前編(1)

冬の海は怖い。全てを飲み込んでしまいそうな暗さを持っている。
冷たく、波音は壮年のバリトンの囁きを思わせる。
その海を泳ぐものなど、魚介類くらいのはずだ。だがそんな海を泳ぐ人影が見える。白い砂浜に、それよりも白い脚が見える。

一人の少女が、波打ち際に歩み寄っているのである。

「まったく…」

苦笑を浮かべながら、少女が髪をかきあげる。不意に泳いでいた人影が立ち上がる。月光に、藍色の髪がキラキラと光っている。

「見てると寒そうなんすけど?」

少女の言葉に、泳いでいた少年--魔御が振り返る。

「…どうしたんですか?風邪、引きますよ?」
「思い詰めて入水しないように見張りっす」
「アハハ。入水しても死ねませんよ、僕は」

濡れた体が浜辺にあがってくる。月明かりに輝く魔御の体の一部が、人肌とは思えない輝き方をしている。

「それもそうすねぇ」

少女がまた苦笑する。側に来た魔御の髪から滴る水滴を気にしないように、魔御の頬に触れる。

「…醜い、でしょう?」

月明かりに見える、足元の鱗。脚先には鰭。

「…いや。…--綺麗です」

二人の影が重なる。魔御の唇が、少女の手の甲に触れている。


「…ありがとうございます。妖子様」

白い月と、深い青の海。
浜辺での甘い音は、まるで人魚の歌声のようだった。

*---

「いってきまーすっ!」
「魚月(なつき)! 弁当っ!」

学生鞄を持った少女は、呼ばれたことに足を止める。
青山魚月(あおやまなつき)14歳。ボーイッシュなショートヘアと、青いクリアな瞳。
セーラー服の前のボタンは冬も近いのに少しあいている。短めのスカートから覗く足は、少女特有の弾けんばかりのみずみずしさがある。

「今週、給食ねぇんだろ? ほら」
「サンキュ、海斗(かいと)」
「こら、呼び捨てすんなっ」

弁当の包みを渡しながら、青年が魚月の髪を軽く小突く。
水島海斗(みずしまかいと)は、魚月の従兄弟だ。両親が海外にでる仕事をしている魚月は、父方の叔父夫妻の家に預けられているのである。

中学生を一人おいて、という周囲の批判も押し切り海外に両親がいってしまった訳だが、魚月の性格かあまり気にはしていないようだった。
それどころか、懐いていた海斗といられるのだと喜んだ始末である。

海斗は、小学校の体育の教師をしていて、25歳の独身である。彼女もいないとは思うのだが。

「じゃ、気をつけてな?」
「うんっ! じゃあねっ」

弁当を受け取り、再び魚月は走り出す。今日も朝から少し多く話せた…と、思うだけで、口端が緩んでしまう。

魚月は、小さい頃から海斗が好きだった。十歳以上も年上の、従兄弟なのに。
優しくて頭が良くて、カッコイイ海斗。始めはお兄ちゃんのように好きだったのが、いつからかそういう風に見るようになっていた。



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