第5話「深夜、どこからともなく聞こえてくる嬌声」

その夜、大浦で供された料理は高浜が言ったように、客に出すというより、ごく普通の家庭で食してる料理だった。 魚介類が豊富な島と聞いて期待してきた加奈子にとって落胆そのものだった。

 魚介類ではなく、蒲鉾やハムなど都会の、それも大食漢が好んで食べる安くて量勝負のそれが、インスタントの吸い物とともに供されたのだ。 こんなものを対価を払ってわざわざ対馬まで食べに来なくても、東京ならもっとましな総菜がいくらでもそこいらの店で売られている。

(かなわないわね……、こんなものがごちそうって考えること自体、どうかしてるわ……)
某国系の量販店が扱う、見かけだけは似てる激安のまがい物であるからして、ちゃんとした自然食品が使われてないことぐらい加奈子にもわかる。 原料が気になって食べる気がしない。 が、もしこの地のどこか他の宿に泊まったとしてもいずこも同じと考えるなら、しかもそれを毛嫌いするなら、すきっ腹を抱えあの船にまた乗って引き返さなければならない。
(来た人たちはみんな、中身はともあれ、楽しかったようなふりして帰っていくんだろうなあ…)
向かいの席で、女将さんが怪訝な顔をし、こちらを見てる。 加奈子は仕方なくそれに倣った。

(それにしても凄い場所ね)
そう言いたくなるのも無理はない。 加奈子の住む部屋も、窓はあれど、開けたとしても見えるのは隣の建屋の壁。 大自然を味わいたくて鰐浦を選んだが、建屋の近くまで山が迫っており、見えるのは生い茂った木々。 おまけに部屋中隙間だらけ。 この時代、滅多に見ることもなくなった新建材 (主に石油を原料とした化学製品を接着剤で張り合わせたもの) の壁。 柱に至っては、まるで廃材、或いは流木を寄せ集めて作りましたと自慢されてるような建物なのだ。

 民宿と名乗るのだから、建てるにしても立地条件もそれなりに考えなければならないはずなのに、この建屋ときたら、そこいらは考慮に入ってないように思えた。

 ここに来るまでの間、幾度となくきれいな海岸線を眺めながら来たものだから、家の前も後ろも山が覆いかぶさったような、すり鉢の底のような佇まい (湿気を含み、薄暗い) に、なんでこんなところを選んだんだろうと、食事のこともあり、気分まで滅入り始めていた。

 日本の住宅は、同じ島国でも、イギリスなどと違い、景観の良い高台は選ばず、谷底の狭い敷地に折り重なるように建てられており、やれ隣の庭木の枝がウチの庭に伸びてきてだの、屋根に積もった雪がウチの家の壁に向かってドスンと落ちてきただのの諍いが絶えない。 この民宿はまさにそれの対馬版なのだ。

(でもまあいいか……、高浜さんの仕事場って、すぐそこだもんね、見た目には風光明媚な島に見えるけど……、玄界灘や朝鮮海峡の強風に晒され、木々だって地面にへばりつくようにして生えてる、 四周を海に囲まれ、夜ともなれば女っ気のない……、言ってみれば獄門島、監獄よね……)
海栗島は鰐浦の港からわずか1キロの沖合に浮かぶ島とはいえ、泳いで渡るわけにはいかない。 鰐浦の港からして本土のそれと比べ物にならないほど澄んでいる。 なのに深すぎて海底が見えない。 それほど深い。 波止場で鯵釣りしていたので、そばによってみていると、釣り糸を垂れた岸壁の直下からしてすごい勢いで海流らしく、撒き餌がひとうねりで数十メートルも流されていた。 そう、ここは対馬の最北端。 朝鮮海峡の海流と対馬海峡の海流がぶつかる岬の突端なのだ。 脱走しようにも余程泳ぎの練達者でもなければ流れに足を取られ、下手すれば度座衛門にもなりかねない。

(高浜さん、ウチと同い年としたら、もう10年近くあの島に閉じ込められてるんだ、 青春時代の恋なんて、夢のまた夢ね)
恋に疲れたごらいで旅に出るなんて、なんて甘い浅はかな考えだったんだろう。 孤島で耐え忍ぶ高浜を想うと、胸がキュンと締め付けられるような気がした。

 五右衛門風呂だって、せんべい布団だって、あの島に閉じ込められるのに比べればと思いなおすと、それほど苦にならなくなった。 たった1日歩き回っただけで不平不満を口にする自分って、やっぱりどこか贅沢すぎたんだと自戒し、明日に備え眠ろうとした。

 民宿は海に近いとはいえ、ただでさえ急峻な山に囲まれ、わずかばかり開けた地を利用するしかない、民宿を過ぎれは急峻な山肌。 そんな谷あいにあるからだろう。 四六時中海風が吹き、海鳴りのようなごうごうという音がその風に乗って聞こえてきて薄い板壁を叩くものだから、この家は本当に大丈夫だろうかと、そのことが気になって眠れない。 どれぐらい時間が経っただろう、風の音に混じって誰かが叫ぶような声が聴こえてきた。

(いやだわ……、こんな夜中に家庭内暴力?、それも数戸しかない集落で、 ありえない……)
来る道中、違和感漂う人たちばかり見てきたものだから、どうしてもそう言った風にとらえてしまう。
しばらく我慢し、寝たふりしてみたが、どうにもその声が耳につき、とうとう起き上がって窓を開け外を見た。 

 空耳じゃなかった。 闇夜の、それも民宿にほど近い家の玄関あたりで、誰かと声の主であろう人が揉み合ってる。 止めに行かなきゃと部屋を出かけて船長さんに呼び止められた。
「構わんで、ほっときゃじきに治まる(収まるではない)、 心配せんでええ、いつものことじゃ」
顔を歪めこう言い放つと、さっさと自室に戻ってしまわれた。

 何か言おうとしたが、昼間の、それもこの地区全体の雰囲気からして、これまで生きてきた環境はとまるで違う。 言ってみたところでどうにもなるまいと、その場はおさめ床に戻った。

 なんてところに宿をとったんだろうと、今更ながらに後悔した。 お客様を迎える態度といい、料理といい、とても褒められたものではなかったからだ。

 これは後になって、ある自衛官から聞かされた話しだが

 外ではその夜、それどころではなかったようなのだ。 加奈子は東京慣れしていてそれほど耳は良くなかったのか、それとも自分では気づかなかったが、昼間歩き疲れて疲れて寝てしまったのか、あれ以降のことは何故だか覚えていない。

 しかし彼の話しによると騒ぎは明け方まで続いたらしく、とうとう隣近所の人も手伝ってその場を収めたらしいのだ。

 のだというのは、翌日泊まった宿でもその話が出たからだ。

 高浜と同じクルーで働く人たちが島に渡り上番すると、それと入れ替えに下番し外出してくる自衛官がいる。 高浜の助言に従って、加奈子はそのうちのひとりに声をかることにした。 鰐浦から比田勝に向かう、恐らく彼が持っているであろう車に乗せてもらうためだ。 今度こそ、せめてここより都会の比田勝に宿をとって、観光よろしく歩き回りたいと思ったからだ。

 駐車場らしき場所で待ち受け(駐車場から船着き場まで200メートル近くあるから)声をかけた。

「こんな時間に出てこられたということは、夜勤明けだったんですか?」
朝一番の船に乗って出てきたんだから、当然そうだろうと思って声をかけた。
「僕は下宿持たんとばって、泊まるとこ無かから夕方外出できんとです、 ばって朝出て、夕方ん便で帰るとです」 
たったそれだけの時間自由になれたからって、外出というものがそれほどうれしいのか。 外出先の比田勝ってところはそんなに面白いのと言いかけてやめた。

 自分だって今すぐここを出たがってるし、ましてや下宿も持てない自衛官が車を持ってるわけがない、それでも比田勝に向かいたがってるからだ。 案の定、彼は車を持っていなかった。

 自家用車に乗せてもらうのは諦め、来た時と同じように比田勝に向かって歩き始めた。 自衛隊さんは恐らく彼ら専用の車両で街に下るだろうが、民間人の自分が乗せてもらえるわけはないことぐらい、昨日いやというほど思い知らされている。 諦めて鰐浦の峠を半分ぐらい登ってきたところで後ろから来た自衛隊のトラックが、加奈子を追い越してすぐ、止まった。

「比田勝まで行くんじゃろ? 乗ってかんか?」
親切に声をかけてくれた。 加奈子が驚いたような顔をしていると、
「昨日はすまんかった、みんなが乗っとる時には乗せたら後がうるさいけん」
トラックなら数人しか乗ってないから大丈夫だと説明してくれたが、その数人はトラックの荷台に乗って…… いや、乗るというより、積載されているのだ。
「いいんですか? 前に乗っても」
「ああ、あれね、 構わん構わん、あいつらは慣れとる」
「慣れとるって、どういう意味ですか?」

 それほど上下関係が厳しのかと、訊かなくても良いことをつい口にした。 ところがそれには応えず
「ろくな燃料使っとらんばって、荷台は排ガス巻き上げ、慣れん新兵は終いにゲロするとです」
加奈子はここでは貴重な女性だから粗末に扱えないと、こう言うのだ。 その意味を含め、昨夜の出来事を、この時乗せてくれたドライバーの工藤自身ではなく、彼が探してくれた宿の主から聞かされることになる。



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