第10話「蒸発事件」
吉野と花山は安堵の色を浮かべた。
そして話はさらに核心に迫っていく。
「それで、その後家政婦さんはどうされたのですか?」
花山の質問に対して、塚野は一瞬口を噤んでしまった。
顔が緊張で強張って蒼ざめている。
吉野たちはじっと次の言葉を待った。
まもなく塚野が重い口をようやく開き、信じがたい言葉が彼の口から飛び出した。
「消えてしまいました……」
「え……?まさか……?」
吉野たちは絶句した。
花山が問いただした。
「失踪したとか……ですか?」
「いいえ、失踪ではなく、本当に消えてしまったんです」
「そんな……」
花山はさらに問い続けた。
「もしかしてどこかに引越ししたんじゃないのですか? いや、引越しと言うより、逃走というべきかも知れませんが……」
「いいえ、彼女の身の回り品は全て残っていました」
「この世から忽然と消えてしまったというのですか……?」
「はい、そういうことです……」
逃避するにしても引越しをするにしても、身の回りのものだけは最低限持参するはずだ。
すべてを置いて消えたとなれば、やっぱり『蒸発』ということになるのだろうか。
花山は頭を抱えて沈黙してしまった。
吉野は話の矛先を少し変えた。
「ところで、赤ちゃんはどうなったのですか? もしかしていっしょに消えてしまったとか?」
「いいえ、赤ん坊は家政婦の部屋にそのまま置き去りにされていました」
「え? 赤ちゃんを置いたまま消えたということですか……?」
通常母親が愛する乳飲み子を放置して逃亡するなんて考えられないことだ。
もしかしたらそれすら忘れてしまうほど、精神的に追い詰められていたのだろうか。
吉野は塚野の話を真剣に受け止めながらも、ふと疑問を抱いた。
(しかし、塚野はどうしてこんな古い出来事を私たちに話すのだろう。大変な事件だったことは理解できるが、今はもう関係がないはずなのに……。それともそれが何か……)
「塚野さん、お聞きしていいですか?」
「はい、どうぞ」
「昔、邸宅で大変な出来事があったことはよく分かりました。でもそのことと、現在のあの邸宅と一体どのような関係があるのですか?」
「すみません、前置きが長かったですね。これから肝心なことをお話します」
「そうですか。それは失礼しました」
塚野は茶たくの湯飲みに少し口をつけた後、おもむろに語りはじめた。
「女性がおられる前で少しお話ししにくいのですが……どうかご容赦ください」
塚野はそういって遠慮気味に吉野の表情をチラリとうかがった。
相変わらずじれったい男である。
吉野はもどかしさに少し苛立ちを感じながらも、表情には一切出さず塚野に答えた。
「私のことは一切気になさらないでください。どうぞお話ください」
「はい、では……。その消えた家政婦の部屋は二階の南側にありました。本来家政婦というのは仕事柄一階に部屋を与えられている場合が多いのですが、祖父の趣味が盆栽だったことから祖父が一階で暮らし、おのずと家政婦の部屋が二階になってしまったわけです」
「なるほど」
「祖母が一階の別室だったので、祖父は祖母に気兼ねすることなく二階の家政婦の部屋に通いました。祖父はちょっと風変わりな性癖を持っていました」
そこまで語ると塚野はまたもや口ごもってしまった。
女性が同席していると話しにくいのかもしれない。
吉野は小声で「お気遣いなく」とさりげなくうながした。
塚野はこくりとうなずくと再び重い口を開いた。
「祖父は羞恥プレイの愛好者でした。女性の羞恥心を煽ることで強い快感を得ることができたようです」
「ほほう」
花山は興味深げに相槌を打った。
吉野はどう反応すればよいのか分からず沈黙してしまった。
それでも塚野の会話を真剣な眼差しで聞き入っている。
「羞恥プレイには鏡を使うことが多く、家政婦を縛って手鏡で本人の秘所を見せつけたりしたようです。そんな鏡プレイが次第にエスカレートしていき、彼女の寝室の壁面に姿見用の大鏡を取りつけました」
「なんと……」
「さらに祖父はその大鏡がある直ぐ側にベッドを移動させました。そして夜な夜な大鏡の前で彼女を凌辱しつづけました」
「かなり過激な話ですね。でも、どうしてそんな過去の秘め事が分かったのですか?」
「はい、それは家政婦の日記から判明しました。彼女が消えてから遺留品を調べたのですが、その中に日記が残されていたのです」
「なるほど」
「日記のページをめくって行くと、彼女が消える二週間ほど前から、彼女はしきりに『この世から消えてしまいたい』と書いていました」
「相当辛かったのでしょうね……」
家政婦の心情をおもんばかると、聞くに堪えない気持ちになったのだろう。
吉野は何とも言えず悲しげな表情を浮かべた。