第4話「偽計のワゴン車」
当日の朝、静は出掛ける前に飼い犬のシドに餌を与えて頭を撫でてやる。
「じゃあ、シド、今から出掛けるけど大人しくしてるのよ。帰りはそんなに遅くならないと思う。いい子だから賢くしてるのよぉ」
どういう訳か、いつも静が出掛けるときとは異なり、シドが激しく吠え立てた。
「どうしたの? そんなに吠えて。アハ、もしかして静が出掛けるのがすごく寂しいのぉ? 大丈夫だよぉ、そんなに遅くならないから」
静は笑いながら、シドの頭をもう一度やさしく撫でた。
(クゥ~ン……ワン……ワンワン……クゥ~ン……)
何かを訴えかけるような少し物悲しそうな眼差しで、シドが静を見つめている。
でも何を告げたいのか静には分からなかった。
「じゃあ、行くねぇ」
静はシドの手を握てやり、もう一度頭を撫でてやってから、玄関を出た。
ドアを閉めると、ふたたびシドが吠えている。
「どうしたんだろぉ……いつもならあんなに吠えないのになぁ……体調でも悪いのかなぁ……でもご飯はきっちり食べてるしなぁ」
後ろ髪を引かれるような思いはあるが、約束の時間に遅れる訳にはいかない。
静は駅までの道を急いだ。
凛と冷え切った空気が静を包みこむ。
しかしコートの下は半袖のニットとチェック模様のミニのプリーツスカートだ。
少し薄着にしたのは、撮影を意識してのことである。
「ブルブル~、あぁ、さむい~」
寒さで自然に足取りが速くなる。
5分前に駅前のロータリー交差点に着いた静は周囲を見回した。
「う~ん、向こうは写真見てるから静の顔を知ってるけど、静は相手の顔を知らないんだよなぉ……」
するとまもなく静を呼ぶ女性の声が聞こえてきた。
「静さん~、おはようございます~」
声のする方向を見ると、スポーティーな姿の20代後半とおぼしき女性が笑顔で近づいて来た。
「はじめまして。ウィークリーマル・カメラマンの山根です。この度は大変お世話になります」
「静ですぅ、よろしくお願いします」
「まあ、やっぱり。静さんって予想にたがわずお美しいですね」
「えぇ? そうですかぁ? そんなぁ」
「こうしてそばで拝見すると、ネットで見る以上にお美しいですわ」
「ありがとうございます」
「立ち話も何なので、早速クルマに乗っていただけますか? すぐそこに停めていますので」
静は案内されるがままに、山根に従い車に向かった。
クルマはシルバーのワゴン車であった。
山根は助手席のドアを開け静を案内する。
「どうぞ、お乗りください。色々と機材を積んでるので狭苦しいでしょう? ごめんなさいね」
「ありがとぅ」
後部を見ると山根がいうとおり、三脚やら撮影用の機材らしきものが積まれていた。
山根は慣れた手つきでエンジンを掛けた。
「静さんほど有名になると、ファンからのメールが多くてご返事が大変でしょう?」
「確かに沢山来ますね。ファンの皆さんには悪いんですけど返事はほとんどしてません。返事はできる限りしたいのですが、ボランティアをしているし時間的にちょっと無理ですねぇ」
「そうですよね。私なんて1日3件のメールを返信するだけでも結構きついです。かなりの筆不精なもので」
山根は軽やかな口調で静に色々と話し掛けてくる。
そのとき、後部座席から「ガサッ」という物音がした。
「あれ……?」
静がふと後部座席を覗こうとしたその瞬間、ハンカチを持った手が突然静に襲いかかってきた。
「んぐっ!」
すごい力で口を塞いでくる。
「いい子だからしばらくおネンネしてな」
低い声が脳内に轟く。
それはあきらかに男の声だ。
「うぐぐぐっ……! うううっ!……んぐぐぐぐっ……!」
苦しい。
静は口を塞ぐ手を振りほどこうと必死にもがいた。
「ううう……うううっ……」
頭の中に霞が掛かかり、次第に意識が薄れていく。
手の力が弱まり、動きがピタリと止まってしまった。
「よし、うまくいったぞ」
「うふ、成功したわね」
「ふふふ、これで2時間は熟睡だな。よし、目的地まで突っ走れ」
「わかったわ」
山根ははギュッとハンドルを握りしめてアクセルを踏んだ。
「ふふふ、これじゃ、国内ナンバーワンのネットアイドルさんもざまあねえな。ふふふ、破廉恥な姿をたっぷりと拝ませてもらうとするか」
「ふん、あんた、よだれ垂らしそうになってるじゃないの。相変わらず底なしの変態男ね。うふ」
「その変態男と共謀した女は誰なんだ?」
「そういうこと言うのは無しにしない?なんてね。うふ」
クルマは市の中心部とは逆方向へと加速していく。