サーカスがやって来た。
どこか懐かしいアコーディオンの音、太鼓、笛、シンバル、色とりどりの紙吹雪。
調子っぱずれの金のラッパを吹き鳴らし、意気揚揚と先頭を練り歩くのは窮屈な燕尾服とだぶだぶの真っ赤なストライプの吊りズボンを履いた赤鼻の道化師。
その周りを笑い、歌いざわめきながらクルクルとビラを配り回る踊り子たち。
きらびやかな飾りをつけた印度象の上では、春の妖精のような空中ブランコ乗りがにこやかに手を振っている。
その後には檻に入れられた動物達がぞろぞろと列をなす。
一行は夏の熱い日差しの中を、幻想のような余韻を残して街外れの広場へと進んで行く。
更にその周りを街中の子供達がはしゃぎ、歌いながら追いかけた。
ぞろぞろ、ぞろぞろ、遠いどっかの国のお伽噺のように。
サーカス団が腰を落ち着けたのは、向日葵畑の隣の工場跡。もう、何年も前に潰れた工場は街の所有物となり、現在では隣の向日葵畑との境界がわからないほど何もない空き地になっている。
まるで一枚の名画のようにサーカス団は向日葵畑の中に溶け込んでしまった。
そして、追いかけて来た子供達はサーカス団の荷車の周りを物珍しげに走り回り、設営したばかりの厚い古ぼけたキャンバス地のテントの裂け目から潜り込み、団員に追いかけられ、逃げ回り、動物の檻の前で悲鳴を上げ、笑い、サーカスの開演を今か今かと待ち焦がれた。
勿論、少女もその中の一人だった。
荷物置き場のテントの裂け目から潜り込んだ彼女らは、傍らにあった大きな箱を見つけた。
それは真っ黒で、人間がすっぽり入るほどの大きさを持った、吸血伯爵の寝床を思わせる古惚けた葛籠。
少女は魅せられたようにその場に立ち竦んだ。
いつのまにか、一緒に潜り込んだはずの仲間は次なる興奮を求めて走り去ってしまっていた。
一人とり残された少女は、細い指先で蓋の曲線をそっとなぞってみた。
上等の陶磁器のようにつるりと滑らかなくせにどこか温かい、なんとも不思議な感触。
「おいで、こっちへおいで」
誰かの楽しげな声が頭に響く。
蛇に唆されたパンドーラのように、少女はうっとりと蓋を開けた。
そこは夏の日差しも届かない、深海のような暗闇と静寂の世界。
深く息を吸い込めば、箱の奥から微かに汗と香水の入り混じった甘酸っぱい大人の匂いが鼻腔を擽る。
と、外から、飼育番につかまった運のない悪ガキ達の悲鳴とも歓声ともつかない声が聞こえた。
「そこにも誰かいるのかっ」
悪ガキ達の悪戯に手を焼き、とうとう怒ったサーカス団員の怒鳴り声がテントの裂け目、すぐそこからはっきり聞こえた。
「まずいっ」
とっさに少女は葛籠の中に飛び込みそっとその蓋を閉じた。
箱の中は暗く、狭く、柔らかく、どこか絡み付くような温かさがあった。
見つかる恐怖から蓋を閉じた瞬間、少女は縮み上がるような、股間がギュウッと締め付けられるような痺れるような、くすぐったいような、むずがゆいような、腰骨の辺りから首筋に這い上がるような撫で下ろされるような、なんとも言えない奇妙な感じを覚えた。
まるで金魚が脚の間でビチビチもがいている感じ。
けっして不快ではないけれど…。
まだ固く未発達な胸の疼きを持余し、少女はギュッと目を閉じ己を抱いた。
突然、目の前がカッと真っ赤に染まり、彼女は眩しそうにその細い腕で光源を遮り眼を瞬かせた。
何時の間にか、彼女はサーカスのステージでスポットライトを浴びていた。
傍らには金のラッパを首から下げた赤毛の道化師が気取ったしぐさで少女の手を取っていた。
「何、これ?」
観客席からはやんやの喝采が聞こえるが、ライトの所為かなんなのか、その顔はどれひとつとして満足に見ることは出来ない。
彼女は困ったように辺りを見まわした。
「ぃやほっー」
派手な掛け声をかけて空中ではブランコの曲芸が始まった。
右手には派手な衣装の若者。
左手には全裸の娘。
場を盛り上げるドラムの音、ファンファーレ。
若者が足場を蹴る。
妖精(ニンフ)ような白い裸身が空を舞う。
右に、左に。
時計の振り子のように揺れる、揺れる。
観客から歓声が上がる。
更にブランコが地上から高くなる。
娘はコウモリのように逆さにブランコにぶら下ったまま、みずからの股間に手をやった。
激しくなるドラムの音。
娘は股の間でブランコを握ると、ゆっくりと両足を広げた始めた。
地上では、少女が首が痛くなるほど上空を見つめている。
天空では、ブランコ乗りの娘の細い腕が全身の重みと重力を浮け、微かに震えていた。
「あぁっ」
少女は思わず小さく叫んでいた。
天空の娘が両手を離してしまったのだ。
真っ逆さまに落ちる娘。
会場のどよめき。
が、次の瞬間、彼女は信じられぬ思いで眼を見張った。
娘が空に浮いている。
彼女とブランコを繋ぐ一本の糸。
それは、彼女の股間から真っ直ぐにブランコの真ん中に伸びている。
ゆらり。
娘が揺れる。
奇妙な糸は朝露に濡れた蜘蛛の糸のさながら、ヌラヌラと輝いている。
ゆらり。
裸身の妖精(ニンフ)は艶やかに微笑むと、長い手足を蠢かし、するするとまた天空へ消えた。
と、今度は奥から一輪車に乗った娘が二人、手を繋いでやって来た。
露わな胸、僅かに腰の周りのみを覆うコルセットのような衣装、背後には真っ白いダチョウの羽が扇のように開かれている。高だかとアーチを作り少女の囲むように向かい合うと、踊るようにゆらゆらと一輪車を操った。
ふと見れば、本来サドルとして尻を落ち着けるはずの部分に奇妙な突起が付いている。
突起はテラテラと光って少女の眼を吸い付けた。
一輪車の娘たちは春の曙のようにうっとりと微笑みながら更に少女の周りを廻り続ける。
そして突然、彼女の手を取ると、そのまま舞台の中央へと引きずり出した。
一輪車の少女たちの周りを更に侏儒や道化が笑い、おどけながら着いてくる。
口々に何かをはやし立て、少女を囲み、踊るように周りを跳ね回る。
ぐるぐる、ぐるぐる。
何時の間にか少女は自分が何も身に付けていない事に気づく。
真っ白な細い手足。
まだ薄く、小さな胸。
生え揃わない綿毛のような恥毛。
踊りの輪を縮め、道化がまた少女の手を取る。
ドラムの軽快なリズムが一段と早くなる。
ぐるぐる、ぐるぐる。
誰かが少女の細いウェストを抱き上げる。
一輪車の少女が二人、左右から彼女の細い足首を持ち上げる。
股裂きのような格好で、少女は観客席に自分の神秘を曝け出す。
更に高々と上げられる足。
観客席のどよめきと歓声。
少女は驚き、戸惑い左右に視線をさまよわせる。
足の甲と足の甲が触れ合う奇妙な感覚。
「やめてぇ」
彼女の悲鳴は届かない。
メリメリ骨のきしむ音。
彼女にしか聞こえない。
踊りの輪から一人抜け出した道化師は、彼女の前で恭しく一礼すると、白手袋をはめた手を彼女の花弁に差し入れた。
「いやぁ」
神秘の花園は道化の手で伸ばされ、広げられ、乱された。
ずるんっ。
舞台には色鮮やかなピンクのボール。
道化や踊り子、猛獣の周りを生き物のように跳ね回る。
けっして空気の抜けないボール。
サーカスはその街で大盛況を収めた。
そして今、次の街を目指す。
ボールは黒い葛篭の中。
細く、か細く、歌いながら。
完