第8話「夕暮れの岸壁に佇む女」

 いかに豪勢な料理であっても連日似通ったものを供されるとあっては食い飽きもする。 加奈子は女将らに反対されはしたが、料亭を抜け路地を突っ切った港のすぐ脇にある古ぼけた食堂に入ってみることにした。

 比田勝に来て、何度も店の前を通りかかってはいるが、この店に人が入っていくのを一度だって目にしたことが無かった。
「暖簾が出てるんだから、営業してるんだろうが……」
独り語ち、矯めつ眇めつと言おうか、おっかなびっくり店に入ってみた。 結構な時間、港を眺めつつ様子を伺っての入店だったが、その間、誰ひとりとしてこの店に入らなかったから、店はやってるか、そこからして疑問だった。 めったに人が来ないということからして食当たりも頭の片隅を過ったが、それより何より興味本位的な気持ちの方が強かった。

「ごめんください」
一応訪いはしたが、思った通り店内には誰もいなかった。 仕方なく加奈子は厨房に通じるであろう通路に入り込み、店の奥に向かって「誰かいませんか」と声をかけた。 しばらくして50代ぐらいのおばさんが出てきて
「あらっ、いらっしゃい、 ずいぶん長い間ウチの店見てらしたから、入りたいんじゃないかと思って待っとったとですよ」
観光客相手に丁寧な言葉で対応しようとしたのだろうが、いかんせん語尾がなまってる。 その仕草からしておかしかったが、店の前を右往左往してたのを観られてたからにはどっちもどっち、笑うわけにはいかない。 なにせ入るか入らないかわからない客を待っててくれてたのだ。 有り難かった。

 こんな有り様だからできるものと言えば限られてるとの説明を受け、それならと、気合を入れて壁に掲げてあるメニュー票を隅から隅まで見た。

 くどいようだが、料亭の凝った料理ばかり連日朝昼晩と食べさせられたものだから、東京の味が懐かしく、本当のところラーメンを頼みたかった。 が、この店では生憎ラーメンはやってないという。

「う~ん、焼き肉なんとかなら出来ますか」
「今日は欠航が続いたもんやけん、肉はなかとよ、村元ならあるとばってねえ」
せっかくこの店が気に入り、入ってあげたのに、他の店ならなどと言い出す。

「じゃあ、食べたことないけど」
長崎に行ったら是非食べようと思ってたちゃんぽんなるものを頼んだ。

 入ってくれるのを店の奥でじっと待ってたと発言されただけあって、ちゃんぽんはすぐ出てきた。 丼ぶりは一見ラーメン用風に見えるのに、両手で抱えるようにしてみると僅かに大きい。 中身ときたら麺を食べたかった自分の意に反し、野菜炒めがてんこ盛りで肝心の麺が見えない。
「おばちゃん、ウチが観光客だからこんな大盛りにしてくれたん?」
褒めてるんじゃなく、その盛り付けに呆れ返って、ついついこういう言葉を発してしまった。

 通路付近で食べる様子を窺ってたおばちゃんはおもむろに
「お姉ちゃん、ちゃんぽんば食べたことなかと?」
美麗なお嬢様に向かって田舎のお姉ちゃんに話しかけるが如く
ここいらじゃこれが普通だよとのたまう。

(いらん口きいたわ、嫌われるの、当たり前だよね…)
心でつぶやき、口にそうそう運べないから代わりに箸だけはせわしなく動かした。

 ほぼ生の野菜が麺を覆い隠し、野菜に混じって海鮮がごちゃんと入ってる。 その量たるやそれなりに大きい丼から零れ落ちるぐらい山盛りになってる。 食べたかった麺を探し出すのに苦労した加奈子。 やっと探し出して口に入れはしたが……、第一印象がなんだこりゃだった。 ラーメンに比べ如何にも麺が太く、歯ごたえたるやバリカタに近く、おまけにぼそぼそしている。 客が来ないのはこのせいじゃなかろうかと思った矢先、おばちゃんから先に具を食べてから麺を食べたほうが良いとのアドバイス。

 東京育ちだけあって、加奈子はどちらかというと野菜より肉・魚が好きで、麺の上に乗せるのは普通はチャーシューじゃないのかと、口には出さなかったもののつい思ってしまった。

 その野菜を、これでもかというほど食べさせられたのには閉口した。 東京モンは野菜嫌い。 加奈子もしかり。 しかし、食べているうちにどんぶりの中のスープの味付けがラーメンに比べ遙かに豊かであることに気付く。

 ちゃんぽんには豚肉のほか海老や貝、タコ等々数種類もの具が入り混じり、それらの味がうまくミックスし、スープ中に溶け込んでいる。 純粋というか澄んだスープを好む日本人にとって、あまり馴染みがなく嫌がる人も多いのいかもしれないと思ったが……。

 食べ終わって疑問がわくような何かを口に運んだのは、加奈子にとってこれが初めてで、妙に余韻が残り癖になりそうな気がした。
「この味と、このやり方をこのあたりの人たちは好まないんですね」
加奈子が問うと、このあたりの人は慣れてるから大丈夫だけど、内地から来た人に余計なお世話だけど、田舎モン独特の遠慮と言おうか、店に入ろうとする人に向かって食べないよう忠告されてしまうんだと、苦笑いしながら語ってくれた。

(須らく(すべからく)人の顔色をうかがう文化か……)
やんわりと愚痴って店の人に、これまたやんわりと諭され初めて、自分の愚かさに気付かされた。

 大自然に触れたくてここを選んだのだから、好きなようにこの地を闊歩し飲み食いし、腹が満ちればそこに透き通った海があるんだから、遠慮しないで暇つぶしに釣りでもやればいい、と気づかされたのだ。

「そうだそうだ、目の前をすいすい泳ぐ魚を釣ってみよう」
食堂の前は小さな入り江になっていて、釣りの足場となる道路は入り江に沿って走っており、道から水面までの高さは低い時で30センチ足らず。 ほんの足元といおうか、手の届くようなところを魚が泳ぎまわってた。
丸福ラーメンを出るとその足で左隣の脇本商店に立ち寄った。

 場所的に見て、店舗らしき建屋はそこしかなかった。 観光客だって今の自分と同じように釣り具などを買いに来るだろうに、この店ときたら遠慮がちに店の中、相当奥の片隅にこじんまりと釣り具が並べられている。

 女子供でも扱え、しかも店の前の海で釣りができる道具でも、もしあれば少々高かろうが買おうと、彼女なりに探し回った。 もしというのは豊かな海が開けているのに、このあたりの海で釣り人を見かけたことが無かったからだ。 唯一、鰐浦で見た釣り人は対岸から休みを利用して来た自衛官。 比田勝で唯一釣り具を売っていそうな店の品揃えがこれなら、本格の釣り目的でここを訪れる彼らは須らく(すべからく)本土でそれらの道具を買い求めてくるだろうと思えた。 それほどに漁師用の釣り具以外何もないのである。

 鰐浦で見たようなグラスロッド的道具が欲しかったのに、そこに売ってあったのはまるで場末の釣り堀で貸し出してくれるような竹竿みたいな道具ばかり。 なのにハリスや釣り針は必要以上に太く不格好。 

 加奈子は鰐浦で自衛官が教えてくれたような釣り道具を、諦めることなく探し回った。 が、しばらくしておずおずと顔をのぞかせた女の子があまりに品揃えがなってないものだから、申し訳なさそうな顔をする。

 それもそのはずで、店主は漁師以外相手にしたくないようなのだ。 店の女の子は最後まで丁寧に対応してくれ、欲しかったものがまるでないことに、酷く気の毒がってくれた。

(へえ~、あんないい子が比田勝にいたんだあ~……、可愛らしくて気立ても良くて……)
道具が売ってなかったことより、その子に会えたことでむしろ徳したように思えた。 ところがである、すぐ隣の魚屋に立ち寄って獲れたての魚をあれこれ見てると店主らしき男が現れ、隣の店に入ったかと訊いてきた。 入ったと応えると、返す言葉で対応してくれた店員のケチをつけ始めた。

(気分悪いオヤジ、何様だと思ってやがんだ、クソ禿が! あ~あ、気分ワル)
聞かなかったフリし、女将へのお土産にとっておきと売り子が薦めてくれた魚を一匹買った。 それ一匹でも買って持ち帰らないことには、店主の口ぶりから言ってあの子に悪いような気がしたからだ。

 店に立つというより、他に目的があってそこにいる風な言い回しを、魚屋の店主はしたからだ。 加奈子はだから、その子に教わり魚を見に来た風に言ってやった。

 それからというもの、路地を通って港まで出るとまず食堂に寄ってちゃんぽんを、体重を気にしながら食べ、食べ終えると脇本商店に向かった。 お隣の魚屋さんから他に目的がとケチをつけられた売り子だったが、加奈子にはそう思えなかった。 彼女を見ると、何故か心休まるのである。
 
 通りで一番賑やかな魚屋で、これまた一番大きな魚を買う加奈子に、店主は今度こそ目を丸くし驚いた。 持ち帰るというと、個人で食べるのかと問う。 料亭の女将へのお土産と応えると、更に愛想よくなった。

 その価格たるや、築地でももう少し安いだろうと思える価格なのだ。 どうやら観光客が物珍しさに価格度外視で買い付け、自宅向け発送させる。 それがここ比田勝の鮮魚店のやり方のようなのだ。

 ぶんどるだけぶんどるくせに、訊けば同じような年頃のアルバイトの女の子に脇本商店と似たり寄ったりの、雀の涙ほどの給金しか払わないという。 個人で食べようが女将へのお土産だろうが客の勝手、余計なお世話だと言いたかった。 

 翌日から加奈子は、大きな顔をして通りを歩いた。 気持ちが変わると見えるものまで変わる。

 その売り子が、通りの人と顔を合わさないよう気遣いながら、店の奥からじ~っと通りを、ある時間帯になると見つめてることに気付づかされた。

 自衛隊の輸送班の青いバスが食堂の前を、脇本商店の前を、そして魚屋の前を通過しT字路の向かいにある交番脇の駐車スペースに入ろうとする頃の時間帯に合わせじ~っと彼らの動きを見つめているのである。 
(はは~ん……あの子、イケメンの工藤にぞっこんなんだなあ~……)
東京で幾多の男と交際した加奈子にとって工藤は、確かに明るい雰囲気の自衛官には違いないが、その子の雰囲気からすると、まるで似合わないような気がした。

 人の恋路は何とやら…、ことこう言ったことに関し加奈子は、黙って見過ごせないタイプ。 こうなると観光どころではない。 余計なこととは思いながら、ついに口出ししてしまった。

「ねえねえ、輸送班の工藤って子と付き合ってるの?」
脇本に入って商品を選ぶフリしてのコイバナ。 余計なお世話は百も承知で隣に立つ彼女に、それとなく訊いてみた。 すると……
「えっ!? 工藤さん…て、誰?」
真っ赤になると思いきや、素っ頓狂な声が返ってきた。
「バスの運転手さんよ。 ほらっ青いバスや草色のトラック運転してる自衛隊の」
「あのバス…輸送班って言うんですか? 町営のバスじゃなかったんですか? 工藤さんて……、初めて聞く名前です」
問答にもならなかった。 自分でさえ一目で自衛隊のバスとわかったのに、彼女はここから毎日のようにあのバスを目にしてるくせに、未だに自衛隊のバスを町営バスと勘違いしてる。 この時点で加奈子が思った、この子ってどこまで純情だろうと。

 バス停と脇本商店は目と鼻の先、恋焦がれる相手が目の前にいるなら当然工藤も店を訪れるだろうし、頻繁に顔を出されたら、いかにこの子だって彼の名前を憶えているだろう。 だが、この子の表情からして、そもそも輸送班の人間がこの店を利用したことなど無いと感じ取れた。

(…いや、絶対違う、 あの目は恋する人を追いかけてる目だった……、きっとそうだ……、じゃああの時彼女はいったい誰を見てたんだろう……)
この地に似つかわしくない、目頭が熱くなるような淡くて切ない雰囲気に、加奈子はついつい人の恋路にのめり込み、以降更に熱心に彼女の様子を探った。

 そんなある日の夕刻、あのバスが到着する寸前にその前をランナーが走り抜けるのを目にした。 背は確かに低いけれど凛とした顔つきと走りっぷりで、しかも健康ランニングに比べ相当速い。 その彼が魚屋の角を曲がりメイン通りに消えゆくのを、あの脇本商店の奥から熱心に覗 き見てる彼女と目が合った。

 慌てて店の奥に引っ込もうとする彼女。 加奈子はしばらく時間を置いてから店を訪問することにし、とりあえず今 目の前を走り去った彼の行方を目で追いかけた。 あの子のことを彼が気にかけてくれているなら、きっと彼は彼女に会うため引き返してくるはずだからだ。

 ものの数分も経たないうちにメイン通りの向こう側から引き返してきた彼は、脇本商店に向かわずそのままバスの中に入っていった。 ということは彼は鰐浦からあの速さで比田勝まで走り通したことになる。 しかも自衛官。 ところが彼は、バスの中にあった荷物を受け取ると、フェリーターミナルの方角へ、荷物を担ぎ脇本に立ち寄ることなく走り去っていった。

「ねえ工藤くん、 今の彼、誰?」
あの速さで走るのだから、自衛官として相当名高いと思いきや
「えっ!? さっきの? 加奈子さん、あいつが好みだったの? 俺は部隊が違うばってあいつの名前ば知らんのよ、 まあそういってん新兵やけん」

 知らないわけがない、それを口にすること自体いやだったのだ。
何がどうというのではなかったが、脇本商店の女の子の気持ちもわからないではなかった。 キューピットどころか周囲はみんな敵だらけだったのだ。

 振り返ると、ついさっきまで熱心に走り去っていく彼を見つめていた当の女の子の姿は、もう店先から消えていた。 到着したバスは、ほんの少しそこにとどまってはいたが、しばらくしてまた鰐浦方面に向かって引き返していった。

(高浜が教えてくれたことが本当なら、彼女と彼をくっつけるチャンスは今日か明日しかない)
勤務形態から言って、仕事を終え休みを利用して外出してきたはずで、この後体の手入れを済ませ夕方にかけて街に繰り出すと、もう翌日の正午過ぎには部隊に夜勤上番のため帰ってしまう。

 加奈子は焦ったが、ランナーの彼は港で(ターミナルではなく、脇本商店の前で)、どんなに待っても姿を現してくれなかった。 不思議なことにランナーの彼の姿もそうなら、脇本商店の彼女の姿もこの時を限りに忽然と加奈子の前から消えたのだ。

 この町でふたりについて、誰に訊きようもない。 それでも諦めず加奈子は晴れた日には必ず通りを歩いた。

 脇本商店を何度訪れても、もうあの子に会えなかった。 そんな日が幾日も続いたある日の夕刻、何故だかその彼女が岸壁に立って遠くを見つめていた。 とても声を掛けられそうな雰囲気じゃなく、ただ幸多かれと祈るしかなかった。

 彼女の情報は意外なところから届いた。 
「あんた、熱心にあん子ん応援しちくれちょったんやって?」
食堂のおばちゃんにあの子といわれも、すぐにはピンと来なかった加奈子は
「あの子って、誰ですか? ひょっとしてランナーさん?」

 この年齢のおばちゃんともなると、とかく若い子に目を向けたがる。 図星だろうといった風な顔を向けると、
「ランナーって、あの足の速い子? そうじゃばってん……、あの子たい、 隣の売り子さんもたい」
「売り子さんって、脇本の? おばちゃん、なんであの子がそんなに気になるん?」
若者同士の恋路、当然の問いかけだったが、

「そうかあ~……、あんたでさえも知らんかったんや……、あん子、あん日ん夕刻にね……、あんまま船に乗せられ、売られていったんじゃ」
泣きそうな顔のおばちゃん。 口には出してもらえなかったものの、ランナーの男は頻繁に脇本商店に入り、長い時間をそこで費やし、また下宿に引き上げて行っていたという。

「あたしゃどがん話ししとったか知らんちゃばって、好いとったとよ、お互い、 見とったらわかる、 やーらしかもんじゃ、あん年頃は……」
売り子はバスを乗り継ぎ、相当時間をかけ比田勝に通っていたとおばちゃんは言った。 遙か田舎と、通勤路しか彼女の世界観はない。 そんな中で加奈子に自衛隊のバスについて問われ、咄嗟に町営バスと口走ってしまったのだ。

 親の借金のカタに、学校もろくろく行かせてもらえず、安い給料で脇本商店でコキ使われていたが、その程度の給料じゃ間に合わなくなり、とうとう本土の初老の男のもとに売られていったという。
「あん子……、最後まで諦めきれん、絶対帰ってくる言うて泣いとったバイ……、可哀そうにのう……」
言い終わるや否や、目頭を押さえ店の奥に引っ込んでしまった。

 丸福のおばちゃんの言うことが本当なら、彼女は5トン未満の漁船に乗せられ、加奈子でさえ音を上げた玄界灘を木の葉のように揺れる中、売られていったことになる。 加奈子が見るその日の港は何事もなかったかのように穏やかだった。



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