第9話「島に別れを告げていた高浜」

「そんな理不尽なことがあってたまるもんですか!」
加奈子は電話口に向かって泣き叫んだ。 脇本商店の売り子のことを、せめても高浜にだけはわかってもらいたかくて電話したのに、その高浜はすでに自衛隊を退職し実家に帰ったと、電話口に出た当直隊員が乾いたような声で告げたのだ。

 加奈子と美宇田浜で出会ったとき、高浜は獲れたアワビを仲間に配るんだと、嬉し気に語ってくれたのだが、加奈子はその時彼の心の底にあるであろうわだかまりを、我を通そうとするあまり理解できずにいた。

 美宇田浜で加奈子に食べさせてくれた残りのアワビは、恐らく退職に際し、餞別代りに無理して獲っていたのだ。

 海栗島という名の孤島で、青春などという晴れがましいものに背を向け、3年満期、5年満期と勤めあげるのは並大抵のことではない。 防人として閉じ込められる。 たった1キロ足らずの海峡を挟んだ向こう岸に本島があるのだが、独身者は勤務時間のみならず、勤務外の時間も拘束となると精神を病む。 それを忘れさせてくれるのが、外出の折に出会える例えば脇本商店の売り子さんのような存在。

 それを少しでも緩和すべく部隊は、民間に門戸を開くと称し、処々に女の子を配置している。
 ところが、彼女らには以前も述べたように対馬独特の習慣を幼いころから今に至るまで骨の髄まで叩き込まれ、そんなものだと信じ込んで生きてきている。

 たとえ好きな子が出来たとしても、周囲がそれを許してくれているとは限らない。 本人同士そうと知らず付き合っていたとしても、必ずと言っていいほど邪魔が入る。

 従ってこういった地域に転勤させられると、同じ釜の飯を食った仲間同士で女の子の奪い合いになる。 

 第19警戒群は監視隊・通信電子隊・基地業務隊の総勢200名足らず。 分隊は更に細分化された小集団の集まりだ。 このわずかな人数が孤島に籠って仮想敵と対峙している。 当然離職率は高い。 従って部下がうまく彼女らを取り込み、結婚に持ち込んでくれると、もうそれだけで退職者が減り島民が増えることになる。 女が出来たなどと噂が立つと、しかもその女の子を別の分隊員と奪い合っているとなると、上を下への応援合戦となる。

 終いには本人以上に熱が入り、取り巻き連がひとりの女の子をめぐり競うようになる。 要するに仲人然とした言動を取るようになる。

 最終的には本人の優秀さ、小隊の優秀さではなく、或いは女の子の望むタイプではなく、地元へのコネが獲得に左右する。 地元民と、日ごろから如何に接するかが勝敗のカギを握るようになる。

 ライバル他分隊はそれをよいことに、地元民に取り入って裏から手を回し、後から割り込んでおきながら横取りしようとする。

 全隊員の半分は独身者、しかも同地区には他に海上保安庁や海上自衛隊もある。 反面、地元の女の子の占める割合は全人口の1割にも満たない。 独身男性はだから、最初から女の子と付き合うとか、ましてや結婚となると、諦めてかかるしかない。

 地元民は男女関係に関し、ヘンな風に理解度が高い。 その点自衛官は、その方面は避けて通ろうとする。 むろん縁故募集(仲人じみた事)などしない。

 高浜の場合、恋愛問題ではないにしろ、そういった軋轢 (心を割って、例えば将来像について話してくれる人たちの存在の有無) に負け、自ら退職を選び島を去っていた。

 今にして思えば、加奈子を鰐浦まで送ってくれた時の高浜の衣服は確か私服だった。 現代と違い当時は、一般外出で営門を出るときの服装はおおむね教育隊の教えを守り制服を着て出るものが多かった。

 彼は退職前の貴重な休暇を実家に帰らず美宇田浜で過ごし、しかもその時苦労して獲った獲物を仲間に分け与えると、翌日退職の挨拶を済ませ朝の船で海栗島を離れ、そのまま対馬本島を北から南へ縦断し、南端の厳原からフェリーに乗って博多に向かっていたのだ。 高浜にとって、それだけかつて仲間と厚かましくも名乗っていた野郎どもに、この状況に至ってなお、義理で見送られるなどというのが嫌でたまらなかったのだろう。

 退職の理由が、便利にこき使われ、それだけ出世が遅れ、仲間たちから散々馬鹿にされ 、当然彼女にも恵まれず、このままここで朽ち果てるのかと自問自答した結果、退職を選んだ……らしいのだ。

※ 当時の昇進基準は通常なら5年満期後の昇任試験が目安

満期とは: 入隊から3年、5年、7年の、各々2年経過するごとに満期と称し、一般社会人の年金に当たる退職金が支払われた

或いは次の7年満期あたりで3等空曹に昇任するのが常なのだが、彼は要領が悪く、後輩に次々と追い抜かれて尚、黙ってにこにこ笑ってるような、温厚なタイプ。 笑顔を絶やさないという理由だけで気にしていないと上官や核小体の隊長に受け取られ、7年過ぎても士長のまま据え置かれていた

 東京ならいざ知らず、こんな僻地にあってなお、何事につけ競争意識が根強く、人が良いだけの高浜に貴重な女の子を、出世の機会をとられてなるものかと分隊のみならず、地区住民でさえも邪魔者扱いしたようなのだ。

 入隊し、7年が経過しようとしているにもかかわらず昇任のお声が掛からないというのは辛い。 反面、満期退職すると結構お金 (一説には当時のお金で70万程度) を貰えるとわかって諦めがついたようなのだ。

 一番情けないのは、7年も離島で我慢させ、鍛えて知識を身に着けさせた優秀な隊員に、地元民なり先輩なりがこの地に居る気になる相手探しを、何故してやらなかったんだろうということだ。

 出世とか給料などとは別物。 家族を、ましてや大切な女を養うとなれば、嘔吐を繰り返した玄界灘だって友達になれたんじゃないかと加奈子には思われたのだ。

 美宇田浜で、何故肝心な一言を口にできなかったのかと、加奈子はこの時になって悔いたが、どう嘆いてみても過ぎ去った過去は戻ってこない。
 
 高浜が去ったことを知った加奈子は寂しさに耐えかね、その足でターミナルに行き、帰りの切符を衝動買いした。 脇本商店の彼女が小さな船で玄界灘を渡ったんだと思えば、小さいとはいえ500トンクラスのフェリーで渡るのは、この上なく贅沢だと思えたからだ。

 夕方近く、加奈子は誰にも見送られることなくターミナルに向かった。

 着いてみると、小倉から来たときは気づかなかったが、港湾にはよくある倉庫群がターミナルの脇に立っていて、噂ではどうやらそのみすぼらしい倉庫の2階がアパートになっているようなのだ。 倉庫は大きく、恐らくフェリーで運ばれてくる荷物のほとんどが、この倉庫に移されるのだろうと思え、物珍しさも手伝って見て回り、何気なく見上げ看板の文字を見て驚いた。

 脇本商店と書かれていた。

 学生のバイト程度の賃金で女の子を雇っているくせに、会社はフェリーで届くこの地区一帯用の船荷を一手に扱い、大儲けしている。

 やりきれない気持ちになり、そっちがそうならと、勝手に2階のアパートに入り込み、中を見て回ることにした。

 もしも脇本商店の彼女が彼とうまくいき、夫婦で住まうとなるとここしか考えられない。 もしも彼女ではなく、自分がここに住むことになったら、最初はこういったところで我慢するしかないのか、果たして生活できるのかと、その粗末な外見からして思わざるを得なかったからだ。 そのアパート

 海風で錆び、コンクリートは劣化し今にも崩れ落ちそうな階段を上ると、まっすぐ幅1メートル足らずのコンクリート打ちっ放しの廊下が建物の端まで続いており、各部屋の入口はサッシではなく木製の、キッチリ閉まらなく隙間だらけのガラス引き戸になっていて、見ようと思えば部屋の中がガラス越しに見て取れるのだ。

 部屋に入ってすぐの玄関に当たるところも、手を洗うのがやっとという、幅30センチ程度の同じくコンクリート製の流し台らしきものが、わずか2畳の玄関脇にしつらえてあり、その奥は部屋数が多いところで6畳と4畳半の2部屋、多くが6畳1部屋の造り。

 トイレは共同で汲み取り方式、しかもそれは通路の一番奥にしつらえてあった。 もちろん風呂など論外だった。

 あの女の子が焦がれたランナーさんは、恐らくこの部屋のどこかを借りていたんだろうが、一見しただけでこれでは一家なるものを構えようがなく、しかも、いくら好きといっても噂ではその女の子の実家には借金もあり (脇本商店はそういった裏の事情を知ってて安価で雇っていたらしい) 、告るに告れなかったのだろう。 ひたすらみじめになった。 見なければよかったとさえ思えた。

 それからの時間、加奈子はただぼんやりとターミナルで、小倉からの船が入るのを待った。

 町のみんなも、もちろん自衛隊さんも、どうやら加奈子について、いわくつきの女との評判がたっていたらしく、旅行客も混じるターミナルにいるというのに、声をかけるどころか目を合わさないようにしながら通り過ぎる。

 東京に舞い戻ってみても、以前と変わりないことだけはわかる。 それでもまだ、東京の方が自由に相手を選べるだけマシじゃないかと思えた。

 本土に渡れば休みを取って、高浜を探し求めることだってできる。

 そう思いなおした瞬間、加奈子は前途が開けたような気がした。



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