第22話「幻光」
「それで君は僕たちの関係をどうしたいの?」
「うん……しばらく考えたいの」
「もえもえ……」
「ん?」
「もう一度やり直そうよ」
「……」
「僕に悪い点があるなら直すから」
「うん……」
「こんなに遠く離れていても、縁があってこうして巡り合えたんじゃないか」
「……」
「だからもう一度やろうよ」
「うん……もう少し考えさせて」
「そうか、分かったよ。じゃあ、ゆっくりと考えてみて」
「うん、じゃあ」
もえもえは重くてつらい電話をようやく切ろうとした。
そのとき、俊介は言い逃したことがあったようで、電話を切る直前に一つだけ確認した。
「もえもえ、ちょっと待って。今度の関西旅行はどうするの? もう一週間前になったけど」
「そうね……」
「この前まであれほど楽しみにしていたのに」
「うん」
「どうして急にそんなに変わってしまったの!?」
「……」
「とにかく会おうよ。会ってもう一度ゆっくりと話し合おうよ」
「うん……そうね」
「来てくれるの?」
「うん、行くよ」
「そうか。ありがとう」
俊介は本心から嬉しかった。
もえもえともう一度話し合う機会が持てたことによって、彼女とやり直せる自信があったから。
もえもえはいつも口癖のように「寂しい、寂しい」と俊介に漏らしていた。
俊介はその言葉を聞くたびに、遠距離であるため滅多に会えないことがもどかしかった。
(僕達はあまりにも会う機会が少な過ぎる。顔を見て話す機会が少ないから、どうしても会話が希薄になりがちだ。それにセックスだって長い間しなければストレスが溜まって当然だ。もえもえを以前よりエッチな身体にしてしまったのは僕のせいなのに。日頃寂しい想いをさせている分、次回会ったときはたっぷりと甘えさせてやらなければ。そうすれば彼女の気持ちもきっと戻るはずだ。きっと……)
来週予定どおり関西に行く。
もえもえのその言葉に、俊介は暗闇の中で一筋の光明を見る思いがした。
会えばきっともえもえを引き止められるはずだ。
俊介とすれば、万が一それが叶わなくても、今生の思い出としてもえもえの姿をしっかりと心に焼きつけておきたかった。
「もえもえ」
「ん?」
「僕たちが別れるということになったとしても……」
「……」
「最後にもう一度だけ顔を見せて……」
「う、うん……分かったよ……」
「それじゃね」
「うん……」
俊介は静かに携帯をテーブルに置いた。
夜も更けてすでに午前1時をまわっている。
しかし俊介はすぐに寝床に着かないで、ソファにもたれてもえもえの姿を思い浮かべていた。
ある程度覚悟はしていたが、まさかもえもえからこんな残酷な言葉を聞かされることになるとは。
まるで氷の刃が突き刺さったかのように俊介の胸は傷んだ。
(もえもえの声がもう一度聞きたい)
そんな衝動にかられた俊介は、深夜であることも忘れて再び携帯を手にとった。
プープープー……
通話中だ。
数回かけてみたがずっと通話中であった。
(たぶん、彼と話しているのだろう……)
俊介の心に激しい嫉妬と怒りがたぎった。
(いや、ちょっと待てよ。ここで僕が感情的になって彼女を罵ったとしても何のプラスにもならない。電話をかけたけど通話中だったことは触れないでおこう。そんなことより僕が彼女を大好きだということをもう一度しっかりと伝えておかなくては……)
ようやく電話がかかった。
「こんなに遅くにまた電話をしてごめんね。もう一度だけ声が聞きたかったんだ」
「うん」
「あれからもずっと考えていたんだけど、僕はどうしても君のことを諦め切れないんだ」
「……」
「だから、もう一度やり直そうよ」
「……」
「無理なの?」
「……よく分からない……」
相変らず煮え切らない返事しか返ってこない。
まるで以前とは別人のようなもえもえの態度に俊介は気落ちしたが、それでも熱心に説得をつづけた。
その甲斐あって、ようやくもえもえがうなずいた。
「ね、もう一度やり直そうよ」
「うん……」
「え?オーケーしてくれるの?」
「うん……」
「ありがとう。よくオーケーしてくれたね。すごく嬉しいよ」
「……」
「今度会ったときにゆっくりと話をしようね」
「うん」
相変らずもえもえの声は暗く言葉数は少なかった。
重い返事ではあったけれど、再出発を約束してくれたことが、俊介にとっては何よりも嬉しかった。
一度立ち込めた暗雲を一気に振り払うところまでは至らなかったが、愛する女性が自分の元に戻ってくると考えるだけで、俊介はここ数日苦しんだことが報われたような気がした。
(もえもえが昨日彼と会ったことは間違いないだろう。彼女の不自然な言動がそれを物語っている。男女がわざわざ会って長時間ともに過ごしたならば、考えたくはないが最後の一線を越えたとしても不思議ではないだろう。もえもえはおそらく彼に抱かれた。だけど仮に最後の一線を越えたとしても、僕のところに帰ってくるならば、彼との件は一切水に流そう。それが一番良い方法だ。彼女を許すことで彼女の心はきっと戻ってくるはずだから)
俊介が眠ろうとした頃、窓辺には夜明けを告げる陽射しが差し込み、鳥の囀りが聞こえていた。