もえもえ 発火点

Shyrock作



第37話「則子の思惑」

 俊介たちが入るとすでに空席が目立っていた。
 俊介たちは窓際の席を選び、ウェイトレスにコーヒーを二つ注文した。
 ほどなくコーヒーが運ばれてきた。

「じゃあ、いただきます」

 則子は俊介に軽く会釈をしてコーヒーカップに手を付けた。
 礼儀正しいのはいつものことだ。

「プライベートのほうはいかがですか?」
「プライベートって?」
「例の福博の女性ですよ。彼女とはうまく行ってるのですか?」

 則子としては愛想のつもりでたずねたのだろうが、俊介としては今最も触れられたくない話題であった。
 以前、則子から「今、付合っていらっしゃる方はおられるのですか?」と聞かれ、俊介はもえもえのことを大雑把だが則子に話したことがあった。
 則子はしっかりとその話を記憶していた。
 それもそのはず、もえもえの就職先が偶然にも則子が以前所属していた福博ホールディングスだったこともあり、俊介がもえもえをバックアップするため同社のことを詳しく尋ねていたことがあった。
 則子は俊介の彼女が自分が以前勤めていた福博ホールディングスであることに大いに興味を示した。
 そして「陰ながら二人の恋が実るよう応援したい」とまで言っていた。

「いや、それがね……別れちゃったんだよ」
「えっ! うそ? 別れたって? どうしてですか!?」
「地元で別の彼氏を作っちゃったんだ」
「まあ……」

 則子は遠距離であっても相手のことを信じて真剣に愛していた俊介のことを、彼が語る熱い言葉から十分に感じ取っていた。

「酷い子ね……」

 則子はポツリとつぶやいた。
 則子はまるで自分のことのように、顔を引き攣らせ怒りをあらわにしている。

「でも仕方がないよ。僕の努力が足らなかったんだよ」
「そんなことはないと思います。遠距離と分かって恋愛をしたのであれば彼女もある程度の覚悟があったはずです。それを裏切るなんて……。同性として許せないわ。しかも私がついこの前までいた会社だなんて……」
「だけど僕も忙しさにかまけて滅多に会ってやれなかったから、きっと寂しかったんだろう」
「そうかも知れません。でも裏切りはいけないです。別の男性と付合うなら、あなたにきっちりと別れを告げてからすべきだと思うんです。二股だなんて、そんなふしだらな……」
「うん、確かにね……」

 則子は俊介を見つめキッパリと告げた。

「湯岡さん、私に任せてくれない?」
「え? 任せるってどう言うこと?」
「彼女が会社にいられないようにしてあげるわ」
「え! なんだって……!?」

 則子の口から発せられた衝撃的な一言に、俊介は声を詰まらせた。
 それは則子がふだん見せている柔和な人柄からは想像もできないほど激しい言葉であった。
 俊介は則子の次の言葉を待った。
 まもなく則子は淡々と語り始めた。

「私は福博ホールディングスで20年近く仕事をしてきたの」
「もうベテランの部類だね」
「長くいれば当然、顔も広くなるわ」
「うん、そうだろうね」

 則子の福博ホールディングスにおける業績は群を抜いていた。
 そのため40歳にして同社ではその手腕を見込まれ女性で初の人事課長に抜擢された。
 まもなく傍系会社の福博保険相互会社から出向受け入れを熱望する声が上がり営業第一部次長に就任した。
 出向もまた出世するための布石なのである。
 福博保険相互会社では営業第一部次長の重責を担いながら保険レディも兼任した。
 そして短期間でグングンと業績を伸ばすことに成功した。
 彼女のよい評判はたちまち従前の福博ホールディングスにも鳴り響き、早期に復帰を熱望する声もあがった。
 つまり則子は何をさせても秀でていて、どの企業どの職場からも引く手あまただった。
 そんな彼女は両社においていつしか強い発言権と人脈を広げていった。

「私が以前いた福博ホールディングスの人事課長とは懇意な仲なんですよ」
「え? それが何か……?」
「彼に全部暴露するわ。彼女の素行を……」
「なんだって!?」
「今春入社したばかりの彼女を辞めさせるくらい朝飯前ですよ」
「ちょっと、ちょっと! 誰もそんなこと頼んでないよ。第一、彼女の素行と言ってもプライベートなことじゃないか。特に彼女が仕事で大きなヘマを仕出かした訳でもないんだし、それはちょっと無茶じゃないか?」
「無茶じゃないですよ。悪い子にはお灸を据えてあげなければ」

 則子は自身満々に言い切った。

「確かに湯岡さんの言うとおり、仕事で大失態を演じた訳でもない彼女を辞めさせるのは、会社の規則に照らし合わせても難しいと思うわ。それに社内恋愛を禁止している訳でもないし。ただ、今回のことを福博ホールディングスの上層部が知れば、当然、彼女への心象は悪くなりますよね」
「うん、心象は悪くなるだろうけど、辞めさせる要因にはならないと思うよ」
「辞めさせること無理だけど、会社の権限で人事異動を命じることはできますよ」
「何と恐ろしいことを……」
「彼女を自宅から通勤できないほど遠くの支店か出張所へ飛ばしてしまうんです。そうすれば彼とは必然的に引き離すことができるわ。ただ、彼女としては現在親元から通ってる訳ですし、それが採用時の条件だったから当然人事異動に対して不満を募らせるはずです。たぶん素直には従わないと思います。でも企業と言うものは湯岡さんも知ってのとおり、人事異動に逆らえばどうなるか……うふふふ」




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