Shyrock 作

恋愛小説『埠頭』



 港の灯りがフロントガラスに滲んでいる。
 雨……
 フロントガラスに雨。
 幾つもの筋を描きながら雨がフロントガラスを流れて行く。
 それをインターバルにセットされたワイパーがかき消す。
 そしてまた雨が流れる。
 車内灯の消えた車内を埠頭の黄色い常夜灯が闇の中に浮きだたせている。

 助手席にうちゃぎ。
 別れ話をするためにこのクルマに乗っている。
 俺はそのことを知っている。
 うちゃぎは何も話さずに海を見ているから、俺はどうしようもなくハンドルにもたれかかっている。

 今日のうちゃぎは特別きれいだ。
 特に念入りに着飾っているのがよく分かる。
 女とはもうこれっきりと言う男の前でも美しくありたいものなのか。
 いや、様々な区切りを大事にするうちゃぎらしいところなのかも知れない。

 今日のうちゃぎは、白いブラウスに黒のタイトスカート。
 とてもシンプルだが、大人びた雰囲気をかもし出している。

「ごめんね」

 俺はうちゃぎを見る。
 うちゃぎも俺を見ている。

「いいよ。ふられる方がずいぶん楽でいい」
「そんなこと……」
「うん?」
「ううん、あなたらしいわ」
「なにが」
「そんな考え方」
「どんな」
「相手の事を考えていそうで、でも、それがまた相手を辛くするの。そんなとこ……」
「俺はいつでもそうなのさ。それにふられる方からすれば、ふる方が辛くなってもらわないと困る」
「冷たいふりしてもだめ、それはあなたのいつものポーズ。全然思い入れなんかないようなふりして、本当はすべてに執着している」

「もうやめようぜ、俺が不利になって行く。言い合いするために今日会ったわけじゃないだろう」
「ごめんなさい……」
「すべて私の我がままだから」
「何が」
「貴方と別れること」
「……」
「理由があるわけじゃないの、だから、私のわがまま。だから、今日はあなたのいうこと、何でも聞くわ」
「今日って」
「私と別れる時間まで」
「それでうちゃぎは何を得るの?」
「そんな言い方って……。そうね、訳もなくふる相手に対して精いっぱい尽くしたって事実が残るわ。そしたら少しは気持ちが和らぐかも知れない」
「そうだな。そしたら別れやすいのかもな。俺が無理難題を押しつければ別れる正当な理由ができて、うちゃぎは車を降りるかレストランで伝票を残して席を立てば良い」
「そんなつもりじゃ……」
「もう、止めよう。俺の言ったことは仮定に過ぎないが、俺にとっちゃうちゃぎにこれからつき合うことは何のメリットもない。そう、かえって気持ち悪いよ」

 うちゃぎはうつむいて何も言わなくなった。
 クルマの中に気まずい沈黙とデジタルオーディオプレーヤーから音量をしぼったメロディーが流れた。

 雨は相変わらず降っている。

「今度は俺がうちゃぎを不利にしてしまったみたいだ。うちゃぎの言うとおりにしよう。レストランに行って食事をしよう。そして、俺はそこからバス停までうちゃぎを送ってジ・エンドだ。そうしよう」
「ええ」

 うちゃぎはか細い声で、辛うじて聞こえるくらいの声でそう言った。
 俺は身を起こしクラッチを踏んでクルマを動かした。
 俺はクルマを走らせながらさっきうちゃぎに言ったことすべてを後悔していた。
 口にすべきことではなかったのは当然だが、うちゃぎがやっと俺のためにできることを思いついたことに違いなかったのだ。
 昔から一言多いと言われていた。
 やはり平静を保っていたようで、実はそうではなかったのだろう。
 まだまだ未熟者ということか。

 隣ではうちゃぎがまだうつむいたままでいる。
 うちゃぎの好きなポルノグラフィティが流れていなければとても耐えれる場面ではないだろう。
 この後、少し笑い話を折込ながら食事をするのが良いのか?
 サヨナラではなく、微笑みで別れるのが良いのか?

 それにしても俺は何て損な役回りなんだろう。
 いつもそうだ。
 いつも、俺は自分を大きく見せたがる。
 直ぐに大人の振りをする。
 悪い癖だ。
 それに他人を気遣ってばかりのお人好しと言っても良いだろう。
 ふられるのはうちゃぎではなく俺なのに。

 頭が不意に熱を帯びてきた。

 ブレーキを踏む……
 いきなり車線を左に取りそのまま路肩につけた。
 後ろで急ブレーキの音とクラクションの音が響く、タクシーが右側を追い抜いて行く。
 うちゃぎが俺を見ている。
 俺は吐き捨てるように言った。

「降りてくれ」
「えっ」
「降りてくれ。俺にはいつもと同じようにうちゃぎと話しながら食事をすることなんてできない」
「……」

「降りてくれ」

 うちゃぎはシートベルトを外し、そしてドアロックを解きドアを開けた。
 もう一度俺を見た。
 暗くてよく分からないが、うちゃぎは泣いているようだ。

 うちゃぎがバタンとドアを閉じた。
 俺はアクセルを一杯に踏み込むと雨の街を走り始めた。
 あの場所ならタクシーはすぐに拾えるはずだ。
 雨を避ける場所もあそこなら不自由しないはずだ。

 しばらく、走ってまた車を止めた。
 音楽が流れている。
 うちゃぎが好きだった歌が流れてる。

 雨……
 埠頭に雨が降ってる。



















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