた本当の大人の世界にはミカ、おまえがいた」
「何なの? その喩え」
「人の成長って、やっぱり人との出会いと温もりがガイドしてくれるような気がするよ。心から癒してくれる人、抱いてて心地よい人、」

「それに、抱かれて心地よい人」

「ミカ……」

「龍もいずれ、結婚するわけだけどさ」
「うん」
「手前味噌かもしんないけど、真雪はきっと幸せになれると思うよ」
「俺もそう思う。龍は中学の時虐待を受けたり、恋人が他人に寝取られそうになったりして、誰よりもつらい思いをしてたはずだけど、ちゃんと乗り越えてきたからな……」
「そうだね。身体ごと真雪に飛び込んでいくし、精一杯手を広げて真雪を受け止められる。そして自分の想いをストレートに伝えてる。何にも嘘をついてない。そういう子だね」
「うん。そんな子だ」
「あたし、彼が息子でいてくれることが、すっごく嬉しい」
「俺も。龍が息子だっていう実感が、今になって湧いてきた。本当にいい男に成長してくれたよ。ミカ、おまえのお陰」

 ミカは目を細めて言った。「染色体は半分ずつ。ケンジとあたし」



「ミカさんっ!」
「ケンジさんっ!」

 修平と夏輝はいきなりアポなしで海棠家を訪ね、ソファの前の床に正座をして頭を床にこすりつけた。

「おまえら、全然成長してないな。あの時と同じじゃないか」ミカが呆れて言った。
「今度は何のお願いなんだ?」ケンジが二人をソファに座らせた。
「これっ、ミカさんの好きなビールですっ」修平がスーパーの袋に無造作に入れられた6缶入りのビールを差し出した。
「それから、これ、」夏輝は紙袋を差し出した。「コーヒーです。ケンジさんに買ってきました。どうぞ、お召し上がりください」

「あ、ありがとよ」ミカはそれを受け取った。
「なに気を遣ってるんだ、二人とも……」

 修平がひとつ咳払いをして静かに口を開いた。「お、俺たちついに結婚します。7年に亘り交際を続けて行く中で、いろいろと紆余曲折もございましたが、最終的にこいつと一緒でなきゃ俺の人生は先に進まないことに気づきました次第です。つきましては公私共々大変、深くお世話になりましたあなたがたご夫婦に是非、俺たちの結婚式にあたってご媒酌の労を執っていただきたく、」
「断る」ミカがあっさりと言った。
「そ……」修平は顔を上げて絶句した。
「やだね。そんなの」
「や、やだね……って、ミカさん、そんな……」
「つまんないよ、今ドキ『ご媒酌人』だの、何だの」
「で、でも……」

「わかってる。わかってるんだ、あたしも」ミカが優しく修平に目を向けた。「夏輝の母親、陽子は満足に結婚式も挙げられなかった。だからせめて娘の結婚の時ぐらいはちゃんとした式や宴を出してやりたい、って考えてる。そうだろ? 夏輝」
「ミカさんは、何でもお見通しなんですね……」
「あの子、意外に古風なところ、あるからね」

「俺、夏輝を幸せにしてやることはもちろんだけど、こいつの母ちゃんも一緒に幸せにしてやりたい。そう思って……」修平がかしこまって言った。
「えらいぞ、修平君」ケンジは立ち上がり、修平の横に立って肩を叩きながら言った。「今の言葉、陽子先輩に聞かせてやりたいよ」
「その気持ちが伝えられればいいんだろ? 何もあたしたちに気を遣わなくてもさ」
「君たち自身が結婚を心から喜ぶことが、一番大事なこと。そう思うけどね」ケンジは微笑んだ。
「あたしたちは、あんたたちを祝福するために、式に出席するよ。それでいいだろ? 媒酌人なんて形ばかりのものに気を遣ったり、お金を使ったりすることないよ」
「あ、ありがとうございます」二人はそろって涙ぐんだ。
「陽子だってわかってくれる。違うことにお金を使いなよ。もっと大切なことにさ」ミカは微笑んだ。

「それから、」夏輝が指で涙を拭いながら顔を上げた。「ケンジさん、感謝してます。本当にありがとうございました」
「え? 何? 何のことだい?」
「あたしのお母ちゃんを抱いて下さって……」
「な、なんでそれを!」ケンジは慌てた。
「お母ちゃん、あれからとっても穏やかな表情に変わったんです」
「穏やかな表情?」ミカが言った。
「はい。それまでは、どんなに笑ってても、どこかに陰があった、っていうか、心の底から嬉しそうな顔をしない、っていうか……」

「さすが娘だね」ミカは感心してうなずいた。

「でも、ケンジさんに抱かれた日から、お母ちゃん、とっても無邪気に笑うんです。娘のあたしが言うのも変なんですけど」
「そ、そうなのか?」
「きっと、お母ちゃん、死んだお父ちゃんと二人で暮らしていた時って、そんな顔で笑ってたんだと思います」夏輝は一度目を伏せ、すぐに顔を上げてまた涙ぐみながら笑った。「本当にありがとうございました」

 ケンジは頭を掻きながら言った。「陽子先輩を抱いたのは僕だけど、彼女の心を癒したのは一樹さんだよ。君のお父ちゃんだ」
「はい。きっとそうだと思います。あたしも。でも、」夏輝はケンジの目を見つめた。「ケンジさんがそれを実現して下さったのも事実。ケンジさんがお母ちゃんを抱いて、いい気持ちにさせて下さったから、お母ちゃんはかつてのお父ちゃんへの想いを甦らせることができたんです。ケンジさんが恩人であることに変わりはありません。あなたでなければできなかったこと……だと思います」

 ケンジはまた頭を掻いた。

「お母ちゃんの中に、やっとお父ちゃんが帰ってきた……。そんな気がするんです」
「本当に母親思いの娘だね、夏輝は」ミカは微笑んだ。「大事にしてやりなよ、修平」
「はい」修平は力強い返事をした。
「おめでとう、夏輝ちゃん、修平君」ケンジも笑顔で言った。



 『シンチョコ』の駐車場に植えられたプラタナスの実が小さく育ち始めていた。

 ケネスとマユミは、店の入り口の前に立っていた。
「健太郎も春菜さんも、きっと成長して帰ってくるよね」
「そうやな」

 半年間のヨーロッパでの修行を終えて、健太郎が春菜とともに帰ってくる日だった。

 ほどなくタクシーが駐車場に入ってきて停まった。後部座席から健太郎が外に出た。そして後から車を降りる春菜に手を貸した。

 健太郎は背筋を伸ばし、両親の方を振り向いて言った。「ただいま、父さん、母さん」
「お帰りなさい」マユミが言った。ケネスは車に近づき、開けられたトランクから大きな二人の荷物を取り出した。
「お父さん、お母さん、ただいま戻りました」春菜が丁寧に頭を下げた。


 別宅のリビング、暖炉の前で、四人はテーブルを囲んでいた。ヨーロッパ土産のたくさんの種類のお菓子が真ん中に並べられていた。
「どうやった? 本場の修行は」
「半年分以上の収穫があったよ」
「ずっとパリにいたんでしょ?」
「うん。まあ、そこで基本的には修行をしたんだけどさ、そこのだんながけっこうあちこち行って来い、って言って俺たちを追い出すんだ」
「追い出す?」
「そう。バウムクーヘンやザッハトルテはドイツに行って、ティラミスやパンナコッタはイタリアで、っていう感じさ」
「二人であちこち回ったの?」マユミが訊いた。
「うん。いつも一緒だよ、もちろん。っていうか、俺、英語だめだし、ルナがほとんど通訳だった。しかもパリでクイニーアマンの作り方を二人で習った時なんかさ、ルナは俺より生地の作り方が上手だって言われて、俺、かなり悔しかった」
「あははは、性格なんじゃない? 春菜さんの完璧主義の賜だよ」マユミが愉快そうに言った。
「春菜さんは英検二級の資格持っとるんやったな。そう言えば」
「は、はい、一応。でもヨーロッパでは英語が通じないところもいっぱいあって、苦労しました」
「腕のええ菓子職人にもなれそうやな。春菜さん」

 春菜は照れてうつむいた。

「あちこち行ってみて、俺が一番気に入ったのは、やっぱりチョコレート。ベルギーのゴディバだね。これこれ」健太郎はテーブルの上の箱に手を伸ばした。
「あ、それ母さんも好きだよ。トリュフ ハニーロースト アーモンドがお気に入り」
「わいも、あそこのトリュフは好きやな。特にトリュフ カプチーノが絶品や」
「ですよね。もう口の中でとろけるあの甘さというか……」
「春菜さんもファンになったんやな」
「とにかく奥深いよ。お菓子ってさ」
「やっと気づきよったか。遅いわ! 25にもなって」
「そういう父さんはいつお菓子の奥深さに気づいたの?」
「わいは、もう小学校に上がる時には気づいとったで」
「ほんとかよ。単にチョコレート好きの坊主だったんじゃないの?」
「そうとも言う」

 四人は笑い合った。

「でも、良かった」
「何が?」
「修平と夏輝の結婚式に間に合って」
「そうやな。式は12月、言うとったで」
「ウェルカム・スイーツとウェディングケーキと引き出物、全部任されたんだよ、うちに」
「そりゃそうだよ。町で一番名高いスイーツ屋だからね、うちは」
「それに、相変わらず春菜モデルのアソートの売れ行きは好調やで」
「ほんとですか? 嬉しい!」
「真雪モデルと張り合って、二つともよう売れとる。ありがたい話や」
「きっとまた春菜ファンが押しかけるね、春菜さんが帰ってきた、って知ったら」
「そうやな。頼んだで、春菜さん」
「任せてください、お父さん。いつでもピンクのメイド服着て接客します。私」

「そうやった、大事なこと言わなあかんかった」
「どうしたの? 父さん」
「おまえらの結婚式、2月14日に決めたよってにな」
「そうなんだ」健太郎がにっこりと笑って、春菜の顔を見た。春菜もますます顔を赤らめて嬉しそうにうつむいた。
「どこで?」
「秘密や。っちゅうか、この件に関してはおまえらには口出しさせへんからな、そのつもりでおるんやぞ」
「な、なんでだよ」
「問答無用や。わいら実行委員に任せとき」
「な、何だよ、その実行委員って」
「実行委員長のケンジの命令や。本人たちには直前まで極秘にしとけ、っちゅう」
「まったく……」



「今さらだけど、ペットショップにいながら真雪って、」龍が店の中のトリミング・ルームの椅子に座って言った。
「何?」真雪はトイプードルのブラッシングを手際よくこなしながら応えた。
「今でもあっちこっちの牧場や畜産関係者から声がかかったりするんだろ?」龍はテーブルに真雪の好きなパック入りのカフェオレを置いた。「ここに置いとくよ」
「ありがとう。そうなんだ。週に二回ぐらいの割合で、あたしこの店を空けなきゃなんない」
「変わってるよね。真雪の職業って」龍は店の前でカフェオレと一緒に買ったパック入りの牛乳にストローを挿して咥えた。
「『家畜人工授精師』の免許持ってるしね」
「他にも君は『動物看護士』や『犬訓練士』の資格も持ってるじゃん」
「動物、好きだからね。あ、龍も大好きだよ、もちろん」
「俺と牛をいっしょにしないでくれよ」

「そう言えば、こないだ、龍、しゅうちゃんの学校に取材に行ったんだって?」
「うん。教育現場の今をうちの新聞で特集してるからね。修平さんにもいろいろ話を聞いたよ」
「そう。学校の先生って、ずっと学校にいるから、大変だろうね」
「いや、登校をしぶる生徒がいたり、町でなにかしでかす生徒がいたり、けっこう表に出て行くことも多い、って言ってた。そっちの方が大変そうだったよ」
「そうか。なかなかあたしたちには見えない部分だね、そういうの」
「それを伝えるのが僕らの役目だよ」
「龍、活躍してるね」
「まだまだ駆け出しさ。3年目だからね」

 龍は高校卒業後、地元の新聞社に就職した。得意のカメラと軽いフットワークで、町のあちこちの出来事を幅広く伝えるジャーナリストの道を歩んでいた。

「龍、」真雪がブラッシングの手を休めて言った。
「何だい?」
「再来月、夏輝とそのしゅうちゃんの結婚式だね」
「そうそう。めでたいね」
「あの二人もつき合い長くて、途中いろいろあったらしいけど……」
「お似合いだよ。そう言えばあの二人、夏に俺んちに来て、父さんと母さんに仲人役を頼んだらしい」
「へえ、そうなの」
「でも断ったってさ。父さんたち」
「なんで?」
「そんなガラにもないこと、できるか、って母さん言ってた」
「ふふ、ミカさんらしいね」
「で、結局人前結婚式でこぢんまりやることにしたんだよね」
「それでも招待客は100人近くいるらしいから、大したもんだよ」
「二人の人徳だね」
「そうだね」真雪はまた犬のブラッシングを再開した。「あたしたちの式、どうなってるの?」
「父さんと母さんそれにケニー叔父さんとマユミ叔母さんが何か企んでるらしいけど……」
「どんな式を考えてるのかな」
「俺にも情報は掴めてないんだ。いろいろ探りを入れてはいるんだけど……」
「極秘で進めてるらしいね」
「今わかってるのは、来年の2月14日にやるってことだけ」
「2月14日?」
「そうさ。敢えてベタなバレンタインデー。同時にチョコレートの日」
「実行委員長は父さん。企画部長はケニー叔父さん」
「何それ。大げさだね」真雪は笑った。



「つまり、」健太郎が『海棠スイミングスクール』の玄関前で呟いた。「ここで俺たちの結婚披露宴をやろう、っていうの? ケンジおじ」

 スクールの看板の下に大きく『2月14日結婚披露宴! 健太郎-ハートマーク-春菜、龍-ハートマーク-真雪』と書かれた横断幕が下げられている。 

「な、何だかとっても恥ずかしいんだけど」龍も同じようにそれを見上げて言った。「こんな往来に……」
「嬉しいだろ? 嬉しいよな。二組同時結婚披露宴だぞ。こんなにめでたいことはない。な、ミカ」
「そうだぞ、こんなこと滅多にない機会だ。もっと素直に喜んだらどうだ、二人とも」
「こんなこと、何度もあってたまるかよ」龍が言った。
「しかし、これ見たらルナ、どう思うかな……」健太郎はため息をついた。
「真雪にも、俺説明する勇気ないよ」龍も言った。





《4 披露宴》

 ――2月14日はよく晴れた穏やかな日だった。

 『海棠スイミングスクール』の広いプール場は、たくさんの花やリボンで飾られ、実に華やかな雰囲気に包まれていた。そして、何とプールのど真ん中に特設ステージが設けられていた。そのステージの前と後ろにやはりたくさんの花で飾り付けが施された桟橋が架けられている。
 プールサイドにはピンクのクロスで覆われた十数脚の丸いテーブルが置かれ、招待客が華やかな正装でにこやかにそれを囲んでいる。その中にはケネス、マユミのシンプソン夫妻、ケンジ、ミカの海棠夫妻、春菜の両親やきょうだい、それに陽子も混じっていた。もちろんケンジとマユミの両親、アルバートとシヅ子の夫婦も穏やかな表情で座っている。
 スタート台後ろにはライトブルーのクロスが掛けられた長いテーブル。その上にはたくさんの料理。その背後にはウェイター姿をしたこのスクールの三人のインストラクターが姿勢良く立っている。場内には明るく穏やかなBGMが小さく流れていた。

「えー、それではただいまより、」赤い燕尾服に白い蝶ネクタイをした司会の修平がマイクに向かってしゃべり始めた。「シンプソン健太郎くんと月影春菜嬢、並びに海棠龍くんとシンプソン真雪嬢のダブル結婚披露宴を開催いたしますっ!」

 盛大な拍手が巻き起こった。

「申し遅れました。わたくしども、この宴の進行を担当致します友人代表天道修平と妻夏輝でごさいます。どうぞ最後までよろしくお付き合い下さいませ」修平夫婦は深々と頭を下げた。
「そして、会場内でお客様への様々な雑用、もといサービスを担当しますホールスタッフは、龍くんの中学時代からの親友、水泳仲間で現在このスイミングスクールのメインインストラクターでもあります山本たけし、川本ひろし、そして森本あつしでございます」

 また盛大な拍手が巻き起こった。その三人のホールスタッフは並んでうやうやしく頭を下げた。

「さて、」真っ赤なイブニングドレスの夏輝が修平に代わってマイクの前に立った。「この宴は二部構成にてお贈り致します。第一部は新郎と新婦が、これまでにお世話になった方々へ感謝の気持ちを伝えて歩く『サンクス・タイム』いわゆる、『私たちがなんでもしますから、どうぞ何なりとお申し付け下さい』の時間、」
 修平が受け継いだ。「そして第二部は文字通り二組の新婚夫婦をご来場の皆さまに祝福していただく『ブレッシング・タイム』いわゆる『こんな私たちですが、どうぞ見て、いじって、からかって下さい』の時間です」
 招待客が一様に怪訝な顔をした。

「ともあれ、新郎、新婦の入場ですっ! 皆さま拍手でお迎え下さい」
「あー、カメラをお持ちの方、足下にお気をつけください。なにしろステージはプールのど真ん中です。誤って水の中に落ちたらみっともないですよ」

 ピンクの執事服の健太郎はピンクのメイド服の春菜の手を、ライトブルーの執事服の龍はやはり同じ色のメイド服を着た真雪の手をとり、ゆっくりと後ろの桟橋を通ってステージ上に立った。たくさんのカメラのフラッシュが焚かれた。

「さて、結婚というものは、二人だけの努力で成されるモノではありません」修平が言った。「まだ新婚二ヶ月の俺が言うのもなんですけど、今まで大切に育てて下さったご両親を始め、生まれてこれまで自分に関わりのある幾多の方々のお力がなければ実現できないものです」
 夏輝が言った。「第一部の『サンクス・タイム』は、彼らが、ここにおいでの方々への感謝の気持ちをお伝えするべく、それぞれのテーブルを回り、その気持ちを伝えて歩きます」
「どうぞ、食べたい料理、飲みたいお飲み物などございましたら、遠慮なくやつら、もとい、彼らにお申し付け下さいませ」

 それからしばらくの間、二組の新郎新婦は、招待客のテーブルを回り、かいがいしくもてなしをした。しばらくして健太郎が司会のマイクの近くに設けられた小さな二人用のテーブルにつかつかとやって来た。「おい、修平!」
「お、ケンタ。おめれとう」生ハムを口から半分出したまま修平が顔を上げた。
「何が『おめれとう』だ。わざとらしい! それより、何なんだ、この衣装」
「似合ってるよ」修平の横でビールを飲み干した夏輝が言った。「ついで、執事のケンちゃん」
 健太郎は持っていたビールを夏輝のグラスに注ぎながら言った。「これのどこが結婚披露宴なんだよ!」
「俺たちに文句言うなよ、ローストビーフ食いたいな」
「こっ、こいつっ!」健太郎はしぶしぶ料理の並べられたテーブルへ向かった。そして皿にローストビーフとミニトマトを山程盛って、修平の目の前に置いた。

「感謝の気持ちを表すって大切だぞ、俺も学校で生徒たちに毎日のように言ってる。コトバや態度に出さなきゃ相手にはその気持ちが伝わらないってな」
「だ、だからってなんでこんな格好、」
「ほら、見てみなよ。ケンちゃん」夏輝が指さした。その先にはメイド服姿の春菜と真雪がこぼれんばかりの笑顔で客の接待を続けていた。
「おまえも見習え、俺にもビール」修平がグラスをテーブルに置いた。健太郎はいやいやながらそのグラスになみなみとビールを注いだ。
「ほら、飲めよ、ケンタ」修平はそのグラスを健太郎に持たせた。隣の夏輝が自分のグラスを持ち上げた。「乾杯! ケンちゃん。ホントにおめでとう!」
「俺たち、心からおまえたちの結婚を喜んでる」修平はにっこりと笑った。



「さて、」夏輝がマイクに向かった。「いつの間にか主役の四人がいなくなりましたが、これには訳があります」
「十分にお客様へのおもてなしができましたでしょうか。もし、まだ足りない、と思われる方がいらっしゃいましたら、後ほどロスタイムを設けますので、その折りに存分に使ってやってください」
「現在四人はお色直し中です。とは言え、お客様をお待たせすることはありません。脱ぐだけですから。すぐです、すぐ」
「では準備が整ったようです。第二部、ブレッシング・タイムに突入ですっ!」

 大きな拍手が巻き起こった。

 ピンクのきわどい競泳用の水着姿の健太郎がピンクのビキニ姿の春菜の手を、同じようにライトブルーの小さな競泳用水着を穿いた龍が同じ色のビキニ姿の真雪の手をとってステージに立った。新婦二人のビキニのブラの中央には、大きなリボンがついている。新郎二人のビキニの脇にも紅白のリボンが結びつけられていた。

「やはりここはプールですから、四人はこのように思い出深い姿で皆さんからの祝福を承ります」
「それでは簡単に、どうして思い出深いかの説明を致しましょう」
「はい。皆さんもご存じの通り、龍くんと真雪嬢は小さい頃からこのスクールで水泳を学んでおりました。それも龍くんのご両親から。自然と二人の心も近づいていき、いつしか二人はお互いの身体を求め合い、貪り合うまでになったのでした」

「しゅうちゃんっ!」真雪がステージから大声を出した。「恥ずかしいこと、言わないでっ!」
「だって、原稿に書いてあるもん、ほら」修平は持っていたメモをひらひらさせた。
「ご紹介が遅れました。今回私たちがしゃべる脚本を担当したのは、この会場のオーナーでもあります海棠ミカ大先生でございます」

 会場内が拍手に包まれた。ミカが立ち上がって手を振って見せた。

「そして健太郎くんもこのスクールの生徒。実は彼がああいう姿でいるところを、春菜嬢は見初めたのです。何とドラマチックなお話!」
「ケンちゃんの逞しい身体にくらくらしてしまい、結果春菜さんは一瞬で恋に落ちたと言えるでしょう」

 ステージの健太郎は思いきり赤面していた。

「どうぞ、新郎新婦は椅子におかけ下さい」夏輝が促した。ステージの横長のテーブルに向かって四人は並んで座った。

「さて、彼らの前にチョコレートケーキが3つも運ばれて参ります」
「今日はバレンタインデーだし、チョコレートの日でもあるしね」夏輝が修平に顔を向けて言った。

 豪華なチョコレートケーキがたけし、ひろし、あつしの手によって運ばれてきた。

「もちろん提供は『Simpson's Chocolate House』ーっ!」ひときわ声だかに叫んだ修平はガッツポーズをした。

 割れんばかりの拍手と歓声が会場内に響き渡った。

「一生に一度食べられるかどうか、という見事なウェディング・ケーキ。当然全てチョコレートケーキ。腕をふるったのはアルバート・シンプソン翁、ケネス・シンプソン氏、そしてシンプソン健太郎くん本人、実に親子三代のショコラティエによる傑作、芸術品ですっ!」

 また大きな拍手が巻き起こった。

「祝福タイムですから、どうぞ、順番にステージまでおいで下さり、新郎新婦によって提供されるお好みのケーキを召し上がりながら彼らに祝福の言葉を掛けてやって頂ければ、こんなに嬉しいことはありません。と本人たちが申しております」
「くれぐれもステージまでの桟橋では足を踏み外さないよう、十分にお気をつけ下さい」
「でもま、万一プール内に落ちたとしても、二人の新郎ライフセーバーがすぐに助けてくれます。なにしろ、そんな格好ですから」

 会場内から笑いが起こった。

「しかし、だからいって、ワザと水に落ちたりしないでください。一応彼らは主賓ですし、ケーキに塩素臭い水が掛かってしまっては台無しですから」

 どっ! また会場から笑いが起きた。

 次々に招待客はステージに詰めかけ、四人に祝福の言葉を投げた。四人はその返礼に、目の前のケーキを切り分け、白い皿に載せて手渡した。

 司会の修平と夏輝は、大きなデキャンタを持ち、テーブルを回ってコーヒーのサービスをしていた。
「私たちも働いております」修平が手に持ったワイヤレス・マイクに向かって言った。
「修平、黙って働くのっ!」別のテーブルにいた夏輝もマイクで言った。
「修平君、今日は本当にありがとうね」ケンジの母親が、コーヒーを入れたカップを持った修平に声を掛けた。「真雪も健太郎も、それに龍も春菜さんも、すばらしいお友達を持って幸せだわ……」
 カップを彼女の目の前に置いて修平は言った。「いや、俺の方こそ、彼らにとってもよくしてもらってます。俺が夏輝と結婚できたのも、彼らのおかげ。ほんとにいい友だちですよ。」
「ケンジとマユミ、二人がこんな素晴らしい時間を私たちにくれたんだ、って思うと、なんだか胸が熱くなってくる」
「お二人にも俺たち、いっぱいお世話になっちゃって」
「そうなの?」
「はい」
「あの二人、双子なのに、いがみ合ったかと思ったら、急にべたべた仲良くなっちゃったり、よくわからない兄妹だったのよ」
「そ、そうなんですか……」
「それが、立派にあの子たちの父親や母親になってるんだから……」彼女は目を細めてステージ上の孫たちを温かく見つめた。

 夏輝はシンプソン家のテーブルにいた。
「ほんま、わたしたち、幸せモンやな」シヅ子が夏輝に笑顔を投げかけた。
「おめでとうございます。シヅ子おばあさま」
「春菜さんみたいな、かわいくて素敵なお嫁はんもろうて、健太郎は果報モンやで、ほんまに」
「いい子ですよ、春菜。あたしも自信を持ってお勧めします」
「わかってるがな。ほんま、よう気がつくええ子や。それに龍くんも立派になって」
「彼の小さい頃から知ってらっしゃるんでしょ? おばあさま」
「ああ、もちろん知っとるで。ちっちゃい頃から元気で明るくて、優しい子やったわ。お父さんによう似て」
「ケンジさんに?」
「そや。ケンジも高校の時から知っとるけどな、うちのマユミさんとそれはそれは仲のええ、素敵な少年やったわ」
「仲良しだったんですね、ケンジさんとマユミさん」
「そらもう、兄妹言うより、まるで恋人同士みたいやったわ」
「龍くんと真雪、お似合いですね」
「ほんまやな。そやけど、今までも家族同然につきおうてきたよってに、結婚っちゅうてもあんまり実感がわけへん」シヅ子と隣のアルバートは一緒に笑った。
「夏輝サンも食べてくだサーイ、ワタシのケーキ」
「もちろんです。頂きます」



「ユウナもリサも、今日は本当にありがとう」真雪が前に立った二人の女性にケーキを手渡しながら言った。
「おめでとう、真雪」「おめでとう」
「ユウナ、豪ちゃんとはうまくやってるの?」真雪が訊いた。
「そりゃあ、結婚してまだ一年ちょっとしか経ってないんだ。今からうまくいかなくてどうすんのさ」
「それはそうだね」

 ユウナは高校の時の同級生高円寺豪哉と昨年結婚していた。

「高円寺君、毎日すっごく忙しそうよ」リサが言った。「オーダーメイドのお弁当、ずっと作ってるもの。私がお店に行った時はいっつも」
「そうなんだね。ユウナも配達、大変なんじゃない?」
「ま、今のうちにお店出す資金貯めとかないとね」
 真雪の隣の龍が言った。「豪哉さん、近いうちに料亭を持つって言ってたけど、本当なの? ユウナさん」
「ああ。まったく夢みたいなこと言っちゃってさ。まだ料亭の看板ほどしかお金貯まってないっつーのに……」
「高校の時から、かなり無鉄砲なところはあったけどね、豪ちゃん」
「そうよね。でも高円寺君、なんだかんだ言ってこれまでもその『無鉄砲』でうまくいってるわけだし、遠くない将来、きっと立派な料亭のご主人になってるんじゃない?」
「料理の腕前は一流だからね」真雪が微笑みながら言った。
「そうなったらユウナさんはその料亭の女将さんなんだね」龍が言った。「楽しみだね」

「それはそうと、」ユウナが言った。「リサはまだ結婚しないの?」
「今のところ、予定なし」
「でも、つき合ってる人はいるんだよね?」真雪が訊いた。
「一応はね」
「今から愛を育てる、ってとこだね」ユウナが言った。
 リサが唐突に言った。「私ね、龍くんみたいな人と結婚したい」
「へ?」龍が驚いてリサの顔を見た。
 ユウナが慌てて言った。「あ、あんた、まさかこの場で龍くんを真雪から奪おうなんて考えてるんじゃないでしょうね?」
「と、とんでもない!」リサは右手を激しく顔の前で振った。「龍くんみたいな、って言ったでしょ?」
 ユウナはほっとしたように言った。「まあ、この期に及んで真雪から龍くんを奪うなんて絶対不可能だけどね」
「できれば年下。私より背が高くて、行動力があって、優しくて男前で」
「確かに龍くんだね。その特徴」

 龍が赤くなって言った。「お、俺そんな男じゃないよ……」

「こんな風にシャイなのが絶対条件」リサは微笑んだ。
「そう言えばあんた、」ユウナが言った。「高校ん時から龍くんのこと気にしてたもんね。かわいい、弟にしたい、っていつも言ってたよね」
「そうなの。だから私、龍くんが真雪とつき合ってるって知った時はすっごくショックだった」
「そ、そうなんだ……」龍が小さくつぶやいた。
「ただのいとこ同士だって思ってたのに……真雪に裏切られた気分だった」リサが悪戯っぽく真雪を睨んだ。

 ユウナが気まずそうにリサと真雪の顔を見比べた。

「そ、そうだったの……ごめんね、リサ……」真雪が申し訳なさそうに言った。
「って、大丈夫。真雪が謝ることなんかないわよ。それに、」リサは笑った。「それからよく観察してたら、龍くんは真雪といっしょになるべき男のコだってことがわかってきた。私なんかじゃ百パーセント無理。思えばあれからずっと真雪と龍くんはもうすっごくお似合いだと思う」
「確かにお似合いだ。龍くんと真雪。いつも。どんな時でも」ユウナも言った。
「二人を見てると、何だか、とっても癒されるのよ」
「癒される?」
「二人がラブラブなのを見ると、私すっごく幸せな気持ちになる」
「わかる」ユウナも言った。「この二人、幸せが溢れすぎて、周りの人間まで幸せにしちゃう感じがするよね」
「そうそう。その通り」リサはまた笑った。龍は照れて頭を掻いた。
「ねえねえ、二人の写真、撮らせてよ」ユウナが言った。「リサ、カメラカメラ」

 ユウナに促されて、リサはデジタルカメラをバッグから取り出した。

「水着姿の二人って、輪を掛けてお似合いだよね。龍くんも真雪もモデル並みのセクシーさ」
「うん。私もそう思う」
「笑って」ユウナが言って笑顔を作った。龍は真雪の身体に腕を回して頬同士をくっつけ合った。パシャ! フラッシュが光った。
「龍くんったら、無意識に真雪のおっぱいに触ってるよ」カメラの背面の液晶画面を確認しながらリサが楽しそうに言った。
「え? そ、そうだった?」龍は慌てて真雪から手を離した。
「触りたくもなるよ。抜群の美乳だからね、真雪は」ユウナも笑った。

「ごめんね、さっきは変なこと言っちゃって」リサが真雪の手をとった。「時々遊びに行ってもいい?」
「もちろん。いつでも来て。歓迎するよ」真雪が言った。
 ユウナは真雪と龍に目を向けた。「いつまでもラブラブでいてね。私たちのためにも」
 リサも言った。「お幸せに」
「ありがとう、ユウナ、リサ」



 二組の新郎新婦の前のケーキは、瞬く間になくなってしまった。龍はトレイを下げに来たホールスタッフのたけし、ひろし、あつしに声を掛けた。

「三人とも、今日はありがとう。いろいろ雑用を任せちゃって、申し訳ない」
「何言ってやがる」ひろしが笑顔で言った。「俺たちが買って出たんだ。気にすんな」
「三人とも、ちゃんと食べた?」真雪が申し訳なさそうに言った。
「いただきました」たけしが言った。「けっこうつまみ食いしてたから」
「あ、飲み物に牛乳準備するの、忘れてたね」真雪がしまった、という顔をして言った。
「……いや、普通披露宴に牛乳は置かないでしょ」たけしが言った。
「焼きスルメはあったけどな」ひろしが言った。
「母さんのシュミなんだ……」龍が恥ずかしげに言った。そしてすぐに真雪の顔を見て続けた。「でもなんで牛乳なんだよ、真雪」
「だって、ひろしくんの背、伸ばすために……」
「大きなお世話ですっ、真雪さん」

 ひろしは身長が中三の頃の160㌢のままだった。

「そうかー。そうだよな」龍が言った。「確かに未だにその身長だからなー、ひろし。買ってきてやろうか? 表のコンビニから」
「ぶん殴るぞ」ひろしは拳を握りしめた。「それにおまえ、そんな格好で買いに行く気かよ」

 一同は笑いに包まれた。

「あ、それに、ケーキ、食べられなかったね、三人とも」真雪がまた、しまったという顔をした。
「ご心配なく」たけしが言った。
「俺たちのために、ケニーさん、特別にケーキこしらえてくれてたんす」ひろしが言ってウィンクをした。
「え? ホントに?」龍が言った。
「うん。ちょっと小ぶりだけど、すんげーうまかった」
「ホールでいろいろやってたらきっと食べられないだろうから、って」あつしが顔を赤くして言った。
「パパがねえ」
「そうなんすよ」
「粋なことやるね、ケニー叔父さん」

「ところで、あつし、」健太郎が割って入った。「おまえ、なんで赤い顔してるんだ? 飲み過ぎたか?」
「こいつ、」ひろしがおかしそうに言った。「真雪さんと春菜さんの水着姿に酔っちまって」
「そうか。あつしは奥手でシャイだからな。三人の中では」
「そ、そんなに顔、赤いですか?」あつしはますます赤くなって恥ずかしそうに言った。
 春菜が言った。「彼女、いないの?」
「……は、はい、まだ……」
「っつーか、こいつまだチェリーボーイなんすよ。21なのに」ひろしが言った。
「ば、ばかっ!」あつしが小さく叫んだ。「よ、余計なこと言うなっ!」
「龍を見習え」
「そうだそうだ。こいつは中二の頃はすでに真雪さんと毎晩エッチしてやがったんだぜ」
「毎晩なわけあるかっ!」龍が赤くなって言った。
「羨ましいったらありゃしない。このやろめ!」

 真雪がにこにこしながら言った。「じゃあ、試しにあたしの胸、触ってみる? あつしくん」
 あつしが顔を上げた。「え? いいんですか? 真雪さん」

「だめだっ!」龍が叫んで真雪の水着姿の身体をぎゅっと抱き寄せた。

「変わってねえなー、龍。わっはっは!」たけしとひろしは大笑いした。
「やばい……」あつしは鼻を押さえた。指の間から血が垂れている。「は、鼻血が……」



「さて、宴もたけなわですが、」司会の夏輝が元の場所に戻って言った。「これからもたけなわです」
「なんじゃ、そりゃ」隣の修平がマイクでたしなめた。
「いや、だからね、まだお開きじゃないって、言いたかったんだよ」
「じゃあ最初からそう言え」
「えー、この披露宴には実質お開きがありません」
「なんでだよ! それじゃ新郎新婦が疲れてしまうだろ?」
「これがホントの疲労宴、なんちゃって」

 どっ! 会場が沸いた。

「いいかげんにしろ!」修平が呆れて言った。
「ほんとにいつまでもいていいんですよ、お客様方」夏輝は客に向かって言った。
「はい。実はこの会場、普通のホテルや結婚式場と違い、なにしろ実行委員の海棠夫婦の経営です」
「ですから、時間を気にせず、盛り上がれる、ということで」
「お酒の持ち込みも自由。はす向かいにコンビニもありますので、お好きなモノを持ち込んでそのままここで二次会でも」
「とは言え、いつまでもお客様をお引き留めすることは、我々の本意ではございませんので、」
「お帰りの際は、私たち司会にお声を掛けて下されば、記念の品をお土産としてお渡しし、心を込めて新郎新婦がお見送りをさせていただくことになっております」
「その際は、けっして彼らの身体に触ったり、衣装に手を掛けたりしないでください」
「ここは妖しげな飲み屋かっ!」
「いや、何しろ裸同然だし」
「と、とにかく、お時間の許す限り、お楽しみ下さいね。って、俺とうとうケーキ食えなかった」
「突然何言い出すかな」
「だって、俺おまえとの結婚式の時もケーキ食えなかったんだぞ」
「あたしも食べられなかったよ。でもそれってあんたのせいでしょ?」
「そうだったっけ?」
「あんた大切なケーキ入刀の時、つまづいてケーキに顔突っ込んだじゃないか!」
「おお、そうだった、そうだった」
「そうだった、じゃないっ! あたしめちゃめちゃ恥ずかしかったんだからね」
「そういうおまえも衣装替えして会場に戻ってきた時、自分のドレスの裾踏んですっころんだだろ?」
「そうだっけ?」
「そうだよ。その時俺の腕にしがみついて、上着のボタンが一つはじけ飛んだよな!」
「事故だよ、事故」
「飛んだボタンが来賓で呼んでた俺の学校の校長の額を直撃。俺、相当恥ずかしかったんだからな。あの時」

 会場は笑いに包まれていた。「いいぞ! もっとやれ!」一つのテーブルから声が掛かった。

「な、なにやってんだ、おまえ、俺たち司会者だぞ! 漫才やってる場合じゃねえだろ!」
「あんたがツッコミ入れるからじゃない」
「よし、それじゃ新郎新婦ネタでいくか」
「主賓だからね。賛成」

「さて、新郎の一人健太郎は、そこにいるもう一人の新婦の真雪とは双子の兄妹であります」
「そうです」
「小さい頃から二人は非常識に仲が良く、ずっと寝る時は手を繋いでいたとか」
「小学校卒業する時までね」
「はい。そしてそのままつき合って結婚するのではないか、と我々も心配しておりましたが、」
「そんなわけあるかっ!」
「海棠家の龍に真雪を奪われてしまってからは、健太郎、ちょっと焦ってたようであります」
「はい。龍くんと真雪が目の前でいちゃいちゃするのを見せつけられ、何度か鼻血を噴いたことも」
「あったらしいねー。しかし、確かに龍と真雪は人目も憚らずいちゃいちゃするのが得意で」
「あたしたちも何度か見せつけられたよね。そうそう、実は龍くんは真雪の巨大なバストが大好きで、」
「おいおい、そんなことバラしていいのか?」
「めでたい席だからいいの」
「知らねえぞ、俺」
「大丈夫。みんな酔ってる。明日には忘れてるよ」
「なんでやねん」

 夏輝と修平の漫才は延々と続き、会場の雰囲気を和ませた。



 健太郎はピンクのスーツ、龍はライトブルーのスーツ、春菜はピンクのドレス、そして真雪は龍とおそろいのライトブルーのドレスに着替えて席についた。

 昼前から続いていたダブル披露宴は薄暮の頃ようやく一段落がつくことになった。

「さて、結局今の時点まででお帰りになるお客様はいらっしゃいませんでしたが、」
「ありがたいコトですね。二組の新郎新婦に成り代わりまして、厚くお礼を申し上げます」夏輝と修平は同時に頭を下げた。
「それでは、一旦シメましょう」
「はい。そうしましょう」
「こうなることは予想しておりませんでしたので、予定にはなかったのですが、」
「新郎新婦のご両親への花束贈呈、並びにご両親からのご挨拶を頂きたいと思います」
「花束はさっきわたくしが大急ぎで買って参りました」
「はい、ごくろうさん」
「それでは、ご両親様、ステージにお進み下さい」

 ケンジとミカ、ケネスとマユミ、そして春菜の両親がステージに上がった。

「今まで、本当にありがとう、パパ、ママ……」春菜は目に涙を溜めて花束を父親に渡した。健太郎が隣の母親に花束を渡した。「春菜さんを頂きます。大切にします」
「健太郎くん、」父親が微笑みながら声を掛けた。「君が娘を大切にしてきてくれたことは、私たちもちゃんとわかっている。これからもいっしょに、どうか、仲良く……」そして声を詰まらせた。

「何だか、照れくさいけど、」真雪がケンジに花束を渡した。「これから、どうぞよろしくお願いします」
 龍はミカに花束を手渡した。「俺をここまで育ててくれて、感謝してる。ありがとう、母さん、父さん」
 ケンジが言った。「やっと来てくれたね、真雪」そしてにっこりと笑った。

 春菜が二つ目の花束を手に取り、ケネスに向き直った。「お父さま。こんな私ですが、末永くよろしくお願い致します」そうして花束を彼に手渡し深々と頭を下げた。
「いっしょに楽しくやっていこうな、春菜さん」ケネスは春菜の手を取った。

 健太郎はマユミに花束を手渡した。「母さん……」
 マユミは目に涙を溜めて小さな声で言った。「あたし、あなたを産んで、本当に良かった。間違ってなかった……」

 ケンジが渡されたマイクを持ち、招待客に向かって話しはじめた。
「この度は、我々の子どもたちの結婚を祝う披露宴にお越し下さいまして、誠にありがとうございます。親を代表して、僭越ながら私海棠ケンジが、皆さまにお礼のご挨拶を申し上げます」

 一息ついて彼はゆっくりと続けた。
「我々は、この子たちの成長をずっと見てきました。そしてこの子たちが立派に成長する手助けをしてきたつもりです。結婚が成長のゴールではもちろんありませんし、これからも彼らは幾多の困難にぶつかりながら成長を続けていくことでしょう。しかしこの結婚を機に、彼らの心の中に生まれた誓いというものを私たちも大切にしなければならないと思います。恋人時代だった今までのように、ただ甘いだけの時間、ただ優しいだけの気持ちだけでは、夫婦は共に過ごすことができないからです。お互いの全てを知り、受け止め、解り、返し、また受け止め。こういうことを繰り返しながら過ごしていかなければならないのです」ケンジはちらりとミカを見た。「しかし、何と言ってもお互いを結びつけるものは『癒される想い』だと私は思っています。向き合って会話をする、腕を組んで歩く、手を取り合う、キスを交わす、抱き合う。そこにお互いが癒やしを感じなければ夫婦とは言えない。たとえ外で困難にぶつかり、心が折れそうになったとしても、家庭に戻ればお互いが癒し合える。そういう関係でなければなりません」

 ケンジは神妙な顔の四人の方を向いた。

「今、その想いは彼らの中に溢れています。ご覧いただいていればおわかりのように、この二組のカップルがお互いを想う気持ちは強く、また大きい。今のその気持ちをどうか、忘れずに」そしてまたケンジは正面を向いた。「そして我々はそれを、これからも見守り続けます。本日はどうもありがとうございました」ケンジを始め、三組の両親は頭を下げた。

 会場から大きな拍手が贈られた。

「ありがとうございました。ケンジさんの言葉は染みますね」夏輝が言った。
「そうですね。あんなお父さんだから、龍はまっすぐ育ったんだろうね」
「真雪、幸せもんだね。長時間ステージに立って頂き、ありがとうございました。ご両親は席にお戻り下さい」

 夏輝が促すと、新郎新婦が両親をエスコートして元の席に案内した。

「さて、」修平がマイクを持ち直した。「皆さまに、ビッグなプレゼントのお知らせです」
「お知らせです」
「この度無事結婚を果たした二組のカップルは、三日後ハネムーンに出発します」
「はい、嬉し恥ずかしハネムーン」
「そして我々夫婦も同日ハネムーンに出かけます」
「何しろ、私たち二人とも忙しくて、去年の末の結婚後、すぐに出かけられなかったからです」
「はい。そういうことです。そして行き先はハワイ」
「思い出のハワイですね、海棠家とシンプソン家にとっては。9年ぶり」
「はい。そうですね。というわけで我々6人で一緒に行くことになってます」
「これはびっくり!」
「自分で言うな!」
「そんなんハネムーンって言うのか?」
「いいだろ。賑やかで楽しげじゃんか」

「もちろん、ちゃんとプライベートな時間はたっぷり確保してあります。そこで、」夏輝は語気を強めた。「6人で皆さまにお土産を買って参ります。どうぞご期待下さい」
「結局割り勘にしたかった、ってことか?」修平が言った。
「そんな不必要に深読みをしないの」
「私たちも初めてのハワイにわくわくしています。でも、一度行ったことのあるケンタや真雪や龍にたっぷりガイドしてもらうつもりです」
「おまけに春菜にも通訳を頼めるしね」
「おまえも下心十分じゃねえか」





《5 ハネムーン》

 その五日後。どの客室からもワイキキビーチが広く見渡せるホテル。その最上階レストラン。

「懐かしい!」龍がレストラン入り口で叫んだ。
「ほんとだね」真雪も言った。
「前に来た時も、このレストランでディナーだったよね」テーブルに案内されながら龍が健太郎に言った。
「そうだったな。あん時はミカさん相当酔っ払ってて大変だったよな」
「で、その晩ケン兄は、」龍がおかしそうに口を押さえた。
「なんだよ」
「素敵な時間を過ごしたんだよね」
「いいなー、」春菜がつぶやいた。「私も来たかったなー、その時」

「すんげーいい感じじゃね?」修平がホールを見回しながら言った。
「さすが観光地って感じだね」夏輝が言った。

 6人はテーブルを囲んだ。

「で、龍たちは今日のツアーどうだったんだ?」
「真雪がさ、どうしてもやりたかったって言って、ノースショアで乗馬だよ」
「へえ、ハワイで乗馬ができるんだ」
「海岸をね、40分ぐらいだけどね」真雪が言った。「気持ち良かったよ。馬もおとなしかったし」
「おまえにかかっちゃ、どんな馬でもおとなしくなるだろ。龍を含めて」健太郎が言った。
「俺、馬じゃないし」龍が言った。「それにウミガメも見たし、なかなか満足した。ところで修平さんたちは随分早くにホテルに帰ってきてたみたいだけど」
「ああ。ツアーの出発が朝早かったからな」
「シュノーケリング、どうだったの? 夏輝」春菜が訊いた。
「あたし、初めてだったけど、すっごく感動した。海があんなに透明だとは思わなかった」
「修平は経験あったのか?」健太郎が訊いた。
「いや、俺も初めてだったよ。なんだが病みつきになりそうだ。インストラクターも親切だったしな」修平がにやにやしながら言った。
「こいつな、若い女のインストラクターにでれでれしちゃって。まったく」夏輝がため息をつきながら言った。
「いやあ、外国人ってスタイルいいかんなー」修平が頭を掻いた。「そういうおまえだって、男のインストラクターにえらく愛想良くしてたじゃねえか」
「だってイケメンだったんだもん」
「よくあるハネムーンでの亀裂のきっかけ、ってやつだね」龍がおかしそうに言った。

「春菜たちは?」真雪が訊いた。
「俺たちはずっとワイキキビーチとショッピングだったな」
「ゆっくり過ごせたよね」春菜が言った。「絵を描く時間もあったから、充実してた」
「さすがだね、春菜」夏輝が言った。

「明日はみんなで『ウェット・アンド・ワイルド・ハワイ 絶叫ウォータースライダーを楽しもう!』だなっ!」修平が嬉しそうに言った。
「修平さん、そんなの好きそうだね」
「いくつになっても遊園地の絶叫系はわくわくするね」
「へたすると、こいつ、一人で勝手に盛り上がっちゃうからね。あたしのこと放っといてさ」
「でも、その明日のために夏輝、新しい水着買ったんだろ? 今日の昼間」修平が言った。
「うん。春菜といっしょに選んだよね」
「夏輝のビキニかわいいんだよ」春菜が健太郎に言った。
「へえ。明日が楽しみだね。ルナのは?」
「内緒」春菜は赤くなって小さく言った。
「なかなかきわどいんだよ、ケンちゃん。楽しみにしててね。そうだよ、春菜今夜着て見せればいいじゃん。ケンちゃんにさ。そしてそのまま雰囲気を盛り上げてなだれ込めば?」
「それもいいかも」春菜がさらに聞こえるか聞こえないかぐらいの小さな声で言った。

「でも、春菜、ケンちゃんの水着も買ってたよね」
「え? そうなのか?」健太郎がちょっと驚いて言った。
「そうだよ。知らなかったの?」
「俺、修平とコーヒー飲んでたからなーその時」
「どんな水着?」龍が興味を示した。
「明日見られるよ」夏輝が楽しそうに言った。

 ウェイターが飲み物を運んできた。

「よしっ! 乾杯しようぜ!」修平が威勢よく言った。6人はビールの注がれたグラスを手に持った。
「我々の幸せな未来のために!」健太郎が叫んだ。「かんぱいっ!」

 乾杯ーっ! グラスが触れ合う軽快な音が響いた。一同は手に持ったグラスのビールを飲み干した。

「ぷはーっ! やっぱ熱帯のビールはうめーな!」修平が口を拭った。
 夏輝がテーブルに並んだ瓶を手に取った。「これって、ハワイのビール?」
「そう。コナビール。ヤモリのロゴがかわいいよね」春菜が言った。
「これってヤモリなんだ」
「そう。幸運のシンボルなんだってさ」龍が言った。「今飲んだのはビッグボード・ラガー。コナビールと言えばこれだね」
「そう言えば昼間見た。このラベル。ショッピングセンターで」
 龍はメニューを手に取って、みんなに見せながら言った。「これが軽めのビッグウェーブ・ゴールデンエール。フルーティで飲みやすいよ。そしてこっちはコクのあるファイアロック・ペールエール」
「全部飲んでみよ」夏輝が言ってウェイターに手を振った。

「しかし、龍はものをよく知ってるよ」修平が感心したように言った。「さすがジャーナリストだけのことはあるな」
「今はパソコンがあるからね。それでも龍の部屋は本だらけなんだよ」真雪が呆れたように言った。「あたしたちが住むとこなくなりそうだよ」
「それは半分真雪のせいだろ」龍がオードブルをがっつきながら言った。
「なんであたしのせい?」
「俺が君を『マユ姉』って呼んでた頃に、君の博識さに感動してさ。それから俺、本を読みあさるようになったんだから」
「マユはたしかに一つのものに熱中するととことん、って感じだったからなー」健太郎はビールを煽った。
「そのお陰でいろんな資格を取れたんだよね」春菜が言った。

「にしても、」夏輝が龍を見て言った。「もっとさ、味わいながら食べたら? 龍くん。もうその皿、何にも載ってないじゃん。しかも使う前のようにきれいになってる。舐めたみたいに」
「これが俺の味わい方なんだ。ちゃんと全部食べてるでしょ」

 真雪が一同に向かって言った。「龍はね、セックスをフルコースに喩えたことがあってね」
「ええっ?」健太郎が眉を寄せた。
「そんなこと覚えてるの? 真雪」龍が少し驚いたように言った。
「あたし一生忘れないと思うよ。あなたから聞いた時、すっごく感動したもん」
「で、で、どんな喩えなんだ?」修平が身を乗り出した。

 真雪は声のトーンを落とした。「抱いて身体を重ね合うオードブル、おっぱいはサラダ、舐めるのはスープ。そしてメインディッシュはフィニッシュ」
「なかなかの喩えだ。確かに」夏輝が言った。
「キスはお酒。食事の間、何度も味わって気持ち良くなるから」
「なるほど」
「そして余韻がコーヒーで、その後の会話がスイーツ」
「龍もやるねー。うまいこと言う」
「だから、それは受け売りだってば」龍が照れながら言った。
「それにしちゃ、龍、最初のオードブルから、えらくがっついてたようだが」健太郎が龍を横目で見て言った。
「もう我慢できないんじゃない?」夏輝が言った。「早く真雪を抱きたいんでしょ?」
「やだー、龍のエッチ!」真雪は隣の龍の後頭部を軽くひっぱたいた。
「ち、違うよ!」龍は赤面した。





《6 ケネスの過去》

 『シンチョコ』の定休日。別宅、離れのリビングでミカとケンジ、ケネスとマユミが午後のコーヒータイムを楽しんでいた。

「久しぶりにスクールの休みとかぶったね」ミカが言った。
「ほんまやな。こうして四人でゆっくりコーヒータイムできるのも、しばらくぶりや」
「あいつら、今頃お楽しみ中かな」ミカが時計を見て言った。
「ディナーも済んでやれやれ、ってところだな」ケンジが言った。
「やつらにとってはこれからがわくわくのプライベートタイム。一晩中寝る暇なんてないよ、きっと」

「そやけど、わいらもええ歳になってもうたな」
「まだまだだよ」マユミが言った。「これからじゃない」
「マユミの言うとおり。人生これからが本番。楽しまなきゃ」
「そうだな。子どもたちも本格的に独立したわけだしな」ケンジが感慨深げに言った。
「龍と真雪はしばらくはケンジんちで一緒に暮らすんやろ?」
「ああ。でもなー」
「どないした?」
「龍の部屋、手狭になっちまって、二人で暮らすにはちょっと無理があるんだ」
「そうなんだよ」ミカが言った。「あいつと真雪、ふたりでも狭いのに、龍のカメラ道具、山のような本、パソコン。そこに真雪の持ち物が入るスペースはない」
「どうするの?」マユミが訊いた。
「今さ、マンションをいくつかあたってる」
「この近くにいい物件があるんだ。ほら、そこの公園の裏手」
「ああ、あそこな。日当たりも良さそうやんか。そやけど、あのマンション、二世帯どころの話やないで。広すぎるんとちゃうか?」
「いや、俺の両親もいっしょに暮らそうと思ってね」ケンジが言った。「もういい歳だし」
「そうなれば三世帯! ほんで龍と真雪に子どもでもできたら親子四代一つ屋根の下やないか」
「いいだろ? 理想的だよ。子どもにとっちゃ。じいちゃん、ばあちゃんと一緒に暮らせるなんてさ」ミカが言った。
「きっとパパもママも喜ぶよ。ケン兄ありがとうね」マユミが言った。
「おまえもアルバートさん夫婦、大切にしろよ」
「十分大切にしてもうてるで。マーユにはな」ケネスが微笑んでコーヒーを一口飲んだ。

「龍も真雪も、二人でけっこう蓄えてるみたいでさ。早ければ夏までには引っ越せるといいね、って言ってるとこだよ」
「ちゃんと考えてるじゃない、二人とも」マユミが感心したように言った。
「でもさ、うちに嫁さんがくる、っつっても、真雪だからな。あんまり今までと変わらない感じだ」ケンジが言った。
「そう言いながら、実はかなり嬉しいんだよ、この人」
「へえ、なんでやねん」
「うちは一人息子だったでしょ。娘が家にいるってだけで、雰囲気が全然違うよ。親子同然の真雪でもね」
「実は俺、ちょっと気を遣う。真雪に」
「手だけは出さないでくれよ」ミカが横目でケンジを睨んだ。
「出すかっ!」

「で、ここはどうするんだ? ケネス」
「店の二階から親父とおかんを追い出して、この離れの一階に隠居させるつもりや。わいとマーユが本宅の二階に住む。その方が店に出るのに便利やからな」
「じゃあ、今まで真雪がいた部屋は?」
「この二階の二部屋を一つにして新婚夫婦の部屋にしたらなあかん、思てる」
「なるほどな」ケンジが言った。


「それにしても、今日はいい天気だな」ケンジが一度伸びをしてそう言い、着ていたトレーナーを脱ぎ始めた。
「ほんとにね。まるで春の陽気ってとこだよ」ミカもそう言って上着を脱ぎ、黒いノースリーブのシャツ一枚になった。
「この部屋、日当たりいいからね」マユミが言った。「ぽかぽかして気持ちいいよね」
「ひょっとしてミカ姉、ノーブラか?」ケネスが訊いた。
「OFFの時は時々ね」
「ミカ姉のバスト、型崩れもせんと、若々しいな、相変わらず」ケネスが言った。
「そう?」ミカがセクシーポーズをとってみせた。「マユミもだよね」
「え? そんなことないよ」マユミが胸を押さえて少し照れたように言った。
「それが真雪に遺伝して、龍はその虜になった。ってか」ミカは笑った。

「ところでさ、」ケンジが身を乗り出した。「俺、いつか聞いてやろうと思ってたんだが、」そしてケネスを見た。
「な、なんやねん、ケンジ。わいのことか?」
「ああ。おまえさ、初体験って、いつで、相手は誰だったんだ?」
「おお! いいね。聞きたい、あたしも。マユミは知ってんの?」
「ううん。聞いたことない」
「よし、初公開、ケニーの初体験物語」
「そ、そんなこと今さらなんで話さなあかんねん」
「何だよ。おまえ今まで俺たちをさんざんおちょくっておきながら、自分の恥ずかしい過去を封印し続ける気か?」
「わいがいつおまえらをおちょくったっちゅうねん」
「いいから、話しなよ。もう30年以上も前の話だろ。何があったとしても時効だ時効」
「しゃあないな……」

 ケネスは語り始めた。

 ――トロントの片田舎でアルバートが始めた小さなチョコレートハウスは、地域の人々に愛され、固定客も増え始めていた。日本仕込みの腕の良いショコラティエ、アルバート・シンプソンの作るスイーツの味わいもさることながら、彼の妻で関西弁を遠慮なくしゃべるシヅ子も店の看板娘として、その評判に一役買っていた。そしてその夏、この店が話題になるもう一つの出来事があった。

「ほんま信じられん話やな」シヅ子が言った。「ケニーが全国大会で3位やなんて」
「本当にな」アルバートが微笑みながら言った。

(※註:アルバート・シンプソン始め、ここの話に登場する人物の話言葉はすべて日本語に翻訳されています)

「水泳というカナダではマイナーなスポーツを続けているというのも驚きだが、それで全国3位とはな。誇りに思うぞ、父さんは」そう言って彼は中学三年生の一人息子ケネスの頭を撫で回すのだった。

 小さな町のこと、その噂は一気に広がった。ケネスも店の看板になったと言っても過言ではなかった。


 ある日、ケネスは、以前からつき合いのあるカフェにココアパウダーとチョコレートを届けに行った。その小さなカフェ『ウォールナッツ』も、その町に古くからある庶民のための憩いの場として親しまれていた。いつものように店の主人はケネスを笑顔で出迎え、品物を受け取りながら言った。「全国大会で3位だったってな、ケニー。すごいじゃないか」
「ありがとうございます」ケネスは頭を掻いた。

(※註:ケネスが英語でしゃべる時は、当然ながら関西弁ではありません)

 店の奥から、手をかけているとは言いがたいカールした髪の女性が顔を出した。「お、ケニー! おまえやるじゃん。全国3位。すげえな」
「ジェニファー、君のその乱暴な言葉遣い何とかならないの?」
「そうだそうだ」店の主人もその娘の方を向いて言った。「そんなんだから、いつまでたっても彼氏ができないんだぞ」
「いらねえよ、彼氏なんて」そして彼女はすぐに顔を引っ込めて二階にどたどたと上がっていった。

 その店には兄妹がいた。兄はすでに成人していて両親と一緒に店を切り盛りしているトニー(22)、そして妹が今のジェニファー(19)。彼女は法律の勉強のために大学に通っていた。

「それじゃ、これ、お代な。ケニー、アルバートによろしく」
「わかったよ、おじさん」
 ケネスは店を出た。


 トロントの夏は短い。あっという間に秋も過ぎ、11月がやってきた。そんなある日の昼下がり。

「ケニー、『ウォールナッツ』から今電話があった。クッキーの材料が足りなくなりそうだから、急いで届けてほしいって」
「いいよ」ケネスはアルバートからチョコチップの詰められた大きな袋を受け取ると、すぐに『ウォールナッツ』に向かって駆け出した。外は強い北風が吹いていた。
「すまんな、ケニー」店の主人はそれを受け取った。「ん?」主人は窓から戸外に目をやった。
「あ、」ケネスも外を見た。街路樹が真っ白で見えなくなっている。
「吹雪いてきた……。こりゃ当分やみそうにないぞ」
「珍しいね、この時期にこんなに……」ケネスはため息をついた。
「上がりな、ケニー。吹雪が収まるまで上でゆっくりしていけ」
「え?」
「これじゃ帰れんだろう。アルバートには私が連絡しておくよ」
「じゃ、遠慮なく」ケネスは二階への階段を昇り始めた。

 階段を途中まで上がったところで、上から声がした。「ケニー、こっちに来いよ」
 それはジェニファーの声だった。
「あ、ジェニファー」ケネスは言われた通りに彼女の部屋に入った。爽やかなラベンダーの香りがした。

「へえ……」ケネスは部屋の中を見回した。女の子らしい明るい部屋だった。暖色系の色合いで統一されていた。かわいらしいクマのアップリケのついたベッドカバーの掛けられたベッドの上に、不釣り合いな法律の本が伏せて置いてある。
「ま、ゆっくりしてけよ」ジェニファーが言った。
「ごめんね、勉強中だったんでしょ?」
「なんてことないよ。そこに座って、ケニー」

 ジェニファーがケネスをベッドに座らせた。ジェニファーも彼の横に座った。体温が感じられるほどの近さだった。ケネスは胸がどきどきし始めた。

「ケニーには彼女いるのか?」
「え?」突然の質問にケネスは驚いてジェニファーの顔を見た。彼女は頬を赤く染めて微笑んでいた。
「いるの?」ジェニファーがもう一度訊いた。
 ケネスはうつむき加減で小さく言った。「い、いないけど……」
「そうなんだー」ジェニファーはケネスの顔をのぞき込んだ。「じゃあさ、セックスもまだなんでしょ?」
「ええっ!」ケネスは真っ赤になって、またジェニファーの顔を見た。
「あたしが教えてあげようか、ケニー」
「ジェ、ジェニファー、ほ、本気で言ってるの?」
「知っといた方がいいよ、先々のためにもさ」いつものように屈託なく豪快に話すジェニファーの真意を測りかねていると、ジェニファーは急に立ち上がり、ケネスの前に立って出し抜けに彼にキスをした。
「ジェ、ジェニファー!」ケネスはますます真っ赤になって叫んだ。「だ、だっ、だめだよ、お、俺、そんな……」
「もしかして、キスも初めてだった?」
「……」ケネスは黙ってうつむいた。
「あたしさ、あんたに抱かれたかったんだよねー」
 ケネスはとっさに顔を上げた。「だ、だ、抱かれたかったって……」
「あんたの身体見てると、あたしの身体が疼くんだ。オトコのあんたにはわからないだろうけどさ」そう言いながらジェニファーは服を脱ぎ始めた。「ケニーも脱いでよ。教えてあげる」

 ためらっているケネスにしびれを切らしたジェニファーは、彼を半ばベッドに押さえつけながら服をはぎ取っていった。「あっ、あっ! ジェ、ジェニファー!」
 ケネスはあっという間に下着だけの裸にされていた。同じようにショーツ一枚になったジェニファーは、自分がベッドに押し倒したケネスの身体を見下ろして短く口笛を吹いた。「中学生のくせに、なに、その下着。超セクシーじゃん」

 ケネスは黒いピッタリとした短い下着を穿いていた。

「大丈夫、緊張しないで。あたしに任せて」ジェニファーは今までで一番優しい声でそう言うと、ケネスの身体に自分の身体を重ねた。
「ああ……」ケネスは情けない声を出した。自分の胸に弾力のあるジェニファーの乳房が押し付けられたからだった。彼のペニスはショーツの中ではち切れんばかりの大きさになっていた。

「咥えたら、すぐに果てちゃうかな?」ジェニファーがケネスの下着に手を掛けて言った。
「え? ええっ?! く、咥えるっ?!」ケネスは最高に動揺した。「くっ、くっ、口で咥えるの? こ、これを?」
「当たり前だろ。鼻で咥えられっか」
「ジェ、ジェ、ジェニファーの口が、僕の……」
「そうだよ。それがセックスの順序ってもんだ」

 ケネスは荒い呼吸をしながら言った。「た、たぶんすぐに出ちゃう……」

「そうか」ジェニファーは笑いながら下着をはぎ取り、ケネスを全裸にした。「じゃあ、少しだけね」
 ケネスに考える暇も与えず、ジェニファーはケネスのペニスを深く咥え込んだ。
「あああっ!」ケネスは突然襲いかかった快感に身を仰け反らせた。

 ひとしきりペニスを唾液で濡らしたジェニファーは身を起こし、ケネスの横に仰向けになった。「入れてみて、あたしに」
 ケネスは起き上がり、大きく広げられたジェニファーの脚の間にひざまづいた。そしてごくりと唾を飲み込んで恐る恐る自分のものを握り、初めて見るジェニファーの股間にあてがった。

「ゆっくりでいいからね。焦らないで、ケニー」
「う、うん……」

 すでにジェニファーの谷間は潤っていた。

「あ、も、もうちょっと下だよ」
「え? こ、このあたり?」

 彼女に手助けしてもらいながら、ケネスは自分のペニスをその神秘の場所に挿入し始めた。そしてそれは思いの外あっけなくそこに入り込んだ。「んっ!」ジェニファーが小さく呻いた。
「あ、ああ、いいよ、気持ちいい、ケニー。そのまま動いて」
「ジェ、ジェニファー」ケネスは腰を前後に動かし始めた。自分の部屋で息をひそめて一人エッチをする時とは比べものにならないほどの気持ちよさだった。そして目の前に絶頂がやってきた。

「あ、ああ、ジェニファー、ぼ、僕もう……」
「イくの? 早いね。でもそんなもんか。いいよ、ケニー、イって」

 ケネスは激しく腰を動かし始めると、すぐに大きく喘ぎ始めた。「ああああ、イ、イく、イっちゃうっ!」

「ケニー、」ジェニファーは自分の乳房を両手で握りしめた。

「で、出るっ!」ぐうっ! という呻き声とともに、ケネスは登り詰め、勢いよく射精を始めた。

「ああああああーっ!」ケネスは顎を上げて叫ぶ。「ジェ、ジェニファーっ!」


「どう? 気持ち良かったでしょ?」
「ジェ、ジェニファー、ぼ、僕……」
「やっと願いがかなった。あたしずっとケニーとセックスしたかったんだ」
「で、でも、ジェニファーはイけなかったでしょ?」
「初めてだもん。しょうがないよ。だんだん上手になるって」ジェニファーは並んで横になったケネスの頭を撫でた。


 その日からケネスはたびたび『ウォールナッツ』に通い、ジェニファーと繋がり合った。しかし、二人は恋人というわけではなかった。その時以外のつき合いはほとんどなかった。ただジェニファーのベッドで繋がり合い、気持ちよくなる瞬間を共にする、それだけの関係だった。


 そんなある日、いつものようにケネスはココアパウダーとチョコレートを持って『ウォールナッツ』を訪ねた。品物を渡した時、店の奥で働いていたジェニファーの兄トニーがケネスに声を掛けた。
「ケニー、ちょっと上がっていかないか」
「え?」
「おまえに話があるんだ。ちょっとだけ」トニーは洗った手をタオルで拭きながら笑顔でそう言うと、身につけていたエプロンを外した。
「来いよ」

 トニーの部屋は一階の奥にあった。ジェニファーの部屋と違い、質素な感じだった。ミントの香りがした。
 ケネスが部屋に入ったのを見届けたトニーは、笑いながら言った。「妹の身体、気持ちいいか? ケニー」
「ええっ?!」
「時々あいつを抱きに来てるだろ、おまえ」
「し、知ってたの? トニーさん」
「あいつ狙ってたんだ、以前からおまえを」
「ね、狙ってたって……」

 トニーはケネスに近づいた。そして静かに言った。
「俺も、おまえを狙ってた」いきなりトニーの口がケネスの唇を押さえつけた。「んんんっ!」ケネスは目を見開いて呻いた。

 ケネスの身体から熱いモノがこみ上げてきた。トニーの舌が唇を割って口の中に入り込んできた。ケネスは抵抗できなかった。いや、抵抗しなかった。ジェニファーとは違う温もりを、ジェニファーとは違う匂いを、ジェニファーとは違う肌の感触を、その時ケネスは味わっていた。

 いつしかトニーとケネスは全裸になり、ベッドで抱き合っていた。無言のままトニーがケネスの乳首を舐め、首筋を舐め、手でペニスをさすり、背中に腕を回して抱きしめる度、ケネスの身体は熱くなっていった。自分が男性に身体を愛されて感じていることを、しかし不思議に拒絶していなかった。重なり合ったトニーとケネスは、お互いのペニスを擦りつけ合って、先にケネスが、そしてしばらくしてトニーが絶頂を迎えた。二人の腹部に大量の二人分の精液が放出され、ぬるぬるとお互いの腹が擦りつけ合わされた。

 大きく息をしながら、上になったトニーは言った。「すまん、ケニー、オトコなんかに抱かれたくなかっただろ? でも俺、おまえを見てると我慢できない。我慢できなかったんだ……」
「ト、トニーさん、僕、何だか……」

 ケネスはトニーの身体の温かさを感じながら、目を閉じて荒い息が収まるのを待った。





《7 穏やかな休日》

「っちゅうわけやねん」話し終わったケネスは、少し赤くなってコーヒーカップを手に取った。

「ほう……」ケンジが言葉少なにうなずいた。
「甘酸っぱい体験、というにはちょっと強烈な……」ミカも言った。
「そ、それで、『ウォールナッツ』の兄妹とは、その後……」マユミが言った。
「いきなり店、たたんでしもてな、一家で引っ越してしもうた」
「え?」
「なんでまた……」
「わいのせいやあれへんで、店舗拡張やって親父言うてた。聞けばバンクーバーに移ったらしいわ」
「じゃあ、二人とはそれっきり?」ミカが訊いた。
「それっきりや。所詮恋愛感情抜きの身体の関係やったからな。わいも別に悲しいとは思えへんかったし、二人からもそれから何の連絡もなかった。まあ、ちょっとは寂しい気はしたけどな」ケネスがカップを口に持っていった。
「ふうん……」ケンジもコーヒーカップを口に持っていった。

「あんまりおもろい話やなかったやろ?」
「でもさ、あんた女からも男からも好かれるヤツだったんだね」
「ありがたいこっちゃな」
「それから何人かとつき合ったこと、あるの? カナダで」マユミが訊いた。
「いや、女友達止まりやったな。身体の関係になった相手はおれへん。そのまま日本に定住して、そっから先は知っての通りや」
「なるほど。じゃあ、男としては俺が二人目ってことなんだな」
「そういうことやな。わい、こう見えてもあんまり遊んでへんねんで。真面目やろ?」

「ところで、あんたら、いったいどこまでいってんの?」ミカがケンジとケネスを交互に見た。
「そ、そんなにしょっちゅうやってないぞ、俺たち」ケンジが慌てて言った。
「男同士のセックスって、けっこうハードなんでしょ?」マユミが訊いた。
「マーユ、よく聞くんやで、あのな、わいとケンジは極めてソフトや。わいがミカ姉抱く時と比べても全然」
「そ、そうだぞ。キスして、抱き合って、刺激して、フィニッシュは外に出す。それだけだ」
「そやそや。けっこうきれいやで、汚いことや痛いことはせえへん。わいもケンジもそういうのは苦手やからな。自分で言うのもなんやけど」
「バックに挿入なんかしないの?」
「まだやったこと、あれへんな。一度も」
「やってみたいと思わないの?」
「どないやろなー、雰囲気次第っちゅうとこかな。ケンジはどうやねん」
「俺? そうだなー、別にそこまでしなくても、ケニーと抱き合ってれば、なんか気持ちいいし」
「それで満足するのか? あんたら」
「だから、そんなにしょっちゅうやってるわけじゃないってば。それにムラムラきたら、俺、真っ先にミカにアタックするから。ケニーとは気晴らしだよ。ちょっとした変化を求めて」
「そやそや。釣りやゴルフみたいなもんや。レクレーションちゅうかな」
「真剣に求めたくなったらミカしかいないよ」
「嬉しい。ケンジ」
「わいも、わいもやで、ハニー」ケネスが慌てて言った。「キホンはマーユや。マーユさえ抱ければ、わいは十分癒されるんやからな」

「ケニーはさ、そのジェニファーからスタートして、結局何人の女の子を相手にしたの?」マユミが訊いた。
「10歳でカナダに行って、ジェニファーとあんなことになった後は、17で日本に来るまで一人エッチ専門やったな」ケネスは笑った。「こっちに来てからは、えーと……」
 ケンジが言った。「数に入れられるかどうかわからないけど、アヤカとやったよな、おまえ。こっちに越してきてすぐ」
「おお、そうやったな。そやけど、あれはカウントできへん。一人エッチの一種やな。っちゅうか、ほぼ逆レイプ」
「逆レイプ?」ミカが言った。
「そうや。わい、積極的にあの子の身体に触ったりせえへんかったもん。キスも一度アヤカに奪われただけやったし。ま、狂犬に咬まれたようなもんやな」
「それにしちゃ、よく覚えてるじゃない」ミカがにやにやしながら言った。
「当たり前や。なんもせんと寝てるだけで、イかされた経験はあの時だけや。男としては超情けないセックスやろ?」
「ケン兄も、そうだったんだよね」
「ああ。あの拘束セックスのことを思い出す度、俺の頭にはおまえへの申し訳なさが甦る。けっこう痛い思い出だよ」

「今、同じコトされたら、ケンジ、どう?」
「今?」
「そう」
「相手次第、ってとこだな」
「誰からならされてもいい?」
「な、何だよ、そんな具体的に……」
「あたし、今度してあげるよ。ベッドにあなたを縛り付けて逆レイプ」ミカが目を輝かせて言った。
「え? あたし見たい、それ」マユミも楽しそうに言った。
「わいも」
「よし。じゃあいつかやるぞ、ケンジ」
「マジかよー」

 四人は笑い合った。

「ケネスは結局、その次がマユミだったの?」ミカが訊いた。
 ケネスは穏やかな顔でしみじみと口を開いた。「わいの本当の癒されるセックス体験はマーユとの時や。それまでは好きでもない相手とのセックスやろ? 身体は満足しても心が満たされん。そやけど、初めてマーユを抱いた時は、身も心も満足やった。わいの初めての成功体験やな」
「でもね、」マユミが言った。「あたし、あの時はケン兄のことが忘れられなくて、ケニーに抱かれていながらケン兄、ケン兄、って連呼してたんだよ。ごめんね、ケニー」
「ええねん。気にせんといて、ハニー。あの時は片思いやったかもしれへんけど、わいはその時大好きやったマーユと一つになれたっちゅうことで、最高に幸せやったんやから」

「ケンジも、あたしを初めて抱いてくれた時は泥酔状態だったからねー」ミカがケンジを見た。
「今でも思い出すと、すっごく申し訳ない気になるよ。なにしろ俺、あの後、ミカに何度も土下座したぐらいだからなー」
「見てみたかったな、その光景」ケネスがアソート・チョコレートの包みを開けながら言った。
「ずっとあたしをマユミだと思い込んでたんだよ。ケンジ」
「そうらしな」
「だったら最後まで思い込んでろ、っつーの。まったく、途中で抜きやがって。その上あたしに大量にぶっかけやがるし。かえって無礼だろ、それって」
「だ、だから、酔って判断力が鈍ってたんだよ。あ、あの時はそれが最善の判断だったんだよっ!」
「ケンジ、相手にかけたり飲ませたりするん、苦手なんやろ?」
「だから、我慢できなかったんだよっ! もう、俺だって思い出したくないよ、あんな恥ずかしいこと」

「そう言うミカ姉の男性遍歴はどうなんや?」
「あたし? あたしはねー、ケンジの前はそれでも二人だけ」
「へえ」
「そんなに遊んでたように見える?」
「いや、かえって男が引いてしまうかもしれへんな、思て」
「なんだよ、それ。あたしには男は近寄ってこないっていうのか? ケネス。しばいたるぞ!」
「い、いや、そういう意味やのうて、ちゃんとミカ姉を納得させてからやなければ、簡単には抱けない、っちゅうか……」
「誰だってそうだろ。納得しないセックスなんてあるか。そんなの、それこそレイプじゃない」
 ケネスが言った。「そやけど、ミカ姉はセックスで泣かせたい女やな」
「なりふり構わず泣き叫ぶ女が好きなのか? ケネス」
「何とかしてミカ姉を泣かせたいもんやな。って絶対無理やな。何しろあんだけ噛みついてやっても泣くどころか、かえって燃えるんやから」

「あたし簡単には泣かないからね。でも一人目の男の時は泣いた」
「え?!」
「あたしの初体験は高二。ケンジたちと同じ。でも、ただ甘いだけじゃなかった」
「ふうん……」
「ケンジはすでに知ってるよね。あたしの一人目のお相手」ミカはちらりとケンジを見たあと、ミカはケネスの顔に目を戻した。「水泳部の一つ上の先輩に告白された。ケンジには負けるけど、とってもイケメンだったよ」
「いや、こんなとこで持ち上げられてもなー……」ケンジがカップを手に取った。
「女子からも注目されてた人だったから、あたしいっぱい嫌がらせをされた。特に三年の女子の先輩からね」
「ま、学校の部活には、ありがちな話やな」
「理不尽だって思ったよ。だって、あたしが彼に告白されたんだし、嫌がらせされるってわかってたらつき合ったりしなかっただろうしね」
「ま、そりゃそうだな」ケンジも言った。
「でも、彼はそのことをすっごく気にしちゃってさ、できるだけ人目につかないようにあたしといっしょに行動したんだよ」
「優しい先輩だったんだね」マユミが言った。
「うん。優しかった。年上だったからなんかすっごく頼れる人、って思ってた」
「ミカ姉にもそんな純情な時期があったんやなあ」
「何だと? ケネス。もういっぺん言ってみろ!」
「すんまへん。失言でした。で、彼との最初の行為は、どんなやったんや?」

「部活の帰り。11月でもう寒い時期だったけど、引退してた先輩が久しぶりにプールにやってきて、練習の間、ずっと後輩の指導をしてたわけ。その帰り」
「うんうん」
「それまで人目を憚ってた彼がさ、あたしを誘うわけよ。一緒に帰ろうって」
「ほほう」
「その時周りには先輩も同級生もいっぱいいて、あたしたち注目されてたから、とっても気まずかったよ」
「そやけど、何で急にその先輩、大胆にも人目があるにも関わらずミカ姉を誘ったりしたんやろな」

 ミカが目を伏せてぽつりと言った。「別れの夜だったんだ」

「え?」
「丁度その日、彼の家は家族がみんな留守で、あたし彼の家に連れて行かれた。そして彼の部屋で、あたしと彼は一つになったんだ」
「そうなんかー」
「もう、初めてで緊張しまくってるあたしをさ、まるで赤ん坊扱うように優しく愛してくれた。あたしあの時の彼の絹のような手の感触、今でも忘れない……。それで、彼があたしに入ってきた時、痛かったけど、それよりこの人に抱かれていることの安心感というか幸福感の方が大きかった」
「ある意味、幸せな初体験だよな」ケンジが微笑みながら言った。
「そうだよね。本当にいい人だったよ。加賀拓郎……拓郎先輩……」


 ――ミカは汗だくになっていた。上になった彼は、同じように身体中に汗を光らせ、はあはあと肩で息をしながら、ふっと微笑み、ミカの眼を見つめた。
「ミカ、ごめん。初めてだったんだろ?」
「うん……」
「痛かっただろ? ごめんな」
「大丈夫。先輩、ありがとう。次はたぶん、大丈夫」

 彼は寂しそうな表情でミカの髪を撫でた。「俺、もうおまえとは会えない」

「え?!」
「これきりにしよう、ミカ」
「ど、どうして? 先輩、なんでいきなりそんなこと言うの?」
「おまえがみんなから嫌がらせをされているのを見るのはつらい」
「そんなこと、あたし気にしない。気にしてないから。あたしのこと、嫌いになったの?」
「とんでもない。好きだ。前よりも今の方がずっと」
「だったら、どうして?」

「俺、留学するんだ」

「え?」
「卒業を待たずに、来月シドニーに発つ。3年は帰って来ない」
「そ、そんな……」ミカの目から涙が頬を伝って流れた。
「俺のこと、好きになってくれてたのか?」
「好き。好きです先輩! ずっと、ずっとこうして繋がっていたい。あたしも、あたしもいっしょに連れてって!」
「ありがとう。うれしいよ」
「先輩、ああ、先輩、待つ。あたし待つから」
「ミカ、おまえの気持ちを束縛したくない。3年で、心も変わる。だから俺のことは……忘れてくれ……。ごめん、俺の方からつき合ってくれって言い出したのに……」

 彼の目からも涙が溢れ、ミカの桜色に上気した乳房にぽたぽたと落ちた。


「悲しいな……。悲しすぎる……」ケンジが目頭を押さえた。
「なによ、ケンジ、この話聞くの初めてじゃないでしょ」
「その光景が目に浮かんでさ。何だか……」
「ケン兄って涙もろいからねー」マユミが微笑みながらケンジにハンカチを渡した。

「先輩はね、告白してからきっとあたしをずっと抱きたかったんだと思う。でも、留学が決まって、時間が迫ってきて、やっと巡ってきた好機がその夜だったわけ」
「なんだか、とっても切ないね」マユミが言った。
「あたしにも先輩にもそれはとってもつらい時間だった。でも先輩、あたしとの交際の証拠を残したかったんだと思うよ。本気で好きだった証拠をね」
「好きだった証拠……か」マユミがつぶやいた。
「その後彼はシドニーでできた友だちの一人と結婚して永住した。ま、あたしの淡い初恋ってとこかな」

「そんな初恋の後じゃ、なかなか好きな人は現れなかったんじゃない? ミカ姉さん」マユミが言った。
「そうだねえ、確かに、しばらくは落ち込んでたね。で、ついに高校卒業するまで恋愛とは無縁の部活三昧だったってわけよ。つき合ったヤツは数人いたけどね」
「なんやの、それ。恋愛とは無縁で、つき合ったヤツが数人? どういうこっちゃ?」
「あたしはべつに好きでもなんでもなかったけど、あっちがどうしても交際したいって言ってきてねー」
「しかたなくつき合ってやった、っていうのかよ」ケンジが眉間に皺を寄せて言った。
「そ。でもセックスはしなかったから安心して」
「いや、今安心しろ、言われてもやな……」
「ミカ姉さん、モテモテだったんだね」マユミがニコニコしながら言った。
「ほしたら、高校卒業してから深い仲になったオトコが、もう一人ケンジの前におったっちゅうことなんやな?」
「その『二人目』の男の人ってどんな人だったの? ミカ姉さん」
「まだ聞くの? あたしの話」ミカが呆れて言った。
「俺も気になる。俺の前がどんなヤツだったか、知りたい」
「何や、ケンジ、ミカ姉の二人目のお相手については聞いたことあれへんのか?」
「聞いてないね」
ミカが少し困ったような顔をした。「人に話すような相手じゃなかったからね」
「いいから聞かせろよ」
「何ヤキモチやいてんの? ケンジ」
「ヤキモチじゃなくて、単なる興味だ、興味」

「で、で、どんなヤツだったんや? ミカ姉。なあなあ、教えたってえな」

「あんたらは中学生の男子かっ。まったく、しょうがないねー。ケネス、コーヒーのお代わりできる?」
「ああ、もちろんや。すぐに持ってくるさかいな」
「済まないね」


「大学二年生の時。二つ上の先輩」ミカは新しくカップに注がれたコーヒーを一口飲んでから話しはじめた。
「また年上かよ」
「しょうがないじゃん。成り行きでそうなったんだよ」
「二つ上じゃ、俺の知らない先輩だな」
「そうだね。そいつはあたしの身体目当てだった。完全に」
「『そいつ』呼ばわりかー」ケネスが笑った。
「会う度に『抱かせろオーラ』を発してた。あたしも結構その頃突っ走ってたからね。受けて立ってやる、ってノリで挑んでやった」
「さっきの切ない話とは正反対やな」
「ま、水泳サークルだからしかたないけど、すっごくガタイのいい先輩でさ、もう野獣系」
「野獣系?」
「そ。ケネスも野獣系だけど、ケネスはまだずっと紳士的。あいつは根っからの野獣系、っつーか、野獣そのものだったね」
「激しいんだ」マユミが言った。
「激しいどころか乱暴。もう、触り方も無骨だし、キスも野蛮だし、繋がった後も大声で吠えながらガンガン突いてくるし、もういい加減にしろよ、って感じだった。それも毎回パターンが同じ。あいつは人間じゃなくてオス。何かの動物のオスだった」

「ミカ姉は満足してたんか? そんなセックスに」
「ヤツのペースに合わせてた。身体は感じてたかも。でも終わった後はいつも痛かった」
「ついに『ヤツ』呼ばわりか」ケンジは苦笑いをして、デキャンタからコーヒーをつぎ足した。
「結局あたしが飽きて、振ってやった」ミカは笑った。「ヤツは懲りずにすぐ別の女作ってやりまくってたみたい」
「そんな先輩だったんだ」マユミが言った。

「だからさ、あたし、ケンジと出会った時、ものすごく新鮮だったし、いっぺんに恋に落ちたんだよ。知ってたか? ケンジっ!」ミカはいきなり立ち上がりケンジの襟を掴んだ。「そ、それなのにおまえは、実の妹といちゃいちゃしやがって! 屈託ない笑顔であたしに紹介するわ、アパートではぎしぎし言わせて上の部屋でセックスするわ! 見せつけてたのか! あたしにっ! このやろっ!」

 ミカの嫉妬と怒りの記憶が連鎖反応を引き起こし、制御棒を失った原子炉のように臨界点が目前に迫った。ミカはケンジの襟を掴んだまま身体を激しく揺さぶり、右手で彼の左頬をぺちぺちと叩き始めた。

「ミ、ミカ、く、くっ、苦しいっ!」ケンジは恐怖に顔を引きつらせた。
「ちょ、ちょっと、ミカ姉、落ち着きや」ケネスがミカをケンジからひっぺがした。

 はーっ、はーっ、はーっ……ミカは息を整え直して座った。

「そんなにケンジのこと、気にしてたんかー。ミカ姉可愛いとこあるやん」
「まったく……思い出す度むかむかするっ!」

 ケンジは襟を整え直して、ひとつ咳払いをした。そしてちらりとマユミを見た。

「ご、ごめんなさいね、ミカ姉さん」マユミが申し訳なさそうに言った。
「こっちこそごめん。大人げなかった」ミカも咳払いをして座り直した。「でもさ、ケンジがマユミとの仲を精算しようとしてた時は、さすがに哀れだったね」
「ミカはずっと俺を慰めてくれたんだ。本気で心配してさ」ケンジが言った。
「下心満載だったけどね」
「いや、そんなこと言ってるけど、ミカはきっと誰にでもそうしてたよ。俺たち同期の間では、唯一、信頼の置ける、頼りがいのある先輩だったからな、兵藤ミカ先輩は」
「そうやろな。それがミカ姉の最大の魅力っちゅうもんや」
「悪いコトしたね、あたしたち……」マユミが言った。
「マユミもケンジも悪くないよ。っつーか、誰も悪くない。あたしが一人で悶々としてただけ。だからケンジに酔ってぶっかけられても幸せだった。やったぜ、って思ったぐらいだからね」
「ごめんなさい、ごめんなさい! お許し下さい!」ケンジはまたミカにぺこぺこと頭を下げた。

「結局ケンジはそれ以来、二十歳の誕生日まで酒は飲まなかったよね」
「え? そうなの?」
「懲りた、というか、トラウマになったんだ、きっと。ミカにあんなひどいことしたからな」
 ミカはいらいらして言った。「だから、ひどいことじゃないって。あたし嬉しかった、ってさっきから言ってるだろ。実際、あたし、あの夜ケンジと繋がった時、生まれて初めてセックスを心から気持ちいいって思えたんだ」
「で、でも、考えても見ろよ、つき合ってもいない、それもいつも世話になってる親切な先輩をベッドに引きずり込んで、服を脱がせてセックスして、最後は身体中に大量にぶっかけちまったんだぞ、ほとんどレイプじゃないか」ケンジは赤くなって言った。

「ケンジはね、二十歳の誕生日にあたしが勧めて、やっとビールを一缶飲んだんだ。あたしを悲しい顔して見つめながらね。あっはっは」ミカは笑ってまたコーヒーをすすった。「そこからあたしとケンジの交際が始まったってわけよ」
「そうやったんかー」

「でもね、ケンジはなかなかあたしを抱いてくれなかったんだ」
「ほんとに?」マユミが訊いた。
「ああ。結局素面であたしとセックスしたのは、あたしが卒業する年の初めごろだったよな、ケンジ」
「うん。俺、ミカのことが、もうすっごく好きだったけど、セックスすることに関してはなかなか思い切れなかったんだ」
「どうして?」マユミが訊いた。
「マユとのセックス体験が長かったせいで、違う女性を抱く自信が持てなかったのと、ミカとの最初の繋がり合いがああいう状態でだった、ってことが引っかかってた」
「まだ言ってる。まったく臆病なんだから」ミカが言った。「でも、その初めての素面でのセックスの時はケンジ、優しかったし、積極的だった。何て言うか、ちょうどいいバランスのセックスだった」
「ちょうどいいバランス?」

「あたし、その時思ったよ。こいつとは身体の相性、ピッタリなんじゃね? ってさ」
「俺も思った。比べるわけじゃないけど、マユとは違う抱き心地、っていうかさ、ああ、この人と結婚したい、って実はその行為の時に俺、思ったんだ」
「へえ、そうだったの?」ミカが意外そうに訊いた。
「マユとの時は『燃え上がる』って感じだけど、ミカとは『燃え広がる』って感じ」
「ほほー。なるほどな」
「あたしもそう言えばそんな感じだったよ」マユミが言った。「ケン兄とのセックスもケニーとのセックスも、あたし今でも大好きだけど、ケン兄との時は一回一回が完結した話で、ケニーとの時は連載の各回って感じだもん」
「それが夫婦ってもんなんだろうな」
「そうだね」

「さて、あいつら、今からうまくやっていけるかね」ミカが二杯目のコーヒーを飲み干した。

 4人の間に少しの沈黙が流れた。

 ケネスがケンジとマユミを横目でちらりと見た後、言った。「ミカ姉、」
「何?」
「久しぶりに、わいとセックスせえへんか?」
「え?」ミカはカップをソーサーに戻した。「いいよ。どうしたの? 急に」
「なんや、急にミカ姉を抱きたくなってきた」
「こんな昼間っからか?」
「あいつらがハワイでよろしくやっとる、思たら、むかつくやんか」
「いや、別にむかつかなくても……」ミカはケンジを見た。「ケンジ、いい?」
「いいよ」ケンジは微笑んだ。そしてマユミを見た。マユミは頬を赤らめてうつむいた。





《8 それぞれの癒し》

 ハワイのホテル。夏輝と修平の部屋。

「夏輝っ! 夏輝っ! 愛してるっ!」
「修平、だからあんたなんでそんなに焦るかな。龍くんのこと、とやかく言えないじゃん」シャワーの下で夏輝は心底呆れて言った。
「俺、おまえの裸見ると我慢できなくなるんだよっ!」修平は夏輝の背後から自分の身体をぴったりとくっつけ、すでに大きくなっているペニスを太股やヒップに擦りつけていた。「特におまえの濡れた髪や身体、その中でもこの脚が俺を興奮させるんだよ」修平はその場にしゃがみ込み、夏輝の濡れた太股にしがみついて頬を擦りつけ始めた。
「まったく……。高校ん時は『おまえのカラダ見ても立たねえよ』なんて言ってたくせに……」

 修平は再び立ち上がり、手を後ろから回して夏輝の乳房を大きく包みこんで優しく撫で始めた。「あ、ああ……」
「くすぐったくないか?」
「修平に触られると感じる。自分でやってもくすぐったいだけなのに、変だね」
 修平は次第に強く彼女の胸を揉みしだき始めた。「あ、あああん、しゅ、修平……」
「こっち向けよ、夏輝」修平は夏輝の身体を自分に向けさせた。そして、左腕で背中を乱暴に抱き寄せ、右手で彼女の濡れた髪を掻き上げて唇を吸い始めた。

 二人はシャワーの下で時間を掛けてお互いの唇を貪り合った。


 龍と真雪の部屋。

「そのドレッサーの手前に立って」龍は下着姿の真雪を、大きな鏡の前に立たせた。「そう、そのまま」龍はカメラのシャッターを押した。一歩右に移動して一枚、その場にしゃがんで見上げるようなアングルで一枚。
「じゃあ、ゆっくりとショーツを脱いでみようか」
「うん」
 真雪が手をショーツにかけ始めると、龍は何度も続けてシャッターを押した。「いつ見てもきれいだ、真雪」そして彼女が全裸になるまでに十数枚の画がカメラに収められた。「じゃあ、ベッドに横になって」
「龍、もういいよ。早く来て」真雪が言った。「あたし、我慢できないよ」
「わかってる」龍はカメラを三脚に固定し、高い位置にセットした。そしてベッドの上を狙って構図を決めた。「これでよし、っと」
「撮るんだ、二人でいるとこ」
「うん。父さんたちやケニーおじさんたちそれに修平さんたちのベッドシーンは今まで撮ってあげたけど、僕らのは誰も撮ってくれないからね」龍はそう言いながらワイヤレスのリモコンユニットをベッドの枕元に置いた。そして服を脱ぎ去り、小さな下着一枚の姿になった。「真雪、」
「龍、」真雪は両手を龍に伸ばして目を閉じた。

 龍は軽く真雪にキスした後、すぐに彼女の豊かな乳房にむしゃぶりついた。そして片方を手でさすり、もう片方の乳首を舐め、吸い、軽く咬んだ。「あ、ああああっ、りゅ、龍……」


 健太郎と春菜の部屋。

 ベッドのサイドテーブルに山のように積み上げられたアソート・チョコレート。その一つを手に取り、健太郎は春菜に手渡した。
「『シンチョコ』のアソートがこんなところで食べられるなんて……」春菜はそれを受け取って笑顔で言った。
「このホテルに卸させてもらってるんだ。グランパの時代からね」
「すごいね、シンチョコって」
「グランパやグランマ、そして父さんや母さんが誠実にがんばってるお陰だよ。俺はその流れに乗っかってるに過ぎない」
「そんなことないよ。あなただって一生懸命修行して、勉強して、しっかりした気持ちで跡を継ごうって思ってるんでしょ? それってすごく尊いことだと思う」
「ありがとう、ルナ」

「私ね、」
「ん?」
「ケンの匂い、大好き」
「なんだよ、いきなり」
「ケンの匂いってね、チョコレートとあなた自身の匂いが混ざったとってもいい匂いがするんだ」
「そうなのか?」
「私があなたの家で初めてあなたの絵を描いた時、側に立ったあなたからその匂いがした」
「へえ」
「それも私がケンを好きになった理由の一つ。私にとってのフェロモン」
「なんだよ、それ」健太郎は笑った。
「水着、着てるんだ、今」春菜が小さな声で言った。
「え? 今日の昼間買ったっていう水着?」
「うん。ケンも穿いてくれる?」
「いいよ。どんなの買ってくれたの?」
 春菜は枕元から小さな包みを手に取り健太郎に渡した。そして恥ずかしげに言った。「これ穿いて、私を抱いて」

 健太郎はにっこり笑ってシャワールームへ入っていった。


 『シンチョコ』の離れ、ケネスたちの寝室。

「ミカ姉、」
「何? ケネス」
「今日は、珍しくビール飲まへんかったな」
「何にもないのに、明るい内から飲まないよ」ミカは笑った。「でもあたしさ、今まで何度かケネスに抱かれたけど、いつも酔った勢い、って感じがしてたんだよね」
「ええやん。ミカ姉らしゅうて」
「でもさ、よく考えたら、それって貴男に失礼だよね」

 ミカはこの時初めてケネスのことを『貴男』と呼んだ。

「あたし、こんな性格だからケネスに抱かれる時も、何かこう、半分遊びって感じでつき合ってるって思ってなかった?」
「そこまで真剣に考えたことあれへんな。そやけど、ミカ姉がわいとのセックスをそんな風に真剣に考えてくれてるって思たら、何や妙に嬉しゅうなってくるやん」ケネスは微笑んだ。「そない気い遣わんでもええがな。セックスはお互い様や。二人で気持ちようなれたらそれでええんちゃう?」
「ありがとう。ケネス」

 ミカは立ち上がり、ローブを脱いだ。黒いランジェリー姿だった。

「ええな。ミカ姉、今まさに女盛りっちゅう感じやで」
「ホントに? 嬉しいね」
「これ、普通やったら、人妻を寝取るシチュエーションやで」
「燃えるだろ?」

 ケネスもローブを腕から抜いた。「ほたら、いくで、ミカ姉」
「いいよ、ケネス。いつものように激しくね」
「わかっとるがな。ハニー」

 ケネスはミカを乱暴にベッドに押し倒し、口で彼女の唇を塞いだ。


 『シンチョコ』の離れ。広いリビングの暖炉の前。

「マユ、」
「ケン兄、」
「なんか、明るすぎるな」ケンジが少し恥ずかしそうに言った。
「ケン兄って、明るいところで見られるの、けっこう苦手だよね。でもいい身体してるんだから、もっと自信持ったらいいのに……」
「何の自信だよ」
「人に見せるの」
「は、裸を人に見せる機会がそんなにあるわけないだろ」
「スクールではいつも裸みたいなものじゃん」
「そ、それとこれとは……」ケンジは赤くなった。
「いつまでも、そんなシャイなケン兄でいてね」マユミは微笑んだ。

 黒いTバックのショーツだけを身につけたマユミは、同じように白いTバック姿のケンジの唇を吸った。そしてしばらく二人はお互いの唇を味わい合った。

「初めてのキスは16の時だったね」
「そうだったな。ごめんな、あの時は。突然おまえを抱いて、無理矢理キスしちゃって」
「あの時も言ったけど、あたしとっても嬉しかったよ。あれからどきどきがずっと止まらなかった。っていうか、あれであたし、ケン兄に心を奪われたようなものなんだよ」
「実は俺も」ケンジはマユミの頬をそっと指で撫でた。「いろいろ……あったな、俺たちの中や周りで」
「そうだね」
「でも、おまえと別々の家庭を持ってからも、ずっとおまえが近くにいてくれて、俺、本当に恵まれてるって思う」
「あたしもそう思うよ。あたしにとってはケン兄って、大好きなチョコレートと同じ」
「何だよ、その喩え」
「毎日食べてたら身体壊すけど、時々とっても食べたくなる」
「なるほどな。なかなか絶妙な喩えだ」
「もし二度と食べられなくなったら、あたしきっと気が狂っちゃう」マユミは笑った。
「大げさだぞ、マユ」
「ケニーはご飯。ケン兄はチョコレート。あたしの中ではそうなんだよ」
「俺も似たようなものかもしれないな。ミカとマユとの関係はね」

 ケンジはそっとマユミの身体を横たえ、ゆっくりと自分の身体を重ね合わせた。そして長く、熱いキスをした。


「夏輝! 夏輝っ!」修平は叫びながらベッド上で四つん這いになった夏輝をバックから攻めていた。「あ、ああああ、夏輝夏輝っ!」
「あああ、修平っ! あたし、もうイっちゃう! だめ、あ、あああああっ!」
 修平は激しく腰を前後に動かした。「好きだ! 夏輝! 愛してる! おまえを、んんんっ!」
「あたしも、修平、大好きっ! ああ、もっと、もっと奥に、ああ……!」
「で、出る、夏輝、出すぞ、俺、ああ……」「いいよ、修平、イって! あ、あたしもすぐに!」
「ぐ……うっ!」修平の身体が激しく震えた。ビクンッ! 夏輝の身体も大きく跳ね上がった。

「龍! 龍! イっちゃうっ!」
「あああああ、お、俺も、真雪、真雪っ!」
 仰向けになった龍の身体に跨がり、真雪は激しく身体を揺すっていた。
「あっ、あっ、あああっ!」真雪が大きく目を見開いた。「な、中に、あたしの中にっ! 龍、龍龍龍!」
「真雪っ! で、出……るっ! ぐううううっ!」龍の身体が硬直した。

「ケン! んんんっ!」下になった春菜が顎を突き出して目を固く閉じたまま呻いた。
「ルナ、ルナっ!」健太郎は春菜の脚を両手で抱え上げ、腰を大きく動かしている。「お、俺、イ、イく! イくよ!」
「あ、あたしも! ケン、ケン! イって、イってっ! あああああ!」がくがくがく! 春菜が身体を大きく仰け反らせた。
「イ……く! イくーっ! ぐうううっ!」健太郎の身体が大きく痙攣し始めた。

「ケネスっ! ケネスーっ!」下になったミカが叫び続ける。
 ケネスは歯を立てていたミカの肩から口を離すと同じように叫び始めた。「ミカ、ミカ姉! イ、イくっ!」

「マユ、マユっ! だ、出すよ、マユっ!」大きく腰を動かしながらケンジは喘ぎながら言った。
「イって、イって! ケン兄、あたしの中でイってっ!」

 そして恋人たちは重ねた身体を大きく波打たせながら、同じように弾けるような絶頂を迎えた。





《9 変わらない想い》

 ――梅雨が明けた。すでに夏の日差しだった。

「ごめんな、マユ、引っ越しの手伝いなんかさせちゃって」ケンジが段ボールを外に運び出しながら言った。
「何言ってるの。ここ、あたしたちの実家じゃない」


 海棠一家の新しいマンションでの三世代同居が決まり、海棠家とシンプソン家の人々はケンジたちの実家の荷物を運び出す作業を賑やかに進めていた。ケンジたちの両親は引っ越しの間、街のシティホテルに滞在していた。


「二階は全部済んだでー。もう何も残ってへん」ケネスが二階の窓から顔を出して言った。
「そうか、ありがとう、ケニー」そしてケンジはまた家の中に入った。
「台所もきれいになったよ」真雪が汗を拭きながら言った。
「真雪はもう休んでなさいよ。お腹をいたわらなきゃ」床をぞうきんがけしていたマユミが言った。
「うん。無理はしてない。大丈夫」
「元気な赤ん坊、産むんやで、真雪」二階から降りてきたケネスが真雪のお腹をそっと撫でた。
「ありがとう、パパ」真雪は額の汗を拭って微笑んだ。

 ケネスはペットボトルの水を飲みながら言った。「さあ、あと一踏ん張りやな」



「じゃあ、先に行ってるから、ケン坊」陽子が荷物を積んだトラックの運転席から顔を出して言った。
「すいません。面倒かけます、陽子先輩」ケンジは手を振った。
「ほなわいたちも」ケネスがみんなを乗せたワゴン車の運転席に乗り込んだ。「後のこと、大丈夫やな?」
「ああ、戸締まりして鍵掛けたら、大家さんに届ける。任せろ」ケンジが言った。

 陽子の運転するトラックに続いて、ケネスの運転するワゴン車も遠ざかっていった。

 住む者の誰もいなくなった家の前に、ケンジはマユミと二人で立っていた。
 ケンジはマユミの手をとって玄関に入った。


「ちょっと寂しいものがあるな……」
 二人はがらんとしたリビングに立った。続くダイニングに入ったケンジは言った。「俺、おまえの作ったパスタの味、まだ覚えてるぞ」
「そうなの?」
「あれは実にうまかった」
「何度か作ったよね」
「うん。そうだったな」
「ケン兄と二人だけで、この家で過ごした夜も作ったよね。覚えてる?」
「もちろん。たった一回きりのチャンスだったけど、おまえといっしょに風呂に入ったな、その時」
「もう、ケン兄ったら、恥ずかしがっちゃって」
「そりゃそうだ。思春期真っ盛りの男子が同い年の女の子の裸を見せられるんだぞ、恥ずかしいに決まってるだろ」
「ケン兄って、そんな時、興奮するより先に恥ずかしいって思っちゃってたんだね」
「おまえはその点、大胆だったよな」
「ケン兄がシャイだったから、あたしは逆に安心できてたのかも」

 マユミが二階への階段を登り始めた。ケンジもすぐにあとに続いた。

 マユミは自分の部屋のドアを開けた。カーテンの取り払われたベランダの窓からまぶしい光が差し込んでいる。

「何にもないと、広い部屋だったんだね。ここも」
「そうだな」ケンジはドアを入ったすぐのところに立った。「ここだ、ここ」
「え?」部屋の真ん中にいたマユミが振り向いた。
「おまえと初めてキスした場所」
 マユミはケンジに駆け寄った。「再現してみて」
「うん」ケンジは少し照れて微笑んだ。

 マユミはケンジの前に立ち、目を閉じた。「マユ……」ケンジはマユミの背中に腕を回してそっと唇を重ねた。
 しばらくして静かに目を開けたマユミは言った。「思い出した。あの時のどきどき、思い出したよ、あたし」そして嬉しそうに笑った。
「俺も」ケンジも笑った。
「ねえ、」
「なんだ?」
「ベランダに出てみようよ」
「あ、おまえ何を思い出したのか、俺わかるぞ」ケンジがにやりと笑って言った。
「やっぱり?」マユミも笑いながらベランダの掃き出し窓を開けた。
「今思えば、」
「かなり大胆なこと、やってたね、あたしたち」
「俺はあの時、ベランダに出る前からすでにはらはらどきどきだったぞ」
「立ったままでセックスするの、初めてだったから、あたしかなり感じてたんだよ、あの時」
「そうなのか?」
「うん。それにケン兄その前にあたしをいっぱい舐めてくれたでしょ。それがすごく……」
「俺、まだ若かったってこともあるけど、おまえに入れたら、すぐにイっちゃってた。ずっと歯がゆい思いをしてたんだ」
「そうなの?」
「そうさ。おまえの興奮を十分に高めて、最後に一緒に思い切りイきたい、ってずっと思ってた」
「男のコは、一回に一度だからね、イけるの。でもあの時は猫に助けられたんだよね」マユミがおかしそうに言った。
「そうだったな」ケンジも笑った。

「ケン兄、そんな心配してるけど、あたしケン兄に抱かれた瞬間からいつもイきそうになってたんだよ」
「え? そうなのか?」
「もう、ケン兄のことが好きで好きで堪らなくて、そんな人があたしの中に入ってきて、一つになるって思ったら、どんどん興奮していくんだよ」マユミはケンジの手をぎゅっと握った。「入れられた瞬間から、どんどん……」
「そうなんだ……」
「だから、心配しなくてもよかったんだよ」マユミは少し照れたように言った。
「そうそう、ベランダと言えば、」ケンジがおかしそうに言った。「俺、ここでおまえのショーツ盗んだんだ」
「干してあったショーツ?」
「そう。俺がその後ずっと隠し持ってたヤツ」
「干してあったのを手に取る時、どきどきした?」
「俺、あの時、ずっと息止めてた」ケンジは笑った。マユミも笑った。「そして部屋に駆け込んだんだ」
「何か、想像するとかわいいね、ケン兄」
「その日から、俺、もうそのショーツ使って毎晩平均二回は一人エッチしてた」
「すごい! どんな風に使ってたの?」
「え?」ケンジは少し赤くなった。
「やっぱり穿いたりとか?」
「そ、そりゃ時々は穿いたりもしたけど、キホン匂いを嗅ぎながら、とか……」
「匂い? だって洗濯して干してあったものでしょ? それでもあたしの匂いがついてた?」
「洗剤と柔軟仕上げ剤の匂いだった。でもさ、そこはほら、も、妄想でカバーだ」
「思春期の男のコって大したもんだね。でもケン兄、穿いた時はどんな気分だったの?」
「あれはむちゃくちゃ興奮するもんなんだぞ」
「穿いたまま出しちゃったことなんてなかったの?」
「それはない。おまえの大切なショーツは汚したくなかったからな。自分でこっそり洗濯したりもしてたんだ」
「ホントに?」マユミは嬉しそうに微笑んだ。「そんなに大事に使ってくれてたんだー。ケン兄ありがとうね」
「いや、そう褒められるのも何だかとっても変なんだけど……。もともとおまえのショーツなんだし、大事に使うってのも、何だか……」

 ケンジとマユミはベランダから表を眺めながら肩を抱き合っていた。

「健太郎はさ、真雪をそんな風に思ってたりしなかったのかな」ケンジが訊いた。
「あの子も中三ぐらいからあたしを部屋に入れるのをちょっと拒んでたよ」
「まあ、そんなもんだろうな」
「でも、真雪に手を出したり、真雪のもので興奮したりはしてなかったみたい」
「そうなのか?」
「だってあの子、高校生になった時ぐらいから、ミカ姉さんにお熱だったじゃない」
「そうか。そうだったな」ケンジは笑った。「しかしヤツは幸せモンだな。憧れの女性と初体験ができたんだから」
「ほんとだね。しかもハワイのホテルで」
「その初体験では健太郎、一晩で6回もイったんだってさ」
「ええっ?! ほんとに?」マユミは目を見開いた。「6回も?」
「しかもミカとずっと繋がったまま」
「知らなかった」
「ミカ、そのハワイの晩を思い出しながら苦笑いしてたよ。さすがにへとへとになったって」
「もう、ミカ姉さんに迷惑かけちゃって、健太郎ったら……」マユミは恥ずかしそうに言った。


 二人はケンジの部屋に入った。「ああ……」ケンジは大きなため息をついた。「甦る。甦るよ、マユ」
「クローゼット、もう空っぽ」マユミが部屋の中をうろうろしながら指さして言った。「ここにケン兄の机、そしてここに、」マユミは黄ばんだ壁の前で立ち止まった。「ベッド。あたしたちが初めて結ばれたベッド……。懐かしいね……」

 振り向いたマユミの目には、涙が滲んでいた。

「マユ……」ケンジはマユミの身体を抱いた。そしてまた唇同士を重ねた。「んん……」マユミはケンジの背中に腕を回し、力を込めた。二人は大きく開いた口を激しく交差させ、何度も重ね直しながら、お互いの舌や唇を激しく吸い始めた。「んんんっ!」

 二人の身体はカーペットのないむき出しのフローリングの床に倒れ込んだ。そしてそれでもまだ二人の熱いキスは続いていた。

 ケンジはマユミの、マユミはケンジの着ていた服に手を掛け、焦ったように脱がせ合った。そして二人はあっという間に全裸になり、身体を重ね、腕を背中に回し合い、脚を絡ませ合った。

「ああ、ケン兄、ケン兄!」

「マユ、マユっ!」

 またケンジはマユミの唇を塞いだ。マユミはケンジの大きくなったペニスを手で掴み、自分の谷間に誘い込んだ。ケンジは腰を捻らせ、マユミの秘部に自分のものを埋め込み始めた。「んっ!」

 下になったマユミは脚を開き、ケンジを奥深くまで迎え入れた。「あああっ! ケン兄、ケン兄っ!」
「マユ、マユっ!」ケンジは腕を床に突っ張ったまま仰け反った。「ああ、マユっ!」

 マユミは下になったまま腰を激しく動かし始めた。ケンジもそれに応えた。

 だだっ広くなってしまった床を二人は一つになったまま激しく転げ回った。二人の脚は交差し、ケンジのペニスはマユミの谷間にしっかりと埋め込まれ、きつく締め付けられていた。

「ああ、マユ!」
「ケン兄!」

「ううううううっ!」ケンジが呻き始めた。
「あああああっ!」マユミも喘ぎ始めた。

 汗だくになった二人の身体が部屋の真ん中で止まった。下になったマユミの身体をケンジは抱き上げ、繋がったまま向かい合い、強く強く抱きしめながら口でマユミの唇を覆った。「ぐううっ!」そしてそのままひときわ大きく呻くとケンジの身体が大きく跳ねた。

 ケンジは口を離した。

「うあああああああーっ! マユーーっ!」「ケ、ケン兄、ケン兄ーっ!」


「マユ……」「ケン兄…………」

 はあはあと二人はまだ荒い呼吸を繰り返していた。ケンジはマユミの身体を抱えて仰向けになった。

「ケン兄……」
「マユ……」
 二人はまたお互いの名を呼び合い、静かに目を閉じた。

 しばらくしてケンジが先にそっと目を開けた。
「マユ、」
「なに?」
「今になってこんなことを訊くのも何なんだけど、」
「どうしたの?」
「俺を初めて受け入れた時さ、おまえ痛くなかったのか?」

 上になったマユミは少し恥じらったように顔を上げ、瞬きをして言った。「実を言うとね、」
「うん」
「すっごく痛かった」
「やっぱり?」
「うん。無理に広げられる、って言うか、中が擦られる度に、じんじん痛みが強くなってた」
「ごめんな、マユ。あの時は俺、一人で突っ走ってたから、おまえがそんな痛い思いをしているなんて考えられなかった。本当にごめん。あの頃の俺に代わって謝る」
「いいんだよ。それが普通なんだから。最初は誰だって痛いもんだよ。女のコはね」
「不公平だよな。オトコは出して気持ち良くなるだけなのにさ」

「でもね、大好きな人の身体の一部が自分の中に入ってる、って思うと、痛みよりもうれしさの方が大きいもんなんだな、ってあたしあの時思ったよ」
「そうなのか?」
「でなきゃ、またこの人に抱かれたい、明日もこの人とセックスしたい、なんて思わないよ、きっと」

 ケンジはふっと笑って背中に回した腕に力を込めてマユミを抱きしめた。「ありがとう。マユ」

「でもね、二度目からはもう、本当に気持ち良くなってたよ。魔法みたいに」
「ほんとに?」
「うん。ケン兄に抱かれる、っていう心地よさと、セックスの気持ちよさがいっしょになって。あたし、もうホントに夢心地だったもん」
「そうか」ケンジはひどく嬉しそうに笑った。
「初めての人がケン兄で、ほんとに良かった」マユミはケンジの胸に耳を当て、目を閉じてその鼓動を感じた。

「ん?」ケンジは顔を横に向けた。
「どうしたの?」マユミはまた目を開いて顔を上げた。

 ケンジは床にキラリと光るものを見つけた。
「なんだろう……」マユミを上に乗せたまま彼はそれを指でつまみ上げた。小さな小さな金色のアルミの包み紙の切れ端だった。
「これ、アソート・チョコレートの包み紙」
「ほんとに?」

 ケンジはそれをマユミにも見せた。

「ほんとだ、懐かしいね」
「今までずっとこの部屋にあったのか、これ……」ケンジが感動したように言った。「俺たちの思い出といっしょに、ずっとここにあったんだ……。俺たちの時間の証し……」
「なんだか、すごく健気だね、その包み紙」
「でもまだキラキラしてる」
「ケン兄と同じだね」
「え? 俺と?」
「ケン兄の温もりやあたしへの優しさ、まだあの時のままだもん」
「マユ……」ケンジはマユミの髪をそっと撫でた。「おまえの匂いもあの時のままだ」

「ケン兄、背中痛くない? 床、硬いでしょ?」
「全然平気だ。俺、丈夫だからな」
「ずっと丈夫でいてね」
「そううまくいくかな」
「え? どうして?」
「俺たち、この冬にはおじいちゃんとおばあちゃんになるんだぞ」
「そっかー」マユミは笑った。
「あたしがおばあちゃんになっても抱いてくれるよね、ケン兄」
「もちろんさ」
「好き、ケン兄……」マユミはケンジの唇にまた自分の唇を重ねた。



 ――12月。その日は穏やかな小春日和だった。

「なにっ?! 生まれたっ?!」修平が目を剥いて叫んだ。その声を聞いて夏輝も駆け寄ってきた。修平は一度スマートフォンを耳から離して夏輝に言った。「赤ちゃん二人とも元気だって」
「ホントに?」夏輝は飛び跳ねた。


「よっしゃ! 真雪、ようやった!」ケネスがガッツポーズをした。
「二人とも健康だって。女のコが2800グラム、男のコは2600グラムだって言ってたよ」マユミがタオルや着替えを手提げ袋に詰めながら言った。
「他に何か用意するもの、ありませんか?」春菜が少しおろおろしながら言った。
「今のところこんなものでいいよ。春菜さんもいっしょにいらっしゃい。赤ちゃん見たいでしょ?」
「はい」春菜はにっこり笑った。「支度してきます」そしてカフェオレ色の前掛けを外しながら自分の部屋に急いだ。
「俺も父さんも、店を空けるわけにはいかないから、龍とマユによろしく伝えて」健太郎が白いユニフォーム姿のまま自分のアトリエから顔を出して言った。
「わかった。伝える」


「龍は何か食べたのか? 昨夜から真雪につきっきりだったんだろ?」ケンジが言った。
「何か買っていこうか、食べる物」ミカが慌ただしく身支度をしながら言った。
「そうだな。『シンチョコ』でマユと春菜さんを拾ったらコンビニにでも寄るか」


 薄いピンクの壁の個室のベッドには真雪が横になっていた。寄り添うように龍がベッド脇に座り込み、彼女の手を握っている。

「みんなには朝一番で連絡したよ。父さんと母さん、もうすぐ来ると思うよ。それにマユミ義母さんと春菜さんも」
「そう」真雪は嬉しそうに微笑んだ。
「よくがんばったね、真雪」
「龍こそ一晩中あたしについててくれて、ありがとう」
「どうってことないよ」龍は微笑んだ。
「名前は予定通りでいい?」
「もちろんだよ」

「龍、」
「なに?」
「覚えてるかな、みんなで山の温泉に旅行に行った時、あなたあたしのおっぱい飲みたいって言ってたよね」
「あー覚えてる!」龍は笑い出した。「真雪の母乳が飲みたいって言ったんだよね、俺」
「飲んでみる?」
「初乳は赤ちゃんに飲ませなきゃ。特別な母乳なんでしょ?」
「よく知ってるね」
「俺も勉強したからね。いろいろ」
「感心感心」真雪は龍の頭を撫でた。
「それに、二人分の母乳が必要だからね。俺の分残ってるかなあ」
「いっぱい作るよ、あたし。龍の分まで」
「真雪のおっぱいは大きくて牛並みだからね。楽しみにしてるよ」龍は笑って真雪にキスをした。

 その時、部屋のドアがノックされた。
「どうぞ」龍は立ち上がり、ドアの方を振り返って言った。
「真雪、龍」ケンジがドアを開けて入ってきた。「おめでとう!」
「よくがんばった。真雪、二人まとめて産むの、大変だっただろう?」続いて入ってきたミカも言った。
 後ろからマユミと春菜が入ってきた。「真雪、」
「ママ。春菜も」真雪が嬉しそうに顔を上げて言った。
「あなたもいよいよお母さんね。おめでとう」
「おめでとう、真雪」
「ありがとう」
 龍が入ってきた四人に言った。「赤ちゃん、隣の部屋だよ。一応保育器に入ってるけど、何の心配も無いって」
「そうか。じゃ、会ってくるかな」ケンジたちは部屋を出た。


 ガラス越しにケンジたちは目を細めて、並んで寝かされた二人の赤ん坊を見つめた。

「目元は龍、だね」ミカが言った。
「ちょっとだけマユに似てないか? 口元あたりがさ」ケンジが言った。
「女の子の方はやっぱりどことなく母さんにも似てる気がするけどね」隣に立った龍が言った。
「名前はもう決めたの? 龍くん」春菜がにやけ顔の龍を見て言った。
「うん」

 四人は龍に向き直った。龍は微笑みながら言った。「男の子は健吾、女の子は真唯」

「へえ!」ケンジたちはまた二人の赤ん坊に目を向けた。健吾、真唯と名づけられたその二人は同じように目を半開きにして同時に笑った。

Twin's Story「Chocolate Time」シリーズ全編 the End
2013,9,16 最終改訂脱稿

※本作品の著作権はS.Simpsonにあります。無断での転載、転用、複製を固く禁止します。
※Copyright c Secret Simpson 2012-2013 all rights reserved



『Twin's Story Chocolate Time』

生まれた時から手を握り合ってた

君と同じ想いが僕の身体にも流れている

抱き合って

繋がり合って

何度も同じ時を過ごしたね

とろけるような君の唇

甘く香り立つ君の肌

指でつまんで味わうスイーツの様に

ふんわりと僕の中に広がっていく


朝の「おはよう」がいつかどきどきに変わって

夜の「おやすみ」は、いつかお互いの耳元で囁き合ってた

ずっと変わらない、この気持ちも君を呼ぶ名前も

時がページをめくっても、きっと

一日に一度は必ず君のことを考えるよ

僕の身体に流れる熱くて甘い想いが

君の中にも同じように流れている限り



 長らくご愛読頂きました「Chocolate Time」シリーズ、2013年のバレンタインデー、すなわちチョコレートの日をもって全編完結しました。ここまで読んで頂いた読者の方々に、心より感謝申し上げます。
 思えば、シリーズのスタート時高校二年生だった主人公のケンジとマユミ兄妹は、ラストでは46歳になりました。彼らの子どもたちが成長し、新たな熱いストーリーを紡いでいったわけです。そしてその二世にも子どもが生まれました。
 遠くない未来に、生まれたこの双子が活躍する話をお目に掛けることができると思いますが、とりあえず「Chocolate Time」シリーズは終了します。ケンジとマユミ、ケネス、ミカ、そしてその子どもたちを応援してくださり、本当にありがとうございました。またこの「Simpson's Chocolate House」のある町でお会いしましょう。













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