ジャック






第7章「無邪気な悪魔・前編」(1)

 真里と別れた後、藍はサイン会、テレビ出演と休む間もなく仕事をこなした。
 久しぶりのアイドルらしい仕事に、藍は充実した時間を過ごした。

 夜中にようやく家にたどり着くと、家族はみな眠っていて真っ暗だった。
 藍は物音を立てないように自分の部屋に入り、すぐに着替えを済ませた。
 そしてベッドに横になったかと思うと、疲れていたせいか何一つ考えることなく眠っていた。


 次の日の朝、その日も仕事だった。藍はまた少し寝坊をしてしまい、忙しく身支度を整えている。

(・・学校、二日連続休みかぁ。)

 ふと藍は手をとめた。それまで感じたことのない、そんな感覚が沸き上がった。
 ついこの間まで、学校に行くのが苦痛だった。誰にも話しかけられず、1日中黙って過ごすあの教室・・・。

 それが、今は部活の仲間がいる。自分の場所がある・・・。
 初めて経験した喜びだった。その嬉しい記憶に、最初はあの出来事を思い出せなかった。

(・・・・)

 藍の顔が、少し曇った。少しずつ、あの悪夢の記憶が蘇ってきた。

・・・学校に行くと、また辱しい目に逢わされてしまうかもしれない。
・・・いや、この前のように、自分から変なコトをしてしまうかも知れない。

 仕事の日は、学校に行かない今日は、それから逃れられる・・・そんな安堵も感じた。
 それでいて、なにかわからない、モヤモヤとした物足りなさを感じているのを意識していた。
 が、次の瞬間、藍は身支度を続けた。藍のもやもやとした気分は、朝の忙しさに紛れてすぐに消されてしまった。

「藍、遅いぞ! はやくしろ、行くぞ!」

 藍の家の外に既にタクシーが止まっていた。タクシーに乗っていた岸田が、玄関を飛び出してきた藍に怒鳴り声を上げた。

「あっ! す、すいません!」

 藍は岸田の声に驚き、反射的にそう返事すると、慌ててタクシーに乗り込んだ。
 藍が岸田の隣に座ると同時に、岸田は運転手に行き先を告げ、タクシーはすぐに走り出した。

「昨日は忙しかったな、よく眠れたようだな?」

 岸田は少し遅れた藍に皮肉っぽく聞いた。

「は、はい。昨日はお疲れ様でした。・・・よく眠りすぎました。」

 藍はぺろっと舌をだした。岸田は苦い顔をしたが、それ以上は黙ってしまった。

「・・・今日は・・どこに?」

 暫くして、藍が聞いた。
 今日の仕事の内容を聞かされていなかったので、そう尋ねるとすぐに岸田が答えた。

「ああ。今日は打ち合わせだ。今度は‘写真集’のな。」
「・・・写真集・・ですか。」

 藍はテレビやラジオの仕事が好きだったので、できれば「写真集」などの仕事は避けたかった。
 藍の嫌そうな気分を察したのか、岸田がすぐに続けた。

「野村由香、知ってるよな?」
「・・はい。」



第7章「無邪気な悪魔・前編」(2)

 野村由香は藍とライバルとされている女優だ。
 歳も同じ、仕事も藍と同じようなテリトリーで、藍自身も由香には負けたくない、そんな感情を抱いていた。

「あちらさんが今度出す写真集、結構ヤってるらしいんだ。こっちも指くわえてるわけにはな・・」

 藍は少し不安になった。藍の今まで出した写真集は、どれも清純路線だった。
 実のところ「水着や下着姿」の写真集を、という話がなかった訳ではない。
 しかし、その度に藍自身が「絶対にイヤ・・」と拒否していたのと、前の事務所はそんな藍の希望を聞き入れてくれていので、今まではそんな仕事をしなくて済んでいた。

(・・やっぱり、水着の写真集、出さなきゃなのかな・・・)

 藍は事務所を変わったことを今更ながら後悔した。
 が、負けず嫌いの藍は、妹の秋のことと、前の事務所に自分から啖呵を切って出てきた手前、弱音を吐くわけにはいかなかった。
 ましてライバルの由香がそうするのなら、と考えると「やらなきゃ、だめか・・」と自分を納得させるしかなかった。

「・・・水着・・ですか?」

 恐る恐る聞く藍に、岸田は言葉を濁すように
「・・そんなところだ。まぁどんなのにするか、これから行って打ち合わせるんだがな。」
 と答えた。

「・・がんばります!」

 藍は自分に激を入れるかのようにそう言った。
 が、岸田は藍の言葉が聞こえなかったかのように、別のことを言い始めた。

「それはそうと・・・昨日、七種になんかされなかったか?」

 その質問に藍は動揺した。
 昨日のことが鮮明に蘇ってきた。拘束されたこと、そして抵抗できぬまま、いいように弄ばれたこと。それでも藍は真里に惹かれてしまったこと・・・。
 藍は詰まりながら答えた。顔が赤くなっていた。

「えっ? あっ? べ、別に・・何も・・」

 藍が動揺しているのに岸田は気づいていた。が、そしらぬ顔で続けた。

「そうか・・ならいい。・・・あいつな、男には興味のない女なんだよ。」
「えっ?」
「レズ、なんだよ。」
「えっ? レ・・ズ・・ですか?」

 昨日真里にされたことが、岸田の話でやっと納得できた。

「だからな、藍にちょっかい出したりしてないだろうな、と思ったんだよ。何もなかったんなら、いい。」
「・・・・・」

 藍が黙っていると、岸田がまた真里のことを話し始めた。

「藍、気をつけろよ。おまえ、結構無防備だからな。ほんとはあの女、おまえに付けたくなかったんだが・・上からの命令でな。気に入ったとなりゃ見境ないからな。前も手出して、辞めさせちまって困ったんだよ。おまけに、やり方がきついっつうかなんつうか、商品に傷つけてくれやがる。傷はなぁ、まずいんだよ、この商売。その辺わかってねーんだよな、あの女。」



第7章「無邪気な悪魔・前編」(3)

「・・・・・」

 まだ黙ったままの藍に、
「・・まぁ、気をつけろってことだ。さぁ、そろそろ着くぞ。」
 と岸田はこの話題を打ち切るように言った。

「ああ、ここでいい。その辺で止めてくれ。」

 岸田が運転手にそう言うと、タクシーは細い路地を入ったところで止まった。
 二人はタクシーを降り、少し歩いてある灰色の小さなビルに入っていった。

 狭く薄暗い階段を上ってゆくと、「Y・PhotoSpace」と薄汚れた看板の掛かっている部屋があった。
 岸田はノックもせずに無造作にドアを開け、中に入った。

 藍もその後ろについて中に入った。が、その直後、背筋を冷たいものが走った。
 狭い事務所に机があり、そこにはカメラマンの吉田が座っていた。

「おう! まだ生きてるようだな?」

 岸田が無作法な挨拶を吉田にすると、「おかげさまでね。」と吉田が答えた。
 そしてすぐに吉田は藍に話しかけてきた。

「藍ちゃん、この前はどうも。いや~こないだの写真、先方には結構評判良くってね。」
「・・・そうですか。」

 藍は少し不機嫌な様子で返事をした。

 この前の写真・・同級生の吉田が持っていたあの写真・・
 ちゃんと処分してくれるはずだったのに・・
 あの写真のせいで、酷い目に・・・

 藍の脳裏に、吉田たちから受けたあの辱めの記憶が浮かび上がった。身体が震えていた。

「さて、早速だが、今度の写真集のカメラマン、あんたに頼もうと思ってね。」

 岸田は吉田にそう言うと、吉田がすぐにへつらうような感じで答えた。

「そうこなくっちゃ! お願いしますよぉ~」

 藍はそのやり取りを聞き、ぞっとした。また吉田に写真を撮られる・・それが水着姿なんて・・

「おっと、これは気がつきませんで。お茶でも入れますよ。へへへ」

 そう言うと吉田はにやにやしながら奥へ消えていった。

「・・・岸田さん。」

 藍は吉田が部屋からいなくなったのを見計らって、岸田にこの前の写真の件を伝えようと思った。
 吉田ではない、別のカメラマンを頼みたかった。

「ん? どうした?」

 岸田は藍のほうを向き、答えた。

「・・カメラマン、吉田さんなんですか?」
「ああ、そうだ。」
「別の人に・・なりませんか?」
「ん、どうして? 吉田はなかなかセンスがいい。少なくとも腕は有名な狩野なんかより上だぞ。なにか不満か?」

 藍は少しためらっていたが、思い切ったように話し始めた。

「・・この前のCMの写真・・吉田さんだったじゃないですか。」
「ああ。そうだったな。」
「あの時の写真、誰にも見せないで処分するって言ってたのに・・」

 そこで恥ずかしさがこみ上げてきて、口篭もってしまった。岸田がきょとんとして藍に聞いた。

「言ってたのに、どうした?」

 藍はうつむきながら小声で、
「・・同級生が・・持ってたんです。あの写真。」



第7章「無邪気な悪魔・前編」(4)

 岸田はますますわからなそうに、
「ん、よくわからんぞ。どういうことだ?」と藍に問い詰めた。

「・・吉田さんの息子さんとわたし、同級生なんです。で、吉田さん、あの写真を捨てるって言ってたのに、吉田君に渡したみたいで、それで・・」

 藍は「辱しい目にあった」ことまで話しそうになったが、ハッと気付いて黙ってしまった。
 岸田は怪訝そうな顔で、藍に聞いた。

「おまえの言ってることは良くわからんぞ。第一なんでそんなCMの試し撮りの写真を息子に渡したぐらいで、カメラマン変えにゃならんのだ? なんかまずい写真だったのか?」

 藍はしかたなく話した。

「・・水着の・・写真だったんです。」

 岸田は呆れ顔で言った。

「おまえなぁ、そりゃ友達に自分の水着姿の写真見られて、恥ずかしいのはわかるけどなぁ、おまえ「芸能人」なんだぞ! その辺の女子高生みたいに恥ずかしがってちゃ、これから仕事来ないぞ! も少し大人になれよ。・・別に裸見られたわけじゃあるまいし・・」

「でも、す・・・透けてたんです。」
「ん、透けてた? なにが?」
「む・・・・胸が、です!」

 藍は少し大きな声を出してしまったことが恥ずかしかった。が、そんな藍を見て岸田は他愛もないことのように続けた。

「おまえなぁ、そんなこと言ってるようじゃ、まだプロじゃないぞ。そんなことはこの世界じゃあたりまえなんだよ。あの篠原奇人も狩野典正も、そんな写真腐るほど撮ってるんだ。それが出版されないだけでな。」

「・・・・・」

「息子がそれを偶然見ちまっただけだろ? 親子じゃそんなこと別に不思議じゃないぞ! カメラマン変えりゃいいってもんでもないだろ? それにな、自分の息子がおまえのファンだったりしてみろ! オヤジとしたら自慢したいだろ? そんなもんだぞ!」

「・・・・・」

「こっちだって根回しとかいろいろ大変なんだから、その辺わかってくれよな!?」

 岸田が一気にまくしたてた。そう言われると、藍は黙ってしまった。岸田の言うことももっともだった。

 それに「プロじゃない」と言われたのには堪えた。確かに自分のわがままと言えばそうなのかもしれない。

「・・・・・」

 藍はしゅんとなってしまった。
 岸田もおとなしくなってしまった藍を見て、困った様子で言った。

「・・・まぁ、おまえもこれからなんだからな。第一、だ。そんな写真、誰にも見てもらえなかったら逆に淋しいもんだぞ。人気があるってことだ。このまま人気を維持できなきゃ、おしまいなんだから、がんばろうな。・・まぁ吉田には気をつけるように言っとくよ。心配すんな!」

 藍は岸田の言葉を聞き、少し微笑み、こくっと小さくうなずいた。
 自分のことを考えてくれてるんだ、そう考えたら涙が出そうになった。



第7章「無邪気な悪魔・前編」(5)

「・・はい。私のわがままでした。すみません。」
 藍は泣きそうな顔で謝ると、岸田が軽く藍の頭を叩いた。

 吉田がコーヒーを持って戻ってきた。吉田は藍のしょげた様子をみるとすかさず言った。

「お、どうしたの、藍ちゃん? 岸田さんに怒られたかな?」
「・・・あ、なんでもありません。だいじょうぶです。」

 藍はムリに笑顔を作って答えた。が、藍の笑顔はすこし歪んでいた。

「岸田さん、女の子苛めるのは良くないなぁ。まぁそんな怖い顔じゃ、なに言っても怒ってるように見えますけどね。」

 吉田は場を和ませようとしたのか、冗談を言うと、
「なに言ってんだ。あんたのせいなんだぞ!」
 と岸田が吉田に言った。

「えっ? 俺のせい? 俺、藍ちゃんになにかしたかな?」
「まったくよぉ、この前のラフ写真、あんたどうしたよ?」

 岸田はすごんだ声で吉田に問い詰めると、
「え、ラフ写真?・・ああ、ありゃ処分したけど、なにか?」
「あんた、あれ息子に見せなかったか?」
「ああ、あん時は藍ちゃんの写真撮ったって言ったら、うちのが藍ちゃんのファンだっていうから少し見せたけど、まずかったかな?」

「バカやろぉっ!! あんたのそういうところが、軽率だって言うんだよ! あんたの息子、藍と同級生なんだよ。」
「え、そうなの?」

「まったくよぉ。あの写真、まずいの写ってなかったか? そんなの同級生に見られてみろ、藍、学校行けなくなんだろ!?」
「ああ、そういやちょっとセクシーだったかな・・ぜんぜん気にしてなかったよ。あちゃー、まずかったな、そりゃ。」

 藍はそんなやり取りの間、ずっとうつむいていた。そんな藍に吉田が謝った。

「藍ちゃん、ぜんぜん知らなかったよ、ごめんね。うちのバカにからかわれたんだろ? まずかったなぁ。なんて謝ったらいいか・・」

 藍はまだ納得したわけではなかったが
「・・もう、いいです。気にしてませんから。ただ・・」
「ただ?」
「吉田君、ちょっと恥ずかしいこと・・・言うものですから、少し落ち込んでしまって・・」

 藍は「恥ずかしいことをされた」とは言えず、言葉を濁してしまった。
 しかしすぐに吉田が言った。

「そうかぁ、あのバカ、困ったやつだな・・よく言っておくからさ。機嫌直してくれよ。ね、藍ちゃん!」
「・・はい。あたしの方こそ、子供でした。ごめんなさい。」
 と藍も謝った。

 吉田は藍の顔に少し笑顔が戻ったのを見て、
「そうそう、藍ちゃんは笑った顔がいいね。かわいいぞ! こりゃこっちもいい写真、撮らないとな!」
 と藍を持ち上げた。

 岸田がそんなやり取りを終わらせるかのように、
「よし、じゃあ早速仕事の話と行くか!」
 と言うと、吉田が答えた。

「そうですね。さっさと片付けてしまいますか。」

 藍の新しい「写真集」の打ち合わせが始まった。



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