第11話「片江展望台」
「かなり疲れているようだね。早く寝て。あ、そうだ。お休みのキスをしなくちゃ」
「……うん」
もえもえの声が重い。
かなり眠いのだろう、と俊介は思った。
チュッ……
……チュッ
「じゃあ、おやすみ」
「おやすみ……」
◇◇◇
9月7日(土)
もえもえが住む福博市では残暑の中にも、ほのかな秋の気配が感じられる季節となっていた。
ドライブ日和というにはまだ少し早いが、もえもえは久しぶりのドライブに心が弾んでいた。
一平の運転するワゴンは福岡県の北西部の宗像方面に向かった。
玄海灘を臨む美しい海岸線は絶好のドライブコースといえる。
ロマンチックな恋人の伝説に彩られた恋の浦や白砂青松のさつき松原の美しさは玄海国定公園にも指定されているほどだ。
一般的に女性はムードに弱いといわれている。女性は感覚的、情緒的であり、ロマンティックなムードを演出されると、自分が映画やドラマのヒロインになったような感覚になり、ドラマチックな展開を求める傾向がある。
風光明媚な所へドライブに誘われて、悪い気分になるはずがない。
もえもえもその例外ではなかった。
予想以上に会話が弾み、途中で寄ったカフェでも話題が途切れることがなかった。
取り分け同じ会社で共通の話題に事欠かない一平は、話題の提供に不自由することはなかった。
一平はもえもえの彼氏のことをあえて尋ねようとはしなかった。
たとえ片時でももえもえに彼氏のことを思い出させたくなかったからだ。
もえもえ自身も一平と楽しく語らっているうちに、いつしか俊介のことが脳裏から薄らいでいた。
ところが、一平が手洗いに立ったわずかな瞬間、もえもえはバッグから携帯を出して受信確認をした。
今日はデートのためマナーモードにしているので、着信があったとしても気づきにくいのだ。
やはり俊介から連絡はなかった。
(彼は今日仕事だと言っていた)
もえもえは俊介に『家族と出掛ける』と伝えてあるから、おそらく連絡はしてこないだろう。
もえもえが出かける直前、仕事先から電話が一本あったきりだ。
しかしもえもえはつれなく、
「出かける準備があるのであまり話せないの。ごめんね」とそそくさと電話を切った。
今日はそれっきりだった。
一平が手洗いから戻ってきたのをみて、あわてて携帯をバッグに仕舞いこむもえもえ。
にっこりと微笑みながら一平にささやいた。
「時間が経つのって早いですね。もう夕方になりましたね」
「本当だ、もうこんな時間か。さあ、次はどこへ行こうかな? おなかはまだ空いてない?」
「はい、まだ空いてないですよ」
「じゃあ、油山の片江展望台に行って景色を楽しもうか?」
「それ、いいですね。ず~っと長い間行ってないのでぜひ行きたいです~」
「じゃあ決まりだ。途中どこかで夕食をしよう」
「はい、行きましょう」
二人は海岸線から一路、南下し、油山の片江展望台に向かった。
福博市南部にそびえ立つ油山は、繁華街の天神から15分程度のドライブで行けるところから、週末は駐車場待ちが発生するほどの人気スポットなのだ。
山頂には市内を一望できる展望台があり120度のパノラマ夜景が楽しめる。
また展望台には外灯などの余分な光がないため夜景が見やすく、山頂から望む白を基調とした光の絨毯はとても美しく観る者にやすらぎを与える。
二人が展望台に到着した頃には周辺はすっかり夜のとばりが下りていた。
週末ともなれば山頂はさすがにカップルが多い。
中にはすでによい雰囲気に浸っていて今にもとろけそうなカップルもいる。
まだ明るかった宗像ではさすがに手を繋ぐことのなかった二人だったが、展望台まで来ると暗さと周囲の艶かしい雰囲気も手伝って二人はいつしか手を繋いでいた。
「もえもえ、見ろよ。すごくきれいな夜景だな~」
「ほんと、すごくきれいですね」
「もえもえの家はあっちの方向かな?」
「ううん、もう少し右です。あの明るい場所のず~っと右の方かな……」
「そうか。駅から結構近いんだな~」
「一平さんのマンションはどの辺りですか?」
「オレの家はもっともっと左の方さ。あの暗くて光のない所」
「(くすくす)光がないって言い方、何か変ですねえ」
「ん? そうか? はっはっは~、それもそうだね~。でも光はあるよ」
「え? 今ない所って言ったじゃないですか」
「いや、オレの光はおまえだよ……もえもえ……」
「……」
「もえもえ、オレはおまえが大好きだ」
「嬉しい……でも……」
「分かっているよ。おまえには恋人がいるってことは。でもオレがおまえを好きな気持ちは変わらない……」
「……」
「だから」
突然、一平はもえもえの肩を手を添え顔を接近させてきた。
もえもえは手を広げて拒んだ。
「ダメ……」
「どうして? オレ、おまえのことがこんなに好きなのに」
「できないです……いいえ、してはいけないんです……」