もえもえ 発火点

Shyrock作



第36話「あっけない終焉」

「もっと近ければ膝を突き合わせてゆっくりと話し合えたのになあ。電話とメールだけだとこじれた時に修復が難しいなあ……」

 俊介は再びメールを送った。

『Subject: もう謝らなくていいよ

君のたぶん最後になるであろうメール読んだよ。
もういいよ。もう謝らなくてもいいよ。
仕方が無いもの。どうしようもないもの。
僕は僕でやって行くから心配しないでね。
心配なんて全然してないって?(笑)
じゃあ、元気に暮らしてね。
彼とがんばれよ。
じゃあね。
俊介』

 もえもえからすぐに返事があった。

『Subject: ごめん。

本当にごめんね。
何をいっても、やっぱり自分を取り繕うだけになっちゃうから、
なにも言えない…
本当にごめんなさい。
もえもえ』

 もえもえからのメールに目を通した俊介は寂しそうに微笑んだ。

「ついに終わったか……」

 張り詰めていた糸がプツリと切れたような気がした。
 最近ずっと睡眠不足が続いていたが、不思議と眠気は差さなかったし疲労感もなかった。
 ところが、この瞬間、疲れが怒涛のようにどっと押し寄せてきた。

「そういえば、最近まともに眠ってないなぁ……」

 俊介は突然息苦しさを覚え、冷房中にもかかわらず窓を全開した。
 すると外から秋を漂わせるひんやりとした空気が流れ込んできた。

「いつのまにかもうこんな季節になっていたんだなあ」

 これからはもえもえのいない日々が始まるのかと思うと、言葉にならない悲しみと寂しさが込み上げてきた。

「もえもえ……どうしてなんだ……一体僕のどこがいけなかったんだ……」

 カシャッ

 ジッポライターで煙草に火を点けた。
 せっかくやめていたのにまた吸ってしまった。
 引き出しに入っていた煙草。少し湿っている感じがする。
 メントールの香りが部屋中に充満する。
 俊介は窓を全開すると、ニ、三口吸っただけですぐに灰皿でもみ消してしまった。

 もえもえの声が無性に聴きたくなった。
 人間とは勝手なものだ。
 俊介が多忙な最中、もえもえから頻繁に掛かって来たことがある。
 その時は正直少し煩わしくさえ思った。
 もう二度と聴けなくなると思うと、無性に聴きたくなるから不思議だ。

(もう一度だけ声が聴きたい)

 深夜にもかかわらずもえもえは電話に出た。

「こんな時間にすまないね」
「うん、いいよ」
「あのね、もう一度だけ君の声を聴いておきたかったんだ」
「うん……」
「もえもえ、別れた後のことなんだけど、ひとつだけ君にお願いがあるんだ」
「ん? なに?」
「うん、僕は君に何度かランジェリーを買ってあげたよね」
「そうね」
「そのランジェリーはこれからも着てほしいんんだけど、彼と会うときだけは着ないで欲しいんだ」
「……」
「君だって嫌だろう? 僕からプレゼントされたランジェリーを彼に脱がされるのって」
「うん、そうね」
「お願いはそれだけだ」
「うん、わかった」
「それだけ言いたかったんだ」
「デジカメは?」
「デジカメって?」
「俊介が私の就職祝いに買ってくれたデジタルカメラだよ。あれ、返そうか?」
「何を言ってるの。返してくれなくていいよ。僕を見損なうなよ」
「ごめん……」

 俊介は電話をかけたことを後悔した。
 別れ際に過去のプレゼントの返却を求める男と見られたことに大いに憤慨した。
 どの道別れる女性であっても、せめて別れたあと俊介の心の中で『良い女』だったと記憶に留めておきたかった。
 もえもえはプレゼントされたデジカメを返却すべきかなどと、つまらないことを俊介に尋ねてしまったことで、俊介のよき想い出さえも打ち砕いてしまったのだった。

「もう電話をかけることもないと思うけど、元気に暮らしてね」
「うん、ありがとう。俊介も元気でね」

 いろいろとあったけど、別れ際ともなると、さすがに俊介の胸は熱くなった。
 長距離恋愛であったため会う頻度は少なかったが、ひたすら真剣に愛してくれた女性との最後の電話、最後の言葉。
 まさかこんな呆気ない幕切れが待っていたとは、誰が想像しただろうか。

「うん、じゃあね」
「うん……」
「さようなら」
「さようなら……」

 もえもえの最後の声を脳裏に焼きつけて俊介は電話を切った。

◇◇◇

 もえもえと別れて鬱とした心を引きずったまま週末は明けた。
 いくら心が晴れなくても、仕事は決して甘やかしてはくれない。
 また多忙な毎日が俊介を待っている。
 何とか午前中の仕事を乗り切った俊介は、昼食のあと、職場に戻ってぼんやりとホットコーヒーを飲んでいた。
 そこへ一人の派手な顔立ちの女性が現れた。
 福博保険相互会社営業部次長でありながら、兼ねて保険レディーもやっている源田則子である。

「車山さん、お元気ですか? お仕事の方はいかがですか?」
「やあ、久しぶりだね」

 特に俊介が福博生命に加入している訳ではないのだが、ウマが合うのか二人が会話を交わすといつも盛り上がる。
 初めは保険勧誘目的で俊介に接近してきた則子であったが、俊介にきっぱりと断られてからは保険の「ほ」の字も出さなくなってしまった。
 それでも俊介の事務所によくやってくる。
 二人は昼休み時、たまに近くの喫茶店で世間話をすることもあるが、お互い恋心などは微塵もなかった。
 則子は若く見えるがすでに40才を超えており、夫と二人の子供のよき母親であった。

「源田さん、僕の事務所は社員が少ないから営業はすぐに終わるだろう? もしよかったらお茶でも行かないか?」
「まあ、嬉しいですわ。車山さんに誘ってもらえるなんて。営業中でも車山さんに誘ってもらえるなら私着いて行きます~」
「ははははは、調子のいいこと言って」
「いいえ、本音ですよ」
「まあ、そう言うことにしておこうか。ここの地下の喫茶でもいいかな?」
「もちろん結構ですわ」

 二人は事務所の地下1階にある喫茶店に入った。
 午後0時50分ということもあって、昼休みを終えて出ていくサラリーマンやOLたちと店の出入り口ですれ違った。




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