もえもえ 発火点

Shyrock作



第38話「珈琲の香りは報復の香り?」

 則子は手で首を切るような仕草を見せた。つまり『会社を首』という意味のハンドサインである。

「いくらなんでも、それは……」

 俊介は則子の非道ともいえる策謀を聞かされてぞっとした。
 自分のために手助けしてやろうという気持ちは嬉しいが、いくら何でもやり過ぎではないだろうか。
 会ったこともないもえもえに対して報復を企てる……俊介はそんな則子がとても恐ろしい女に思えた。

「源田さんは本気で言っているのか?」
「冗談なんかで言いませんよ」

 俊介は断った。

「湯岡さん気持ちは嬉しいけど、そんなことはやめてくれ」

 だが則子は聞く耳を持たない。

「湯岡さん、彼女の名前を教えて?」
「そんなこと言えない。言うと君は本気で行動するだろう? そんなことはしてくれなくていいから」
「でもこのままじゃ悔しいじゃないですか」
「同情してくれるのはありがたいけどもういいって。仮にそんなことしたって彼女が戻るわけじゃないわけだし」
「人を裏切ったのにきっちり謝りもしないで、何もなかったかのようにのうのうと彼と交際する……人としての道を外れてでも自分だけは幸せになろうとしている。彼女は自分がどれだけ酷いことをしたか分かっていないのよ。だからこそ彼女に、自分の罪の深さを思い知らせるべきですよ。その償いをさせるべきですよ」

 則子はろうろうと自身の思いを語った。

「源田さん、本当にもういいよ」
「彼女の名前を教えてくれないのなら、せめて彼氏の名前だけでも聞かせて?」

 かなり強情な女だ。まったく諦めようとしない。
 俊介の言葉が全く耳に入らないのだろうか。

「彼氏の名前は知らないよ」
「本当に?」
「本当だよ。彼女に聞いたけど教えてくれなかったし」
「うん、わざわざ彼氏の名前を教えたりしないですよね。それは理解できます」
「源田さん、僕のために一肌脱いでやろうとしてくれるのは嬉しいけど、この話は聞かなかったことにしてくれないか?」

 俊介はきっぱりと断った。

「本当にいいのですか?」
「うん、いいよ」
「確かに他人事かも知れません。余計なお世話かも知れません。でもね、同性としてそんな性質の悪い女は絶対に許したくないの」

 則子の言葉に俊介の語気が荒くなった。

「源田さん、いくら君でもそりゃ口が過ぎるんじゃないか?『性質の悪い女』は言い過ぎだよ。かりそめにも少し前まで僕の恋人だったんだよ」
「ごめんなさい……ちょっと言い過ぎでした……」
「いいよ」
「熱くなり過ぎましたね。ごめんなさい」
「構わないよ。君の誠意には感謝するよ」
「湯岡さん自身が解決すべきことですよね。私、少しでしゃばり過ぎでした。許してくださいね」
「源田さんのいうとおり、僕は他人の力を借りて仕返しするって嫌なんだ。もしも仕返しをするのなら自分でするよ。源田さんの社内での力をもってすればおそらく仕返しは成功するだろう。でも彼氏の左遷が第三者の力によるものだと彼女が気づいた場合『俊介はそんな陰湿な男だったんだ』と思うだろうし、きっと僕を逆恨みするだろう。今更どう思われようが構わないのだけど、そんなケチな奴だと思われることがしゃくだしね」
「湯岡さんの気持ちはよく分かりました」
「分かってくれましたか。ほっとしたよ。僕を助けようという源田さんの気持ちはすごく嬉しいんだけど、この件はやっぱり僕の問題。源田さんの力を借りるのは筋違いだと思うんだ」
「そうですね。湯岡さんの言うとおりだと思います。差し出がましいことを言ってごめんなさいね」
「いや、源田さんが謝ることではないよ。謝るのは僕の方だよ。本当にごめんなさい」
「いいえ。でも結局よかったじゃないですか。彼女が本性を見せてくれて」
「うん、そうかもしれないね」
「彼女の本性を知らないまま、ずっと付合っていたら、もっと悲劇だったと思いますよ」
「うん、きっとそうだね」
「悪い夢を見てたと思って、きっぱりと忘れたほうがいいですよ。女性は彼女一人じゃないもの。世間にはいっぱいいい女がいますよ」
「例えば私のように……って言いたいんだろう?」
「あは、そのとおりですよ」
「はっはっは、否定しないんだね?」
「まあ、失礼だわ~」
「おっと、ごめんごめん」
「じゃあ、そろそろ失礼します」
「うん、色々と知恵を貸してくれてありがとう」
「いいえ、とんでもないですわ。コーヒーご馳走さま~」
「どういたしまして。コーヒーならいつでもどうぞ」
「うん、またご馳走してくださいね。じゃあ」

 則子は俊介に笑顔を残し店を出て行った。
 
 俊介はカップに残ったコーヒーを飲みながら、則子との会話を思い返していた。
 恐るべき則子の策謀が脳裏から離れなかった。




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