恋歌 作

官能小説『一夜だけの』



第1話

十時前にようやく帰宅した秀行に、母が妹の恵美子が家に来ている事を告げた。
「恵美子が?あっちの家で何かあったのか?」
「縁起でもない事を言わないの。お盆のお墓参りよ。ついでに今夜は泊まっていくだ
け」
「ふーーん」
何となく不明瞭な表情になった秀行の前に当の本人が現れた。
「お帰りなさい。兄さん。こんな時間までお仕事大変ね」
これが秀行にとっては何ヶ月ぶりの妹の声と姿であった。秀行より三つ下だったから
まだ二十二才なのだが、それでも結婚してすでにまる二年もたつせいか、今まで兄が
知らなかった――何となくしっとりとした感じがその姿ににじみ出てきていた。久し
ぶりに兄に会えて嬉しいのか、頬がほんのりと染まっている。
「吉祥寺に行ってたんだって?もう、仕事をお父さんから任されているそうじゃな
い」
「任されているったって、新装開店のブディックの内装工事!大した事はない」
やや不機嫌そうにそう言うと秀行は母と妹を押しのけるようにして玄関をあがり、風
呂場に向かった。急いでいるのは頬のあたりが何となく熱いのを見られたくないから
である。恐らく妹と同じくらいに赤くなっているのあろう。色っぽくなった妹を見て
不覚にもどぎまぎしたのだと自分でも判っただけに足取りは速かった。
風呂場につくとすぐ汗まみれの作業着を脱ぎ、湯船に入る。建設会社オーナー社長の
御曹司とは言っても、家を継ぐ為の修行期間中であるから、その日常はハードなもの
である。一級建築士の免許は持っているのだが、今やっている事は新人よりきつい完
全な肉体労働で、現場の誰よりも汗をかかされていた。
「……しかし、恵美子の奴。大丈夫だろうか。実家に一人で泊まったりして。向こう
の姑さんはかなりうるさいのに」
風呂道楽の父親のお陰で、三人たっぷりはいるほど大きい湯船に疲れた体をゆったり
とつけている間にも、つい妹の事が気になってしまう秀行であった。さっきは邪険に
していたが、もともと妹思いの兄なのだ。子供の頃はおとなしく地味な妹をいつもふ
くれっつらで守ってやっていたものだった。その時の感情は今も続いている。
恵美子は二十才で嫁にいった。相手は祖父の代から付き合いがあり、今では父親の会
社の筆頭株主でもある資産家の息子である。事前に当人同士に恋愛関係はなく、露骨
すぎるほどの政略結婚であった。年齢的に早すぎたのもそのせいである。親の都合に
文句一つ言わない恵美子の事を思ってか、結婚の前後の秀行は極端に無口になったも
のであった。
嫁ぎ先は確かに裕福ではあったが、唯一の男である夫と元気すぎるほどの姑、そして
やかましいまでの夫の姉妹と言う聞いただけで胃が痛くなりそうな構成だった。新妻
としての恵美子の苦労は並々ならないものがあったであろう。実際、秀行が結婚後最
初に会った時にはその痩せぶりに驚いたものである。だから秀行はあちらの家にあま
り良い感情は持っていない。
中でも義弟にあたる夫が嫌いであった。いかにも頼りない外見さながらに実に甘った
れで、しかも要領だけはいい男なのである。妻と姑の間では、常に強い方である姑側
に立ち、恵美子を苛めているらしかった。秀行が社会人でなければ昔のように張り倒
してやったであろう。


風呂から出てパジャマかわりのTシャツをトランクスの上に着る。呼ばれて居間に行
くと、ビールと枝豆、それに塩とレモンをふったサラミが並べられていた。このつま
みは二つとも秀行の好物である。
「はい、兄さんお疲れさま。ビールをどうぞ。冷えてますわよ」
テーブルの傍らにはTシャツと短パンと言う子供っぽい格好の恵美子がいた。笑っ
ているがどこか照れくさそうである。
「はい。お酌」
そう言って両手でビール瓶を差し出した。意外に可愛い仕種だ。何とも言えずに秀
行はコップを出す。深い色の液体がゆっくりと注がれた。
「あ、お母さん。後片付けはあたしがやるからもうやすんでいていいよ」
「そうかい。じゃあ、お願いするわ」
台所の母と妹の会話を聞きながら秀行は黙ってビールを飲む。そう言えば妹にお酌を
されたのは久しぶりであった。
「はい、おかわり」
コップが空になるとすぐに恵美子はビール瓶を持ち上げた。黙って秀行は注がれる。
それが何故か嬉しそうな妹の笑顔が少し照れくさくて、何気なく視線を下にそらした
秀行の視界に短パンからすらりと伸びた妹の太股は映った。
(けっこうふくよかになったんだな……)
「ちょっと、兄さん!どこを見てんのよ!」
恵美子の大きな声を聞いて初めて秀行は自分が妹の露な太股をじっと見ていた事に気
づき、慌てた。
「いや、べ、別に…」
「いーや、見てた。あたしの足を!」
現行犯だから言い逃れも出来ない。秀行はもう抵抗もせず、コップのビールをぐっと
一息に飲み干すと無言で妹に差し出した。それに自然に恵美子はビールを注ぐ。潔
い、しかも結構恥ずかしがりやである兄の事は良く知っている事からこれ以上いじめ
る気はないらしい。
しかし、そのかわりにもっと嫌な質問をした。
「そう言えば、兄さん。まだこうやってお酌してくれる人はいないの?」
そう言って兄の顔をそっと下から覗き込む。その目が意外と真剣だ。本気で興味が
あるらしい。
「……………」
秀行は無言でサラミをつまんだ。音を立ててかじる。次に枝豆に手を伸ばし、一房
一房丁寧に食べ始めた―――どうやら質問に答える事に口を使いたくないようだ。
「…いないのね?」
「―――――うむ」
無愛想でも嘘は下手な秀行である。あっさり事実を認めた。しかし嫌な質問だ。本当
に恋人などいないのだから。
「しょうがないんだ。親父の跡を継ぐ為の修行中で、女なんて探す暇も無いんだか
ら」
「でも、昔みたいにいかがわしいところへは行っているんでしょ。クラブとかソープ
とか!」
思わず秀行は目をむいた。あのおとなしい恵美子が“ソープ”などと言う単語を使う
とは思わなかったのだ。
まあ、明らかに動揺したのは事実を指摘されたせいもある。建設現場などで働いてい
るとそれなりに付き合いもあるのであって、特に次期社長と見られている立場として
は“お高く止まっている”と思われないためにも―――
 正直に顔に出た兄を見て妹は下目使いににらんだ。
「へーー。あたしは短大卒業と同時に結婚させられたって言うのに、いいよねえ。自
由で」
「…………」
これを言われると秀行としてはぐうの音も出ない。恵美子の結婚が完全に会社と家の
ためである事は事実だからだ。長男の自分が後継者修行などと言っていられるのも、
全て妹の犠牲のおかげなのである。
「やだ。兄さん。真面目に取らないでよ。冗談じゃない」
 本気で沈黙してしまった兄に恵美子は少し慌てた。根が真面目な兄の気にしている
事を指摘すると、本気で反省か自己嫌悪してしまうという性格を忘れていたわけでは
ないが、久しぶりに会えた喜びに浮かれて、つい気が回らなかったのだ。


第2話

結局、秀行は黙って残りのビールを飲み干すと、つまみの皿を取り、自分で出した冷
蔵庫の氷を抱えて自室に引き込んでしまった。
それを見ながら、止められもせず、恵美子が苦い顔をする。別に兄を責めるために実
家に戻ってきたわけではないのだ。これじゃあ、嫁ぎ先の苦労の八つ当たりみたいで
はないか。全然、違う事を頼むつもりだったのに―――
二階のすでに布団が敷かれている自分の十畳間に入ると、秀行はキャビネットからウ
イスキーとグラスを出し、オンザロックを作った。ツーフィンガーどころか、その倍
はありそうなかなり濃いそれを布団の上に胡座をかいて、ちびちび飲り始める。
「結局、辛い思いをさせてるんだよなあ」
 一人で寝酒をしながらも、先ほどの話題が秀行の脳裏から離れない。恵美子の嫁と
しての苦労は母親からうすうすは聞いていた。昔から妹をいじめる奴は決して許さな
かった兄であったが、結局、大人になった最初に守りきれなかったのである。その事
実は何度思い出しても納得も我慢も出来ない事であった。
 ぶつぶつと一人だけの愚痴を呟きながら結構早いペースで二杯目にうつる。秀行だ
けの部屋の中は静かだ。音楽好きな秀行が自分で工事したかなり重厚な防音設備のお
かげである。一人で落ち込むにはこれほど適した部屋はなかったろう。
 さらに三杯目に口をつけた時に部屋の扉がそっと開いた。
「誰だ?」
 時間はすでに十二時をまわっている。朝の早い親父やそれに朝食と弁当を作らなけ
ればならない母親がこんな時間に起きているはずはない。
「あたしよ。兄さん」
 入ってきたのは恵美子だった。先ほどの服装から浴衣に着替えている。髪が湿って
いるところを見ると湯に入ったのであろう。
「どうした。こんな遅く」
まだ濡れて光沢を放つ髪と白いうなじが、兄の目から見てもどきりとするほど悩ま
しかった。
「さっきはごめん。あんな事をいうつもりじゃなかったの。その、なんて言うか――
ふざけたつもりがつい――」
「いいって。嘘じゃないんだから―――まあ座れ」
 秀行に言われた恵美子は一瞬、やるせなさそうな表情を浮かべたが、すぐにも一つ
小さくうなずくとおずおずと兄の前に正座した。浴衣の裾が乱れない様に丁寧に押さ
えている。こう言う慎ましやかさは子供の頃と同じであった。秀行はかって背中で兄
のシャツをを掴んで泣いていた妹の姿をぼんやりと思い出した。
「飲むか?」
「――うん。薄くしてね」
 ゆっくりと妹のオンザロックを作りながら秀行はいささか意外に感じていた。酒を
勧めたのは礼儀からであって、妹がもともとアルコールには弱く、家で酒など飲まな
い主義である事を知っていたからである。やはり結婚をすると何かが変ってしまうの
であろうか―――何となく秀行の胸の中に苦いものが動く。
「はい。薄め。水はないからゆっくり飲めよ」
「ありがと。兄さん」
 そうやって兄から手渡されたグラスを恵美子は両手で握り、少しの間見つめてい
た。そして不意に一気飲みしたのである。
「げほっ!げーーーほっ!っ!っ!おぉぉっ……!」
「お、おい、大丈夫か!」
 案の定、むせてしまった妹の背中に秀行は慌てて手を出しさすった。そしてまた驚
く。恵美子の身体は触れた部分が熱い過ぎるほど熱くなっていたのだ。
「だ、大丈夫…お酒なんて久しぶりだったものだから、つい……」
「いや、それより何か熱いぞ。風邪でもひいているんじゃないか?」
 心配げな兄に恵美子は大きく首を振った。しかし気づいてみれば頬もかなり紅い。
「いやでも紅いし熱いぞ。やっぱり――」
「いいから!兄さん。それより話があるの」
声その物は大きくなかったが、強く、思わず秀行も居住まいを正してしまうほど固
かった。せきを何とか押さえながら、恵美子も座り直す。
しかし、すぐには会話はなかった。ややの間、沈黙が流れる。
秀行は神妙に妹が“話”をするのを待っていたが、恵美子は何か言いにくいらしく、
口を何度も開けながらも声がでない。それを無言で見ながら、おとなしい妹だから恥
ずかしがっているのかと思っていた秀行であったが、やがて何となく雰囲気がいつも
と違う事に気づいた。
いや、それを言うのならさっきの居間の時もいつもの恵美子ではなかった。何か無理
に明るくふるまおうとしていたのでは―――?
「あたしまだ妊娠出来ないの」
不意に恵美子が言った。意外な言葉であった。秀行はきょとんとする。しかし、恵美
子の真剣そのものの視線に気づいて慌てて表情を引き締めた。
「妊娠って、子供の事か?」
恵美子が口を閉じてうなずく。それを見ながら秀行は苦手な話題だとやや苦く思
う。妹とは違い、まだ独身者なのだから無理はないであろう。
「まあ、あれだけは神様のおぼしめしだしなあ」
「でも、あたしが今の家に嫁いだのは跡取りを産む為なのよ。“おぼしめし”じゃす
まないわ」
その話は秀行も聞いていた。恵美子の嫁ぎ先では、何よりも跡継ぎを産む事を嫁の第
一条件としているのだ。姑も小姑もそれを露骨に口にし、“産めないのなら離婚して
もらう”と婚約時に宣言までしたと言う。
この時、自分の妹を子供を産む為の機械のように扱われた秀行は本気でこの話を破談
にするよう両親に迫ったものである。もちろんこれが政略結婚である以上、同じ想い
の両親でも、今更結婚を取りやめる事などできはしなかったのだが。
「この二年間、出来るだけ――かかさなかったのよ。でも何度やっても出来なかっ
た。どうしても妊娠しないの」
かかさなかった―――と言う事が何を意味するか理解して、秀行は瞬間的に胸と脳裏
が痛いほどに焼けた。あの嫌な義弟が、目の前の可憐な妹の身体に何をしたか――想
像するだけでも胸が鋭い衝撃が走り、熱い血が頭に逆流してしまう。たとえ夫婦とし
ては、あたり前の事であったとしても――これは娘を嫁がせた父親の感慨と似たよう
なものなのであろうか。
「それで、そろそろ姑が痺れを切らしそうなの」
兄が身体の中の激情を必死でこらえる事が判っているのかどうか―――恵美子は
淡々と続けた。
「“あと一年待って妊娠しなかったら考える”って、先週言われたわ。このまま
じゃ、あたし実家に戻されるかもしれない」
戻って来いよ―――思わず出そうになった言葉を秀行は口の中で辛うじてかみ殺し
た。恵美子の結婚が破れると言う事はあの家との縁も切れると言う事である。それは
直接的に父の会社の存否にかかわる事だった。
あの家は祖父の親友だった先々代も、父の良き協力者だった先代も人格者であった。
だからこそ、株式上場の際に筆頭株主になってもらったのである。しかし、この二人
が死んで恵美子の夫の代になると実権は姑に握られる事になった。
そして、この姑が恵美子の言う通りひどい女で、他人のどんな迷惑もかえりみないわ
がままであった。好き嫌いで長年の信頼関係をぶち壊すくらいは平気でやる。秀行自
身その実例を両手の指の数ほどは知っていた。
迷惑な事に、自分の馬鹿息子は溺愛していたから、もし恵美子が離婚などしたら、単
に悪口を言い触らす程度では治まらないだろう。秀行がそれに対抗する立場ならとも
かく、この建設不景気の中、何とか会社と社員を守ろうと奮闘している父親の事を思
うと、自分の思いと恵美子の事だけを優先させるわけにはいかなかった。



第3話

「だから何とかしなきゃならないの」
「しかし、何とかなるものなのか?それって?不妊治療とかいうのは聞いた事がある
が…」
どう何を言うのも苦しい秀行である。二十五才と言う年齢からもその方面の知識は乏
しいし、何よりこの妹が誰かの子を孕むと言う事自体に、言い知れない違和感と深い
ところでの嫌悪感があった。
「実はもう病院で検査してもらったの」
恵美子は淡々とした口調を崩さず言った。唇の端に微妙な皺が浮かんでいる。もし
かしたら努力してこのような口調を保っているのかもしれない。
「家には内緒に一人でね」
「――――どうだった?」
「何も問題はなし。健康そのものだったわ」
秀行の心のどこかでため息のような音がした気がした。
「じゃあ問題はあっちか」
「うん。その後、あの人のを本人には判らないようにこっそりと病院に持っていって
調べてもらったの」
「え?判らないって、ど――」
――うやって――と言いそうになって秀行は何とか口を止めた。何と言っても夫婦な
のだから方法はいくらもあるであろう――そう思い、何故か胸がまた痛む。そんな方
法とやらを聞くのも想像するのも兄としては辛いだけのようであった。
「無精子症だったのよ。あの人」
勝手に胸を痛めている秀行の耳に妹の声が冷たく流れた。その意外すぎる以上に陰気
な事実に自分の事も忘れて呆然となる。
「そ、そうか……それは残念だったな」
それきり口を閉じて下を向いた妹に何と言って良いか判らず、秀行は意味の無い慰め
しか出来なかった。しばし、沈黙が流れる。先にその重さに耐えられなくなったのは
兄のほうであった。
「―――それで、あっちの家ではなんて言っているんだ?」
「何も――と言うよりこの事を言っていないもの」
意外な妹の答えであった。
「何故?責任は向うなんだから―――」
「理由がどうであれ、子供が出来ないのなら離婚させられるわ」
恵美子の主張どおりであろう。あっちはそういう家だ。そして無精子症と言う男の不
名誉を誤魔化す為にもさぞや陰湿な嫌がらせを父の会社にしてくるに違いない。
「―――じゃあ。どうするんだ?」
どうして良いか判らない兄の問いに、初めて妹は毅然として顔を上げた。
「子供を作ります。この事は秘密にして、何としてでも」
「何言ってんだ!そもそも出来ないんだろうが!」
「あの人のはね。でも他の子種をもらえば何とかなるわ」
妹の宣言に秀行はそう言う不妊治療がある事を思い出した。子種の無い夫婦の為に、
匿名の男性からの精子によって妊娠させるのである―――秀行の趣味にあう話ではな
かった。
「…そこまでやる気か……」
「ええ」
恵美子は堂々と認めたが、秀行としては苦い顔にならざるを得ない。いくら子供が
欲しいと言っても、そう言う治療自体に疑問があるし、またどこの誰のものとも知れ
ない男のものが恵美子の身体に入ると考えただけでも苦すぎる思いがする。
「仕方ないの。これしか方法がないわ。でないと今までの我慢が無意味になってしま
うもの」
そう言う恵美子の顔には、おとなしいだけの妹だった頃には見られなかったような力
強さがみなぎっていた。ふと、秀行は恵美子があっちの家への復讐のつもりでいるの
ではないかと疑ってしまう。跡取りだけを要求する姑や夫に対して、どこの他人のも
のとも知れない子供を偽って渡すと言う陰湿な復讐を――
「……もう良い。好きにしろ。俺にお前の行動をとやかく言う資格はないからな」
ついに秀行は重い口調でそう言った。突拍子もない妹を責める気より、そこまで妹に
やらせてしまう自分の不甲斐なさと立場への怒りが肩から背中にかけて重くのしかか
る。
「じゃあ、兄さん、賛成してくれるのよね!」
規定量以上のオンザロックに更にウイスキーを入れる兄に恵美子が嬉しそうな――そ
して熱のこもった声を出した。それに対して即答はしない―――したくなかった。よ
うやく声を出したのは一口以上グラスを傾けてからである、
「ああ。好きにしろと―――」
「じゃあ、兄さんの子種をちょうだい!」
秀行は口に含みかけたウイスキーを一瞬で吹き出してしまった。盛大な霧状のシャ
ワーが畳に飛び散る。それでもかなりの量が気管に入ったらしく、声も出ないほどせ
き込んだ。
「!!!!!―――ホッ!ゴフォッ!」
「大丈夫?兄さん」
急いで恵美子が兄の背をさする。その触れた手の熱さに、秀行は何故かぞっとして
振り払ってしまった。
「何考えてんだっ!俺達は兄妹だろうが!」
「だから良いんじゃない!兄さんの子ならどんな遺伝でもばれないわ!血液型もあの
人と一緒なんだし!」
怒鳴り上げた秀行に恵美子は生まれて初めて怒鳴り返した。その剣幕に秀行のほう
がわずかにひいてしまう。その隙を妹は逃さなかった。
「知らない男の子供じゃあ、顔や身体の特徴がどうなるか判らないもの。その点、良
く似た兄妹のあたし達なら、どうなってもあたしに似たと言い張れるわよ」
「おま…そんな――」
言っている事は判るものの、だからと言って納得は出来ない。兄の子を妹が孕むな
どあってはならないはずではないか。
「あたしと兄さんさえ黙っていれば誰にも判らないのよ!」
「ばれなきゃ良いってもんじゃない!第一、どこの病院が兄妹の受精をやってくれる
というんだ?」
秀行としては拒絶の理由の切り札であった。確かにそんな背徳をやってくれる病院な
どありえないだろう―――しかし、妹の反応は兄の常識を超えていた。
「病院?何言ってるのよ。そんなところでやるつもりはないわ」
「はあ?」
「あたしは、今、ここで、二人でするつもりなの!」
恵美子はそう言いざまに立ち上がり、浴衣の帯に手をかけた。その次には帯が引か
れ、はらりと浴衣がはだける。一瞬、白い光の束がその下から現れたように秀行には
見えた。
恵美子は全裸だった。浴衣の下には下着一つつけていない。真っ白な肌のバランスの
良い肢体に小ぶりな乳首、そして股間の黒い茂みまでもが兄の視線に完全に晒され
る。
「あ――――」
あまりの事に秀行はぽかんと口を開けるだけだった。大人になってから初めて見た
妹の成熟した裸体はそれほどまでに美しく――そして食虫花のように魅惑的であっ
た。
その呆然により、秀行の手からグラスが落ち、氷とウイスキーが飛び散る。その音が
合図となった。



第4話

「兄さん!」
恵美子の裸体が秀行目掛けて飛んだ。呆然としたままで避けられない秀行にそのまま
覆い被さるように重なる。重みと勢いで二人はからまったまま布団に転がった。
「兄さん。お願い――兄さんの子をあたしにちょうだい。いや、兄さんの子じゃな
きゃ駄目なの。他の男なんて――この身体に入れるだけでも辛いんだから―――」
上になった恵美子は泣きつくように叫びながら、必死で兄の唇を追い、服を脱がそう
とする。すぐにもその手と爪によって鋭い音が立ち、秀行のTシャツが裂けた。
「―――――――」
妹に襲いかかられながらも、秀行は無言であった。その腕力なら必死の妹でもなんな
く引き剥がせるだろうに、動こうともせず、また必死の妹の嘆願にも応えようともし
ない。ただまばたきすら止めて妹の泣きそうな顔を見つめているだけである。
Tシャツが完全に取り除かれると、妹の胸が兄の胸と肌を接して重なる。形の良い大
きな乳房が兄の厚い胸で、いやらしい形につぶれた。肌と肌から妹の熱さが直接兄の
心臓まで伝わる。
やがて、妹の手がトランクスも破いた。中から完全に直線と化した肉棒が弾け出る。
その固さが恵美子の太股にあたり、兄の身体の真意が伝わった。
「兄さあぁん…」
半分の泣き顔にはっきりと笑みを浮かべ、恵美子はその肉棒を掴む。同時に自分の股
間を兄のむき出しになった逞しい身体に擦り込んだ。汗でも涙でもない、粘った体液
が秀行の腰にねっとりとつく。
「お願い。兄さん。あたしとして!あの時のように!」
首にしがみつくようにして囁く恵美子の圧力に秀行は苦しそうな表情になった。その
肉棒は妹の手が乱暴なまでにしごき上げている。しかし、その先端に透明な汁が染み
出たのはその為だけではなかった。
「今日ならいいの。きっと妊娠するわ。それに誤魔化す事も出来る。……昨日、あの
人としてきたからばかりだから―――」
この一言が全てを変える引き金になるとは言った恵美子も意識してなかったであろ
う。
耳の奥に届いた瞬間、秀行の脳裏にあの義弟と妹の痴態が浮かび――そして秀行を押
さえていた何かがはじけた。


突如、秀行の手が恵美子の顔を押さえ、その唇が乱暴に妹の唇を奪った。
「……………!」
うめき声も出せないまでに強烈な兄のキスに口腔全てを犯され、恵美子は歓喜の余り
に全身で震えた。女性経験の豊富な秀行のキスが上手かった以上に、念願の兄の愛撫
に理性以上に身体が驚喜したのである。
それだけで恵美子が気絶するほどのキスをしながら、巧妙に秀行は身体を入れ替え、
妹の上になる。手がすぐにも恵美子の形の良い乳房を握り揉みしだいた。やがて舌も
妹の唇から乳首へ移り、舌と涎のねとつく音が二人の身体の間に流れた。
「に、兄さん…すごい……胸が……こんなにも感じるなんて――!」
 悲鳴に近いあえぎが恵美子の口から漏れる。胸を愛撫されているだけなのに、もう
いってしまいそうだ。兄の愛撫はそれほどまでに妹には刺激的であった。しかし、そ
れでもその愛撫を全て身体に吸収するかのように、左手で兄の背を抱きしめ、右手で
自分の乳房を兄の口に押し付けようとする。
 もちろん妹への愛撫はそれだけではなかった。舌と口で存分に胸を弄りながら、右
手が快感にうごめく身体を下になぞり、ついには股間の叢に到達する。指がその豊な
茂みをなぞっただけですでに粘液質の音があがった。
「ひうっ!」
 秀行の指が妹の秘肉に触れた。すでに流れている暖かいねばつく液体がねっとりと
兄の指から手を濡らす。秀行は中指をそのまま肉襞にゆっくりと差し込んだ。
「い、いやあぁぁぁぁ…兄さん……も、もう駄目ぇぇーー」
 肉壺の中は、兄の指がさらに愛撫するまでもなくたっぷりとした愛液で満ちてい
た。これならすぐに出来るだろう。しかし、秀行は何かを確認するように丹念に指を
動かして妹の肉壺中をなぞり、まさぐった。もちろん、その間も舌は乳首を舐る事を
やめない。
「兄…に…いさぁん―――」
 緻密なまでの上下からの兄の愛撫に恵美子のほうが耐えられなかった。もう本当に
いきそうだ。しかし、せっかくの兄の腕の中で指と舌だけで絶頂を迎えるのは嫌だっ
たのであろう。遮二無二両手を兄の股間に伸ばし、その硬直した肉棒を掴む。その先
端はすでに十分なまでに熱く、先汁で濡れていた。
「こ、これ……恵美子の中に入って…お…願いだから―――兄さんを…感じたいの」
 妹の喘ぎ声での嘆願はかなえられた。秀行は無言のまま腰を動かし、その肉棒を妹
の誘導どうりにその秘肉にあてがったのである。
「…うれしい―――ひいっ―――っ!」
 ぐさり――と差し込む音がしたくらい強く秀行は肉棒を妹の股間に限界まで突き入
れた。その衝撃に恵美子の視界に閃光までもが走る。しかもそれが終わりではなく、
同じ位に激しいピストン運動が続いたのだ。
「…い、い…いわぁ――もっと…ついて。もっと――あた―――しの中に…入ってき
て。に、兄さんであたしを…一杯にしてぇぇっ!」
 兄の鋼のような肉棒に存分に肉壺をえぐられて、恵美子は半狂乱なまでに叫び喚い
た。防音設備のある部屋でなかったら家中に鳴り響いたであろう。
 恵美子は二度まで絶頂を迎えたところまでは何とかまだ意識があった。しかし、兄
がついに発射した瞬間には完全に失神し―――それでも両手が兄の身体を、肉壺は兄
の肉棒を締め上げんばかりに掴んでいた。


第5話

恵美子が意識を取り戻した時、兄は妹の裸体を抱きかかえる様にして布団に横になっ
ていた。
「あ…兄さん…」
恵美子は視線を頭の方に動かし、兄の表情を見る。口を力を込めて閉じているよう
な顔だった。それがどう言う意味か、恵美子だけには判る。自分のした事に後悔をし
て――しかし言い訳はしないぞと決意した時の顔であった。
 恵美子は思わずくすりと笑ってしまった。
「子供の頃から変らないのね。本当に」
 姉さんぶった妹の言い方が何かひっかかったらしい。秀行はそのまま口を閉じて妹
の顔を軽くにらむ。そう言えばさっきのSEXの最中も一言も発していない兄であっ
た。
「後悔しているの?実の妹のあたしとSEXしたこと」
「……………」
「してるのね―――ふふふ、兄さんらしいわ」
「……笑い事ではない」
 ようやく出たきしむような兄の声は真摯そのものであったが、妹はひるんだりはし
なった。何の迷いも罪悪感もない声で兄の耳に囁く。
「あたしにとっては笑い事―――いや幸せなことよ。だって、ずうっと前から兄さん
とこう言う仲になりたかったんだもの。兄さんは違うの?」
 俺はどうだったんだろう―――そう妹に言われて秀行は自分の胸に深く問うた。
 今までは、ただの妹思いの兄のつもりだった。しかし、そうでない事はたった今、
行われた狂態が証明している。あれは普通の兄と妹がなせる事でありえない。
 では、俺は恵美子と同じくずうっと昔から妹を女として愛し――その身体を欲して
いたのだろうか?
「でも、この部屋で兄さんに抱いてもらえるなんて嬉しいわ。
 知っている?あたし、結婚するまではいつもここでオナニーしていたのよ」
 恵美子の嬉しそうな告白に秀行は何も言えなかった。嘘だとも冗談だとも言えない
し、その笑顔を見ればまた思う事も出来ない。そもそもどんな背徳的な妹でも責める
権利はこの兄にはないのだ。何故なら先ほどの近親相姦の時、秀行は妹への嫉妬を引
金に、まごうことなき実の妹への欲情を露にしたのだから。
「それに、あたしの処女喪失もここだったんだ」
「え?」
 深い悔いと自責の念にひたっている秀行にも、さすがにこれは無視できない発言で
あった。しかし、“誰と?”とつい問いそうになった事実が、先ほどの本人の疑問へ
の最良の答であった。
「何言ってのよ。相手は兄さんよ。憶えていないんでしょう」
 どんな状況でも人間は驚く事はできるらしい。さらに意外な妹の発言に秀行は馬鹿
になったように口を開けた。
「兄さんが大学生であたしが高校生だった頃、コンパで泥酔して帰ってきた兄さんを
この部屋で介抱している時の事よ。せめて酒臭い服を着替えさせようと全部脱がせた
ら、兄さんのここが元気一杯になっていたの」
 恵美子の手が伸びてそのものを握る。とたんに硬度が増したのだから現金なもので
あった。
「それで上に座って…その――あたしを兄さんにあげちゃったの」
「うそだ!いい加減な事を言うな!そんな憶えは俺にはないぞ!」
 ほとんど絶叫した秀行であったが、恵美子は余裕で笑った。
「そう言うと思った。翌朝も兄さんは全く覚えてなく、二日酔いしか残っていなかっ
たからね。本気でがっかりしたんだもんねーー――ふん!だ。この悪党!」
「…………」
 覚えがないんだから否定できる証拠も自信も秀行にはない。
「でもそんな事もあろうかとあたしは証拠を残しておいたの。兄さん、お祖父さんの
形見の虎の掛け軸を持っているでしょう?」
 確かに持っている。何とか言う著名な画家の手によるもので時価数百万と言う名品
である。祖父の形見に家の後継ぎの秀行がもらったのだ。
「その裏地を見てよ。証拠を残しておいたから」
KO負けをいやがるボクサーの様に秀行は瞬間的に跳ね起き、押し入れからその掛け軸
を引き出した。祖父の形見で高価だとは知っていても、良く価値の判らない秀行だか
らちゃんと見てみるのも久しぶりである。わずかに震える手で紐を解き絵を開く。そ
してその裏地を見ると―――
「ちゃんとついているでしょう?」
裏には血の跡と思しい染みと、それをはさむようにしてHとEのイニシャルが書かれ
ていた。色合いから見て、最近のものではない事は明らかである。恵美子の猫のよう
なくすくす笑いが秀行の背に響いた。
「大事にしてよ。売ったりしちゃ駄目。あたしの一番の思い出の品なんだから」
全裸を隠す余裕も無く立ちすくむ秀行の股間に暖かいものが触れた。妹の手だ。恵美
子は立ったままの兄の下半身をすがるようにして抱き、その肉棒を口に咥えた。ねと
つく音と感触が秀行の股間に響く。
「う…………」
口での奉仕など秀行には何十回も経験した。しかし、この妹の愛撫はそのねばつきと
いやらしさにおいて最高であった。これがあの清楚な妹の口によるものだとは実際に
味わいながらも秀行には信じられない。恵美子は一体どこでこんな事を憶えたのか
―――そう考えただけで秀行の胸に引きつるような痛みが走る。
快感と何かに耐える兄の顔を見上げ、恵美子はにやっと笑った。それは妹のものとは
思えないようほどにいやらしく――またいとおしい笑顔だった。
(恵美子……)
そう心の中で思った瞬間、秀行はいってしまった。自分でも驚くほど早い。しかし、
発射されたミルクの量と快感は先ほどに匹敵するほどだった。
「……おいしい…兄さんのもの……兄さんの命を飲んでいるみたい」
兄のミルクを一滴ももらさずに飲み込んでから、恵美子はうっとりと呟いた。上手い
酒にほろ酔いしたかのような恍惚の表情を浮かべている。それを見た兄までもがとろ
けそうな艶っぽい女の香りが兄の視界を揺らせた。
しかし、手はまだ離さない。それどころか発射したばかりのそれを更にいやらしい手
つきでしごいていた。秀行の肉棒もそれにすぐ応え、スイッチでもいれたかのように
あっさりと固さを取り戻す。恵美子はにんまりと笑って背を向け、両手をついた。
「ねえ…今度は後ろからして…」
秀行の前に妹の露な尻が突き出される。ふくよかな白い二つの肉の真ん中に、肉色の
菊座とべっとりと濡れた叢があり――そしてその間にさっき兄の肉棒とミルクを全部
飲み込んだ秘肉がうごめいているのが見えた。
「お願い…兄さん。今日だけ…今夜だけだから、全部して欲しいの―――恵美子の身
体の全部に兄さんのしるしをつけて――お願い…」
女が男に見せるのには一番恥ずかしいポーズのまま、顔だけで振りかえり恵美子が
懇願した。すがりつくような表情であり、吸い込むような声であった。妹が兄を呼ん
でいるものではなく、淫らすぎる女が最愛の男を要求する顔と声であった。
秀行の脳裏でその表情と声が、子供の頃からの妹の思い出と一緒になってぐるぐる
とまわる。そして罪悪感より強いしびれるような喜びが初めて全身を一筋だけ駆け抜
けた。それが勝利感か達成感か――最後まで判りはしなかったが。
「……今夜だけ――か」
自分に言い聞かせるように呟いて、秀行は恵美子の尻を掴んだ。膝をつきながら肉棒
を涎のように愛液を垂れ流している妹の秘肉にあてがう。
そして一気についた。
「あ、あああん…!」
りゅん!と言う湿った音と妹の嬌声が重なる。そして鋭く激しい兄の腰の動きにより
妹の声は止まらず、最初の失神をするまで泣き続けるのであった。


それからの秀行は理性を忘れ、理性以外が望むとおりに、妹の飽くなき欲情の裸体を
存分に貪り続けた。
兄は無言で妹の身体中を舐めまわし、全身で愛撫し、鋼鉄のような肉棒で妹の秘肉を
えぐり続ける。それに応えて、妹は花のようにあえぎ、獣のように叫んだ。
兄さんであたしを一杯にして――その恵美子の懇願に応えるかのような無我夢中の秀
行の愛撫と攻撃に、何度も何度も恵美子は失神するが、それでもその手も腿も――秘
肉ですらも、片時も秀行の身体を離そうとはしない。例え無意識であっても兄の全て
を貪欲に貪り、まるで吸い尽くすかのようにへばりつき、兄の逞しい裸体の上になり
下になってうごめく。兄が何度射精したか、妹が何度それを口と肉壷でむさぼり絶頂
に達したか――もはや二人にも判らなかった。
その終わりの無いような兄妹の淫らな饗宴は、二人同時に意識を失った明け方まで続
けられた。妹と自分の体液でどろどろになった秀行はうすれゆく意識の中で妹の幸せ
そうなつぶやきを聞いたように思った。
「ありがとう。兄さん。今日、兄さんにもらったものは一生大事にするわ……」


兄妹の男女の関係はこの一夜だけで終わった。翌日からはまた無口な仲の良い兄妹
――兄は真面目な建築設計士に、妹は貞淑な人妻に―――戻ったのである。この日
以降、二人の間ではあの一夜については口にする事すらなかった。
翌年、恵美子は男女の双子を出産した。どちらも恵美子似の元気な赤ちゃんで、これ
で姑や小姑から責められる口実が一つ減った事になる。まあ、どうせすぐにも別の口
実がつくられるのだろうが。
それでも両親と産院にお祝いに行った秀行が見た恵美子は幸せそうに赤ちゃんを抱い
ていた。
「へーー、さすがに双子だと良く似ているわね」
「そうだな。こっちの女の子は特に恵美子似かな」
「男の子のほうはちっちゃい頃の秀行みたいだわ」
「両方とも我が家のほうに似たと言うわけか」
両親が嬉しそうに初孫に触っているのを一歩下がって見ていた秀行はこっそり恵美
子のほうに目をむけた。その視線に気づいた恵美子が兄のほうを向く。
「………」
実に幸せそうであった恵美子が、その瞬間だけ、妖しい――“勝ち誇った”と言うよ
りもさらに深い謎めいた笑みを浮かべた。そしてその笑みに触発されたかのように、
秀行の脳裏に、あのたった一夜の出来事が鮮やかに蘇る。同時に秀行の胸を一杯にし
た熱く激しい想いを何と表現すべきか、後々まで秀行には判らなかった。
その後、双子達はすくすくと育っていった。父親は相変わらず自分だけが可愛いいら
しく、赤ん坊の世話などろくにしなかったが、献身的な母親と無愛想だが意外に面倒
見の良かった伯父のお陰で愛情には不足しなかったようである。
秀行は双子の誕生の翌年に結婚した。見合いである。妻になった女性は清楚でおとな
しめで――ようするに妹に似ていた。その事を他人に言われると秀行は憮然とし、恵
美子は喜んだそうである。ちなみに家庭は円満であった。


ところで、秀行には一つだけ疑問が残った。
と言うのも、秀行の結婚の翌年に恵美子の夫が隠し子騒ぎを引き起こしたのである。
相手は良く遊んでいたスナックの女で、もちろん秀行は何もしていない。そして妹の
為に中に入って調停を行った秀行が相手の女に見せてもらった赤ちゃんの顔は、確か
に恵美子の夫に良く似ていたのだ。
では、恵美子の夫が無精子症と言うのは間違いだったのだろうか。それとも―――或
いは恵美子は知っていてあの夜に嘘をついたのだろうか。兄を一夜だけでも手に入れ
るために―――
その後、秀行は恵美子に会うたびに、また双子を見るたびにその疑問を思い出してし
まうようになった。その事を恵美子に直接確認しようと思った事も何度かある。
しかし、その疑問を口に出そうとすると、必ずやそれが判っているかのように、恵美
子はあの妖しい笑みを見せるのであった。それを見てしまうと、もう秀行はそれ以
上、舌を動かす事が出来なかった。何か大切なものに傷つけようとしているのではな
いか―――と言う恐れが必ずや重くわいてくるのだ。
そう――大切な、兄妹だけのかけがえの無い宝物――今では宝石のように二人の記憶
の中で輝き続けている、あのたった“一夜だけ”の事を。









恋歌さん投稿作品一覧










inserted by FC2 system